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赤を赤と言わない世界を想像出来るはずもない。
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なんて、気持ちの悪い質問だ。
異質な見た目よりも、異様な雰囲気よりも
その問いかけは異次元な程にたちが悪い。
「信じてないですよ、ロックなんて。」
言い放てる、自信を持って。
信じているわけがない。
信じていられる理由がない!
「おや、なんてとは手厳しいですね。」
うちから湧き上がり、
煮えたぎる不快感を前にしても
シスターは一切の調子を崩さない。
「しかし!こちらの聖書を読めば世界が変わる!
ささっ!勿論ロハですよ!ご収めください!」
ローブの内側からシスターは一冊の本を取り出す。
それは、よく聞く聖典にしては薄く、
いや薄すぎじゃないか?
その本は重力に負けてペラリと頭を下げて
使い古された様子をありありと映し出している。
「聖書って、雑誌?」
その言葉に反応するように、
素早くシスターは雑誌を両手で持ち替えて
バンと眼前に押し出してくる。
「そう、音楽雑誌です!
きっとこれを読めば、
貴方もロックを信じ直したくなるはず!」
「…ッ!?」
勢いそのままに、踏み込んできた。
まだ開示さえしていないパーソナルスペースへ。
「信じ、直したくなる?
ははっ、まるで挫折したみたいですね。」
腸が煮えくりかえる。
怒りが湧き上がっては膨れてそのまま煮詰まる。
「挫折したのでしょう?
ロックなんて、という言葉は
ロックを知らなければ言えませんから。」
したり顔のシスターをみて、
その怒りは吹きこぼれた。
「じゃあ!わかってるなら、ほっとけよッ!!!」
吹きこぼれればあとはなるようになるだけ。
手当たり次第に当たり散らかして
脳みそが破裂したみたいに思考が散らかる。
「ロックを知ったうえで辞めたんなら
なんの文句もねぇだろ!
知らねぇくせに絡んできてんじゃねぇよ!」
怒りを形のまま口から吐き出す。
どうしょうもないほどに暴れて自分がイヤになる。
「…なるほど。貴方はよほど苦しんだのですね。」
「ぇ?」
慈しみにあふれた声。
暴れる子供を抱きとめるような
嫌ってる自分を、好ましいと認めてくれるような
そんな優しさが、古傷を蝕んでいく。
「では、ロックをやりましょう。
さすれば神は必ずや貴方を救ってくれます。」
「は?」
優しい声で、蝕んでいく。
通じない。コイツは、俺を見ていない。
ここで初めて気がついた。
こいつ、目の焦点があってない。
「勿論、私も全身全霊でお手伝いを致します。
汝隣人を愛せよ、ですから。」
怒りよりも恐怖がまさる。
腹の底よりもっと不確定で不気味な場所から
溢れ出た何が明確な形を持って足を掴む。
悪寒が走り、
背筋を伝う汗がねずみ算式に増えていく。
「まずは、ゆっくり自己紹介から始めましょう。
その後は一緒に神を信じる。
もしくは神を愛する所からでもいいですよ。
あぁ、なんと素晴らしいのでしょう!
