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第二章 雛
第十六話 入門 16 2-3-1/3 45
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「ねえ、クイまだー?」
「こらユミ、クイさんでしょ?」
相変わらずのユミをハコは窘める。とは言え、その声には張りが無い。相当疲れているようだ。
「ええ、もう少しですから頑張ってください」
クイは荷車を引きながら答える。しかし実際のところ、彼にはウラヤから相当離れた場所まで来たとした分かっていない。
「ユミ、このまま半刻も歩けば着くはず」
荷車の横側に手を添え、前へと軽く押しながら答えるのはヤミだ。自身の言葉に確信を持っているようだ。
孵卵の合格者を家族とともにトミサへと案内する。それも鳩の業務の1つだった。
ウラヤからトミサまで、慣れた鳩であれば一日で森を通り抜けることも可能なようだ。
しかし、この度の移住は体の弱いユミの母親を伴っている。
クイの引く荷車には水と食料の他、2人用の天幕が2組載せられていた。
昨日の朝からウラヤを発ち、日が傾く前には森の中で寝床を確保した。そしてまた、今日の夜明け頃からゆっくりと歩き続けていた。
一昨日、ソラの手を引きウラヤまで帰り着いたユミはカサとナミから深く感謝された。本来ならばまだ正式な鳩でもないユミが森に入ることは許されていないのだが、その臨機応変な対応は賞賛に値するものであった。それ故、森に立ち入った件は不問となり、こうして母とともにトミサへと導かれている。
問題はソラだ。偶然にも、いや必然的にラシノへ辿り着いてしまったことは黙っていた。
しかし、ソラが森に足を踏み入れたことまではヤマに伝えない訳にはいかなかった。
ソラは叱られる覚悟をしたが、ヤマは一瞬顔を曇らせた後、ただ彼女を抱き締めるだけだった。
昨年のユミの孵卵開始の前、ソラも一緒に鳩にならないかと誘うとヤマは怖い顔をしてそれを引き留めていた。
今ならその理由に見当がついてしまう。間違いなくヤマは何かを知っているのだろう。しかし、師弟以上の関係である彼女らの抱擁を前にして、ユミは口を開くことが出来なかった。
――――
ヤミの言う通り、半刻ほど歩いたところで森の終わりが見えてきた。刻限にして夕暮れ頃だろうか。腹も減ってきている。
ユミの知っている村は3つある。出身地であるウラヤ、キリと出会ったラシノ、そして烏の巣窟であるナガレだ。いずれも木々の並びが切れた先に大きな広間があり、そこにいくつかの家が立ち並んでいるという造りだ。
しかし、このトミサと言う場所はどうも違うらしい。
まず目に入るのは巨大な門。木の板で出来た扉とそれを覆う瓦屋根で構成されている。
そして門の両脇から塀が遥か遠くまで伸びている。積まれた石垣の上に、漆喰の塗られた白い壁がそびえ立っているというのが塀の姿だ。塀の外側には深い堀も掘られており、侵入者の立ち入りを許さない。
恐らくは塀の向こう側にトミサの家々が広がっているのだろうが、視界は阻まれそれらを視認することが出来ない。
「すごい……」
ユミから自然と声が漏れた。
クイは歩を止め、引いていた荷車の持ち手をその場に下す。
「ええ、私も初めて見た時は驚きました。トミサ全域はこの塀によって囲われています。そして、外界と中とを結ぶ門は4つ。しかし、鳩でない者がこの門をくぐる機会はほとんどありません。あちらに小屋がございますでしょう」
そういうとクイは門の傍らに会った瓦屋根を指差す。
「物の輸送のため、他の村から鳩でない者が労力として借り出されることがあります。しかしこの門をくぐることはありません。その者達は、あの小屋で仮眠を取ったりしますね。こうして門をくぐれるのは特別な機会と言えます。今がその機会の1つなのです。お母様、ようこそトミサへ」
クイはハコに向かって飛びっきりの笑顔を見せる。
