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しおりを挟む出掛けたのはいいが、参拝客の多さに辟易し、その上、誰かに足まで踏まれて、まさしく弱り目に祟り目だった。結局、賽銭箱に辿り着く前にUターンしてしまった。
も、ヤだ。新年早々、縁起でもない。来なきゃ良かった。腹の中で愚痴を溢しながら、汚れた足袋を恨めしそうに見下ろすと、人垣を掻き分けて境内を出た。
ようやく人混みから解放され、身形を整えていると、
「あのー……」
女の声に呼び止められた。振り向くと、五十前後だろうか、毛皮のショールから萌葱色の衿元を覗かせた品の良い女が笑みを湛えていた。
「はい」
「すんまへん。写真を撮ってもらへんやろか」
関西訛りだった。観光でもしているのだろうと思い、気安く承諾した。
諏訪神社をバックに、女から受け取った携帯電話で、黄金色の袋帯が入る距離から撮ってあげた。
「良かったら、お嬢さんも一枚撮らせておくれやす。着物がえらいお似合いやさかい」
女のその一言で、靄のように覆っていた先刻までの不快感は、忽ちに消え去った。
「えっ?そんな……」
謙遜しながらも、思わず笑みが溢れ、無意識のうちに単純な性格を露呈していた。承諾したも同然に、いそいそと黒のベルベットのショールを整えると、ポーズを取った。
推察どおり、京都からの観光だと語る女は、写真を送るからとメアドを訊いてきたので、赤外線通信機能を利用した。
「私、すわと言います。もし、よかったら、その辺でお茶しまへんか?九州の思い出に別嬪さんとお茶したいわ」
別嬪だと言われて気分を良くし、初対面とは言え、相手が女だという安心感で、
「はい」
と、嬉しそうに返事をした。
京都の呉服屋で働いていると言う、すわと名乗る女は、道理で着物の着こなしが上手だと思った。
「失礼どすけど、お嬢さんは独身どすか?」
「ええ、今は。バツイチですけど」
「勿体ないわ。今度、ええ人紹介するわ」
「え?」
「九州男児もええかもしれへんけど、京男もなかなかどすえ」
そう言って私を見詰めた。私はドキッとして目を伏せた。
「……なんか、縁を感じるんどす。お嬢さんに」
「私に?」
「私の若い頃にどことのう似てるんどす」
……そう言えば、目の感じとか輪郭が似ていた。私もすわを見詰めた。
「……私、若い頃に子供を亡くしてますさかい、生きてたらお嬢さんみたいになってるやろな。……そんなふうに勝手に想像して。すんまへん」
「そんなこと。……つらい想いをなさったんですね」
「……そう言えば、お嬢さん、九州訛りがおへんな」
「あ、高校卒業してから東京で働いてましたから。でも、父と話す時は九州弁になりますが……」
「……じゃ、ご両親はお元気で」
「いえ。母は三年前に、父は去年の夏に。……今は一人です」
「そうだったんどすか。……寂しいおすな」
すわはしんみりとすると、コーヒーカップに口を付けた。
「ね、私と友達になってくれまへん」
すわが思い付いたように言った。
「え?」
「年は親子ほどちゃいますが、なんや馬が合うというか、気が合うというか。……迷惑どすか」
「いいえ。光栄です」
「うわ~、良かった~」
すわは子供のように喜んでいた。
それが切っ掛けで、メールのやり取りが始まり、仕事の事やミケの事など、たわいない日常をメールで話していた。
そして、庭先に咲く夾竹桃が色を鮮やかにする頃、一周忌を間近にした父に手を合わせたいと言って、すわが来てくれた。
茄子紺の紗に、白地の名古屋帯をしたすわは、いかにも涼しげに着こなしながら、有名百貨店の紙袋から菓子折りを出した。
仏壇の前に正座したすわは、しばらく手を合わせていた。まるで、初詣で願い事をするかのように、何かを話し掛けていた。その時、……すわは父か母を知っている、と直感した。
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