神よ、おぉ、神よ!」
本物の化け物だ。
同じ形に収まっているだけでコイツは全くの別物だ。
血も肉も骨も神経も、
身体を構成する細胞の一端までもを
ロックに蝕まれたモンスターだ。
「な、なんっ、なんなんだよ、お前ッ!?」
だと言うのに、コイツは
まるでその歪みを知らないように
何処までも慈しい顔を浮かべてここにいる。
「私ですか?私は、シスター・アンナ。
本名は岩見杏奈と申します。
そうですね~どうぞお気楽に、
シスター・アンナとお呼びくださいな。」
こんな前情報がなかったら
きっとその笑顔に見とれていたんだろう。
だが余りにも現状は違いすぎる。
混乱も恐怖もさしておいて、
今考えるべき最たることは
コイツを追い返して、安心を手に入れることだ。
「あの…ッ!?」
口を開いた矢先、潰すように両手を包み込まれた。
しなやかでシミ一つない手のひらと
小綺麗に整えられた健康的な爪によって。
「立ち話も何ですから、
続きは中で話しましょう。
日中にこの厚着というのも堪えますからね。」
いや、お■■いだろ。
「え?」
どう考えたって入れて良い■ずが■■。
「さぁさ、どうぞ遠慮なく。」
握られていた手が解放されて、
今度はそっと、胸元に手が添えられる。
途端、その手を伝って何がくる。
金属をひっかくような、或いは蜂の羽音のような
忌避感を抱かずにはいられない、そんな振動。
■■■い、不■い、駄■だ。
脳は、それを拒むのに
より深い場所を得体の知れない震えに掌握される。
どうやら、鍵が必要ならしい。
思考を塗り替えられる不快感が、
度し難い嫌悪感が、
全身を包みこんでなお
…添えられた手からのソレに抗えない。
「……。」
揺らぐ。視界が、思考が、精神が、決意が。
神経を抜き取られて、形そのままに蹂躙されて
操り人形のように、不細工で受動的に転がされる。
いや、転がさせて頂いている。
そうだ、鍵を開けなくては。
この御方と話さなければ。
鍵穴に、握った鍵を差し込む。
ロックについて、話さねばならない。
生い立ちについて語らねばならない。
「どうぞ、シスター・アンナ。」
ドアノブをひねり、迎え入れる。
「ありがとうございます。」
この人なら、きっと救ってくれる。
そんな確信めいた思考が、脳を埋め尽くす。
…随分と、すんなりかかった。
解き放たれた扉をくぐり抜けてなお
その猜疑心を外に放る事は出来ない。
昨夜、確かに私の振動に共鳴したはず。
であれば既に寵愛に目覚めていてるはず。
その割には、だ。
ここに来て序盤の猜疑心へ逆戻り。
系統の云々にしてももっと我がでるはず。
とても隠せるようなものじゃない。
誘われているのか、或いは…
ひとまずもう少し様子を見ましょうか。
通されたのは生活感の薄い廊下。
それどころか靴箱にも痕跡は少ない。
彼が少し強めに引き戸を開ける姿に
ようやく生活感を感じたが、
やはり部屋にそれらしさはない。
「さぁ、おかけになって下さい。」
小さなテーブルで向かい合うように彼とすわる。
彼とは、失礼か。
これから共に神を信仰する仲間だ。
その絆は深いものでなくては。
「まずはお名前をお伺いしましょう。
よろしいでしょうか?」
「鍵谷、圭……」
カギヤケイ。カギヤ、ケイ。
鍵に、Keyか。
…錠前を連想させる名前!!
「まぁまぁまぁ!
なんて素晴らしい名前なのでしょうか!!」
きっとご両親は聡明な方々なのだ。
ケイと私を出会わせてくれた方々に
感謝の念を伝えつつも、
やはり目をそらせるものではない。
「……。」
項垂れる彼の姿はとても痛ましい。
干されているツナギから
肉体労働をお仕事にしているのだろうが
それにしてはやや細身。
肌も一見色白にみえるが、血色が良くないだけだ。
良く見ればケイの顔には生気がない。
なんて可哀想なんだ。
ロックから離れてばかりに…
「それでは、ケイ。恐れずに、懺悔を。
大丈夫。神は必ず貴方を救います。」
両手を組んで祈る。
彼のロックを取り戻すために。
「…俺、は高校のとき軽音部で」
そこから、ケイは語り始めた。
本気でプロを目指していたことを、
神を軽視する邪悪な存在がいた事を、
夢破れ生き甲斐を失ったことを、
「…それは、なんとも辛い経験でしたね。」
彼は耐えられなかったのだろう。
過酷な運命を試練として受け入れるのでなく、
罰として受け止めてしまったのだ。
変わらず項垂れる彼はまさしく迷える子羊。
「だから、ロックを諦めたんだ。」
「は?」
え?は?
