籠の鳥

橘 薫

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 わたしが欲しがる様をあの男は楽しんだだろうか、私を支配できたと思ったのだろうか。

 別れを告げたのはわたしからだった。あのときの、あの男の顔は一生忘れない。
「何があっても絶対別れない」
 ギラギラと目を光らせ、普段は紳士なのに声を荒げた。けれど、その後あの男からの連絡はなかったのだ。

 何ヶ月も待った。鳴らないスマートホンを片手に眠ったこともある。待つ時間の虚しさ、悲しさ、やはりわたしは彼に必要ではなかったのだと孤独の中打ち震えた。
 時にはSNSで検索し、そのページを見ようとしてなんとか堪えた。きっと、プライベートが載せてあるに違いない。彼と、愛娘と、妻と。微笑み、手を繋ぎ、「良い夫、良い父」の彼と、わたしを縛りつけ、快楽に溺れさせるあの男が同一人物だなんて思いたくもない。

 一真くんの手がおずおずと伸びる。胸の先の尖りはその指に与えられる刺激を待っている。あの男なら決して触れない。でも一真くんはきっと触れてくる。わたしを焦らすことなく、触れて、気持ちよくしてくれる。

 一真くんの指は、胸ではなくて頬に触れた。その指の温もりが心地よい。頬を撫でる指は、わたしを焦らして楽しもうなんて思っていない。ただ、慈しんで触れられているような気がした。

「美彩さん」
 一真くんの低い声。耳元で、はっきりとした抑揚。
「美彩さん、僕、やっぱりわからないです」
 ローターが止まる。静かになる部屋。無音が痛い。微かに、バスルームの換気扇の回る音が聞こえる。
「美彩さん、僕は確かめたかったんです」
 ドミナントが何をするのかを、でしょう? わたしが何をされてあの男の虜になったのか。それを知りたかったんでしょう?

「美彩さん……、もう、自由になってください。いや、あなたを縛る相手はもういないんです」
 一真くんは何を言いたいのか。アイマスクの下で、わたしはそっと目を開けた。
「美彩さんのドミナントだった男、神崎俊介かんざきしゅんすけっていう人でしたか」

 返事はしなかった。なぜ彼の名前を知っているのか。誰にも話したことがない相手なのに。
 心臓が激しく動悸する。認めてはいけない、となぜだか思う。反応のないわたしに、彼は続けた。
「もしそうなら、その男はもう、この世にいません。一年前に亡くなりました」
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