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2 地獄の美容院

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 日曜日の朝、重い腰をあげて予約したカットサロン、「ジグ・オーク」の看板を前に、田中は入店をためらっていた。
 この「地獄」だか「自業自得」だかな美容院を選んだのは、店舗情報に「イヌ種の方歓迎」と書かれてあったからだ。しかしサロン検索アプリでヒットした画像と、目の前の建物の様子がだいぶ違う。
 掲載されていた外観画像は、木と緑を基調にしたオーガニックな一軒家カフェの二階といった感じで、なかなか悪くなかった。すぐそばに樫の巨木があり、建物を覆うように枝を伸ばしているのも、緑と自然光のナチュラルなイメージで好ましかった。
 しかし実際に現地に来てみると、建物はボロく、木はでかすぎて、カフェというよりお化け屋敷のようである。
 せまい外階段を、おそるいおそる上がりながら田中は「この階段のどこがバリアフリー?」と思う。
 サロン検索サイトでは「イヌ種の方歓迎」以外にも、あらゆるタグがついていた。バリアフリー、赤ちゃん連れOK、託児あり、高齢者対応……など。そんな設備や配慮があるようにとてもじゃないが思えない。
 そしてふるぼけた陶器の小人(目の塗装が溶けてホラーみがある)とたぬきがドア前に並べてあるのを見た時、不安がさらに膨らんだ。
 田中は大いにおじげづいたが、せっかくの休日にやっとたどりついたこと、うねりだした毛を思えば、あとにひけない。サロンのドアを開けた。来客を知らせる電子音がフアンフアーンと鳴る。
 そこで田中の足が固まった。
 目の前の光景を見て、田中は絶句したのだった。
 そもそもどの時間も予約可だったうえ、口コミが一件もついていなかった。ヒントはたくさんあったのだ……。そう思うと一気に後悔が押し寄せてくる。
 中は全体的にふるぼけているうえ、他人の家のリビングのような生活臭が充満している。
 サイトでは天窓からの自然光が、優しくふりそそいでいたが、今は板のようなもので雑にふさがれ、その上にはカレンダーから切り取ったらしき色あせた海の写真が貼られている。
 思いついたものをとりあえず並べてみたとしかいえないでたらめなインテリア、造花が安っぽい。床には碁盤に将棋盤、積み木が転がっており、整頓がされていないうえ、あか抜けない。
 なにかのおまけのフィギュアを集めるのはどうぞご勝手に、であるが、窓際にところせましと並べるのはやめろ。フェイクファーの上に、ビー玉置いているのはなにゆえ。
 そのチープなセンスに体中をかきむしりたくなる。窓からの景色はうっそうとした緑で覆いつくされ、やっぱりナチュラルというより、化け物屋敷よりなのだった。
 サイトに載っていた写真はいったい何年前のものだろうか? 撮影時から歳月をかけて、生活やだらしなさに浸食されていったに違いない。
 そして田中の絶望にトドメを刺すかのように、はげちらかしたおっさんが、鏡の前でケープをつけたまま、大口を開けて寝ていた。
 田中は何も見なかった、何もなかったことにして、そっと扉を閉めようとする。しかしセンサーが感知して、もう一度フアンフアーンと来客を知らせる電子音が鳴りひびく。
「はあーい」
 奥から出てきた人を見て、田中はますますしくじったと思った。
 それは小柄なばあさんで、目に刺さるようなビビッドなイエローのぺらっとしたワンピースを着ていた。ウエーブをつけ放射線状に広がった髪を七色に染めている。
 まるでレモン味として黄色に着色されたかき氷をベースに、いろんな色のシロップをでたらめに足したみたいな人工的な色だった。
 野生の勘は「逃げろ、やばいぞ」と田中に告げてくる。しかし目をそらせない。
「あ、えっ……と、」