「す、すみません。
聞き間違え、でしょうか?」
思考が一瞬で霧散する。
そんなことがあり得るはずはないから。
そうだ、聞き間違いに違いない。
そうじゃなければなんだというのだ?
だって、え?ありえないじゃないか。
「も、もう一度お伺いしても?」
私の寵愛は直接作用するもの。
そう、調整した以上言葉は本心しか話せないはずだ。
「俺は、ロックを諦めました。」
「なりませんッ!!」
そんなことがあっていいはずがない!
頭蓋骨の内側をトンカチでぶん殴られたような衝撃。
現実から逃避するように叫び声をあげるが、
それでもその絶望は心臓を掴み、肺を刺す。
「あ、ありえません!
本気でロックを諦めたと……?」
理解が追いつかない。
諦める?諦めるとは、諦めるということ…?
全身が硬直して、衝撃で全身が砕け散るような
それは痛みなんかじゃ治まらない。
「あれは、本気の言葉だったと……?」
思い出すのは、信じていないという台詞。
可愛さ余って憎さ百倍の物だと考えいたが
よもや、本心だったと?
「…取り、憑かれている。」
そうだ、それしか考えられない!
嫌それ以外があってはならない。
常識では考えられない。
ロックで傷を負ったなら、人はロックで癒すはず!
そんな当たり前のことさえ考えられないなど駄目だ。
「ケイッ!貴方は取り憑かれています!
邪なる存在に、そう!悪魔に!」
殺人が認められる法が敷かれた、
いやそれ以上だ。
殺人が褒められるべき
最上級の物と認められたようなものだ。
そんなものは混沌だ、
混沌たる世界の存在を認めろというのか?
ありえない、なりえない!
椅子を引き、立ち上がりケイの肩を掴む。
「今すぐにでも救いが必要です!
あぁ、嗚呼!なんてこと!!
救わなくてば、救わなくてば、救わなくてば!」
自らを刺し殺したくなる。
首を切って死にたくなる。
腸を割いて火にくべても足りない。
「私は、私は何という罪深いことを…、
可哀想に、なんて、なんて可哀想に!!」
暗闇で彼はもがき続けていたのだ。
おそらくはその暗闇さえも
暗闇だと認識できぬほど曇った眼で、
感覚のない手足で藻掻いているという意識もなく
ただ緩やかに、しかして深淵に苦しんでいた。
「今すぐ教会へ向かいましょう!
さぁ、ケイッ!早く!」
壁にかかっていたジャケットを無理に羽織わせ、
少しでもその震えを止めるために抱きかかえる。
「3年…辛かったでしょう、悲しかったでしょう。
大丈夫です。神の名の下で、
必ずや私が貴方を救ってみせます。」
後部座席にケイを乗せて、
アクセルを踏み込みハンドルを切る。
頑張る体を必死に抑え込んで
整備の行き届いていない道を踏み進んでいく。
すべては、彼を救うために。
これは天啓だ。
神が与え給うた試練だ。
神よ必ずや私は
この迷える子羊を御身の膝下へとお連れします。
「ッ!道路交通法ごときが邪魔してんじゃねぇよ!」
馬力を履き違えたような軽自動車は、
信号を無視して突き進んでいく。
法定速度なぞはとっくに踏み荒らし
民間からの通報があれば
必ずや処置が下るような暴虐を繰り返す。
時間にして、午後の3時前。
大通りを抜け、細道を抜け、信号を淘汰し
その車が目的地に着いたのは
シスター・アンナがアクセルを踏んでから
1時間と15分程度経ってからであった。
平日とはいえ、その道中には当然
車通りが多い道も含まれていた。
しかし、まるで神がそれを良しとでもしたかのうに
一件の通報も、
ただ一人を覗く目撃者を出すこともなかった。
異質な見た目よりも、異様な雰囲気よりも
その問いかけは異次元な程にたちが悪い。
「信じてないですよ、ロックなんて。」
言い放てる、自信を持って。
信じているわけがない。
信じていられる理由がない!
