そして消えゆく君の声

厚焼タマゴ

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悪夢1

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 二階突きあたりの部屋は想像していたような恥ずかしい雰囲気じゃなくて、普通のホテルと言われれば信じてしまいそうなごくごく落ち着いた内装だった。 
 
(ショッキングピンクのライトとか、鏡みたいな壁とかなくて良かった……)
 
 部屋の広さに不釣り合いな、やたら大きいベッドが目につかないと言えば嘘になるけど。
 こっそり胸を撫でおろしながら机に荷物を置くと、不意に後ろから影が差して。
 
「日原」
 
 はっとして振り返ると、いつもの無表情に戻った黒崎くんが鞄を持って立っていた。
 
「なに? 黒崎くん」
「足」
「え?」
「だから、足、見せろって」
 
 素っ気ない口調とともにベッドを示す長い指に、おとなしくなったはずの鼓動がまた逸り始める。
 
「あっ、だ、大丈夫! いや大丈夫ではないけど、自分で……」
 
 黒崎くんが怪我のことを言っているのはわかる。わかるけれど今の状況と場所を考えるとなんだかすごく恥ずかしいし、まだ汗も流していないし、抵抗感が……。
 思わずぶんぶんと首を振ったけど、私の考えなんてお見通しなんだろう。黒崎くんは呆れたように目を細めて、
 
「俺がやる方が早い、いいからそこ座れ」
 
 さっきとは打って変わった淡々とした仕草で、もう一度ベッドを指し示した。……これ以上の抵抗は無駄だし、多分、余計に恥ずかしい。

 観念して広いシーツのすみっこに座ると、黒崎くんが私の前に跪くように毛足の長い絨毯に座りこんだ。
 踵を軽く持ち上げられて、ついどきどきする。
 
 ふくらはぎで結んだストラップがシュ、と軽い音を立てて。おそるおそる見れば、足首と側面の皮は予想以上に思いっきり剥けていた。
 
「うわ……」
 
 靴底ににじむ血を見ると、さっきより痛みが増したような気になる。咄嗟に奥歯を噛む私に、黒崎くんも眉間のしわを深くしてため息をついた。
 
「歩くっつったのに、なんでこんな靴……」
「ごめん……」
「責めてるわけじゃない」
「そうそう。秀二は素直じゃないから、心配だって言えないんだよ」
 
 救急道具を手にした幸記くんが、何か言いたげな黒崎くんと、まごつく私を交互に見て微笑んだ。
 
「かわいい靴だね」
 
 どうしてこの子はこんな時にも優しい言葉をかけてくれるんだろう。自分のことで手一杯で当たり前なのに。
 
「一応消毒しとくけど、明日どっかで靴買ったほうがいいかもな」
 
 慣れた手付きで傷口を綿で押さえる黒崎くん。痛い!と声が出そうになったけど、この程度のこと我慢しないと。こんなの黒崎くんたちの傷に比べたら全然大したことないんだから、と小さく頷く。
 
「うん、適当にビーチサンダルか何か買おうと思う。帰り歩くだけでもけっこうきつそうだし」
「歩けないならまた抱えてやるけど」
「ええっ!?」
 
 奇声を上げる私を無視してぺたっと絆創膏を貼ると、背の高い身体はさっさと立ち上がる。
 
「冗談」
 
 ……
 …………び、びっくりした。
 
 まさか黒崎くんが冗談を言うなんて。というか、今のって冗談だったんだ。普通の顔して言うから全然わからなかった。
 も、もちろん冗談じゃなきゃ困る、けど。



 そうこうしている間にも時計の針はクルクルと円をえがいて、気付けば日付変更まであと少しという時間。
 部屋にはテレビや映画のDVDもあったけど到底見る気にはなれなくて、私たちは明日にそなえて休むことにした。
 
 私はベッドで。黒崎くんと幸記くんはそれぞれソファで。
 部屋の半分近くを占めるベッドをゆずってもらうのは心苦しかったけど、絶対にソファで寝ると駄々をこねるのもいっそ一緒に寝ようって言うのも二人の親切を無碍にするような気がして、結局、お言葉に甘えさせてもらうことにした。
 
 知らない部屋の、知らない寝床。
 眠れるかなと心配だったけど、疲れた身体はあっと言う間にまぶたを重くして。
 
 それは二人も同じだったのだろう。
 会話らしい会話もないままクッションに沈み込んだ。
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