 間違いました、と言おうとしたところ、七色の髪をしたばあさんは、みるみるうちに鬼みたいな顔に変貌していいった。
 田中はその変化に、「ヒッ」と喉で悲鳴をあげて後ずさった。とって喰われる。しっぽが緊張からキュッと立ち上がり、耳がぴっとなる。
「お、の、れ、え~~~~よ、く、も、」
 鬼そっくりの顔で、ばあさんは手近にあったはさみをにぎりしめる。持ち方が凶器としてのそれで、尖った先端は明らかに田中の方へ向けられていた。
「……!?」
 田中は階段を転がるように下り、その場から一目散に逃げだした。全速力でワンブロックほど走って、そこでやっと後ろを振り返る。誰も追いかけてこないことにほっとするが、首のあたりに激痛がはしる。おそるおそる、その部分に触れる。
「□!▽×$〇★◇!!」
 叫んだが、言葉にならなかった。小柄な老婆が、田中の背中にべったりへばりついていた。激痛は、はさみで頸動脈をやられたというわけではなく、むしりとられんばかりに毛を握りこまれていることが原因だった。
「けけけけけけけ逃げられると思うなよ……」
「なっ、離れ……っ、……そこの! そこの、人、たすけ、殺される、警察っ」
 たまたま通りかかった若い男に助けを求めた。しかしその顔を見た途端、自分の運の悪さを呪った。
 なぜなら茶色っぽい長い髪を後ろで一つ結びしているサル種の男は、イヌ種の田中でもすぐわかるくらい不機嫌そうで、窮地に陥っている見ず知らずの田中のために何かしてくれそうにはぜんぜん見えなかったからだ。
 が、男は、予想に反してぐいぐい近づいてきた。そして眉間に深いしわをよせ、もみあっている二人を凝視する。
「ばあちゃん? ……何やってんの?」
 ばあさんが田中の背中の毛皮に爪を食いこませながら叫ぶ。
「えん、ストーカー捕まえたよ! 早く警察を呼びなっ」
「頼む、警察! 警察呼んでくださ」
「えん」と呼ばれた若い男は、ばあさんに顔面の皮をひっぱられ全部言わせてもらえない田中をしげしげと見た。
「……ばばあ、こいつ違う」
「えっ」
「痛っ、痛い痛い痛いっ」
 田中は悲鳴をあげた。それに負けないくらいの大きな声で、えんは怒鳴った。
「イヌ違い。ストーカーじゃない!」
「……なぬ!?」
「あいつ、こんなシルバー入った毛色じゃないもん。もっと真っ黒」
 それを聞いた虹色ばあさんは、ひらりと田中の背中から飛び降りた。年寄のくせになんという運動神経だ。
 田中は痛みから解放され、その場にへたりこんだ。
「あらやだ、本当だ。ぜんぜん毛の色が違う」
 ばあさんは手の中にあった田中の毛を、見ている。無残にも、ごっそりむしりとられた田中の毛は、ふわふわと空中を漂う。
「イヌ種のお兄さん、あなたひょっとしてネット予約の」
「た、田中……」
 ばあさんは、さっきの鬼の形相から一転、満面の笑みで猫なで声をだした。
「……まあまあまあまあ! どうして早く言ってくれないの~~あ~~ら~~」
 髪の長い男が「ったく、ばばあ、早合点しやがって」と吐き捨てるように言うと、「ふん、ちょっとしたお茶目な勘違いじゃないか」と、ばあさんは間髪入れずにけろっと言い返し、田中には「ほほほ」と愛想笑いをした。
 まだ呆然としている田中に、ばあさんは何事もなかったように聞いてきた。
「おほほ、本日はどうなさいます~? カットでよろしい?」
 田中はくらっとめまいがした。自分の身に起きている事態をよく理解できず、消耗しきっていた。
  
 そして今、サロンの椅子に座らされ鏡にうつった田中の目は、死んでいる。
 逃げようと努力をしたが、虹色頭のばあさんによって、強引に店に連れ戻されてしまった。
 田中のしっぽはこれからされるであろう仕打ちに、不安におののきぐったりと垂れさがっている。
 断れなかった。
 田中の家は大家族で、家からあふれた子どもは祖父母の家に行かされた。そこで厳しくしつけられたため、基本、年寄という存在には逆らえないたちだ。それは相手がイヌ種だろうがサル種だろうが同じことである。何よりまだ、襲われたショックが尾をひいていた。