「おや、なんてとは手厳しいですね。」
うちから湧き上がり、
煮えたぎる不快感を前にしても
シスターは一切の調子を崩さない。
「しかし!こちらの聖書を読めば世界が変わる!
ささっ!勿論ロハですよ!ご収めください!」
ローブの内側からシスターは一冊の本を取り出す。
それは、よく聞く聖典にしては薄く、
いや薄すぎじゃないか?
その本は重力に負けてペラリと頭を下げて
使い古された様子をありありと映し出している。
「聖書って、雑誌?」
その言葉に反応するように、
素早くシスターは雑誌を両手で持ち替えて
バンと眼前に押し出してくる。
「そう、音楽雑誌です!
きっとこれを読めば、
貴方もロックを信じ直したくなるはず!」
「…ッ!?」
勢いそのままに、踏み込んできた。
まだ開示さえしていないパーソナルスペースへ。
「信じ、直したくなる?
ははっ、まるで挫折したみたいですね。」
腸が煮えくりかえる。
怒りが湧き上がっては膨れてそのまま煮詰まる。
「挫折したのでしょう?
ロックなんて、という言葉は
ロックを知らなければ言えませんから。」
したり顔のシスターをみて、
その怒りは吹きこぼれた。
「じゃあ!わかってるなら、ほっとけよッ!!!」
吹きこぼれればあとはなるようになるだけ。
手当たり次第に当たり散らかして
脳みそが破裂したみたいに思考が散らかる。
「ロックを知ったうえで辞めたんなら
なんの文句もねぇだろ!
知らねぇくせに絡んできてんじゃねぇよ!」
怒りを形のまま口から吐き出す。
どうしょうもないほどに暴れて自分がイヤになる。
「…なるほど。貴方はよほど苦しんだのですね。」
「ぇ?」
慈しみにあふれた声。
暴れる子供を抱きとめるような
嫌ってる自分を、好ましいと認めてくれるような
そんな優しさが、古傷を蝕んでいく。
「では、ロックをやりましょう。
さすれば神は必ずや貴方を救ってくれます。」
「は?」
優しい声で、蝕んでいく。
通じない。コイツは、俺を見ていない。
ここで初めて気がついた。
こいつ、目の焦点があってない。
「勿論、私も全身全霊でお手伝いを致します。
汝隣人を愛せよ、ですから。」
怒りよりも恐怖がまさる。
腹の底よりもっと不確定で不気味な場所から
溢れ出た何が明確な形を持って足を掴む。
悪寒が走り、
背筋を伝う汗がねずみ算式に増えていく。
「まずは、ゆっくり自己紹介から始めましょう。
その後は一緒に神を信じる。
もしくは神を愛する所からでもいいですよ。
あぁ、なんと素晴らしいのでしょう!
