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しおりを挟む真新しい布団の中で、傍らに寄り添う千代菊の洗い髪の匂い嗅ぎながら、聡はその思いを口にした。
「……夫婦にならないか」
「えっ?」
千代菊が驚いた目を向けた。
「ここで、所帯を持とう」
千代菊は嬉しかった。だが、複雑な胸の内を明かせないのが苦しかった。
「……うれしいけど……」
「けど、なんだ?俺じゃ駄目か?」
「ううん。聡はんは素敵な人や。けど、うちなんかあかん。聡はんにはもっとお似合いの人がいてはる」
千代菊は涙を堪えた。
「……何か、隠しているのか?」
「堪忍しておくれやす」
背を向けた。聡は千代菊の肩を持つと、自分のほうに向けた。
「お前が、貧乏人の娘でもなければ、借金のために芸子になった訳でもない。そんなことぐらい分かっていたさ。貧しい生活をしていた人間が、平気で鯛の造りや牛肉を買わないからな。それは、食べ慣れた人間の習性がさせる自然の行為だ。つまり、お前は贅沢を極めた生活をしていたと言うことだ。……どうして、嘘をついて俺に近づいた?」
「……」
聡は、目を伏せて歯を食いしばる千代菊を見つめた。
「千代菊、答えろ!」
千代菊の肩を揺すった。
「堪忍しておくれやす。……言えまへん」
「目的はなんだ!若いお前が体を張ってまでして俺に近づいたのはなぜだ?」
千代菊は泣いていた。聡は、千代菊の涙を指で拭ってやると、大きくため息を吐いた。
「……お前を責めてる訳じゃない。真実を知りたいだけだ」
千代菊から手を離すと、仰向けになった。
「……松枝を苦しめるためどした」
背を向けたままで言った。
「!……何っ?」
千代菊の黒髪に顔を向けた。
「……松枝は、うちのお父さんの後妻どす」
「!……」
聡は、千代菊のその一言で、自分に近づいた目的を理解すると、困惑の面持ちで長大息をした。
そして、千代菊こと千代は語り始めた。
「松枝のことを祖母から聞かされたのは、私が十六のときどした。松枝はおとんが病気で苦しんでるのに、看病もしいひんで外出ばっかりしとったそうどす。おとんが亡くなったときも家にはいーひんかった。おとんが亡くなっても籍を抜かへんかった。
松枝の目的はうちとこの財産やと思た祖母は、うちの身に万一のことあるかもしれへん思て、乳母の家に預けたんどす。乳母の家はうちから歩いてすぐのとこやったさかい、毎日のように祖母が遊びに来てくれました。
うちは乳母の家で何不自由のう育てられました。……祖母から松枝の話を聞いたうちは、松枝を憎んだ。松枝を苦しめるためにどうしたらええか、考えました。
ほんで、高校を卒業すると、復讐するために松枝の身辺を調べました。すると、頻繁に会うてる男がいてはった。……それが、聡はんどした」
「……」
聡は俯せになると、煙草に火をつけた。
「うちは思た。愛する人を奪われたら、松枝は悲しむやろうなと。そこで今度は、聡はんを尾行した」
「……」
「すると、頻繁に〈月路〉に通ってるのを知った。復讐方法を考えてると、乳母から意外なことを聞いた。〈月路〉の女将はんと知り合いやったんどす。乳母の口利きでにわか芸子になると、聡はんを奪う計画を立てたんどす」
「……」
聡は煙草をもみ消した。
「計画どおり、聡はんにほかされた松枝は、あまりの悲しみで気が触れんばっかりになってもうた。松枝の様子は、祖母から伝った乳母からの情報で知ってました。
ほんで、最後に松枝の精神をおかしゅうするために、祖母の知人の精神病院で、真っ白い顔に真っ赤な口紅を塗って、うちがアホの真似をしたら、松枝はほんまに気ぃ変になってもうた。
……聡はんと引き離して、松枝を苦しめれば、うちの復讐は終わりどす。おとんの無念も晴らすことできた。……そやけど、聡はんを愛してもうた。離れられんようになってもうた」
「だから、結婚しようと言ってるじゃないか。こっちを見てごらん」
その言葉に、躊躇いがちに向きを変えた千代は、目を伏せていた。
「……目的はともあれ、今はこうして互いに愛し合っているんだから、それでいいじゃないか。な?」
千代はゆっくりと、聡と視線を合わせた。そして、笑顔になった。
「ええの?ほんまにうちでええの?」
聡の胸にすがった。
「ああ。お前じゃなきゃ駄目だ」
千代を強く抱き締めた。
「……聡はん」
その頃、聡という片腕を失った浩一郎は、仕事に支障を来していた。どうしても引き戻す必要があった。聡の居場所を知るには、秋乃に訊くしかなかった。
江戸紫の付け下げに平安絵巻調の帯を、秋乃は粋に着こなしていた。
「単刀直入に訊くが、聡の居場所を知らんか」
「そんなん訊きに、わざわざおいでになったんどすか?電話一本で済むやないどすか」
酌をしながら皮肉を込めた。
「あんたにも会いたかったさかいだ」
「おおきに。そやけど、聡はんの居場所は簡単には教えられまへん。聡はんとの約束どすさかい」
「そんなん言いなや。わしとあんたの仲やないか」
「えらい昔のこっちゃあらへんどすか。うちを脅す気どすか」
「そないにいじめなや。どないしたら教えてくれるんや」
「さあ、どうしまひょ」
横を向いた。浩一郎は秋乃の手を握ると引っ張った。
「痛っ。なんどすの?」
「ええさかい、こっちにおいで」
「いやや」
「ええさかい」
「……いや」
綱引きのように引っ張られた秋乃の体は、浩一郎の胸元で止まった。
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