22 / 50
呪いを解く者
しおりを挟む
昼下がりの市街は、春の陽気に包まれて活気に満ちていた。屋台の掛け声と笑い声が交差し、人の流れはひっきりなしに行き交う。
茗渓はその中に溶け込むように、素朴な旅装に身を包み、黒髪を布で覆っていた。今日の目的はひとつ。風裂の廃寺へ向かう前に、目立たぬ衣を整えること。
「意外と、楽しいかも……」
露店に並んだ干し果物や花飾りを横目に、そう呟いた瞬間――
「……ほぅ」
すれ違いざま、どこか粘つくような視線を感じた。立ち止まり、振り返ると、そこには腰をかがめた老婆がひとり。ぼろぼろの麻衣をまとい、顔の半分が深いフードに隠れている。
「お前さん……変わった匂いがするねぇ」
老婆は茗渓にすっと近寄ってきた。異様な存在感。だが、どこか禍々しくも、見透かすような眼差しが突き刺さる。
「……えっと、どなたですか?」
「名などどうでもいい。――それより、呪いの匂いがする」
茗渓の背がぞくりと凍る。老婆の手が、自分の腕に触れる寸前で止まった。
「お前自身ではない。だが、すぐ傍にいるだろう? 呪いを受けた者が」
「……!」
「図星のようじゃな。ならばよい」
老婆はぐっと顔を寄せ、嗅ぎとるように囁いた。
「その呪いは……お前の命運にも関わっておる。どちらが先に喰われるか。命か心か、あるいは両方か――」
「……何を、言っているの?」
「連れてこい。その者を。わしの前へ」
その声は低く、凍るように静かだった。
「連れてくれば……助けることも、できるかもしれんぞ」
茗渓の喉がごくりと鳴る。老婆の真意はつかめない。ただ、その目の奥には――確かに何かを知っている者の、それがあった。
「……わかりました。考えてみます」
その言葉を最後に、老婆はくるりと背を向け、人の流れにまぎれるように姿を消していた。
気づけば胸の奥が、いやに速く脈打っている。茗渓はそっと自分の手のひらを見下ろした。
(怜綾の呪いのことを……知っている? まさか……)
その時、微かに――風に紛れて届いた声。
「……急ぐがよい。時は、そう長くは残されておらぬ」
振り返っても、そこにはもう誰もいなかった。
月明かりが差し込む縁側に、茗渓と怜綾は並んで座っていた。
茗渓は少し迷った後、小さく息をついた。
「今日、街で……ちょっと不思議な老婆に出会ったの」
「老婆?」
「そう。突然話しかけられて、『呪いの匂いがする』って……私じゃなく、近くにいる誰かが呪われてるって言ってた」
怜綾の金の瞳が、静かに揺れる。
「それって……」
「あなたのこと、よね」
怜綾は何も言わずに頷いた。茗渓は続ける。
「その人、言ったの。“その者を自分の前に連れてこい”って」
茗渓の手が膝の上でぎゅっと握られた。
「私は……怖いの。正体も分からない人に、あなたを会わせるなんて。もしそれが罠だったら? もし、あなたを傷つけるための嘘だったら?」
すると、怜綾は静かに目を閉じて、しばらく沈黙していた。そして、低く、穏やかに口を開く。
「構わないよ」
「えっ……?」
「その呪いを解く鍵になる可能性があるなら、たとえ誰が相手でも、俺は会う。――たとえ裏切られてもな」
怜綾は茗渓の方を見ないまま、夜の闇を見つめている。その横顔は、どこか痛々しいほどに静かだった。
「呪いを持つ身だ。怖いものはないよ。もう失うものも、守るものも、ほとんどない」
「そんな言い方、しないでよ……!」
思わず声を荒げた茗渓に、怜綾はゆっくり振り返る。その瞳に、ほんの微かな光が宿っていた。
「大丈夫だ。……君が見つけてきた人なら、信じてみたいと思える」
「でも……」
「俺は、“信じたい”と思える自分に、驚いてるくらいだ」
その言葉が、思っていた以上に胸に刺さった。
「……わかったわ。案内する。あの人のところへ」
怜綾は一度だけ、真剣な眼差しで彼女を見つめ、静かに頷いた。
夜風が、静かに二人の髪を撫でた。
朝靄が街を包む中、茗渓は懐に黒猫を抱えながら、昨日老婆と出会った通りを何度も往復していた。
「いない……昨日の場所にも、市場にも、路地にも……どこにもいない」
腕の中の怜綾――猫の姿の彼は、茗渓の鼓動の速さを感じ取っているように、じっと静かにしていた。いつもなら甘えるように顔をすり寄せる彼が、今朝に限っては妙に大人しい。
