恋心ゼロのはずが、幼馴染が本気で溺愛してくる

水守真子

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第五章 幼馴染じゃない 恋人になりたい

④(匠海視点)

 志穂の件が胸に重く残り、すっきりしないまま一日が終わった。引きずるわけにはいかないと自分に言い聞かせ、仕事の後にジムへ向かう。
 紬の待つ場所に、余計な影を持ち込みたくなかったのだ。
 汗が噴き出すほどの重量で筋トレを繰り返し、全身を焼き尽くすように追い込んでいく。怒りも苛立ちも、すべて消化するように、何も考えられないくらいにハードにトレーニングをした。
 更新した重量に心がわずかに躍ったとき、ようやく家に帰ろうと思えた。
 夜中の十二時を過ぎ、もう寝ているだろうと静かに家に入ると、パタパタとスリッパの音がした。――まだ起きていたのかと気づいた瞬間、胸の奥がふっと温かくなる。待っていてくれたかもしれない思うと、思わず口元が緩んだ。

「匠海、お帰り!」

 眠たそうな目ながら、頬が上気している。
 いつもなら寝ている時間なのに起きているのは、昨日、日下部に会ったことが心に残っていて眠れなかったのではないかと、匠海の胸に不安がよぎった。

「ただいま。ごめん、起こした? 何かあった? 大丈夫?」
「何もないし、起きてたよ! えっと、まず、匠海の動画を見たよ!って伝えたくて」

 靴を脱ぐのも待てないとばかりににこにこと話しかけてくる紬が、どうしようもなく可愛い。
 匠海は胸の奥がじんわりと溶けていくようで、思わずその頭を撫でたくなった。

「どうだった? 紬には届いた?」
「なんか全然わからないけど、わかったような気がしてくるからすごいよね! 全然飽きないし! すごいね!」

 全力で褒められているはずなのに、少し落とされている気もする。けれど目をキラキラさせながら、飾らず思ったことをそのまま口にする紬に悪意があるはずもない。
 肩肘張らない、真っ直ぐな言葉が胸に響いてくる。ただ純粋にほめてくれるその姿に、ふわりと心が軽くなった。――好きだな、と改めて思う。

「うん、なんだろう。すごくいい意見を聞けた気がする」
「あとね、あとね!」

 うずうずと紬がポケットの中から一枚の紙切れを取り出した。
 それは宝くじの紙で、すでに当選番号が発表されていたはずのものだ。
 紬は顔を真っ赤にしながら、興奮で声が弾むのを抑えきれない様子で息を吸い込むと叫んだ。

「当たってたの!」

 飛び跳ねそうなほど嬉しそうに瞳を輝かせる紬。
 その手が震えているのは緊張のせいか、喜びのせいか。
 にこにこしながらも落ち着きなく紙を何度も見返している姿に、匠海は思わず頬を緩めた。
 一万円なら当たったことがあるなと思い出しながら、靴を脱いで一緒にリビングへ行く。

「すごいじゃん。幾ら?」

 その金額を聞き、匠海は吹き出した。思った以上の高額だったからだ。

「え、マジ? そんな金額当たるの?」
「そうなの、番号確認を一緒にして欲しくって!」

 請われるままに番号確認をすると確かに当たっていた。
 匠海は当選番号と宝くじを見比べながら呟いた。

「マジかよ……」
「ね、当たってるよね!」

 紬は声を上ずらせながらも匠海の袖をぎゅっと掴んでくる。

「これで、匠海に借りているお金を返せるよね」

 その言葉に、匠海の胸の奥がじんと熱くなる。
 引っ越し代などを立て替えたことを、紬はずっと気にしていたのだは知っていた。律義に抱え込む、その責任感の強さに、また惚れ直す思いがした。

 紬いわく――。

 会社では変な人に絡まれるし、ポストには不気味な手紙が入っている。匠海には迷惑ばかりかけている気がして、心が落ち着かない。
 理屈はないけれど、『もう宝くじでも買ってなきゃやってられない!』という気分になったらしい。
 結果的に手紙の犯人は捕まって一安心したものの、匠海の元カノには突撃されるし、昨日は日下部とショッピングモールでばったり遭遇するしで……。

