「くだらない日常に咲いた恋」 ― 完璧な御曹司と花屋の娘 ―

気持ちが溢れる夜。

その夜、花屋に青年はひとり現れた。
扉を開ける鈴の音は、昼間よりも静かに響く。

「……もう遅い時間ですよ？」
少女が驚きながらも笑顔を向ける。

「……眠れなかった」
珍しく素直な言葉だった。
彼はカウンターの椅子に腰を下ろし、額に手を当てる。

「舞踏会も、学園も……褒め言葉も、称賛も。
　全部、俺を囲う檻のように思える時がある」

低く吐き出す声。
それは社交界の「完璧な御曹司」ではなく、ただの青年の弱音だった。

少女は静かに小瓶を開け、湯気の立つカップを差し出す。
「……どうぞ。眠れるように調合しました」

彼は黙って受け取り、香りを吸い込む。
胸の奥が少しほどけるようで、思わず瞼を伏せた。

「……退屈を忘れたくて、ここに来ていた。
　でも……気づけば、お前に会うために来ていた」

その言葉に、少女の胸が強く揺れる。
彼は視線を逸らし、わずかに声を震わせた。

「……怖いんだ。
　俺が“完璧”じゃなくなったら、誰も俺を必要としないんじゃないかと」

少女はそっと彼の隣に腰を下ろした。
言葉を探すよりも、彼の手に自分の手を重ねる。

「……わたしは、必要とします」
「……っ」

彼が驚いて顔を上げる。
その瞳に涙が滲んでいるのを、少女は見てしまった。

「完璧じゃなくても、退屈でも……あなたがいてくれるだけで、わたしは嬉しいんです」

青年はしばらく言葉を失い、やがて震える声で呟いた。
「……くだらない娘だ」
でも、その手を離そうとはしなかった。

二人の手は静かに重なり、夜の花屋には温かな沈黙が満ちていた。