茗渓はふと気づいた。もう何度目の角を曲がったのか分からない。目にする建物はどれも見慣れず、人の声すら遠くなっていた。
「え……ここ、どこ?」
足元には枯れ草が茂り、木々の影が濃くなっている。どうやら人里を外れ、森の奥へ迷い込んでしまったらしい。
「そんなに歩いたつもりはなかったのに……」
振り返っても、戻る道はわからなかった。
と、そのとき。
――コトン……。
乾いた音が、木々の間から微かに聞こえた。
「……誰か、いるの?」
周囲を見回したそのとき、視界の隙間から何かの“屋根”の端が見えた。苔むし、古びた瓦。木の葉に隠され、まるで人の目から消えることを望んだようなその建物――
「……家?」
木立をかき分け、茗渓はそっと足を進める。
そこにあったのは、時の流れに忘れ去られたような古民家だった。蔦が絡まり、戸口は半ば崩れかけている。けれど、つい昨日見た老婆の、あの異様に透き通った目と、呪いを見抜いた言葉が脳裏に過った。
「ここ……何かある」
茗渓は猫の怜綾を抱き直し、戸の前に立った。
風もないのに、軒先の風鈴が――カラン、とひとつ鳴った。
怜綾の耳がぴくりと動く。
「……ねえ、ここ、入ってみてもいい?」
答えるはずのない猫は、ただじっと彼女の胸に顔を埋めた。けれどその仕草が、不思議と「行け」と言っているように思えた。
「……うん。行こう。私たちが、答えを見つけるために」
茗渓はゆっくりと戸に手をかけた。
その瞬間――
ゴウン……と、建物の奥から地鳴りのような音が、微かに響いた。
風も、虫の声も、すべてが止まる。
そして扉は、茗渓が力を込めるより早く、軋んだ音を立てて、内側へと、ゆっくり開いていった。
ギィ……。
音を立てて開いた扉の向こうには、誰もいない空間が広がっていた。
外観の古さに反して、中は意外にも清掃が行き届いており、わずかながら人の気配すら感じる。だが、あの街で出会った老婆の姿はどこにもなかった。
「……やっぱり、誰もいないわね」
茗渓はそうつぶやくと、腕の中に抱いた黒猫――怜綾の頭をそっと撫でた。
怜綾は耳をぴくりと動かすだけで、黙って彼女の腕の中にいた。
古びた卓の上には、埃ひとつない湯呑みと、まだ炭の香りが残る囲炉裏の跡。
つい昨日まで誰かが住んでいたかのようだった。
「妙ね……こんな山奥なのに。まるで、私たちが来るのを知っていたみたい」
茗渓は囲炉裏の近くに薪をくべ、火を起こす。
しばらくして、パチパチと薪が弾ける音が室内に広がり、ほのかな温もりが満ち始めた。
「……今日は、ここで一晩を過ごすしかなさそうね」
茗渓は、怜綾を布団の上にそっと置き、自分もその隣に腰を下ろす。
囲炉裏の火に照らされて、彼女の横顔が揺らめいた。
「本当に、もしかして、あの人が烏瓏なのかしら…?でも、ただの老婆には思えなかったもの」
猫の姿の怜綾は、茗渓の言葉に反応するように小さく鳴いた。
だが、何も答えはない。
「ねえ、怜綾……私、少し怖いの」
茗渓はぽつりと呟いた。
「本物の冥月之書が見つかるのか、烏瓏に会えるのか……私に、あなたの呪いを解くことができるのか、わからなくて」
黒猫は、そっと茗渓の腕に額を押しつけた。
その仕草に、茗渓は少しだけ笑う。
「……ありがとう。少し、元気出た」
夜は更けていく。
外では風が木々を揺らし、どこか遠くで梟が鳴いた。
囲炉裏の火も静かに落ち着き、部屋に満ちていた明かりがやわらかな橙色に変わったころ。
茗渓はすっかり眠りについていた。
安らかな寝息が、怜綾の耳に静かに届く。
彼女の頬はまだ微かに赤く、身体には熱の余韻が残っているはずなのに、その表情はどこまでも穏やかだった。
怜綾は、そっと茗渓のそばに座ると、細く息を吐きながら手を伸ばす。
指先で、茗渓の額の髪をそっとかき上げ、ぬくもりの残る肌に優しく触れた。
「……こんなこと、君が起きてたら絶対できないな」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた。
「俺にも、この呪いが解けるのか……正直、わからない」
月明かりが障子越しに差し込み、怜綾の瞳をかすかに照らす。
「君に出会うまでは……俺は一生、黒猫の姿のままだと思ってた。
人に思い出されることもなく、忘れられて、ただ怜花宮の隅で、朽ちるように終わっていくんだと」
指先が少し震える。けれどそのまま、茗渓の髪をそっと撫でた。
「でも……君と出会って、変わったんだ」
その声はかすれて、けれど確かだった。
「人間に戻りたいと……心から思った。
この呪いを解きたい。生きたい。と…」
その言葉は、彼の胸の奥からゆっくりと零れ落ちた。
眠る茗渓は何も答えない。けれど怜綾は、彼女の存在が、その温もりが、確かに自分を変えたと感じていた。
しばしそのまま見つめてから、怜綾はそっと手を引っ込めると、彼女の隣で丸くなり、目を閉じた。
――茗渓のためにも、俺はこの呪いを終わらせる。
静かな決意だけが、夜の中に燃えていた。
茗渓はその中に溶け込むように、素朴な旅装に身を包み、黒髪を布で覆っていた。今日の目的はひとつ。風裂の廃寺へ向かう前に、目立たぬ衣を整えること。
「意外と、楽しいかも……」
露店に並んだ干し果物や花飾りを横目に、そう呟いた瞬間――
「……ほぅ」
すれ違いざま、どこか粘つくような視線を感じた。立ち止まり、振り返ると、そこには腰をかがめた老婆がひとり。ぼろぼろの麻衣をまとい、顔の半分が深いフードに隠れている。
「お前さん……変わった匂いがするねぇ」
老婆は茗渓にすっと近寄ってきた。異様な存在感。だが、どこか禍々しくも、見透かすような眼差しが突き刺さる。
「……えっと、どなたですか?」
「名などどうでもいい。――それより、呪いの匂いがする」
茗渓の背がぞくりと凍る。老婆の手が、自分の腕に触れる寸前で止まった。
「お前自身ではない。だが、すぐ傍にいるだろう? 呪いを受けた者が」
「……!」
「図星のようじゃな。ならばよい」
老婆はぐっと顔を寄せ、嗅ぎとるように囁いた。
「その呪いは……お前の命運にも関わっておる。どちらが先に喰われるか。命か心か、あるいは両方か――」
「……何を、言っているの?」
「連れてこい。その者を。わしの前へ」
その声は低く、凍るように静かだった。
「連れてくれば……助けることも、できるかもしれんぞ」
茗渓の喉がごくりと鳴る。老婆の真意はつかめない。ただ、その目の奥には――確かに何かを知っている者の、それがあった。
「……わかりました。考えてみます」
その言葉を最後に、老婆はくるりと背を向け、人の流れにまぎれるように姿を消していた。
気づけば胸の奥が、いやに速く脈打っている。茗渓はそっと自分の手のひらを見下ろした。
(怜綾の呪いのことを……知っている? まさか……)
その時、微かに――風に紛れて届いた声。
「……急ぐがよい。時は、そう長くは残されておらぬ」
振り返っても、そこにはもう誰もいなかった。
月明かりが差し込む縁側に、茗渓と怜綾は並んで座っていた。
茗渓は少し迷った後、小さく息をついた。
「今日、街で……ちょっと不思議な老婆に出会ったの」
「老婆?」
「そう。突然話しかけられて、『呪いの匂いがする』って……私じゃなく、近くにいる誰かが呪われてるって言ってた」
怜綾の金の瞳が、静かに揺れる。
「それって……」
「あなたのこと、よね」
怜綾は何も言わずに頷いた。茗渓は続ける。
「その人、言ったの。“その者を自分の前に連れてこい”って」
茗渓の手が膝の上でぎゅっと握られた。
「私は……怖いの。正体も分からない人に、あなたを会わせるなんて。もしそれが罠だったら? もし、あなたを傷つけるための嘘だったら?」
すると、怜綾は静かに目を閉じて、しばらく沈黙していた。そして、低く、穏やかに口を開く。
「構わないよ」
「えっ……?」
「その呪いを解く鍵になる可能性があるなら、たとえ誰が相手でも、俺は会う。――たとえ裏切られてもな」
怜綾は茗渓の方を見ないまま、夜の闇を見つめている。その横顔は、どこか痛々しいほどに静かだった。
「呪いを持つ身だ。怖いものはないよ。もう失うものも、守るものも、ほとんどない」
「そんな言い方、しないでよ……!」
思わず声を荒げた茗渓に、怜綾はゆっくり振り返る。その瞳に、ほんの微かな光が宿っていた。
「大丈夫だ。……君が見つけてきた人なら、信じてみたいと思える」
「でも……」
