鳩の縛め〜森の中から家に帰れという課題を与えられて彷徨っていたけど、可愛い男の子を拾ったのでおねしょたハッピーライフを送りたい~

ベンゼン環P

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第四章 巣立ち

第四十話 痣 40 4-1-2/3 123

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「ユミ、やっぱり逃げて!」
 未だ首に縋りつかれていたその腕を、必至で引きはがそうとする。
「やだ……」
 力の抜けた脚とは対照的に、ユミの両腕には力がこもる。
「キリも一緒じゃなきゃやだぁ」
 幼子の様に駄々をこねるその様は、かつて手を引いてくれた姿からは想像がつかない。

 キリの後方から徐々に足音が近づいてくる。地面から伝わる鼓動の頻度は高く無いが、それがかえって不気味だと思わせた。

「ソラぁ。今度はどこにも行っちゃダメだよぉ」
 
 キリ自身も、本当は母との生活から逃げ出したいとは思っていた。
 とは言え、この森で囲まれたラシノに逃げる場所などない。仮に森へ逃げようものなら、こんどこそ本当にユミに会えなくなってしまう。
 そのユミが一緒に行こうと提案したのだから、先ほどはその甘い誘惑に乗ってしまうところだった。
 
 前提として、ユミに再び誘拐を繰り返させるべきではない。
 しかし、ユミとキリとの逃避行が短期的なものであれば、他の鳩の眼を掻い潜れる可能性はある。
 2人きりの時間を楽しんだ後、こっそりとラシノに帰してもらえば良い。
 アイの視点からしても、一時的に関心の薄い我が子がいなくなり、のこのこと舞い戻って来ただけのことだ。
 
 ところが、ユミの姿を見られてしまっては話が変わる。

 かつてユミがソラと共にラシノへ訪れ、キリが2人の逃走を手引きした後にはアイから猛烈な折檻を受けた。
 それでもキリは堪えることが出来た。愛する鴦と、初めてあいまみえる姉を守ったのだと誇りに感じながら。
 キリが痛い思いさえすれば、いずれアイは抜け殻の様になる。しばらくは騒ぎ立てることも無くなるのだ。

 一方で、ユミとキリが共にいなくなればアイはどうするだろう。
 アイは依然としてユミへ強い執着を見せている。それを奪われたことに対する怒りの矛先を、一体どこへ向けるのか。
 暴れまわった挙句、無差別に村の誰かを傷つけるかもしれない。幼いころのキリならそこまで気が回らなかった。しかし今となっては、村の人々との共同生活に生かされているのだと身に染みていた。

「ごめん、ユミ。また次もあるから……」
「やだ! 絶対に離さないもん!」
 やはり、ユミの腕はほどけない。
 
 キリは思考を巡らせる。そして以前にも似たような状況があったことに思い至る。

「ユミ!」
「ふぇ?」
 突然の強い呼びかけに、間抜けな声を上げてしまう。そして一瞬、キリの首に絡ませていた腕の力が弱くなる。
 その隙にキリはユミの体を引きはがした。
 ユミは上目遣いに見つめてくる。キリは意を決した。
 
「!!」
 ユミの唇がキリの唇に覆われた。
 それはほんの一瞬のことであった。しかし、ユミには十分だった。
 呆然とその場で立ち尽くす。

「ソラぁああああ!」
 相も変わらず狂気を孕んだ声が聞こえてくる。
 キリは怯まず、くるりと振り返って見せた。そして体を大の字に広げる。
「ダメだよ。母さん」
 アイに向ける眼は極めて冷静だった。

「ユミ!」
 背後から投げられたサイの声。ユミははっと我に返る。
 しかしその瞬間には、ユミの体は宙に浮いていた。腰の両脇ががっちりと掴まれているのを感じる。
「アイのことは聞いてたが思った以上にやばそうだな。とにかく今は逃げるぞ!」
「離して!」
 無我夢中で両足をばたつかせる。それにも構わず、サイはユミを左肩へと担ぎ上げた。
「おーい、キリ。私はサイってもんだ! ユミなら大丈夫だからな。すまんがそっちはそっちで耐えてくれ!」
 言うや否や踵を返し、森へと駆け抜けていく。

 ユミが素直にその場から引き下がるとは、キリも思っていなかった。
 そんな中投げかけられたサイの声は、キリを信頼させるのに十分だった。ぶっきらぼうな声ではあったがユミに対する確かな慈愛を帯びていた。
 ユミには自分以外にも頼れる存在がいると知り、細やかな嫉妬を覚えるが、この場は任せてしまおうと決意する。
 
 対するアイは顔面蒼白という様子だった。長らく再会を待ち焦がれた、を眼の前で掻っ攫われてしまったのだから。
 立ちふさがるキリがまるで眼に入って居ないかのように、その肩を掴んで押しのける。
 しかし育ちあがったキリの体は、その程度で動じるほどやわでは無かった。
 
「いいからどきなさい! ソラの眼は私の物なんだから!」
「母さん、彼女はユミだよ。母さんが思う様な人じゃない」
 母がユミをソラと呼び続けること。そして眼に異常な執着を見せること。
 初めてソラを見た瞬間、その理由に気づくことが出来た。
 赤い瞳に目尻の切れた眼。ユミとソラとが横並びになると、酷似していることは明らかだった。

「あぁ、ソラ……」
 アイの声は絶望に満ちていた。アイの視界からユミが消えたということなのだろう。キリの肩からすっと荷が下りる。
 一度森に姿を隠せば、並みの人間ではそれを再び見つけ出すことなど不可能だ。

「たたかれたいの?」
 無感情で冷淡な声が聞こえてくる。
「いいよ。母さんがそれで済むなら」
 キリはぐっと下唇を噛む。

「おいで。今日はもう許さないよ」
 アイはキリの手首を掴み歩いていく。
 キリは自宅に連れて行かれるのだろうと思ったが、その足の赴く先は村の共同浴場のようだ。
 それに気づいたキリは背筋を凍らせる。これから行われる折檻はいつにも増して壮絶なものとなるはずだ。
 しかし、そこには幸せな思い出も眠っていた。浴室から漂う、ほのかな蓬の香りがその記憶を呼び覚ます。
 かつてはこの場所で、火の面倒を見ながらユミの不安を癒してやったのだ。
 
「僕は大丈夫。ユミが無事ならそれでいい」
 自ら言い聞かせるように呟いた。
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