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4話
しおりを挟む由子は急用を理由にしてホテルをチェックアウトすると、近くの公衆電話から、口にハンカチを当てて通報した。
「不動前の〈並木ハイツ〉で死んでいた村井亜子ちゃんの母親が、高田馬場の〈ホリデー〉というビジネスホテルの204号室に居ます。急いでください!ホテルを出るかも知れません」
ガチャン!
由子はメモ帳に書き留めた喬子のマンション名と、子どもの名前を確認しながら早口で喋ると、電話を切った。
辰巳の顔を確認するためにも、警官が来るのを待つ必要があった。由子は、ホテルの入り口が見える物陰に隠れた。
やがて、パトカーがホテルの前に到着した。警官がホテルに入ると、間も無くして、黒い野球帽にベージュのダウンジャケットの男と、黒いジャケットを着た茶髪の若い女が出てきた。
男の顔を確認すると、間違いなく、履歴書の写真で見た辰巳だった。由子は、自分の直感力に惚れ惚れした。
パトカーに乗る二人を見届けると、その足で、寺島への報告書作りのために、田野の会社前に向かった。
田野はいつも通り、定時のご帰還だった。
辰巳と喬子の繋がりは一体何だったのだろう……。単なる浮気相手か?由子は釈然としなかった。
「あの日、買い物から帰ってきた女を見て驚きました。まさか、依頼者の夫の浮気相手が喬子だったなんて……。
喬子とはキャバクラで知り合って付き合うようになりました。ところが、子どもができて。産みたいと言う喬子に堕せと言ったら、突然、姿を消して。それっきり連絡が取れませんでした。張り込みをしていたあの日の翌日、喬子を訪ねました」
『どなた?』
『……俺』
『……!』
カチャッ!(ドアの鍵を開ける音)
『久し振り……』
『……昇さん』
「直ぐにドアを開けた喬子は俺を見て目を丸くしていましたが、俺の腕を引っ張って中に入れると、抱き付いてきました。喬子に愛情が無かったわけじゃありません。堕せと言ったのも、単に家庭があったからです。俺によく似た我が子を目の当たりにして、可愛さもありました。しかし、妻と別れる気はありませんでした。そのことを告げて部屋を出ました」
辰巳は後悔するように俯いた。
「彼の子どもが欲しかった。堕せと言われた時、一人で育てようと思いました。私が勝手に産むのですから、辰巳さんに生活費の請求をすることはできません。親からの仕送りと貯金、母子手当で子どもを育てました。
そして、あの日。偶然に再会した辰巳さんともう一度、よりを戻したいと思いました。しかし、離婚の意思が無いことを聞かされ、この先、子どもを抱えての人生に、急に虚しさを感じてしまいました。
思い悩んでいるうちに、生きる意味を無くした私は、発作的に子どもの首を絞めていました。……気が付くと死んでいました。
我に返った私は、事の重大さに狼狽え、一緒に死のうと思い、医者から貰った睡眠薬を飲もうとしました。
ところが、気になって引き返してきた辰巳さんに止められました。死んでいる子どもに驚いている辰巳さんに経緯を話しました。
その時、チャイムが鳴って、ドアスコープから覗くと、田野さんでした。田野さんとはひと月ほど前に、学習教材の訪問販売で来た時に知り合い、子どものことで色々と相談に乗ってもらっていました。出ないでいると、田野さんは帰りました。――」
「――その時です。子ども殺しの犯人を田野にしようと思った俺は、
『ははぁ、おやっ、子殺し、田野が逃げた』
と、犯行現場の目撃者を装った電話を社長にすると、喬子と行方をくらましたんです。――」
由子が帰社すると、いつも能天気の美優紀が泣いていた。
「あ、お帰り」
「ただいま」
「ズルズル……お帰りなさい」
鼻水を啜りながら美優紀が顔を上げた。
「……どうしたんですか?」
寺島に尋ねた。
「辰巳が殺人幇助で逮捕された」
「えー?」
由子は目を丸くすると、驚いた振りをした。
「それも、よりによって田野の浮気相手だ。辰巳とその女は昔、付き合ってたらしい」
片方の鼻の穴から煙草の煙を出しながら、寺島が深刻な顔をした。
「そんな偶然があるんですね」
由子はカップに入れたインスタントコーヒーにポットの湯を注いだ。
「……辰巳さんにそんな人が居たなんて……グジュ」
美優紀はそう呟きながら、鼻をかんだ。
「ほの字だったんだよ」
カップをテーブルに置いた由子に、寺島が小声で言った。
「へぇー、そうだったんですか……」
随分、オヤジ好みだな、と由子は思った。
《[調査結果]
ご主人に女性の影はありませんでした。担当が営業に異動して、帰宅が遅くなっただけです。心配ありません。ご主人とお幸せに》
寺島は、虚偽の報告書を田野の妻、延子に送った。敢えて波風を立てる必要は無い。それには、寺島の私情が介在していた。延子の哀しげな目が忘れられなかった。
そんなある休日だった。野暮用で新宿に行った帰り、靖国通りで寺島が信号待ちをしていると、
「社長……」
気安く声を掛ける女が居た。その声に振り向いたものの、目の前で笑っているソフトウェーブの美人が誰なのか分からなかった。
「イヤだ、分からないんですか?」
その喋り方で分かった寺島は、丸くした目を笑わせると、
「えっ!……市川……さん?」
と、半信半疑の決断を下した。
「ハーイ。当たり」
由子は含み笑いをした。
「クェッ!驚き、桃の木だ」
新鮮な刺激を受けて、血の循環を良くした寺島から軽口が飛び出た。
「変われば変わるもんだな。同一人物とは思えないよ」
「この美貌で何度、探偵の面接で合否の否になったことか。『この仕事は目立っちゃまずいのよ』なんて言われて。だから、だて眼鏡で地味にしてるってわけ」
「ね、その辺でお茶しない?」
寺島は、馴れ馴れしく由子の肩に腕を回した。
「ええ。いいですわよ」
由子という、有望な人材を得た、【どんとこい探偵社】は、どうやら安泰のようだ。
終
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