蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

文字の大きさ
34 / 50

明かされた正体

しおりを挟む
月が昇り、庭の池面に銀の光が揺れている。
怜花宮の奥座敷。障子の隙間から吹き込む夜風が、灯した行灯の火をわずかに揺らした。

その明かりの傍らで、茗渓はそっと膝をつき、向かい合う怜綾を見つめた。

彼は既に黒猫の姿を解き、人の姿をとっていた。
漆黒の髪が柔らかく肩にかかり、金の双眸が揺れる灯にきらりと光る。

「……今日、怜張が来たの」

茗渓が静かに切り出す。

怜綾の表情がわずかに強張った。

「あなたを探っていた。“この宮に住み着く猫を見てみたい”って言ってたけど、本音は違う。きっと刺客が返ってこなかった理由を探りに来たのよ」

「……なるほど」

怜綾の声が低く落ちる。
目を伏せた彼の指が、床の縁をそっとなぞる。

「私、誤魔化したわ。『猫は出て行った』って。でも、彼の目は鋭い。怜花宮を見張るように命じたはず」

「……ふん、らしいな。あの男は疑い深く、しつこい」

「だから、話しておかないといけないと思って」

茗渓は小さく息を吸った。灯の揺れる中で、真剣な眼差しを向ける。

「この先、何が起こるかわからない。でも……もし、あなたがまた姿を見られたら――今度こそ、高妃に“生きている”ことが知られるわ」

「それが怖いと?」

「怖いわよ! だって……!」

茗渓は口をつぐみ、視線を落とす。

「……あのとき、私がこけて膳を倒さなければ、麗妃様は危なかった。次は、あなたが狙われるかもしれない。今はまだ、黒猫と言う認識だけど、貴方が“怜綾”だと知られたら――」

「茗渓」

怜綾が、そっとその言葉を遮るように名を呼んだ。

「……俺のことを、そんなにも」

茗渓の声が震える。
それでも目を逸らさず、怜綾の目をまっすぐに見つめた。

「私は、あなたが好き。
あなたが何者であろうと、呪われていようと、
獣の姿でも、人の姿でも……ずっとあなたを見ていた。
あなたが、生きている。それだけで……私は――」

目元に溜めていた涙が、そっと頬を伝った。

「――愛してるのよ、怜綾」

ほんの一瞬、怜綾の金の瞳が揺れた。
けれど茗渓はそれに答えを求めなかった。
ただ、息を吸って、小さく微笑んだ。

「……でもね、今はそんな話じゃないわ」

彼女は言葉を噛みしめるように、優しく続ける。

「大事なのは、あなたがここに“生きている”こと。
それを、私が――必ず守りきることよ」

「だからお願い……一人で全部背負わないで。
私は、あなたのためにここにいるんだから」

その声は震えていなかった。
愛と覚悟を宿した、まっすぐな茗渓の想いが、今――怜綾の心に、確かに届いていた。

金の瞳が揺れる。
不意に重ねられた手の温もりが、火傷のように熱い。
でも、それ以上に――そのまっすぐな想いが、痛いほど眩しかった。

「……茗渓」

低く呼んだ声は、どこか掠れていた。

怜綾は、ゆっくりと視線を下ろす。重ねられた手を見つめながら、小さく息を吐いた。

「君の言葉は……嬉しい。嘘じゃないって、すぐにわかった」

茗渓の目が、そっと潤んだまま彼を見つめている。
その視線が、怜綾の胸を締めつける。

「でも……俺は、まだ“愛”というものが何なのか、よく分からないんだ」

静かに、それでも確かな声だった。

「母様は優しかった。けれど“愛している”なんて、言ってもらったことはなかった。
誰かを想うこと、誰かに心を向けること――それは“情”なのか、“憐れみ”なのか……。
俺の中で、その境界がずっと曖昧で……」