 「なんか変な当たりばっかりで、本当にむかついてたんだよね!」

 紬はぶーぶー言う。

 ――そうやって思い出したのが、ついでに買っていた宝くじのことだった。

「で、当たってたの~~」

 ソファで隣に座り、紬の顔を覗き込む。にこにこ~と笑う紬が可愛い。

「良かったじゃん。いいよ、お金は返さなくて」
「そういうのはダメだってば! 返すよ~。がっくんにも超高級焼き肉をおごっちゃうもんね~~。お父さんとお母さんたち、みんなで和食とか行こうよ~~。みんなで他に何が楽しめるからな~」

 にこにこと、みんなで楽しむことばかりを考える紬。
 その姿を見ていると、頭の片隅にまだ居座っていた志穂の影がすっと消えていく。
 誰かを支配しようとするずるさとは真逆に、ただ一緒に笑いたいと願う無邪気さがここにある。
 その落差が胸に沁みて、匠海は思わず笑みを深くした。
 やっぱり紬は可愛い。こういう紬はずっと変わらない。

「……投資でもする? 教えてほしいって言ってなかった?」
「え、いいの?」
「俺が教えられることとか少ないけど、まずは余剰のお金で始めた方が良いとは思う」
「やった! お礼は何がいい?」
「お礼とかいいよ」
「なんでもいいってば~」

 にこにこしている紬を瞼に焼き付けた後、匠海はうーんと天井を見上げた。
 ぽわん、と願望が頭に浮かぶが、嫌がられるだろうなとも思う。
 せっかく楽しそうにしている紬の気分を壊したくなくて、胸の奥で小さくため息を飲み込む。
 自分がそんなことを思い浮かべたことに驚き、反省しながらも、遠慮がちに視線を戻した。

「いや、いい」
「何でもいいのに」
「……何でもいいの?」
「うん、何でも~」

 超ご機嫌な紬の顔を、膝に頬杖をついて見つめる。けれど、あまりに幸せそうで無垢な姿に、匠海は一瞬ためらった。

 ――こんなこと言って、嫌われたりしないだろうか。胸の奥で小さな逡巡がよぎる。

 それでも意を決して口を開いた。

「おっぱい、揉ませて」
「へ?」
「おっぱい」

 紬の高かったテンションが一気に通常まで下がったのが分かり、匠海は一瞬ひやりとする。
 嫌悪感を示されるのではと不安になったが、紬は特に気にした様子もなく、むしろこちらを心配そうに見てきた。

「……匠海、時々IQ下がらない?」
「紬の前では、なんか自然体というか」

 拒否されなかったことに胸をなで下ろしつつも、過度に期待するわけにはいかないと心にブレーキを掛ける。
 紬に笑いかけてから立ち上がり、ジムウェアをバッグから取り出した。寝る前に資料も読んでおきたい。

「ごめんね、変なことを言って。明日も早いから、もう寝た方が……」
「言いにくいけど……いいよ。好きにして。――痛いのは嫌だけど」

 紬は言葉を探すように途切れ途切れに紡いでいた。

「……?」
「減るもんじゃないし……その、匠海なら……良いっていうか」

 頬を真っ赤に染めながらも必死に勇気を振り絞る姿が、愛おしくてたまらない。
 その健気さに、匠海の胸の奥が一気に甘く痺れる。
 目元が緩んでしまい、元に戻るか心配になる。
 理性を持ってしても抑えきれない、抱き寄せてしまいたい衝動に駆られ、拳を握って理性を取り戻した。

 ――可愛すぎて、どうしようもない。

 匠海は顔を片手で覆い、照れ隠しのように小さく笑って「……ありがとう」とやっと口にした。
 胸の奥が甘く震え、言葉にするのも精一杯だった。
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