1 / 12
一話
しおりを挟む温泉郷に程近いこの地に移り住んで六年になる。大輝が小学校に入学するのを切っ掛けに、手頃な一軒家を購入した。
妻を病気で亡くしたのは、大輝が五歳の時だった。それからは住み込みの家政婦を雇い、引き続きここでも働いてもらっていた。だが、二年ほどで足腰の衰えを理由に辞めて帰郷した。
それからは、大輝と二人暮らし。自然の中で育ったせいか、大輝は純朴ではあるが、母親に育てられていないことで何か将来に影響するのではないかと、俺は懸念していた。
その日も、締め切り間近の小説の執筆に追われていた。伸びた鬱陶しい前髪を手で梳きながら、筆を走らせていると、駈けて来る大輝の足音がした。
ガラガラッ!騒がしく戸が開いた。
「お父さん!」
「なんだ、煩いぞ」
「はーはーはー……女の人が倒れてます」
息を切らしながら、ランドセルを下ろした。
「何っ!どこだ?」
反射的に万年筆を置くと、急いで鼻緒を突っ込んだ。
「土手のとこです」
短距離に強い大輝を追った。下駄はカランコロンと音だけは勝るが、ズックのそのスピードに敵う筈もなかった。
況してや、俺の辞書には〈運動〉という文字は含まれてなかった。俺にとって運動は、文章を書くより難しい技の一つだった。
大輝に追い付いたのは、今にも割れそうに、砂利道の小石に下駄を叩き付けた時だった。
「ハーハーハー……」
土手の緩い斜面に立った楢(なら)の木の根元に、ポシェットをたすき掛けにした、ダウンジャケットにジーパン姿の女が、俯せで倒れていた。
「大丈夫ですか?」
声を掛けたが反応がなかった。女の頬に手を触れてみた。温かかった。目を閉じたその横顔は、身形よりは歳を重ねていた。
「……生きてるの?」
大輝がこわごわ聞いた。
「ああ」
「よかった~」
辺りを見回すと、ボストンバッグと黒いキャップが放られていた。躓いて転げ落ちたものと推測できた。
「カバンと帽子を担当しろ」
「はいっ!」
大輝は急いでそれらを拾った。
「他に何も落ちてないだろ?」
「お父さん、ドングリが落ちてます」
「プッ」
……糞真面目な顔で冗談を言うからな。我が子ながら、魅力的だ。
大輝をチラッと見ると、女の帽子を被って、ボストンバッグを提げていた。その格好が滑稽だったので、声を出さずに笑った。
俺は女を背負うと、足下にあった適当な枝を杖にして土手を上った。緩いとは言え、上るその勾配は、運動音痴にはさすがにきつかった。
土手道まで上ると、女を背負い直し、道を急いだ。
厚着をしている割には女は軽かった。歩く度、セミロングの毛先が俺の頬を突っついていた。
「気を失ってるの?」
大輝が心配そうに見上げた。
「ああ、多分な」
「チメーショー(致命傷)じゃなくてよかったですね」
「うむ……ああ」
……難しい言葉を知ってるな。我が子ながら感心する。
大輝に布団を敷いてもらうと、ポシェットとジャケットと脱がした女を寝かせた。枕に載せたその顔は、どことなく儚げだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる