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第七話 思って溢れて零れる②
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いつの間にかフートがこの家を訪れてから一か月が過ぎようとしている。
始めは一週間ほどお世話になってこっそり居なくなろうと考えていたのだが、二つの予想外が起りズルズル残り続けてしまった。一つが一週間経ってもディックとの後継問題に結論を出せなかった事。そしてもう一つが、この一か月毎日夕飯を食べた後にミコさんが明日何を食べたいかと聞いてくれた事だ。
フートは突然現われた部外者に過ぎない。しかしそれにも関わらずミコさんは温かく迎え入れてくれて、まるで実の息子であるかの様な扱いをしてくれた。ティナも、ニカも口こそ悪いが慣れない環境に戸惑う彼を何度も助けてくれた。
正直フートの人生で他人にこれ程優しくされた経験は無かったのである。それ故に、自分で食べたいと指定した物を食べずに姿を消すという不義理が出来なかったのだ。
始めは如何にしてこの家を出ようかとばかり考えていた。しかしこの家で過ごす内に心境は180度変化し、寧ろこの家に居させて欲しいと思う様に成ったのである。居候の分際で烏滸がましいにも程があるとは自分でも分かっているが。
どうやら初めて体験する暖かい家庭という物の引力に囚われてしまったらしい。誰かが作ってくれる食事、自分の座る席、おはようとおやすみを言える存在がこれ程素晴らしいとは思わなかった。
少なくとも今この瞬間自分が消えても名前くらいは覚えていてくれる人が居る。その事実を思うだけで胸が僅かに暖かくなるのだ。
「だけど………」
夕飯を終え部屋に戻り自らに宛がわれたベッドに横になったフートの口からポツリとそう漏れた。
重要な一線、家族の一線が自分には超えられないという実感があったのだ。自分が此処に居ても良いという確信を持つ事が出来ない。
フートにとってこの場所はもう既に掛け替えのない、この地球上の何処より美しい空間となった。だがしかし、その美しさが他ならぬ自分自身によって壊されてしまうのだ。自分が言葉を発する度にその掛け替えのない空間に走るノイズがどうしても我慢成らなかった。
自分はこの家に住む人々の様に優れた人間じゃない、あんなキラキラとした輝きを発する事は出来ない。見ず知らずの他人にこんなに優しく出来る人間じゃない。これ程暖かな愛に見合う人間じゃ無い。自分では、何一つだって求められた物を返す事が出来ない。
当たり前の事ではあるのだが、自分は何時までも此処に居る訳にはいかないのだ。
ピリリリリリリリッ
慢性的な自己嫌悪の渦に再び呑まれそうになっていたその時、携帯が突如として鳴った。
『フート? お風呂空いたからさっさと入りなさい。居候の分際で電気代の無駄遣いしたら私が追い出してやるからね』
電話の相手はニカだった。ティナと彼女が一緒に風呂場へと向かって行ったのがつい先程の様に思えたが、何時の間には結構な時間が流れていたらしい。
「……分かった、直ぐに入る」
『何あんた、泣いてんの?』
そう言われてハッとした。何時の間には自分の目から涙が溢れ、顔がビシャビシャに成ってしまっていたのである。まさか本当に涙で枕を濡らす事になるとは思わなかった。
そしてその事に声の変化だけで気が付いたニカの鋭さに驚愕する。
「いやッ、何でも無い。ちょっと鼻炎で鼻が詰まっただけ」
『ふーん。じゃあさっさと風呂入って身体温めなさい、じゃあ切るわね』
「あぁ」
咄嗟に出た嘘であったが何とか誤魔化す事には成功した様である。先程の鋭い反応の割に案外簡単に引かせる事が出来た。いや、そもそも自分等に興味が無いだけか。
フートはそんな事を考えながら袖で目を拭うが、何故か拭いても拭いても目が滲んでいく。バルブが壊れた水道の様に涙が溢れて止まらない。
涙を流したのは久し振りである。今まで死を考えた程辛かった時も、何もかもを奪われた瞬間も決して涙は流れなかった。にもかかわらず余りに幸せで満たされている今涙が止まらないのが不思議で奇妙であった。
『やっぱり泣いてるじゃない。やーい泣き虫ッ』
脇に置いて完全に意識していなかった携帯から声がしてフートは肩をビクンと跳ねさせる。そして目にも止まらぬ速さで首を回しその方を見ると、其処には困った様に笑うニカの姿があった。
始めは一週間ほどお世話になってこっそり居なくなろうと考えていたのだが、二つの予想外が起りズルズル残り続けてしまった。一つが一週間経ってもディックとの後継問題に結論を出せなかった事。そしてもう一つが、この一か月毎日夕飯を食べた後にミコさんが明日何を食べたいかと聞いてくれた事だ。
フートは突然現われた部外者に過ぎない。しかしそれにも関わらずミコさんは温かく迎え入れてくれて、まるで実の息子であるかの様な扱いをしてくれた。ティナも、ニカも口こそ悪いが慣れない環境に戸惑う彼を何度も助けてくれた。
正直フートの人生で他人にこれ程優しくされた経験は無かったのである。それ故に、自分で食べたいと指定した物を食べずに姿を消すという不義理が出来なかったのだ。
始めは如何にしてこの家を出ようかとばかり考えていた。しかしこの家で過ごす内に心境は180度変化し、寧ろこの家に居させて欲しいと思う様に成ったのである。居候の分際で烏滸がましいにも程があるとは自分でも分かっているが。
どうやら初めて体験する暖かい家庭という物の引力に囚われてしまったらしい。誰かが作ってくれる食事、自分の座る席、おはようとおやすみを言える存在がこれ程素晴らしいとは思わなかった。
少なくとも今この瞬間自分が消えても名前くらいは覚えていてくれる人が居る。その事実を思うだけで胸が僅かに暖かくなるのだ。
「だけど………」
夕飯を終え部屋に戻り自らに宛がわれたベッドに横になったフートの口からポツリとそう漏れた。
重要な一線、家族の一線が自分には超えられないという実感があったのだ。自分が此処に居ても良いという確信を持つ事が出来ない。
フートにとってこの場所はもう既に掛け替えのない、この地球上の何処より美しい空間となった。だがしかし、その美しさが他ならぬ自分自身によって壊されてしまうのだ。自分が言葉を発する度にその掛け替えのない空間に走るノイズがどうしても我慢成らなかった。
自分はこの家に住む人々の様に優れた人間じゃない、あんなキラキラとした輝きを発する事は出来ない。見ず知らずの他人にこんなに優しく出来る人間じゃない。これ程暖かな愛に見合う人間じゃ無い。自分では、何一つだって求められた物を返す事が出来ない。
当たり前の事ではあるのだが、自分は何時までも此処に居る訳にはいかないのだ。
ピリリリリリリリッ
慢性的な自己嫌悪の渦に再び呑まれそうになっていたその時、携帯が突如として鳴った。
『フート? お風呂空いたからさっさと入りなさい。居候の分際で電気代の無駄遣いしたら私が追い出してやるからね』
電話の相手はニカだった。ティナと彼女が一緒に風呂場へと向かって行ったのがつい先程の様に思えたが、何時の間には結構な時間が流れていたらしい。
「……分かった、直ぐに入る」
『何あんた、泣いてんの?』
そう言われてハッとした。何時の間には自分の目から涙が溢れ、顔がビシャビシャに成ってしまっていたのである。まさか本当に涙で枕を濡らす事になるとは思わなかった。
そしてその事に声の変化だけで気が付いたニカの鋭さに驚愕する。
「いやッ、何でも無い。ちょっと鼻炎で鼻が詰まっただけ」
『ふーん。じゃあさっさと風呂入って身体温めなさい、じゃあ切るわね』
「あぁ」
咄嗟に出た嘘であったが何とか誤魔化す事には成功した様である。先程の鋭い反応の割に案外簡単に引かせる事が出来た。いや、そもそも自分等に興味が無いだけか。
フートはそんな事を考えながら袖で目を拭うが、何故か拭いても拭いても目が滲んでいく。バルブが壊れた水道の様に涙が溢れて止まらない。
涙を流したのは久し振りである。今まで死を考えた程辛かった時も、何もかもを奪われた瞬間も決して涙は流れなかった。にもかかわらず余りに幸せで満たされている今涙が止まらないのが不思議で奇妙であった。
『やっぱり泣いてるじゃない。やーい泣き虫ッ』
脇に置いて完全に意識していなかった携帯から声がしてフートは肩をビクンと跳ねさせる。そして目にも止まらぬ速さで首を回しその方を見ると、其処には困った様に笑うニカの姿があった。
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