トキノクサリ

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付記2 -あるゴーストガールの手記-

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  私がイリノイ州ラサール群の工場で働き始めたのは、一九二六年頃の事だった。採用が決まった時、私自身以上に、家族が喜んでくれた。実際、時計の文字盤に夜光塗料を塗る仕事は、一般的な工場勤務と比べて、数倍のお給金が貰えたから、私の将来が安泰であるという認識があったのだと思う。また、他の州では軍で使う時計の文字盤に塗料を塗っていたけれど、オタワにある私が勤務をする工場では、目覚まし時計がメインだったので、そういう意味でも安心感はあったのだろう。化粧で使うような細い筆を使って、細かな文字に塗料を塗るこの仕事は、手が細く繊細な作業ができる若い女性だけに与えられた、特権的職業だった。

 工場で働き始めて、私はとても驚いた。仕事の内容がどうとか、勤務時間や体系がどう、という事ではない。そこで働いている女性たちは、みんな工員であるにも関わらず、まるでよそ行きの、上等な服装で働いていたのだ。例えばこれが縫製工場であったり、自動車の部品を扱う工場であれば、とてもではないけれど、こんな格好で仕事はできない。動きづらいし、なにより汚れてしまうからだ。けれど、この工場では違った。まるで、みんな高級なレストランやバー、ダンスホールにでも出かけるかのようだった。作業着の代わりにそんな服を毎日着られる事が、賃金の高さを物語っていると私は感じた。
 これは、後から知った事だけれど、よそ行きの服で作業を行うのは、次のような理由があったから。

 ・工場で働いていると、夜光塗料の影響で、髪の毛や着ている服が光るようになる
 ・この光は、富と美貌の象徴であり、羨望の的となる
 ・光をまとった少女達は、街では「ゴーストガールズ」と呼ばれ、男たちを虜にできる

 勤務期間が長くなると、自分の体そのものが発光するようになるらしい。確かに、勤務を始めて、私の体がすぐに光る事はなかったけれど、服や髪はぼんやりと光ったし、爪にマニキュア替わりに塗れば、素晴らしく輝いた。私たちは…夜の街で、紳士たちに、もてにもてた。いい服を着て仕事をして、光る体を餌に街で遊ぶ。まさに天国だった。
 
 時計版に塗料を塗る作業は、難しくなかった。出勤すると、まず、工員はあてがわれた作業台に座る。時計用の作業台だから、普通の机よりもずっと高い。なので、椅子に座ると机の板はほとんど胸の高さまできて、最初は慣れなかった。それから、小さな壺の中に塗料を入れて、よくまぜる。それを筆に浸して、文字盤に塗る。ラクダの毛で作られた筆は、数回使うと毛先が荒れてしまうので、これを整える必要があるのだけれど、壺の淵で筆をしごくのは、あまり効率がよくなかった。それで、皆、自分の唇に咥えて筆先を整えていたし、工場もそれを推奨していた。なんといっても、この塗料はラジウムという最新の栄養素を豊富に含んでおり、健康促進に良いのだという。確かに、市場にはこの栄養素を含んだ栄養ドリンクや、食品も販売されていた。みんな、休憩時間なんかに自分の顔にひげを描いてみたり、歯に塗ってみたりして遊んだりもしていた。出来高制だったので、誰もが、黙々と作業をした。塗れば塗るほどお給金は増えたし、何より、皆、このお金と男を引き寄せ、健康にも役立つ塗料を、少しでも多く口にしたがった。一日三百個も時計を塗る事ができれば、給料が楽しみになった。そして、塗料を塗った時計は本当に鮮やかに、綺麗に輝いた。

 工場内で流行り病が発生したのは、私が働き始めて数ヵ月後の事だった。特に、勤務歴の長い女性が患っていた。貧血、嘔吐、から始まり、ひどい者だと、手足や顎の皮膚に腫瘍を生じ、壊死し始めた。この、工場内だけで広まる不思議な病気に恐怖した工員たちは、なんども会社に確認をした。病気の原因の調査をしてほしい事、塗料は本当に健康に悪くないのか、と。しかし、回答は変わらなかった。塗料は健康によく、君たちの頬をバラ色に染めてくれる、と。でも、明らかにおかしかった。だって、工場に勤務している人以外はだれもこの病気にかからないのだから。
 そして、ついに死者がでた。勤務当初、私に作業を色々と教えてくれた、世話役の女性だった。私は、彼女の状態が悪くなり、勤務できなくなってからの様子を知らなかったけれど、とても凄惨な最期だったと聞いた。体中に腫瘍ができて、歯が抜けて、膿があふれ出して、顎が割れて…そして、死んだ。
 
 ほどなくして私たちは、ニュージャージー州の工場で、全く同じ事が、数年前に既に起きていた事を知った。彼女たちの多くは、この不思議な病と闘いながら、同時に工場の経営者たちとも戦っているのだという。もし、この病気の原因があの夜光塗料である事が証明できて、その上で世間に事実を知らしめる事ができれば、同じような苦しみが繰り返される事は、あるいはなくなるのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。

 ある夜、私は帰宅後に鏡を見て、気が付いた。私の体も…光り始めていたのだ。病気にかかった工員たちは、口々に言った。体が光り始めたら、もう引き返せない、と。私は、ほどなくして、他の工員たちと同様に、体を患い、死ぬだろう。私は、残された時間を使って、経営者と戦おうと思う。
 まだ目だった症状が発生していない今、記録としてこの手記を残す。

                                                    一九二八年 Anonymous(匿名)
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