「俺は、“信じたい”と思える自分に、驚いてるくらいだ」
その言葉が、思っていた以上に胸に刺さった。
「……わかったわ。案内する。あの人のところへ」
怜綾は一度だけ、真剣な眼差しで彼女を見つめ、静かに頷いた。
夜風が、静かに二人の髪を撫でた。
朝靄が街を包む中、茗渓は懐に黒猫を抱えながら、昨日老婆と出会った通りを何度も往復していた。
「いない……昨日の場所にも、市場にも、路地にも……どこにもいない」
腕の中の怜綾――猫の姿の彼は、茗渓の鼓動の速さを感じ取っているように、じっと静かにしていた。いつもなら甘えるように顔をすり寄せる彼が、今朝に限っては妙に大人しい。
茗渓はふと気づいた。もう何度目の角を曲がったのか分からない。目にする建物はどれも見慣れず、人の声すら遠くなっていた。
「え……ここ、どこ?」
足元には枯れ草が茂り、木々の影が濃くなっている。どうやら人里を外れ、森の奥へ迷い込んでしまったらしい。
「そんなに歩いたつもりはなかったのに……」
振り返っても、戻る道はわからなかった。
と、そのとき。
――コトン……。
乾いた音が、木々の間から微かに聞こえた。
「……誰か、いるの?」
周囲を見回したそのとき、視界の隙間から何かの“屋根”の端が見えた。苔むし、古びた瓦。木の葉に隠され、まるで人の目から消えることを望んだようなその建物――
「……家?」
木立をかき分け、茗渓はそっと足を進める。
そこにあったのは、時の流れに忘れ去られたような古民家だった。蔦が絡まり、戸口は半ば崩れかけている。けれど、つい昨日見た老婆の、あの異様に透き通った目と、呪いを見抜いた言葉が脳裏に過った。
「ここ……何かある」
茗渓は猫の怜綾を抱き直し、戸の前に立った。
風もないのに、軒先の風鈴が――カラン、とひとつ鳴った。
怜綾の耳がぴくりと動く。
「……ねえ、ここ、入ってみてもいい?」
答えるはずのない猫は、ただじっと彼女の胸に顔を埋めた。けれどその仕草が、不思議と「行け」と言っているように思えた。
「……うん。行こう。私たちが、答えを見つけるために」
茗渓はゆっくりと戸に手をかけた。
その瞬間――
ゴウン……と、建物の奥から地鳴りのような音が、微かに響いた。
風も、虫の声も、すべてが止まる。
そして扉は、茗渓が力を込めるより早く、軋んだ音を立てて、内側へと、ゆっくり開いていった。
ギィ……。
音を立てて開いた扉の向こうには、誰もいない空間が広がっていた。
外観の古さに反して、中は意外にも清掃が行き届いており、わずかながら人の気配すら感じる。だが、あの街で出会った老婆の姿はどこにもなかった。
「……やっぱり、誰もいないわね」
茗渓はそうつぶやくと、腕の中に抱いた黒猫――怜綾の頭をそっと撫でた。
怜綾は耳をぴくりと動かすだけで、黙って彼女の腕の中にいた。
古びた卓の上には、埃ひとつない湯呑みと、まだ炭の香りが残る囲炉裏の跡。
つい昨日まで誰かが住んでいたかのようだった。
「妙ね……こんな山奥なのに。まるで、私たちが来るのを知っていたみたい」
茗渓は囲炉裏の近くに薪をくべ、火を起こす。
しばらくして、パチパチと薪が弾ける音が室内に広がり、ほのかな温もりが満ち始めた。
「……今日は、ここで一晩を過ごすしかなさそうね」
茗渓は、怜綾を布団の上にそっと置き、自分もその隣に腰を下ろす。
囲炉裏の火に照らされて、彼女の横顔が揺らめいた。
「本当に、もしかして、あの人が烏瓏なのかしら…?でも、ただの老婆には思えなかったもの」
猫の姿の怜綾は、茗渓の言葉に反応するように小さく鳴いた。
だが、何も答えはない。
「ねえ、怜綾……私、少し怖いの」
茗渓はぽつりと呟いた。
「本物の冥月之書が見つかるのか、烏瓏に会えるのか……私に、あなたの呪いを解くことができるのか、わからなくて」
黒猫は、そっと茗渓の腕に額を押しつけた。
その仕草に、茗渓は少しだけ笑う。
「……ありがとう。少し、元気出た」
夜は更けていく。
外では風が木々を揺らし、どこか遠くで梟が鳴いた。
囲炉裏の火も静かに落ち着き、部屋に満ちていた明かりがやわらかな橙色に変わったころ。
茗渓はすっかり眠りについていた。
安らかな寝息が、怜綾の耳に静かに届く。
