トキノクサリ

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コトリ祭 -1-

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 除灰がある程度終わり、何度か雨も降り、段々と島がいつもの景色に戻りつつある頃、僕は高校から呼び出しを受けた。まだ夏休みも半ば。何か悪い事でもしたかな、と思いながら、高校へと続く真夏の坂道を、ひとり歩いた。

 教室に入ると、僕より先に、既に何人か待機していた。そのうちの一人が、僕を呼びつけた物理教師だった。彼は僕の姿に気づくなり、手を振って合図をした。

「済まなかったね、急に呼び出したりして。まあ、こっちに座って」

 高校一年では物理と生物を履修するので、この白髪で眼鏡で痩せ型の物理教師とは当然面識があった。担任ではないが。
 物理教師の周りには、他に、保健教師、それと…知らない女生徒がいた。学年が違うのかな。という事は、先輩か…。

「あなたが圷くんね」腰掛けるなり、女生徒が話しかけてきた。その声には威圧感があった。「アメリから聞いてるわ」
 アメリから?
「ごめんね、初めましてだよね」保健教師が言った。「こちら集会常任委員長の古杜さん」
 フルトサン…。ああ、なるほど
「アメリのお姉さんなんですね」
 集会常任委員長は首肯した。アメリに年上の姉妹がいたなんて、知らなかった。
「よろしく。本当は夏休み前の上期中に集会委員全員で集まって説明会をする予定だったのだけれど、人形山が噴火してしまったものね」
 島の高校は、三期制ではなく、上下の二期制だ。
「で、あたしが集会常任委員の顧問」保健教師が言った。「物理の先生はコトリ祭の関連で役場や神社と連携役をやってもらいます」
 
 物理教師が説明してくれた話によると、今年は噴火があったので高校の校舎内での学園祭は実施しないが、島のお祭…コトリ際というらしい。「小鳥」だろうか。なんだか気の抜けた可愛らしい名前の祭だな…は例年通り行う予定であり、集会委員として、篝火に使う藁人形の制作と、学年別に受け持つ境内の露店の運営管理をしなければならないらしい。

「わたしたちは、コトリ祭の藁人形制作チームってわけ。作り方は保健の先生が指導してくれるから安心して。それに、露店運営チームと違って何回も登校しなくて済むからラッキーだったわね」
 
 委員長によると、祭当日は境内に複数の屋台が並ぶらしい。大半は自治体や町の商店が運営するそうだが、例年、高校からも露店を一つ出しているそうだ。ただ、今年は学園祭が中止となり、高校と祭の連携がなくなったから、各学年一つずつ、計三つの露店を計画するのだそうだ。

「圷くん、あなた、顔立ちは悪くないわね…」委員長は顎に手を当てながら、値踏みするかのように僕を眺めてきた。「ちょっと中性的…かな…」
「いきなり、何の話ですか」僕は話の展開についていけない気後れと、照れ隠しに、語気を強めて言った。「中性的というか、無精で暫く髪の毛を切ってないだけですよ」
 僕の様子に、保健教師はカラカラと笑った。
「古杜さん、もう彼に決めちゃうの?」
 委員長は、顔を僕の方に向けたまま、目だけ保健教師の方に泳がせ、大きく頷いた。
「ええ、もう決まっている事ですから」
 保健教師と委員長は顔を見合わせてクスクスと笑い始めたが、僕には何の事か全く解らなかった。
「ちょっと待ってくださいよ、ちゃんと教えてくださいよ」
「ダメ」委員長は片手を僕の前に突き出した。「どうしても知りたかったら、アメリに訊きなさい」
 委員長は譲らなかった。この物言いだと、藁人形を作らされる以外にも、何か個別に仕事を押し付けられる雰囲気だ。
 ちぇっ、なんだよ一体。

 藁の調達は物理教師が町内会と行うとの事で、人形の製作スケジュールだけ四人で意識合わせをした。
 僕は解放されると、校庭で人数の揃わない野球部に勤しむ野辺を見つけ、遠巻きに声をかけた。

「野辺~! 今日、アメリは?」
 ネットに向かって遠投の練習をしている野辺は、僕の声に気づいた様だが、練習の手は止めずに、背中で叫び返してきた。
「知らん! 当番だったら図書室じゃねえかな?」
 野辺の背中にありがとうを言うと、僕は踵を返し、図書室に向かった。