神よ、おぉ、神よ!」
本物の化け物だ。
同じ形に収まっているだけでコイツは全くの別物だ。
血も肉も骨も神経も、
身体を構成する細胞の一端までもを
ロックに蝕まれたモンスターだ。
「な、なんっ、なんなんだよ、お前ッ!?」
だと言うのに、コイツは
まるでその歪みを知らないように
何処までも慈しい顔を浮かべてここにいる。
「私ですか?私は、シスター・アンナ。
本名は岩見杏奈と申します。
そうですね~どうぞお気楽に、
シスター・アンナとお呼びくださいな。」
こんな前情報がなかったら
きっとその笑顔に見とれていたんだろう。
だが余りにも現状は違いすぎる。
混乱も恐怖もさしておいて、
今考えるべき最たることは
コイツを追い返して、安心を手に入れることだ。
「あの…ッ!?」
口を開いた矢先、潰すように両手を包み込まれた。
しなやかでシミ一つない手のひらと
小綺麗に整えられた健康的な爪によって。
「立ち話も何ですから、
続きは中で話しましょう。
日中にこの厚着というのも堪えますからね。」
いや、お■■いだろ。
「え?」
どう考えたって入れて良い■ずが■■。
「さぁさ、どうぞ遠慮なく。」
握られていた手が解放されて、
今度はそっと、胸元に手が添えられる。
途端、その手を伝って何がくる。
金属をひっかくような、或いは蜂の羽音のような
忌避感を抱かずにはいられない、そんな振動。
■■■い、不■い、駄■だ。
脳は、それを拒むのに
より深い場所を得体の知れない震えに掌握される。
どうやら、鍵が必要ならしい。
思考を塗り替えられる不快感が、
度し難い嫌悪感が、
全身を包みこんでなお
…添えられた手からのソレに抗えない。
「……。」
揺らぐ。視界が、思考が、精神が、決意が。
神経を抜き取られて、形そのままに蹂躙されて
操り人形のように、不細工で受動的に転がされる。
いや、転がさせて頂いている。
そうだ、鍵を開けなくては。
この御方と話さなければ。
鍵穴に、握った鍵を差し込む。
ロックについて、話さねばならない。
生い立ちについて語らねばならない。
「どうぞ、シスター・アンナ。」
ドアノブをひねり、迎え入れる。
「ありがとうございます。」
この人なら、きっと救ってくれる。
そんな確信めいた思考が、脳を埋め尽くす。
…随分と、すんなりかかった。
解き放たれた扉をくぐり抜けてなお
その猜疑心を外に放る事は出来ない。
昨夜、確かに私の振動に共鳴したはず。
であれば既に寵愛に目覚めていてるはず。
その割には、だ。
ここに来て序盤の猜疑心へ逆戻り。
系統の云々にしてももっと我がでるはず。
とても隠せるようなものじゃない。
誘われているのか、或いは…
ひとまずもう少し様子を見ましょうか。
通されたのは生活感の薄い廊下。
それどころか靴箱にも痕跡は少ない。
彼が少し強めに引き戸を開ける姿に
ようやく生活感を感じたが、
やはり部屋にそれらしさはない。
「さぁ、おかけになって下さい。」
小さなテーブルで向かい合うように彼とすわる。
彼とは、失礼か。
これから共に神を信仰する仲間だ。
その絆は深いものでなくては。
「まずはお名前をお伺いしましょう。
よろしいでしょうか?」
「鍵谷、圭……」
カギヤケイ。カギヤ、ケイ。
鍵に、Keyか。
…錠前を連想させる名前!!
「まぁまぁまぁ!
なんて素晴らしい名前なのでしょうか!!」
きっとご両親は聡明な方々なのだ。
ケイと私を出会わせてくれた方々に
感謝の念を伝えつつも、
やはり目をそらせるものではない。
「……。」
項垂れる彼の姿はとても痛ましい。
干されているツナギから
肉体労働をお仕事にしているのだろうが
それにしてはやや細身。
肌も一見色白にみえるが、血色が良くないだけだ。
良く見ればケイの顔には生気がない。
なんて可哀想なんだ。
ロックから離れてばかりに…
「それでは、ケイ。恐れずに、懺悔を。
大丈夫。神は必ず貴方を救います。」
両手を組んで祈る。
彼のロックを取り戻すために。
「…俺、は高校のとき軽音部で」
そこから、ケイは語り始めた。
本気でプロを目指していたことを、
神を軽視する邪悪な存在がいた事を、
夢破れ生き甲斐を失ったことを、
「…それは、なんとも辛い経験でしたね。」
彼は耐えられなかったのだろう。
過酷な運命を試練として受け入れるのでなく、
罰として受け止めてしまったのだ。
変わらず項垂れる彼はまさしく迷える子羊。
「だから、ロックを諦めたんだ。」
「は?」
え?は?