「クイさん、ありがとうございます。ユミがすっかりお世話になってしまったのに、私の面倒まで……」
ハコはかすかに疲れた表情を見せたが、心からの感謝の辞を述べる。
「ハコさん。ユミは立派に孵卵を合格しました。ユミの決して挫けない心と臨機応変な対応力、それらのたまものです。ハコさんがユミをここまで育て上げた成果と言って良いと思います」
ヤミの言葉に間違いはないのだが、ユミの能力、と言うよりも性格を彼女は良いように捉え過ぎている。それによって自らが大変な思いをしたと言うのに。クイ自身も己の腹黒さにも関わらず、この純真さにずっと支えられてきたのだと心の中で感謝した。
「ヤミさん、ありがとうございます。それとハリのことは……」
ハコはナガレで生まれたハリの事情について全て知っているわけではない。しかし、ユミが孵卵でクイとヤミに迷惑をかけたであろうことは容易に想像がついていた。それ故、ヤマとソラの元にハリが預けられてから、せめて自分にもできることをとハリのおしめを変えるなど面倒を見ていた。
「ハコさん、私近いうちにウラヤへ駐在することになったんです。これまでハリのことをありがとうございました!」
「それは良かったです! やはり我が子と一緒に過ごしたいものですものね」
ハコがちらりとユミを見る。眼が合ったユミは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「良かったね! ヤミさん!」
ユミはクイよりもヤミの方によく懐いているようだ。それも仕方のないことではあるが。
純朴そうに笑うユミの頭をヤミは優しく撫でる。
「あれじゃあ、クイ…………さんは?」
「私は当分トミサを拠点とします。まあ、仕事で何度もウラヤとを行き来するんですが」
「ふーん」
あまり興味の無さそうなユミの反応ではあるが、余計な詮索をされずに済んだとクイは安堵する。
普通の鳩とは違うユミについて、なるべく傍で監視したいというのがトミサに残る動機だ。
もちろんクイも、ヤミとハリの傍には居たいのだが、ユミが何かやらかした時に及ぶ一家への被害を最小限に留めたい。
「こらユミ、クイさんでしょ?」
相変わらずのユミをハコは窘める。とは言え、その声には張りが無い。相当疲れているようだ。
「ええ、もう少しですから頑張ってください」
クイは荷車を引きながら答える。しかし実際のところ、彼にはウラヤから相当離れた場所まで来たとした分かっていない。
「ユミ、このまま半刻も歩けば着くはず」
荷車の横側に手を添え、前へと軽く押しながら答えるのはヤミだ。自身の言葉に確信を持っているようだ。
孵卵の合格者を家族とともにトミサへと案内する。それも鳩の業務の1つだった。
ウラヤからトミサまで、慣れた鳩であれば一日で森を通り抜けることも可能なようだ。
しかし、この度の移住は体の弱いユミの母親を伴っている。
クイの引く荷車には水と食料の他、2人用の天幕が2組載せられていた。
昨日の朝からウラヤを発ち、日が傾く前には森の中で寝床を確保した。そしてまた、今日の夜明け頃からゆっくりと歩き続けていた。
一昨日、ソラの手を引きウラヤまで帰り着いたユミはカサとナミから深く感謝された。本来ならばまだ正式な鳩でもないユミが森に入ることは許されていないのだが、その臨機応変な対応は賞賛に値するものであった。それ故、森に立ち入った件は不問となり、こうして母とともにトミサへと導かれている。
問題はソラだ。偶然にも、いや必然的にラシノへ辿り着いてしまったことは黙っていた。
しかし、ソラが森に足を踏み入れたことまではヤマに伝えない訳にはいかなかった。
ソラは叱られる覚悟をしたが、ヤマは一瞬顔を曇らせた後、ただ彼女を抱き締めるだけだった。
昨年のユミの孵卵開始の前、ソラも一緒に鳩にならないかと誘うとヤマは怖い顔をしてそれを引き留めていた。
今ならその理由に見当がついてしまう。間違いなくヤマは何かを知っているのだろう。しかし、師弟以上の関係である彼女らの抱擁を前にして、ユミは口を開くことが出来なかった。