怜綾は唇を噛んだ。
自分でも、こんなふうに迷っていることがもどかしかった。

「君のことは、信じている。傍にいてくれると、心が安らぐ。守りたいとも思う。だけど……それが“愛”だと言い切れるほど、俺は自分に自信がないんだ」

――告白に、返事ができない。

そんな自分に、苛立ちすら覚える。
けれど、曖昧な言葉で茗渓の気持ちに応えるのは、何よりも失礼だと思った。

「……ごめん。すぐに答えられなくて」

そう言って、彼は茗渓の手をそっと両手で包み込んだ。

「でも、いつか……必ず、この想いの形を見つける。“愛隠の呪”が解けるほどに、心を通わせられたと――そう思える日が来たなら……」

怜綾は、茗渓の目をまっすぐに見つめた。

「そのときは、俺からも……答えを伝える」

沈黙の中で、茗渓は小さく笑った。
涙の跡が光に滲んで、月明かりの下で美しく輝いていた。

「……うん。それでいい。ありがとう、怜綾」

二人の間に、静かに風が吹いた。
触れ合う手のぬくもりが、確かにふたりの心を繋いでいた。

怜花宮の奥深く、忘れられた離れにひっそりと灯る明かり――

そこはかつて、怜綾の母・怜芽が過ごしていた書斎。
今は誰も訪れぬその離れに、怜綾は身を潜めるように暮らしていた。

「……ごめんね、怜綾。こんなこと、本当はしたくないの。……でも、あなたを守るためなの。どうか、分かって」

茗渓の声が耳に残っている。

(……分かっている。俺が姿を見せれば、茗渓^も危険になる)

それでも――

夜になると、身体の奥からせり上がるように、月を求める衝動が湧き上がる。
月光に照らされることでしか、自分の“生”を実感できないような、そんな感覚。

(ほんの、少しだけなら――)

怜綾はそっと障子を開けた。
庭の向こうに咲く白い芍薬が、静かに夜露に濡れている。

足を運んだのは、ほんの十数歩。
月の光が差す小径を、静かに一歩一歩、踏みしめる。

その時だった――

屋根の上、わずかに揺れた影。
闇に潜む瞳が、その姿を捉えていた。

夜の離れの庭に浮かび上がる、漆黒の髪と金の瞳。

その姿は、明らかに人の形をしていながら、どこか猫の面影を残していた。
しなやかで柔らかな動き、夜風にふわりと揺れる尻尾の影――

「……あれは……何だ……?」

怜花宮を見張っていた男は、身を潜めたまま目を凝らした。
しかし、どれだけ見つめても、それが“人間”なのか、判断がつかない。

(――まさか……妖怪……?)

人でも、猫でもない、得体の知れぬ存在。
それが、静かに月を仰ぎ、芍薬の花に触れる光景は、あまりに幻想的で――どこか“この世ならぬもの”に思えた。

怜綾はそれに気づかない。
夜の静けさに包まれながら、芍薬の花にそっと手を伸ばす。

(……どうして、こんなにも、月が恋しいのだろう)

だがその刹那、風が走った。
屋根の瓦が小さく鳴った。

怜綾の耳がぴくりと動く。気配を感じ、はっと顔を上げたその瞬間――
影はすでにその場を離れ、夜の闇へと走り去っていた。

知らず知らずのうちに、怜綾は“見られて”しまったのだ。

男はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、はっと我に返ると急ぎ足で怜張のもとへと駆けた。

「……それで?」

怜張が目を細め、見張りの者を見下ろすように問いかける。

「はっ。……報告いたします。昨夜――怜花宮の奥、離れの庭に……奇妙な者が現れました」

「奇妙?」

「人のようで、猫のようでもありました。……まるで、半人半猫の妖怪のような……」

その言葉に、怜張の瞳がわずかに光を帯びる。

「妖怪、だと……?」

「はっ。姿をはっきりと見ました。漆黒の髪に猫耳、金の瞳……背には……尾のようなものが……」

怜張はゆっくりと椅子にもたれた。

「……ふむ」

(あの宮に“秘密”があるとすれば……やはり“あの猫”……)

あの日、茗渓が口にした“気まぐれな猫”という言葉が脳裏に蘇る。
まさかとは思っていた。だが――

(あれが本当に妖であれば……利用価値がある)

「……面白い。よし。もうしばらく様子を見ろ。決して気配を悟られるな」

「はっ!」

男が頭を下げて退出すると、怜張はひとり、唇の端を吊り上げて小さく笑った。

「……まさか、“怜花宮”に妖が棲むとはな。これは……母上も面白がるだろう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

私の作るおにぎりが、騎士団の士気を異常に上げています(犯人は副団長)

星乃和花
恋愛
おにぎりを配っただけで、騎士団の士気が異常値になりました。 団長は警戒、監察部は呪術検査、国まで動きかけるのに――副団長だけが平然と断言。 副団長「彼女のご飯は軍事物資です」 私「えっ重い」 胃袋で落ちた策略家副団長の“最適化溺愛”に巻き込まれ、気づけば専属補給係(=婚約)寸前!? ほのぼの爆笑&甘々の騎士団ラブコメです。 (月水金21:00更新ー本編16話+後日談6話)

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。 豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。 ――食事が、冷めているのだ。 どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。 「温かいごはんが食べたい」 そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。 地下厨房からの高速搬送。 専用レーンを爆走するカートメイド。 扉の開閉に命をかけるオープナー。 ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!? 温かさは、ホッとさせてくれる。 それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。 冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、 食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ! -

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

処理中です...