蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

文字の大きさ
33 / 50

影の狙い火

しおりを挟む
怜花宮の門が、重たく軋んだ音を立てて開いた。

現れたのは、飾り気のない黒衣に身を包んだ怜張。
その姿には、かつての華やかな第一皇子の気配は薄れつつも、瞳だけは研ぎ澄まされた獣のように鋭く、怜花宮の庭の隅々を静かに見渡していた。

「ご機嫌よう、茗渓殿。……またこの宮に足を運ぶとは、思わなかったであろう」

無言のままお辞儀をした茗渓の背筋に、一筋の冷たい汗が伝う。

(どうして、また――)

警戒の念を隠しつつ、彼女は柔らかく言葉を返す。

「……いえ、皇子様のご訪問など、光栄に存じますわ」

怜張はにこりともせず、縁側に歩み寄る。

「先日、麗妃の膳が乱れた件。あのとき、お前が起こした騒ぎが偶然だとは、私には思えん」

茗渓の指先がかすかに震える。
だが表情は崩さず、微笑を浮かべたまま答えた。

「ただの転倒でしたの。お恥ずかしい限りですわ。転び癖がありまして」

怜張は、その言葉をあざ笑うかのように鼻を鳴らす。

「ふん。――それにしても、ここには“猫”が住み着いているそうだな」

茗渓の心臓が、一度大きく跳ねた。

「……ええ。時折姿を見せる黒猫がいますの。怜花宮にしか懐かない、気まぐれな子です」

怜張は、わざとらしく縁側に腰を下ろし、庭の方へ目を向ける。

「その猫、見せてくれ」

茗渓の喉が、思わず詰まった。

(……気づいた? まさか、あの夜の刺客の件と――)

「……猫は今、この宮にはおりませんの。気まぐれな子ですから、どこかで日向ぼっこでもしているのかもしれません」

茗渓の声は、驚くほど落ち着いていた。
けれどその胸の奥では、心臓が耳元で暴れるように鳴っている。

怜張はしばし黙ったまま彼女を見つめた。
その瞳はまるで、人の皮を剥いでその内側を覗こうとするような、冷たく鋭い色をしていた。

やがて――

「……それは残念だ」

怜張はふっと肩をすくめ、わざとらしく軽い口調で言った。

「この宮に住み着くほどの物好きな猫、さぞ面白い顔をしているのだろうと思っていたのだが」

「いつかまた姿を見せたら、そのときご案内いたしますわ」

笑顔のまま、茗渓は頭を下げる。
その首筋に、冷たい汗が一筋流れた。

「そうだな……では、その日を楽しみにしていよう」

そう言い残して、怜張はゆっくりと踵を返し、怜花宮を後にした。

門が閉まる音が、風に紛れて遠ざかる。

茗渓はその場にしゃがみ込むと、はあっと大きく息を吐いた。

(……なんとか、誤魔化せた)

背中を汗が濡らす。指先が冷たい。

(怜綾の正体が……バレなくてよかった)

ふと顔を上げると、屋根の陰に気配があった。
黒い影――怜綾だ。

けれどその姿を、茗渓はほんの一瞬見上げただけで、何も言わなかった。
言葉にしなくても、伝わるものがあったから。

その頃――

怜張は己の馬車へ戻ると、静かに忠臣へ告げた。

「……あの女だけではない。あの怜花宮には、必ず何か“隠されたもの”がある」

「と、申されますと?」

「女一人であの刺客たちを退けたなど、笑止。そもそも刺客が戻らぬのは妙だ。……あの女の背後に何かいる。あるいは“誰か”がな」

怜張は、指先で懐の文を弄びながら、低く言い放った。

「怜花宮に、密かに見張りをつけよ。出入りする者、音、灯りの数まで――すべて記録させろ。あの女と……その周囲に潜む“何か”を、必ず炙り出してみせる」

「はっ、承知いたしました」

忠臣が静かに頭を垂れる。
怜張の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。

「猫か……。馬鹿馬鹿しい話だが、“化け猫”などという噂も、案外、まったくの虚構ではないのかもしれんな……」

その声には、執念とも、狂気ともつかぬ色が滲んでいた――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~

深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜

束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。 家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。 「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。 皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。 今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。 ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……! 心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです

みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。 時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。 数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。 自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。 はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。 短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました を長編にしたものです。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

処理中です...