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十二話
しおりを挟む《拝啓
晩秋の候 いかがお過ごしでいらっしゃいますか
その節は 大変お世話になりました
見ず知らずの私に色々とご配慮いただき 誠にありがとうございました
この度は 私を探しに父を訪ねてくださったとのこと ご足労をおかけしました
折角 お出でくださいましたが 私はそこまでして頂く価値など無い人間です
なぜなら 私は人を殺し損ねた女だからです その相手は父です》
!!……
《真相をお話しします
あの日 温泉に招待するからと言って 父と鬼怒川温泉駅で待ち合わせをしました そして旅館の夕食まで時間があるからと言って渓流の散策に誘いました
勿論 宿など予約していません 渓流に誘うための口実です
酒の入っていない父は借りてきた猫のようにおとなしく まるで別人でした
私は迷いました
しかし 放蕩三昧のこの男は酒が入ったらまた 私にたかり 追い回して 恋も幸せも奪い取るんだろうなと思うと憎しみが込み上げてきて 思いっきりその背中を押しました
父は短い悲鳴と共に渓流に落ちました
急いで父の鞄からアドレス帳を奪うと 私は夢中で その場から走って逃げました その時 躓いて転倒したのです
早い時期から記憶は戻っていました
でも 紅さんの家庭の温もりに甘えていました 居心地が良かったから
でも 巡査の話を聞いて その老人は父に違いないと判断した私は これ以上長居すれば紅さんに迷惑がかかると思い 出て行くことにしました
それに 記憶を失った父をそのまま放っておく訳にはいきませんでした
知り合いだと名乗り 父の名前と住所 観光客であることをメモした紙を 父に渡してくれるよう看護婦に託し その場を去りました
父は未だに記憶が戻っていません
私が娘だということすら分からないようです
記憶と共に 酒飲みだったことさえも忘れ 一滴も飲まないので助かっています
父は年金暮らしなので生活の方は心配ないのですが 記憶をなくしているので 時々は様子を見に行こうと思っています
未遂とは言え 私は父を殺そうとした女です 犯罪者です
こんな女のことは忘れてください
どうぞ 大輝君とお幸せに さようなら
小杉謙太郎様
萩野麻友美》
……まゆみ、と言うのか。
子どもは親を選べない。不運薄幸なる麻友美の境遇を思うと、胸が締め付けられた。
俺も手紙を書いた。麻友美の手紙には住所が書いてなかったので、父親宛ての封筒に同封した。
《――あなたは 記憶をなくしたお父さんを助け 心配だからとお父さんに会いに行っている
それで 罪は償ったのではないでしょうか
だって お父さんは生きているのですから
もう 自分を責めないでください
もしかしたら お父さんは記憶が戻っていない振りをしているだけかも知れない
あなたを犯罪者にしたくなくて
そして 記憶喪失者を装い、酒を断つことで あなたにしてきたことを償っているのではないか
そういう可能性も考えられます
だから もう自分を責めないでください
これからは あなたの生きたいように自由に生きるべきです
あなたが居なくなってから 大輝は元気がありません
大輝はあなたのことが好きです 私も
『琴という女』を脱稿しました
書き下ろしを是非 あなたに読んでもらいたい
松本耕助のような傑作は書けないが それなりの力作と自負しております
大輝と一緒に あなたを待っています
〆切 大輝が中学校に入学する前
萩野麻友美様へ
大輝のハート&小杉謙太郎より》
それは、絨毯のように敷き詰めた落ち葉の小道に枯れ葉が舞い落ちる、休日の午後だった。
大輝は、居間でテレビを観ていた。俺は用を足していた。
ガラガラっ
戸が開く音がした。次に廊下を走る大輝の足音がした。途端、
「お父さーん!」
大輝の大きな声が聞こえた。
慌てて廊下まで行くと、尿意を催した時のように足踏みする大輝が玄関に笑顔を向けていた。廊下を一歩進んで玄関に目をやると、黒いコートの胸元から薄紅色のセーターを覗かせた麻友美が、穏やかな笑みを浮かべていた。
俺は一瞬目を丸くしたが、やがて、表情を緩めた。麻友美の手からボストンバッグを受けとると、
「コーヒーを淹れよう」
そう言って、ブーツを脱ぐ麻友美を待った。
「ニジコさんだー」
大輝が嬉しそうに名前を言った。
すると、麻友美がクスッと笑った。
あっ!そうだ。……虹子の本名を大輝に言うのを忘れていた。
完
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