――――
ヤミの言う通り、半刻ほど歩いたところで森の終わりが見えてきた。刻限にして夕暮れ頃だろうか。腹も減ってきている。
ユミの知っている村は3つある。出身地であるウラヤ、キリと出会ったラシノ、そして烏の巣窟であるナガレだ。いずれも木々の並びが切れた先に大きな広間があり、そこにいくつかの家が立ち並んでいるという造りだ。
しかし、このトミサと言う場所はどうも違うらしい。
まず目に入るのは巨大な門。木の板で出来た扉とそれを覆う瓦屋根で構成されている。
そして門の両脇から塀が遥か遠くまで伸びている。積まれた石垣の上に、漆喰の塗られた白い壁がそびえ立っているというのが塀の姿だ。塀の外側には深い堀も掘られており、侵入者の立ち入りを許さない。
恐らくは塀の向こう側にトミサの家々が広がっているのだろうが、視界は阻まれそれらを視認することが出来ない。
「すごい……」
ユミから自然と声が漏れた。
クイは歩を止め、引いていた荷車の持ち手をその場に下す。
「ええ、私も初めて見た時は驚きました。トミサ全域はこの塀によって囲われています。そして、外界と中とを結ぶ門は4つ。しかし、鳩でない者がこの門をくぐる機会はほとんどありません。あちらに小屋がございますでしょう」
そういうとクイは門の傍らに会った瓦屋根を指差す。
「物の輸送のため、他の村から鳩でない者が労力として借り出されることがあります。しかしこの門をくぐることはありません。その者達は、あの小屋で仮眠を取ったりしますね。こうして門をくぐれるのは特別な機会と言えます。今がその機会の1つなのです。お母様、ようこそトミサへ」
クイはハコに向かって飛びっきりの笑顔を見せる。
「クイさん、ありがとうございます。ユミがすっかりお世話になってしまったのに、私の面倒まで……」
ハコはかすかに疲れた表情を見せたが、心からの感謝の辞を述べる。
「ハコさん。ユミは立派に孵卵を合格しました。ユミの決して挫けない心と臨機応変な対応力、それらのたまものです。ハコさんがユミをここまで育て上げた成果と言って良いと思います」
ヤミの言葉に間違いはないのだが、ユミの能力、と言うよりも性格を彼女は良いように捉え過ぎている。それによって自らが大変な思いをしたと言うのに。クイ自身も己の腹黒さにも関わらず、この純真さにずっと支えられてきたのだと心の中で感謝した。
「ヤミさん、ありがとうございます。それとハリのことは……」
ハコはナガレで生まれたハリの事情について全て知っているわけではない。しかし、ユミが孵卵でクイとヤミに迷惑をかけたであろうことは容易に想像がついていた。それ故、ヤマとソラの元にハリが預けられてから、せめて自分にもできることをとハリのおしめを変えるなど面倒を見ていた。
「ハコさん、私近いうちにウラヤへ駐在することになったんです。これまでハリのことをありがとうございました!」
「それは良かったです! やはり我が子と一緒に過ごしたいものですものね」
ハコがちらりとユミを見る。眼が合ったユミは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「良かったね! ヤミさん!」
ユミはクイよりもヤミの方によく懐いているようだ。それも仕方のないことではあるが。
純朴そうに笑うユミの頭をヤミは優しく撫でる。
「あれじゃあ、クイ…………さんは?」
「私は当分トミサを拠点とします。まあ、仕事で何度もウラヤとを行き来するんですが」
「ふーん」
あまり興味の無さそうなユミの反応ではあるが、余計な詮索をされずに済んだとクイは安堵する。
普通の鳩とは違うユミについて、なるべく傍で監視したいというのがトミサに残る動機だ。
もちろんクイも、ヤミとハリの傍には居たいのだが、ユミが何かやらかした時に及ぶ一家への被害を最小限に留めたい。
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