 僕は校舎の薄暗い階段を上り、なぜかここだけ立派な設えの扉を押し開けると、図書室に入った。特に読書を好むタチではないけれど、この独特の香りが、なんだか好きだ。図書室は奥に大きな窓があり、紫外線防止に白いカーテンが閉められているが、そのカーテンをぼかして室内に広がる薄オレンジ色の夏の光が、幻想的だった。その窓の前では、数人の生徒が静かに勉強をしているのが見えた。大抵の者は、高校を卒業後は島で稼業を継いで働くか、陸の大学に通う。つまり、夏休みに図書室で勉強をしている人間は、大学受験をしようって連中だ。
 島の公共図書館よりも、この図書室の方が蔵書数は遥かに多いらしい。歴史的価値のある書物も多数所蔵しているというから、なかなかのものだ。図書室には中二階が存在し、書架コーナーの、本棚と本棚の間の細い通路に、謎の二階への階段があるのだが、そこの本については生徒への貸し出しや閲覧は行っておらず、常に鍵が掛けられている。
 アメリは入口すぐのカウンターに腰掛け、時折眼鏡に手を遣りながら、読書をしていた。姿勢がいいよなあ…。今日は三つ編みだ。
 僕がカウンターに歩を進めると、アメリはすぐに僕の影に気が付き、僕を見上げると、笑顔を作った。

「そうか、今日は集会委員の用事なんだっけ?」
 僕はアメリの向かいに、どかっ、と座った。
「アメリにお姉さんがいたなんて、知らなかったよ」
「あら、言ってなかったっけ?」アメリはクスクスと笑った。「気丈な姉でしょう? 何かされなかった?」
 僕は、藁人形を作る当番になったこと、それを委員長と一緒に行う事、そして、僕の顔を見て笑われた事を話した。
「藁人形はいいよ。ウミからも聞いてたから、なんとなく解かってたし。でも、僕の顔を中性的だとかなんとか散々笑って、何かをやらせようとしているらしいんだよね」
「うんうん、それで?」
「それで…何か知りたかったら、アメリに訊けって…」
 アメリは、持っていた本で顔を覆うと、肩を震わせて笑いを堪える仕草をした。
 図書室の奥の方から、うるさいぞ一年生、と誰かが声を上げた。それで僕は、ごめんなさい、と声の方に向かって一言返した。
「これ以上先輩方から怒られる前に、教えて欲しい」
 僕は声を潜めて言った。
「ごめんなさい、うん、話してあげるね」
 アメリは眼鏡を、片手で上に持ち上げると、もう片方の手で、笑い涙を拭った。

 アメリに依ると、祭当日、確かに藁人形を種火にし、篝火を焚くのだけれど、単に無防備な藁人形を寝かすだけではないのだと言う。まず、藁人形だけを地面に寝かせ、火を点ける。炎が立ったところで、それを囲んで三人の巫女が詔刀を唱えながら舞踊を行う。ただし、その三人のうち一人は、男性でなければならない。つまり、二人の巫女に対し、女装をした男性の巫女が混じり、儀式を行う。舞踏を終えた後、女装巫女は自らの衣装を脱ぎ、藁人形の火にくべる。この儀式を経て、ようやく薪が足され、大きな篝火になるのだという。

「正確には、男性は『巫女』ではなくて『覡』だけれどね」
 さすが、アメリは色々と詳しい。
「奇祭だな…」
「そうかしら? そうでもないと思うけど。まあ島で行われる祭は、奇祭と呼ばれるものが多いかもしれないね」
 ん? 待てよ?
「という事は、委員長は、僕にその女装巫女をやらせようとしているって事?」
 僕の言葉に、アメリは満面の笑顔で頷いた。
「ようやく気付いたみたいだね」
「なんで委員長にそんな権限があるんだ? 僕の了承もなく、横暴だよ」
「それは残念。でも、権限があるんです」
 え? あるの?
「それは…どうして…?」
 アメリは本を閉じると、小さく頷いた。
「古杜家は、代々この島の祭事を司っているからね。由緒ある家系なんだよ? 知らなかった?」
 確かに、いわれのありそうな苗字だとは思ったけれど…。そういう事か。
「じゃあ、その奇妙な儀式の由来なんかも、古杜家の人間であるアメリは知ってるわけ?」
 アメリはゆっくりとかぶりを振った。
「実は、詳しくはわたしも知らないの。でも、藁人形って事は、身代わりでしょう? 遠い昔、何か悲しい出来事がこの島にあったんじゃないかしら」
 悲しい事…。
「コトリ祭って言うけれど、『コトリ』というのは…」
 僕とアメリの視線が合った。
「そうね、『子取り』かもね」
 なるほど…。可愛らしい名前の印象が突然裏返った。
「とすると、女装して衣装を投げ入れる、というのは、亡くなった女の子の魂を食いに来た亡霊だか何かを騙して退散させるとか、そんな意味合いがあるんだろうか…」
「そうかもね。だとすると、ね? 圷くん、重要な役割じゃない」
 僕は苦笑いを隠せなかった。
「ところで、他の二人の巫女は、誰がやるの」
 僕は立ち上がり、椅子をカウンターに戻しながら、アメリに訊いた。
「三人の巫女は、年齢や姿かたちができるだけ近い事が求められるからね」アメリが言った。「わたしと、ウミがやるよ」
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