「す、すみません。
聞き間違え、でしょうか?」
思考が一瞬で霧散する。
そんなことがあり得るはずはないから。
そうだ、聞き間違いに違いない。
そうじゃなければなんだというのだ?
だって、え?ありえないじゃないか。
「も、もう一度お伺いしても?」
私の寵愛は直接作用するもの。
そう、調整した以上言葉は本心しか話せないはずだ。
「俺は、ロックを諦めました。」
「なりませんッ!!」
そんなことがあっていいはずがない!
頭蓋骨の内側をトンカチでぶん殴られたような衝撃。
現実から逃避するように叫び声をあげるが、
それでもその絶望は心臓を掴み、肺を刺す。
「あ、ありえません!
本気でロックを諦めたと……?」
理解が追いつかない。
諦める?諦めるとは、諦めるということ…?
全身が硬直して、衝撃で全身が砕け散るような
それは痛みなんかじゃ治まらない。
「あれは、本気の言葉だったと……?」
思い出すのは、信じていないという台詞。
可愛さ余って憎さ百倍の物だと考えいたが
よもや、本心だったと?
「…取り、憑かれている。」
そうだ、それしか考えられない!
嫌それ以外があってはならない。
常識では考えられない。
ロックで傷を負ったなら、人はロックで癒すはず!
そんな当たり前のことさえ考えられないなど駄目だ。
「ケイッ!貴方は取り憑かれています!
邪なる存在に、そう!悪魔に!」
殺人が認められる法が敷かれた、
いやそれ以上だ。
殺人が褒められるべき
最上級の物と認められたようなものだ。
そんなものは混沌だ、
混沌たる世界の存在を認めろというのか?
ありえない、なりえない!
椅子を引き、立ち上がりケイの肩を掴む。
「今すぐにでも救いが必要です!
あぁ、嗚呼!なんてこと!!
救わなくてば、救わなくてば、救わなくてば!」
自らを刺し殺したくなる。
首を切って死にたくなる。
腸を割いて火にくべても足りない。
「私は、私は何という罪深いことを…、
可哀想に、なんて、なんて可哀想に!!」
暗闇で彼はもがき続けていたのだ。
おそらくはその暗闇さえも
暗闇だと認識できぬほど曇った眼で、
感覚のない手足で藻掻いているという意識もなく
ただ緩やかに、しかして深淵に苦しんでいた。
「今すぐ教会へ向かいましょう!
さぁ、ケイッ!早く!」
壁にかかっていたジャケットを無理に羽織わせ、
少しでもその震えを止めるために抱きかかえる。
「3年…辛かったでしょう、悲しかったでしょう。
大丈夫です。神の名の下で、
必ずや私が貴方を救ってみせます。」
後部座席にケイを乗せて、
アクセルを踏み込みハンドルを切る。
頑張る体を必死に抑え込んで
整備の行き届いていない道を踏み進んでいく。
すべては、彼を救うために。
これは天啓だ。
神が与え給うた試練だ。
神よ必ずや私は
この迷える子羊を御身の膝下へとお連れします。
「ッ!道路交通法ごときが邪魔してんじゃねぇよ!」
馬力を履き違えたような軽自動車は、
信号を無視して突き進んでいく。
法定速度なぞはとっくに踏み荒らし
民間からの通報があれば
必ずや処置が下るような暴虐を繰り返す。
時間にして、午後の3時前。
大通りを抜け、細道を抜け、信号を淘汰し
その車が目的地に着いたのは
シスター・アンナがアクセルを踏んでから
1時間と15分程度経ってからであった。
平日とはいえ、その道中には当然
車通りが多い道も含まれていた。
しかし、まるで神がそれを良しとでもしたかのうに
一件の通報も、
ただ一人を覗く目撃者を出すこともなかった。
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「さ、お別れの時間だ」
これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。
※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。
※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。
ゆっくり投稿です。
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