過去を消した女

紫 李鳥

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三話

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「あ、どうぞ、召し上がってください」

 俺は、女の箸置きに目をやった。

「いただきます」

 女は漆塗りの赤い箸を持った。

「ご飯のおかわりは自由です」

 大輝が笑顔で女に言った。

「あ、はい」

 この家の主のような大輝の物言いが受けたのか、女は笑いを堪えていた。

「大輝、父さんの晩酌は?」

「今日はお客さんがいるから、酒は飲まないかと」

「なんで?意味分かんないんだけど」

 俺は子どものように拗ねた言い方をした。

「そうですか?では、トックリ一本にしてください」

 大輝は勝手に本数を決めると、腰を上げた。

「あ、はい」

「クッ」

 大輝との掛け合いが面白かったのか、女が失笑した。

「ね、可笑しいでしょ?女房気取りで」

「……奥様は?」

「……あいつが五つの時に……腎臓を患って」

 淡々と喋りながら、蕩けた白菜を頬張った。

「……それからはお一人で?」

 呑水に豆腐を入れながら、女が聞いた。

「コブ付きじゃ、再婚も難しいですよ」

 あっけらかんと言ったが、それが却って、寂しさ、侘しさを強調させたようだ。

「…………」

 女は黙って豆腐を口に入れた。

「ぬるめにしました」

 大輝が大急ぎで、徳利と二口のぐい呑みを盆に載せてきた。

「お、気が利くな」

 ぐい呑みを二つ持ってきた大輝を褒めた。

「少し、飲みませんか?」

ぐい呑みを女の前に置いた。

「ごめんなさい。下戸なんです」

 女が申し訳ない顔をした。

「お父さん、ゲコって何?」

「酒、飲めない人のこと」

 手酌をしながら言った。

「へぇー。じゃあ、飲める人のことは?」

「上戸だ」

「ジョーゴって、さっき、トックリに酒を入れる時に使った、朝顔みたいなのでしょ?天井を向いて酒をゴクゴク飲んでるみたいだから、ジョーゴ?」

 大輝が散蓮華で鶏肉を掬いながら聞いた。

「プッ」

「アッハッハッハ……」

 俺は、女と一緒に笑った。

「じょうごはじょうごでも、意味も違うし、漢字も違うよ。……だが、発想は悪くないな。確かに漏斗(じょうご)が酒を飲んでるみたいに見える」

「ホントですね。もしかしたら、漏斗の語源は上戸かも知れませんね」

「うむ……確かに」

 女の言うのは当たってるかも知れないと思った。

「それよりお父さん、ナベの中にトックリを入れないでください」

「すまん。少しぬるかったから」

「プッ」

 鍋の真ん中に飛び出た徳利を見て、女がまた吹き出した。




 浴槽に湯を溜めると、新しい歯ブラシとタオルを脱衣場に置いて、客間の女に声を掛けた。

「お風呂、どうぞ」

「はい、ありがとうございます」

 襖の向こうから、女の声があった。
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