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新たな出発が必ずしも祝福されているとは限らない

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 人だかりの中心に寺田谷がいるのは当然。さらにその横にもう一人いる。
 見慣れない女性だ。
 蜂の巣を突いたように喧騒に満ちている店内。一体何をどうすればそこまで騒げるのか、自分にはまるで見当もつかない。
 これは夕食どころの話しではなさそうだ。
 自分も踵を返して店を出ようとした所で、気付かれてしまった。
「おっさん! 待ってたぞ!」
 この時点で全力で走って店を出るべきだった。
 寺田谷に声をかけられた事で、目を吊り上げた店内の客が、一斉に自分たちを取り囲んだ。
 残念ながら自分は腕に自信がある方ではない。
 一年間、リリィと森の管理をしたが、自分が弓を射ったり獲物をばらすと、彼女は決まって困った顔をしていた。つまりは自分の腕前はその程度だ。
 今この瞬間に客に取り囲まれたら、袋叩きだ。
 最悪自分はどうでもいいが、彼女だけはこの場から逃がさなければ。
 さて、どうした物か。殺気立った群衆を相手に、一体何ができるか。
 まずい。非常にまずい。
 リリィは最悪の手を使いそうだが、それはそれでとてもまずい。人殺しは、人里に下りて来てしまった獣と同じ。処分される。
 それはまずい。
 事情はまるで分からないが、完全に飛び火が移った。
 誰も殺さず、傷つけず、それでいて自分たちも無傷で被害を被らない方法。
 最悪金で解決できるならそれもいいだろうが、人間頭に血が上ると損益で物を考えられなくなる。この状況では人生が揺らぐほどの現金を直視しない限りは、冷静さを取り戻す事はないだろう。
 話しが通じる、だろうか。
「いったい。何があったんですか? ひとまず、落ち着きましょう」
「これが落ち着てられるか! この盗人野郎!」
 よし。会話は成立する。
 これなら何とかなる。
「盗人? 何か盗まれたんですか? 良ければ相談に乗りますよ?」
「相談だぁ!? シラ切ったって分かってんだ!」
 じりじりと包囲が狭まる。
 大丈夫。状態は1対9で劣勢だが、0ではない。
「シラを切るも何も、見ていたでしょう。自分たちは今店に入りましたよ?」
「んなことはどうでもいい! そのスリ女とスカした棒きれ野郎とグルなんだろ!?」
 話しは見えて来た。
 要するに、スリ騒ぎがあった。寺田谷の隣にいる女が怪しまれて、なんだかわからないが寺田谷が参入。事態を荒立てたという訳だ。
 渦中の栗を拾うのは好きにして貰いたいが、それで周りに火災をばらまくのは遠慮してもらいたい。というか拾いきれていなく、ただただ周りに火の粉をばらまいて、あまつさえ他人に焼き栗を拾わせようとするのだ。トラブルメーカー以外の何者でもない。
 頭痛を覚えながら、自分はここから脱する方法を考える。
「彼女がスリ? なら捕まえてしまえばいいでしょう? 自分は関係ないですよ」
「それができねぇから揉めてんだ!」
 よし。ここまでくれば、もう解決したも同然。彼はすでに会話しながら要点を再確認できている。では、後はこちらが指し示すだけだ。
「できない? そんな事はないでしょう。目の前に事件があるんです。そもそも、スられたモノはなんですか? 確認は?」
「財布だ。財布がねぇんだよ」
「なるほど? では誰か、この方の財布を見た方は!? いらっしゃいませんか!?」
 自分は少しだけ踵を浮かせるようにさせながら、店内全体に声が通るようにわずかにワントーン高めの声で音量を最大にして喋る。
 罪人を縛り上げろと騒いでいた群衆は、いつの間にか、そういえば誰も知らないなと、疑問が浮かび互いの顔を見合わせる。
「では全員で店の中を探しましょう。あと全員自分の持物をちゃんと見てみてください。もしかしたら財布を間違えてしまっているかも!?」
 酒の席ではよくある事だから、と言ってしまえば。そういえばと皆不安な顔を作る。
 今まで罪人を吊るせと言っていた口だ。もし自分が、と思えば不安になる。
「財布を取り違えるなんて、酒の席ではよくある事。それにその女性もちゃんと荷物を見ますから」
「彼女は何も」
「黙ってて!」
 寺田谷が折角の雰囲気をぶち壊すセリフを言いかけたので、リリィが獣を威嚇するような声を上げた。さすがの寺田谷もそれには黙った。
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