 逃げようとしたら、再び妖怪のようになった虹色頭の老婆が田中の背中にしがみつき、もう一生へばりついてとれなくなるのではないか。今度こそはさみで切り刻まれるのではないか。先ほど聞いた、けけけという不気味な笑い声が耳について離れない。
「えん」
 ばあさんが呼びかけると、ばあさんの孫らしき髪の長い若い男が、音もたてずに田中のそばに立った。
 ばあさんにばかり注意がいってしまうが、その男の目つきに田中はぎょっとした。
 自分はこの男に嫌われるようなことを何かしただろうか。
 そう思わずにいられないほど、「えん」は田中を鋭い目で見ている。しかし田中にはさっき会ったばかりの相手に何の心当たりもない。びくびくしていると、えんは息を「ししゅしゅ」と吐いた。
 なんだ? と思っているうちに、にゅっと手がのびて、田中のシャツのボタンに手をかけてくる。
「あっ、自分で」
 あわてて自分で脱ぎながら、考える。さっきの「ししゅしゅ」は、ひょっとして「失礼します」なのか。
 上半身裸になると、以前いきつけだったサロンとほぼ同じ手順で、首から胸元あたりの毛にスチームをあてられた。
 田中のようなイヌ種男性がカットをしてもらう場合、範囲が広いためシャンプーはせずドライカットするのが基本だ。必要な部分に蒸気をあてて毛を落ち着かせてから行われることが多い。
 スチームが終わると、虹色ばあさんがえんと交代し、スタイルの確認をしてきた。細かいリクエストをする気にもなれず「適当に短く」と言うと、田中の胸元の毛にはさみがはいった。
 何が起こってもどうせまた毛は生えてくる。そう思って覚悟したが、先ほどの人間離れした俊敏な動き同様に、ばあさんの手つきは素早い。えんはばあさんの傍らに立ち、ばあさんの指示でアシスタントをこなしている。
 二人の段取りや手さばきから思いのほかちゃんとしていると田中はだんだん理解する。だが一度味わった恐怖はなかなか消え去らなかった。
 なんせ相手は刃物をもっている。よくわからない理由で、さっきのようにまた襲われたらどうしようと、田中は気が気ではなかった。
 そのためすべてが終わった時には、仕上がりがどうとか言う前に、田中のチャージはほぼゼロになっていた。早くこの地獄みたいな場所から逃げたい。そんな思いでいっぱいだった。
 そむけていた顔を戻す。いつの間にか背後にばあさんではなく、えんがのっそり立っていた。驚いて、耳がビクッとなる。
 えんはまた「しゅすす」と息を吐く。
 やっぱり目つきが悪い。何かに怒っているようにしかみえない。
 なんなの? 「失礼します」くらい、はっきり言えないの? 
 と、そこへぐっと頭蓋骨を首筋からすくいあげるように掴まれた。瞬間「とうとう殺される」と思った。しかし身体はこわばるどころか、ふわっと弛緩する。
 これは……。
 えんの指が、田中の頭の骨の下の肉にもぐりこむ。そこがじんっとあたたかくなる。
 あああそこ、と思って鏡ごしにえんを確認すると、えんはとても真面目な顔で、田中の頭を揉み続ける。凝りやすい耳のつけねを丁寧にほぐされる。快楽がもれだしてくる。ぐわっとまぶたが落ちてくる。やばいと思って必死に意識を保とうとするが、またかくんとなる。
 この地獄みたいな美容院で、最初に目に入ったおっさんが爆睡してた理由がわかった。
 あれはつまりこういうことだったのか……。いや、だめだ、こんなわけのわからないところで……。そういえば、あのおっさんはどこへ行ったんだ……もしかして、意識を失ったら身ぐるみはがされて……。毛皮をはがれ、臓器を売り飛ばさ……。
 田中は懸命に抗ったが、えんのマッサージはやわやわと容赦なく眠りの淵へいざない、崖っぷちで突き落とそうとする。やがて努力もむなしく、意識はあっけなく遠のいていった。
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