蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

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誰が為に非ず

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月が高く昇り、怜花宮に白い光を注いでいた。

茗渓は静かに畳の上に座り、指先で油紙に包まれた堕胎薬の包みを撫でていた。その感触はまぎれもなく“現実”のもの。夢の中の処刑――それは予知でも幻でもない。「物語の筋書き」だった。
だが、その筋書きが今、現実になろうとしている。

(……私はまだ、麗妃に堕胎薬を盛ってなどいないのに)

思わず指に力が入る。
あの“麗妃の寵愛絵巻”の筋書きでは、麗妃が懐妊するのは物語の終盤。
なのに今、彼女はすでに“懐妊の兆しがある”という噂が流れ始めている。

(物語が……勝手に、進んでる?)

だとすれば。
その筋書きに、最初に逆らったのは――自分だ。

冷宮に送り込まれ、絶望し、皇帝にすがって戻ろうとする“蘭妃”。
けれど茗渓は、この世界に転生してから一度も、皇帝に媚びようとすら思わなかった。
そして物語には存在しない“怜綾”と心を通わせた。

その瞬間から――この物語は狂い始めたのだ。

「……私の存在が、物語を壊しているのなら……」

唇を噛んで、茗渓はふと顔を上げた。

「……だったら、壊しきってやるわ」

その瞳には、確かな決意が宿っていた。

「……お前、眠ってないのか」

ふいにかかった声に、茗渓は肩を揺らした。
振り返ると、そこには夜着姿の怜綾が、静かに立っていた。

「……怜綾。ごめんね、起こしちゃった?」

「気配でわかった。お前、何か――考え込んでる顔だったから」

「ねえ、怜綾」

「ん?」

「もし……この世界に“筋書き”みたいなものがあって、誰かがそれを決めてるのだとしたら……あなたは、従う?」

怜綾は少し目を細めた。

「筋書き、か……。俺はそんなもの、信じていない」

「どうして?」

「だって俺は、他人の手で“獣”にされた。それが筋書きだったとしても、納得なんかできるわけがない。だから、俺は――それに抗っている。今もな」

その言葉に、茗渓の胸がじんと熱くなった。

(……私と同じ)

「私も、そうすることにした」

小さな声だった。けれどその一言には、確かな力があった。

「私ね、最近ずっと思ってたの。どうして未来が怖いのか、どうして“夢”であんなに怯えたのかって……」

怜綾は静かに茗渓の言葉を待つ。

「それはきっと、誰かが決めた運命に従わなきゃいけないって、どこかで思い込んでたから。でも……違う」

茗渓はふっと、目元を上げて微笑んだ。

「私は、私の意思で生きる。たとえどんな結末が待っていても、私は自分で選びたい。――私の運命は、私のものだから」

怜綾は言葉を返さず、その目でまっすぐ茗渓を見つめていた。
その眼差しが、すべてを受け止めるようで、茗渓の胸がまた熱を帯びる。

(――言えない。私が“転生者”だなんて。だけど、この想いだけは、嘘じゃない)

「ふふ、ちょっと真面目すぎたかな」

茗渓は軽く笑ってみせたが、その瞳は決して揺れていなかった。

「真面目でいいさ」

怜綾が言う。

「君のそういうところ、俺は――嫌いじゃない」

その一言に、茗渓の心臓が一瞬、跳ねた。

けれど、言葉にはしなかった。

「ありがとう、怜綾。あなたがいてくれて、よかった」

「俺も、君がいて……よかったと思ってる」

沈黙が落ちる。けれどその静けさは、不安でも絶望でもない。
二人の間に初めて生まれた、未来を照らすような温かな静けさだった。

(私は、決めたの)

たとえ“この世界が物語だ”としても。
私は――私自身の物語を、生きてみせる。
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