蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

文字の大きさ
13 / 50

蓮宴

しおりを挟む
蓮花が水面にゆらゆらと揺れ、夏の余韻を残す風が涼やかに吹き抜ける。後宮の奥深く、蓮の泉の中央に浮かぶ碧蓮亭(へきれんてい)。
今日は年に一度の華やかな妃の集い――蓮宴が開かれていた。

蓮を象った扇、花びらを模した菓子、繊細な香の焚かれた楼閣には、帝の寵を競う妃たちが一堂に会していた。

「……え、本当に来ちゃった。あれ、私って冷宮の妃じゃなかったっけ?」
茗渓は着飾った自分を見下ろし、半ば呆れたように息を吐いた。

今日の彼女は、青磁色の薄衣に蓮の刺繍が淡く光る柔絹の装い。髪は丁寧に結い上げられ、小さな簪がひとつ、陽の光を受けてきらりと揺れていた。

(麗妃に招かれたって言っても……あの紫煙の宴で、絶対変な噂立ったはずなんだけどな)

そんな不安を抱えつつ、碧蓮亭へと歩を進めると――

「蘭妃様、どうぞこちらへ」

凛とした声が風に乗った。
振り返ると、蓮の花に囲まれるように立つのは、ひときわ眩い美貌をたたえる女――麗妃であった。

(……相変わらず、この人……綺麗すぎるでしょ……)

紫煙の宴で一度出会った麗妃の姿が、脳裏に焼きついて離れなかった。涼やかな黒髪、白磁のような肌、そして静かな湖面のような眼差し。そのどれもが、物語の中の“理想の妃”を超えている。

「紫煙の宴では、お話しする機会もありませんでしたから」
麗妃はそう言い、にこりと笑んだ。

「皇太后もいらっしゃったから、話しかけにくかったでしょう?」
「え、は……はい、まあ……」
茗渓は思わずたじろぎながら、礼を取る。

麗妃はその様子にくすりと笑い、扇子をそっと口元に添える。

「今日は、ぜひゆっくりなさってください。冷宮におられては、話す相手も少ないでしょう?」
その言葉に、茗渓は一瞬たじろいだが、すぐに小さく頷いた。

(この人、優しいのか、それとも……)

しかし、そのやり取りを遠くから睨みつけていた者がいる。――趙妃だった。

「ふん、冷宮の妃が、蓮宴とは……麗妃様も、ずいぶんお優しいことで」

ぴしゃりとした声が響き、空気が一瞬で冷えた。

(えっ、なにその敵意!?)

茗渓は思わず身をすくめ、内心で悲鳴を上げる。

(この人、紫煙の宴の時よりさらにヤバさ増してるよ!?もうこの人に悪妃のポジション、譲ってもいいのでは??)

しかし、麗妃はまったく動じず、扇子を静かに畳んでから言った。

「趙妃様、妃たる者、和を尊ぶのが務めでは?」

言葉は柔らかいが、凍てつくような気配が含まれていた。趙妃は舌打ちするように視線を外す。

そして、宴は再び静かに進行していった。
香茶が振る舞われ、妃たちの笑い声が波のように広がる中――


「―ー麗妃様が、泉に……!」

侍女の叫びが空気を裂いた。
驚いて振り向いた先、縁から麗妃の姿が消えていた。

「誰か!お救いして!」

「……っ、ええい、今よ!!」

茗渓は反射的に裾をたくし上げ、そのまま泉に身を投げた。

迷うことなく、茗渓は泉に飛び込んだ。冷たい水が瞬時に肌を刺す。
揺れる水草の間に、衣を翻して沈む麗妃の姿が見えた。

(間に合って……!)

茗渓は力強く泳ぎ、麗妃を腕に抱えて水面へと浮かび上がった。
重たげな体を支えて、泉の縁へと必死に運ぶ。

「麗妃様! しっかりしてください……!」

侍女たちが駆け寄り、麗妃は苦しげに咳をして、薄く瞼を開けた。

「麗妃様、大丈夫ですか!?目を、目を開けて!」

麗妃は微かに咳き込み、重たげにまぶたを開いた。

「………あなたが……助けて、くれたのね……」

「え、あ……!あ、はい!」

侍女たちが慌てて駆け寄る。
ずぶ濡れのまま抱き起こされた麗妃は、しかし微笑みを湛えたまま、濡れた頬を拭っていた。

微笑む麗妃。まるで舞台の幕間のように、安堵と静けさが戻る――かに見えた、そのときだった。

「麗妃様を突き落としたのは……蘭妃様です!」

突如、誰かが叫んだ。

「は……?」

呆然とした茗渓の耳に、その声はまるで別の世界の音のように響いた。

「この目で見ました。蘭妃様が、麗妃様の背を……!」

叫んだのは、趙妃の側仕えである侍女――蘭音(らんいん)。
妃たちの視線が一斉に茗渓へと向く。

「な、何を……!?私は、助けただけで……!」

動揺する茗渓に、趙妃が歩み寄る。
その口元には、薄く冷笑が浮かんでいた。

「まあ、なんということでしょう……冷宮にいた妃が、麗妃様に嫉妬して?」

「違います、私じゃ……!」

「お静まりを――!」

威厳ある声が割り込んだ。高妃である。
静かに茗渓を見つめ、扇子をゆっくり閉じる。

「この場で真偽を問うのは、相応しくありません。――蘭妃は、本殿へ連行なさい」

「待ってください、高妃様!」

麗妃が声を上げようとしたが、その身体はまだ濡れた衣に力を奪われていた。
茗渓は力なく、護衛たちに取り囲まれて立ち尽くす。

(どうして……私が……)

妃たちのざわめきが遠くなる。
水に濡れた衣が、茗渓の体から冷たく張りつき、泉から上がったはずなのに、心は今も沈み続けていた。

瓦の上、濡れた黒猫が尾を立てて佇んでいた。
その双眸は鋭く、楼閣の中を静かに見下ろしている。

(……見たぞ。あの侍女、あの手の角度は……突いたんじゃない、押したんだ)

怜綾は確信していた。
茗渓が麗妃を突き落とすような人間ではない。だが、証拠はない。

(まさか……趙妃の差し金か)

猫の背に、風が冷たく吹き抜けた。
空を裂くように、静かなる怒りが猫の目に灯っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~

深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜

束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。 家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。 「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。 皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。 今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。 ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……! 心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです

みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。 時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。 数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。 自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。 はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。 短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました を長編にしたものです。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

処理中です...