蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

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麗妃の忠告

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薄紅色の簾越しに、夕暮れの光が淡く差し込んでいた。
香の匂いがかすかに漂う静寂の中で、茗渓はふと口を開いた。

「……どうして、この話を……私に?」

麗妃は少し驚いたように瞬き、けれどすぐに微笑んだ。
その微笑みは、どこか懐かしむような、そして慈しむような色をしていた。

「――貴女は、昔の怜綾様に、とてもよく似ているのです」

「……え?」

思わず聞き返す茗渓に、麗妃は頷く。

「目の奥に、真っ直ぐで澄んだ光を宿していて……それでいて、どこか儚げ。……この子ならきっと、怜綾様のことを、真摯に受け止めてくれる。そう思ったのです」

茗渓は何も言えなかった。胸の奥がまた、ざわめく。怜綾に似ている――その言葉が、なぜだか妙に心に引っかかる。

しかし、次の瞬間。
麗妃の声の色がふっと変わった。
先ほどまでの柔らかさが影を潜め、真剣な光がその瞳に宿る。

「……それから、もう一つ」

麗妃は卓に置いた扇子を閉じ、視線をまっすぐに茗渓へと向けた。

「――高妃には、どうぞお気をつけください」

「……高妃様?」

「ええ。あの方、貴女が“幽燈殿”に関わっているのではないかと……ずっと疑っていらっしゃるのです」

茗渓の背筋に冷たいものが走った。
確かに、あの紫煙の宴の日。高妃の視線にはただならぬものがあった。

「……どうして……私が?」

「おそらく、怜花宮に住まう者として、“幽燈殿”の存在が気にかかるのでしょう。幽燈殿は、怜花宮の近くにあると噂されていますから」

「……幽燈殿には、いったい何があるんですか?」

茗渓が問いかけると、麗妃は少し迷ったように息を吐き、それから声を落とした。

「――それは、誰も知りません。けれど、古くから後宮に語り継がれている噂があります」

「噂……?」

「“冥月之書”。全ての呪詛と、解呪の方法が書かれているという、禁断の書です。幽燈殿にはそれが眠っていると、言われております」

冥月之書――初めて聞く名だった。
けれど、どこかでその響きに聞き覚えがあるような、妙な感覚に囚われた。

「そして……その書を書いたのは、“烏瓏(うろう)”という陰陽師だと伝わっています」

「烏瓏……」

「――怜妃様が冷宮送りにされたあの日から、すべての歯車が狂い始めたのかもしれません」

麗妃はそう呟き、再び茗渓を見つめた。

「どうか……どうかお気をつけて。高妃は怜綾様を陥れた張本人。そして、今また、誰かをその手にかけようとしているかもしれません」

茗渓は、唇を引き結んで頷いた。
優雅に微笑む麗妃の背後に、後宮の闇がひっそりと息づいているのを、確かに感じていた。

怜花宮に戻った夜。
庭の藤棚に月明かりが落ち、風が竹の葉をかすかに揺らしていた。

茗渓は、湯上がりの白衣のまま廊下に腰を下ろしていた。
冷えたお茶を口にしながらも、心はどこか落ち着かない。

すぐ隣に、黒猫の姿をしていた怜綾がいたが――今は人の姿だ。
ふたり、縁側に並んで静かに座っている。

しばらく黙っていたが、茗渓はふと、ためらいがちに口を開いた。

「……ねえ、怜綾」

「ん?」

「芙蓉宮で……麗妃様から話を聞いたの。あなたが昔、許嫁だったって」

怜綾は少し驚いたように眉を上げたが、やがて懐かしむように微笑んだ。

「……ああ、そうだ。姉様――いや、麗妃様は、俺の許嫁だった」

その声には、どこか柔らかな響きがあった。

「すごく綺麗で、賢くて……子どもの頃の俺には、勿体無いくらいの相手だった。優しくて、気品があって、でも笑うと少しだけ子どもっぽいところもあってな……」

「…………」

茗渓は返す言葉が見つからなかった。
胸の内に、もやもやとした感情が広がっていく。

――どうしてこんなに気になるんだろう。
――ただの昔話なのに。

「……何か怒ってるか?」

怜綾が不意にこちらを見る。
その声に、茗渓は肩をすくめてごまかした。

「怒ってなんか、ないわよ」

「ふうん……」

「ただ……」
茗渓は、視線を庭に落とす。
月の光が庭石に反射し、淡く白い輪郭を描いていた。

「……あなたのことを、誰よりも心配してくれてた。」


「それだけ……?」

怜綾が少しだけ目を細めた。茗渓の顔をじっと見る。

「……まさか嫉妬してるのか?」

「してない!」

茗渓は即答した。
だが、耳の先がじんわり熱くなっているのを、自分でも感じた。

「してないったら!」

「……ふふ、可愛いな」

「誰が!」

怜綾は笑った。素直で、どこか安心したような笑いだった。

「でも…君の話を聞いて、安心したよ」

「え?」

「姉様だけは、俺の身を案じてくれてるんだなって。……それだけで、十分だ」

その言葉に、茗渓の胸がチクリと痛んだ。

――十分、って。
――私は、どうなんだろう。

そう問いかける自分に気づき、茗渓はそっと唇を噛んだ。

「……風、冷たくなってきたわね」

そう言って立ち上がろうとしたその時、怜綾がぽつりと呟いた。

「君も、案じてくれてるだろ」

「え……?」

「俺のこと」

茗渓は何も言えなかった。
ただ、夜風が頬を撫でる音だけが、静かにふたりの間に流れていた。
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