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秋
二度目の会話4
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「なんかさ、学校の奴らって俺と征一をセットにしてるでしょ。優しい征一さんと真面目な要さん、二人の王子様って」
私の気持ちを読んだように要さんが笑った。蔑むような歪んだ笑みだった。
「あれって本当しょうもないよね。纏めるなら同格同士でやってくれよ。一緒にいる時、俺はずっと征一が失敗するのを待ってるのに。何か失敗すれば出し抜けるかもしれないってさ」
「要さん……」
「俺もね、後ろ盾なんかないんだよ。だから何とかしてあいつに勝ちたかったんだけど、影すら踏めないわ」
指の間で、火の点けられない煙草が揺れている。
要さんの中にある征一さんへの対抗心。見た目からは想像できないほど深くて、けれど、同時に諦めを見据えている。いびつな感情は、黒崎くんが抱えているものとはまた別の複雑さで胸に巣食っているのかもしれない。
「ま、要は俺は協力できないってことで。大体、俺になんとか出来る程度の問題ならとっくに解決してるでしょ。草を刈ったところで、根をなんとかしなけりゃどうしようもない」
「……根?」
「親父の正しさへの固執かな。誰も彼もがベストを尽くして、模範的でなければならないって。病気みたいなもんだね。家中に蔓延した以上、俺一人じゃ到底取り除けないよ」
柔らかい、けれど明確な拒絶のニュアンスに私はそっと目を伏せた。両手で持ったグラスの中で、氷がピシ、と音を立てる。
「……征一さんもお父さんと同じ考えなんでしょうか」
「どうかな、あいつの症状はもっとわかりにくいから。まあ、それなりに価値観は受け継いでると思うけど。秀二に対するあれも、正しくしてあげたいと思ってるからだろうし」
人間は鍛造するもんじゃないんだけどね、と肩をすくめる姿からは、さっきまでの翳りは消えていた。
代わりに宿る、遠い場所を眺めるようなどこかやりきれないような表情は以前、征一さんをどう思っているのか聞いた時と同じもので。
「これ、言おうか迷ってたんだけど」
ちいさな声で呟いてから、要さんは私を見た。どこまでも整ったまっすぐな目に、思わずどぎまぎしてしまう。
「な、なんですか?」
「わかってると思うけど、こっから先の話は秘密厳守ね。誰かに言ったら蹴り一発じゃ済まないよ」
「はい!ぜ、絶対言いませんから教えてください」
うなずいて答えた私の頭は黒崎くんと幸記くんのことでいっぱいで、他のことを考える余裕がなくて、これからの衝撃に対する心の準備が足りてなかったのかもしれない。だから。
「征一は中学の頃、自殺未遂を起こしている」
その言葉を聞いた瞬間、本当に、心臓が止まるんじゃないかと思うほど動揺した。
「自……」
絶句。
自殺未遂? あの征一さんが?
「何の前触れもなくいなくなってさ。秀二が連れて帰ったんだけど、あいつその時ひどい風邪ひいてて、死にかけたのは弟のほうでしたってオチ」
要さんの目は笑っていなかった。しきりに煙草をいじる指が、内心の迷いを想像させる。
「征一、周りには星を見に行ったって言ってたけどそんなの信じられるわけないだろ? で、よくよく聞いてみたら飛び降り自殺するつもりだっただと。遺書も見たよ、当たり障りのない内容だったけどね」
淡淡と紡がれる声が怖い。
私は乾いた唇を舐めて、震えの走る指をきつく組んだ。
「そんな、自殺だなんて……どうして……」
「ただの思いつきでしょ。本人も何となくって言ってたし」
「お、思いつきって、だって、死んじゃうんですよ!?」
「自分が死のうが生きようがどうでもいい、そういう奴なんだよ」
わからない。
征一さんがわからない。
死ぬ理由もないのに、大事な家族がいるのに思いつきで死を選べるなんて。
ただ一つわかるのは、あの綺麗な笑顔は何か大切なものが欠落しているということ。
「ああ見えて頑固だから、見つけたのが秀二でなけりゃ止められなかったんじゃないかな」
「……亡くなっていたかもしれない……っていう、ことですか」
「現状を考えると、そっち方が良かったのかもね」
そこで言葉を止めると、要さんはようやく煙草に火をつけた。
暗い店内で、ライターの灯りが要さんの薄い唇と、わずかに覗く綺麗な歯並びを照らす。煙を吸い込み、吐き出すまでの短い沈黙は砂のようにざらついていた。
「そんだけ特別なら普通に大事にしてりゃいいのにアレだからね。いつだったかな、雨降ってたのにずぶ濡れで帰ってきたことがあって」
雨。
背筋がゾクッとした。雨の日。傘がなかった黒崎くん。
(私に、傘を貸してくれた日だ……)
を私の動揺には気付いていないのか、要さんの言葉は静かなままだった。
「確かに傘持っていたはずなのに失くしたとも盗まれたとも言わなくて、それが腹立って……いや、正直に話してほしかったのかな、とにかく、俺が吸ってた煙草を取って、秀二の目を焼こうとしたんだ」
「目……」
さらりと告げられた事実に、胃がねじれそうなほどの衝撃を受ける。
火のついた煙草の温度は800度を超えるって、授業で聞いたことがある。その煙草で、凶器で、焼こうとした。弟の眼球を。
狂気?
違う、そうじゃない。何かもっと根の深い、もっと救いようのない何か。
「日原さんが何をしようが俺には関係のないことだけど、征一には気をつけたほうがいいよ。あいつはわけのわからない基準で行動しているから」
私の気持ちを読んだように要さんが笑った。蔑むような歪んだ笑みだった。
「あれって本当しょうもないよね。纏めるなら同格同士でやってくれよ。一緒にいる時、俺はずっと征一が失敗するのを待ってるのに。何か失敗すれば出し抜けるかもしれないってさ」
「要さん……」
「俺もね、後ろ盾なんかないんだよ。だから何とかしてあいつに勝ちたかったんだけど、影すら踏めないわ」
指の間で、火の点けられない煙草が揺れている。
要さんの中にある征一さんへの対抗心。見た目からは想像できないほど深くて、けれど、同時に諦めを見据えている。いびつな感情は、黒崎くんが抱えているものとはまた別の複雑さで胸に巣食っているのかもしれない。
「ま、要は俺は協力できないってことで。大体、俺になんとか出来る程度の問題ならとっくに解決してるでしょ。草を刈ったところで、根をなんとかしなけりゃどうしようもない」
「……根?」
「親父の正しさへの固執かな。誰も彼もがベストを尽くして、模範的でなければならないって。病気みたいなもんだね。家中に蔓延した以上、俺一人じゃ到底取り除けないよ」
柔らかい、けれど明確な拒絶のニュアンスに私はそっと目を伏せた。両手で持ったグラスの中で、氷がピシ、と音を立てる。
「……征一さんもお父さんと同じ考えなんでしょうか」
「どうかな、あいつの症状はもっとわかりにくいから。まあ、それなりに価値観は受け継いでると思うけど。秀二に対するあれも、正しくしてあげたいと思ってるからだろうし」
人間は鍛造するもんじゃないんだけどね、と肩をすくめる姿からは、さっきまでの翳りは消えていた。
代わりに宿る、遠い場所を眺めるようなどこかやりきれないような表情は以前、征一さんをどう思っているのか聞いた時と同じもので。
「これ、言おうか迷ってたんだけど」
ちいさな声で呟いてから、要さんは私を見た。どこまでも整ったまっすぐな目に、思わずどぎまぎしてしまう。
「な、なんですか?」
「わかってると思うけど、こっから先の話は秘密厳守ね。誰かに言ったら蹴り一発じゃ済まないよ」
「はい!ぜ、絶対言いませんから教えてください」
うなずいて答えた私の頭は黒崎くんと幸記くんのことでいっぱいで、他のことを考える余裕がなくて、これからの衝撃に対する心の準備が足りてなかったのかもしれない。だから。
「征一は中学の頃、自殺未遂を起こしている」
その言葉を聞いた瞬間、本当に、心臓が止まるんじゃないかと思うほど動揺した。
「自……」
絶句。
自殺未遂? あの征一さんが?
「何の前触れもなくいなくなってさ。秀二が連れて帰ったんだけど、あいつその時ひどい風邪ひいてて、死にかけたのは弟のほうでしたってオチ」
要さんの目は笑っていなかった。しきりに煙草をいじる指が、内心の迷いを想像させる。
「征一、周りには星を見に行ったって言ってたけどそんなの信じられるわけないだろ? で、よくよく聞いてみたら飛び降り自殺するつもりだっただと。遺書も見たよ、当たり障りのない内容だったけどね」
淡淡と紡がれる声が怖い。
私は乾いた唇を舐めて、震えの走る指をきつく組んだ。
「そんな、自殺だなんて……どうして……」
「ただの思いつきでしょ。本人も何となくって言ってたし」
「お、思いつきって、だって、死んじゃうんですよ!?」
「自分が死のうが生きようがどうでもいい、そういう奴なんだよ」
わからない。
征一さんがわからない。
死ぬ理由もないのに、大事な家族がいるのに思いつきで死を選べるなんて。
ただ一つわかるのは、あの綺麗な笑顔は何か大切なものが欠落しているということ。
「ああ見えて頑固だから、見つけたのが秀二でなけりゃ止められなかったんじゃないかな」
「……亡くなっていたかもしれない……っていう、ことですか」
「現状を考えると、そっち方が良かったのかもね」
そこで言葉を止めると、要さんはようやく煙草に火をつけた。
暗い店内で、ライターの灯りが要さんの薄い唇と、わずかに覗く綺麗な歯並びを照らす。煙を吸い込み、吐き出すまでの短い沈黙は砂のようにざらついていた。
「そんだけ特別なら普通に大事にしてりゃいいのにアレだからね。いつだったかな、雨降ってたのにずぶ濡れで帰ってきたことがあって」
雨。
背筋がゾクッとした。雨の日。傘がなかった黒崎くん。
(私に、傘を貸してくれた日だ……)
を私の動揺には気付いていないのか、要さんの言葉は静かなままだった。
「確かに傘持っていたはずなのに失くしたとも盗まれたとも言わなくて、それが腹立って……いや、正直に話してほしかったのかな、とにかく、俺が吸ってた煙草を取って、秀二の目を焼こうとしたんだ」
「目……」
さらりと告げられた事実に、胃がねじれそうなほどの衝撃を受ける。
火のついた煙草の温度は800度を超えるって、授業で聞いたことがある。その煙草で、凶器で、焼こうとした。弟の眼球を。
狂気?
違う、そうじゃない。何かもっと根の深い、もっと救いようのない何か。
「日原さんが何をしようが俺には関係のないことだけど、征一には気をつけたほうがいいよ。あいつはわけのわからない基準で行動しているから」
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