彼女の頬はまだ微かに赤く、身体には熱の余韻が残っているはずなのに、その表情はどこまでも穏やかだった。
怜綾は、そっと茗渓のそばに座ると、細く息を吐きながら手を伸ばす。
指先で、茗渓の額の髪をそっとかき上げ、ぬくもりの残る肌に優しく触れた。
「……こんなこと、君が起きてたら絶対できないな」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた。
「俺にも、この呪いが解けるのか……正直、わからない」
月明かりが障子越しに差し込み、怜綾の瞳をかすかに照らす。
「君に出会うまでは……俺は一生、黒猫の姿のままだと思ってた。
人に思い出されることもなく、忘れられて、ただ怜花宮の隅で、朽ちるように終わっていくんだと」
指先が少し震える。けれどそのまま、茗渓の髪をそっと撫でた。
「でも……君と出会って、変わったんだ」
その声はかすれて、けれど確かだった。
「人間に戻りたいと……心から思った。
この呪いを解きたい。生きたい。と…」
その言葉は、彼の胸の奥からゆっくりと零れ落ちた。
眠る茗渓は何も答えない。けれど怜綾は、彼女の存在が、その温もりが、確かに自分を変えたと感じていた。
しばしそのまま見つめてから、怜綾はそっと手を引っ込めると、彼女の隣で丸くなり、目を閉じた。
――茗渓のためにも、俺はこの呪いを終わらせる。
静かな決意だけが、夜の中に燃えていた。
0
あなたにおすすめの小説
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
私の作るおにぎりが、騎士団の士気を異常に上げています(犯人は副団長)
星乃和花
恋愛
おにぎりを配っただけで、騎士団の士気が異常値になりました。
団長は警戒、監察部は呪術検査、国まで動きかけるのに――副団長だけが平然と断言。
副団長「彼女のご飯は軍事物資です」
私「えっ重い」
胃袋で落ちた策略家副団長の“最適化溺愛”に巻き込まれ、気づけば専属補給係(=婚約)寸前!?
ほのぼの爆笑&甘々の騎士団ラブコメです。
(月水金21:00更新ー本編16話+後日談6話)
王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~
しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。
豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。
――食事が、冷めているのだ。
どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。
「温かいごはんが食べたい」
そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。
地下厨房からの高速搬送。
専用レーンを爆走するカートメイド。
扉の開閉に命をかけるオープナー。
ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!?
温かさは、ホッとさせてくれる。
それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。
冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、
食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ!
-
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる
若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ!
数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。
跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに?
ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる