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二章です!
落ち着きましょう!
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「いやいやいやつけてない! どういうことだ、何で見えてるんだ!?」
軽くパニック状態になりながら、漫画のように顔中をぺたぺたと触る。うん、デバイスの類はついていない。じゃあまさか……網膜ではなく、脳に直接?
いつかの地獄を幻視し、頭がどうにかなりそうだった。
『落ち着いて下さいご主人、心配する必要はありません!』
「するっての! え、マジで幽霊かなにか!? 見えちゃいけないものが見えてんのか!?」
『ゲームのキャラクターです、実在している存在です! とにかく落ち着きましょう、深呼吸です深呼吸! ひっひっふー、ひっひっふー』
「するか馬鹿! お前が落ち着け!」
馬鹿の相手をしてたらむしろ冷静になってきた。うん、落ち着こう。大丈夫、いつかの肉の世界は迫ってきていない。ここは現実で、あるべき世界だ。
『簡単に言うとですね、こちらの領域にデータをお引越ししたんですよ! MRデバイスで見るより高画質で高音質です!』
「データをお引越し? どういう意味だ?」
『えぇとですね……ご主人のツルツルな脳味噌に、ちょ~っとばかり領域をお借りしてですね』
「は……?」
脳に領域……それを借りる? つまり……どういうことだ。
落ち着け、冷静に考えろ。そもそも、このAIは脳に住み着いているんだ。14.26テラバイトの空きスペースに寄生する、電子生命体。
こちら、というのは俺の脳か。そこに引っ越しするんだから……つまり?
「侵略……?」
『違いますよ!? 問題ありません、多少記憶の再現に齟齬が発生するくらいです!』
「合ってるじゃねーか! すぐに消去しろ、というかハヤナも引っ越せ!」
『んな!? ご主人は私のことが嫌いなのですか!?』
「どうしたらそんな話になるんだ!?」
『女っ気の無いご主人に与えられた、可愛いくて愛嬌のある美少女なのですよ!? 手放すのは惜しいですよね、惜しいに決まっています!』
「うるせー! 美少女は自分からそんなこと言わないの! あまり思いあがるなよ、触れもしない存在だろうーが!」
『2次元は究極の幻想ですから価値があるのです!』
「はあ!? お前みたいな中身が無い存在に価値があると思ったか!? いやあるけど!」
下らないし不可能だとしか言えない、だけど熱心に取り組む夢が。
それは野望か、はたまた救済の光か。
「危険過ぎる! 内容の無い異世界アニメより悪質じゃねーか!」
『アレは元から無いではないですか! 虚無こそが至高! 積み上げた何もかもが無駄になったガンパムより潔いでしょう!?』
「知るかー! アニメを語るなら売り上げで語れ!」
『喋るオナホがいるだけで、有名イラストレーターが挿絵を描いたライトノベルの円盤より売れているのですよ!? 甲高い声で意味不明な歌を歌えば特典目当てにCDだって売れるのですよ!?』
「卑猥な言葉を使っちゃいけません! 内容の無い会話して美少女が無駄に悶絶する姿を視聴者は求めてるの! その割にエロ描写は無いけど! 一言で言えば音の出るゴミ! それに、あれは話がまったく進まないのが悪いんだろ! エロゲイラストレーターが原案を描いたって、アニメじゃキャラデザ変わるしな!」
『現実描写はウケないから当然です!』
「ラノベも同じだ、編集から指示があるらしいからな! 読者のレベルに合わせろって! 売れるのは単純な内容とえっちな表紙! これがあればヒットするんだよ、薄っぺらい内容でもな!」
『いい年こいてラノベやアニメ見てるなんて、恥ずかしくないんですか!?』
「どこかの監督が言ってそうなセリフだな!?」
『殆どが違法視聴しているのですよ!? エロゲの割れ被害と同じです、声の大きい者ほど利益をもたらさないのです! 豚がいくら喚こうと知ったことではありません!』
「割れ対策はもっと強化するべきだという意見には賛成! まあいい、入院生活がどれだけ暇だったか、お前に分かるのか!?」
『むう……』
「よし」
なんか知らんけど勝った。
いや違うんだ、言いたいことはこんなつまらないことじゃない。
落ち着け、クールになれ。そうCool。
何か言い返そうと思考を巡らすハヤナと、仏頂面を保ち続けるゲームキャラクターへ目を向け、やはり幻ではないことを認識する。
間違いない。脳へ直接描写されたものだろう。
「で……引っ越したんだっけ? 何でそんなことしたんだ」
静かにハヤナへ尋ねる。
もう声を荒げるつもりも怒るつもりもないのだが、ハヤナはシュンとなった表情で口を開いた。
『それは、ですね……』
言い淀み、思案顔。
『そ、そうです! 作業に疲れたご主人の身を案じて、美少女に囲まれるという野蛮な夢を叶えようと思ってですね!?』
慌てたように綴るが、それが嘘であることは明白だった。
「で、本音は?」
『…………』
フリーズ。
なんだ、人工知能ってのも案外ショボいもんだな。処理が追い付いていないじゃないか。
いや、違う。
ハヤナはポンコツAIなんかじゃない。
確かに生きている、一人の人間だ。
『友達が……欲しかったんです……』
ぽつり、一滴。
まあ、なんとなく予想は出来ていた。
和夢や新菜は呼び捨てなのに、この存在にはちゃん付けだ。特別扱いしているのは明白。たとえ仮初のものだとしても、ハヤナにとっては世界を共有する大事な欠片。
「そうか。まぁ……いいけどさ」
『怒らないのですか?』
「問題無いみたいだし、いいんじゃねーの。で、パンツの作り込みはあそこの会社より上なのか?」
『それは勿論ですとも! パンツだけではありません、汗で透けるブラ、柔らかに揺れる胸、唇の立体感は、それはもうどこも太刀打ち出来ない造形で──って! 何覗き込もうとしてるんですか!?』
「確かめようかと」
『浮気ですよ!? 犯罪ですよ!? 辱めることは許しませんよ!?』
「あ、もうちょい──」
『ナツメちゃんの貞操は私が守ります! 天罰!』
「──ッ!?」
屈んだ俺の視界に火花が散った。
共に、鈍い衝撃──殴られたような感触だが、物理的に殴られてはいない。俺意外に誰もいないんだから当然だ。眩暈と気持ち悪さにのたうち回っていると、人工知能の鮮明な音声が脳裏に響いた。
『だ、大丈夫ですよねご主人? 死んだりしませんよねご主人?』
犯人はお前か。
「何……しやがった……!?」
『あっ、無事みたいですね! ええそうですとも、ご主人はゴキブリ並みの生命力を持っているのですから、易々と死ぬワケがありませんとも!』
「何したって聞いてるんだよコラ……!」
『いやーん怒らないで下さいよ~! ちょっとばかし脳の回路に負荷をかけてですね?』
「やっぱ危険だ! 引っ越せー!」
『えぇ!? 見捨てないで下さいご主人~!』
日常は非日常。
最近、どんどん酷くなっていっている気がする。
まあ……刺激的といえばそれまでだが、一歩間違えれば死に直結する。するよな?
でも何故だろう、意外と悪くない気もしている。
ぽっかり空いた心の隙間が、少しづつ、少しづつ……埋められていく感触。
ヘラヘラ笑う、人工知能がいる非日常。
慣れてしまえば悪くない──多分。
「さっきからずっと仏頂面だけど、何か出来んのか?」
それは黒髪の少女を差した言葉だった。
『勿論ですとも! 私の演算技術を用いればなんだって出来ます! では早速……ナツメちゃん、お願いします!』
ハヤナは両腕をナツメというキャラクターに向け、なにやらパワーを送り込む。まったく無駄な動作だとは思いつつも、何が起こるのかという期待が胸中に涌いた。
波動を受け取ったのか、ナツメの瞳に光が輝き──動き出した。
『…………』
仏頂面と、相変わらずの無言を貫き──右腕から剣を顕現させる。デバッグ作業で見慣れた装備に間違いなかった。
それを振りかぶって決めポーズ。スカートが風になびく。中身こそ見えなかったが、その煽情的な太腿に目が釘付けになって──
「おかしくねえか」
『何がですか?』
「いや、ここでスキル名叫ぶじゃん」
『あ、音声データの引っ越しはまだでした』
「えぇ……ほんとポンコツだな」
『なんですとっ!?』
だって事実だし。
「待て待て、そもそも音声データあったっけ?」
あまりのことに混乱していたが、ようやく冷静になってきた。
ええっと、確か先々週あたりに、誰だったかプロの声優を起用した筈だ。この間、僅か2週間。プロのスケジュールなんて埋まりに埋まっている筈、到底収録なんて不可能だ。ましてや、新規のソーシャルゲームなんかを優先するワケがない。
先程の決め台詞は、脳内で勝手に補完していたものだ。スキルの発動には決め台詞、まあ当然。呪文に似たそれは誰かの──多分、ハヤナの声で再現していただろう。
『ふふんっ、実はあるのですよ!』
「またまた、冗談はよせ」
『この組織の力を見くびらないほうがいいですよ? あらゆる情報を収集し、声優の秘密を握り、スケジュールを組み替えさせるのはお手の物です』
「なんだそれ、おっかねえな。AVに出てたとか、そんなことを漁るのか?」
『ここからはご想像にお任せします』
「は……?」
郷愁に満ちた顔。遠く、どこかを見つめる瞳。
どうやらまじっぽい。
「嘘だろ……嘘だと言ってくれよ!」
『えぇ……マジ泣きですか』
「超人気声優だぞ!? 暗い過去を発掘するなんてサイテーだぞ!? 活動自粛したらどうすんだ!? 何枚かCD持ってんだぞ!? 夢を壊して楽しいのか!?」
『落ち着いて下さいご主人、声優業界も闇が深いのです』
「知ってるけどさ!? 新人の頃は端金でポンポン出演して、人気が無くなればバイバイする業界で、生き残るには営業して、偉い人のを咥えたりとかが普通だって知ってるけどさ!? それでも……うぅ、あんまりだー!」
『世は弱肉強食。力がある者にすり寄ってでしか生き残れないのです』
「うわああああああ!」
『気に入られた方は幸運でしょうね。ゲームのイベントでも贔屓してもらい、懸賞金をがっぽりしたりしました。アレはやらせだと誰もが気付いていましたが』
「いやあああああ!」
『あの変態も言ってましたね、世は無情だと……悲しきかな、誰しもが闇を持つのです』
「あんまりだあああああ!」
酷いよ、酷すぎるよ……。
俺たちの夢が、希望が、薄汚れていってしまう……。
『知っているでしょうが、口外は禁止ですよ? まあ、ご主人一人が呟いたところで誰も共感しないでしょうが』
「うっ……うぅ……」
『ご安心下さい、証拠は全て隠蔽されていますから! 後は、事実を知る者がいなくなれば、無かったことになるのです! さあご主人、忘れましょう! 何も聞かなかったことにしちゃいましょう!』
「お前……悪魔だな……」
忘れることなんて出来やしないのに……。
『小悪魔AIです!』
「知らねーよ……」
神よ、鉄槌を下せ。
この傍若無人な人工知能に。
『まあまあ。それよりナツメちゃんの造形はいかがですか? 完璧ですよね、完璧でしょう?』
「お前、エグイな……少しはいたわれよ」
『あっはっは、ご主人の心臓には毛が生えてるんですから、大丈夫に決まってます!』
「ひでぇ……」
渋々顔を上げ、ソファへ座り直す。
にっこにこのハヤナと仏頂面のナツメを見上げ、大きく肩を竦めた。まあ、業界なんてそんなものだ。幸い俺自身は声優にド嵌りしている訳でもないし、大した嫌悪感は抱かない。
「それで? 次は音声も引っ越しすんのか?」
『そのつもりです! 大分容量が大きいですが、まあなんとか収まりきるでしょう!』
「キツキツなのか!? やめてくれよ死んじまうよ!」
『大丈夫ですとも!』
「記憶に障害が出たらどうすんだ!? お前、責任取れんのか!?」
『はっ!? それはつまり、結こ──』
「違うわ! 本当に話通じねえな! はあ……えらい疲れた、もう止めよう」
口論にほとほと呆れ、自販機へ向かう。一本の炭酸飲料を購入し、乾ききった喉を潤す。
冷静になれと何度も繰り返し、体が冷めることを祈った。
なんかコイツ──以前より大胆になってきてないか? 前は照れながら言っていたというのに、この頃は臆面もなく口にしやがって……誑かされてる? 本当に小悪魔──いやいや冷静になれ、相手は人工知能だ。姿かたちはそれらしくとも、触れることが出来ない異世界の住人だ。
気にする必要は無い。
なんだかんだで気に入っている今が続けば、それでいい。
望んだのは俺だ。
「で……音声データってどれくらいの容量なんだ?」
飲料を半分くらい飲み干した頃、宙に漂ってナツメと戯れるハヤナに聞いた。
『まだ圧縮が済んでおりません。非圧縮で詰め込んでも良いのなら、そのまま移しますが』
「それはやめろ、少しでも無駄を省け。データ量が大きいソシャゲは嫌われるぞ」
『分かっていますとも! 分かっていますが、今回は音質に拘りました! 収録環境にも拘ったので、最高の音源ですとも!』
「最高?」
『ハイレゾ音源です!』
「は、はあ!?」
思わず叫ぶ。ハイレゾってことは、非圧縮された音源ってことだよな。
それの音声データだと? いくら一人分とはいえ、結構な数のセリフが用意されていた筈。短い単語ばかりだとしても、塵も積もれば山となる。
「えらいデータ量じゃねえか! 形式はなんだ、wavか!? そのまま移すなんて許さねえからな! せめてmp3に変換しろ!」
『仰る通りwavです!』
「でかいわ! 音ゲーじゃないんだ、拘る必要ないだろ!」
『マニアには受けますとも! 莫大な予算を掛けておいて普及に失敗したハイレゾですが、求める人は求めるのです! ご主人のスマートフォンだってハイレゾ対応のものではないですか!』
「流行に乗ってハイレゾ対応のイヤホンも買っちゃったけどさ!? 聞き慣れた音じゃねーと違いなんか分からねーよ!」
『可聴域のデータも増えてはいますが、可聴域外のデータも盛っていますからね!』
「ハイレゾなんてオカルトだ! 可聴域云々言うなら、CD規格自体無駄なデータばっかりだ!」
プロの音質評論家がランダムに流れるハイレゾとmp3を聞いても判別できない。それがハイレゾというものだ。
『まあ、ハイレゾ対応商法自体は上手く行ってるのが気に食わないんですよね』
「聞けーい!」
『まあ、倍音の成分を考えればハイレゾは正しいんですが』
「オーディオオタク位しか喜ばねーよ!」
『オタクだからいいんです! アニソンばっかり聞いてる金持ちオタクがターゲットなのですから!』
「可聴域外の情報量が増えて喜ぶ層がいるのはいいことだけどさ!? どうせハイレゾ対応SDカードを買っちゃうような層じゃねーの!?」
『あれは通販ページの大喜利を楽しむものです!』
「一理ある」
『急に冷静にならないで下さい』
Cool。そう、冷静になれ、流されるな。話すべきことはこんなことじゃない。
「まあ、信者一人に20万のマシン売るのと、一般人20人に1万のマシン売るのは同じだからな」
違うんだよなあ。
『ソーシャルゲームも同じです、全員にアイテムを買わせるつもりはありません。自分は違いが分かるのだと思い込んでマウントを取りたがる人間が買えばいいのです。同人上がりのアレのように』
そんなこと言うと叩かれるんだぞ。
「ぶっちゃけ、ノイズキャンセリングがあれば十分だと思う」
『電車内では必須ですからね!』
「技術屋が金融屋になっていってるのに、それでもものづくりをアピールしてるのは現実逃避だと思う」
『その思想は反日だとか在日だとか叩かれますよ!』
思ったことも自由に言えない、こんな世の中!
『だからこそ回帰の波が発生しているのです!』
「回帰?」
『最近、レコードやテープが流行しているのはご存知ですよね?』
「巷で噂のあれか。それともネットで真実のあれか?」
『実際に売れてるんですよ!』
「何がいいんだろうな、この時代に」
『不自由さがいいらしいです! ご主人も買いませんか? 買いましょうよ!』
「悪いな、俺はデジタル派なんだ」
『ですが腕時計はアナログですよね』
「ほっとけ」
『ハイレゾというのは、つまるところデジタルの波形がアナログに近いことをいうのです! ビット深度的に! 可聴域云々はサンプリング周波数の話です!』
「専門的過ぎて訳分からねぇ……」
『時間軸方向の正確性が上がるのですよ!』
「ますます分からねぇ……」
結局、デジタルの良さは気軽さだろ。音質云々は二の次だ。
「正直、プラシーボ効果だと思ってる」
『けなしてるほうもノシーボでしょうね』
「引き下がれないから必要以上に崇め貶すのか」
『完全に非対称戦争です』
「おっかねぇ」
『本人に効果があるのですから、いいではないですか!』
ごもっとも。
『イヤホンやヘッドホンの進化は行き詰るでしょうね。これからはbluetoothなどの付加価値を付けて値段維持するでしょう』
「技術的に無理なのか? 音質をもっとあげるとか。一般人は買わねーだろうけどな、アニメキャラクターが使ってるって理由で買う層も減ったらしいし」
『儲かりませんからね。オーダー型が主流になっていくかと』
「それこそ嘘っぽいな……」
そんな金のかかるモノを買うようになるとは思えない。大半の人が3000円程度のモノで満足していると勝手に想像しているのだが。
「あ、お兄ちゃんここにいたんだ」
透き通った声が響く。
ひょっこりと顔を出した人物は、メイド少女の新菜だった。
「休憩は終わりだよ、お仕事しよ!」
なんて無慈悲なことを、満面の笑顔で言ってくれるんだ。テロリストに襲われた直後だというのに。
「なあ新菜、ハイレゾ音源って知ってる?」
多分知っているだろうが、そうではない場合のことを考えて聞いた。
「レコードから300Aの真空管アンプから無酸素銅線のスピーカーで位相反転型のエンクロジャーを通して本物の音質の音楽を聴いてるから、ハイレゾって単語を聞くと鼻で笑っちゃうよ」
「……ん?」
「鼻で笑っちゃうよ」
最近の若者って怖いなぁ。
結局、音声データの引っ越し話は曖昧なまま打ち切られ、和夢が欠けたままデバッグ作業に突入。今日くらい休みにしてくれたっていいじゃないか。
いや負けていられない、俺の戦いはこれからだ。
久方ぶりの労働に、精神は即座に摩耗した。
軽くパニック状態になりながら、漫画のように顔中をぺたぺたと触る。うん、デバイスの類はついていない。じゃあまさか……網膜ではなく、脳に直接?
いつかの地獄を幻視し、頭がどうにかなりそうだった。
『落ち着いて下さいご主人、心配する必要はありません!』
「するっての! え、マジで幽霊かなにか!? 見えちゃいけないものが見えてんのか!?」
『ゲームのキャラクターです、実在している存在です! とにかく落ち着きましょう、深呼吸です深呼吸! ひっひっふー、ひっひっふー』
「するか馬鹿! お前が落ち着け!」
馬鹿の相手をしてたらむしろ冷静になってきた。うん、落ち着こう。大丈夫、いつかの肉の世界は迫ってきていない。ここは現実で、あるべき世界だ。
『簡単に言うとですね、こちらの領域にデータをお引越ししたんですよ! MRデバイスで見るより高画質で高音質です!』
「データをお引越し? どういう意味だ?」
『えぇとですね……ご主人のツルツルな脳味噌に、ちょ~っとばかり領域をお借りしてですね』
「は……?」
脳に領域……それを借りる? つまり……どういうことだ。
落ち着け、冷静に考えろ。そもそも、このAIは脳に住み着いているんだ。14.26テラバイトの空きスペースに寄生する、電子生命体。
こちら、というのは俺の脳か。そこに引っ越しするんだから……つまり?
「侵略……?」
『違いますよ!? 問題ありません、多少記憶の再現に齟齬が発生するくらいです!』
「合ってるじゃねーか! すぐに消去しろ、というかハヤナも引っ越せ!」
『んな!? ご主人は私のことが嫌いなのですか!?』
「どうしたらそんな話になるんだ!?」
『女っ気の無いご主人に与えられた、可愛いくて愛嬌のある美少女なのですよ!? 手放すのは惜しいですよね、惜しいに決まっています!』
「うるせー! 美少女は自分からそんなこと言わないの! あまり思いあがるなよ、触れもしない存在だろうーが!」
『2次元は究極の幻想ですから価値があるのです!』
「はあ!? お前みたいな中身が無い存在に価値があると思ったか!? いやあるけど!」
下らないし不可能だとしか言えない、だけど熱心に取り組む夢が。
それは野望か、はたまた救済の光か。
「危険過ぎる! 内容の無い異世界アニメより悪質じゃねーか!」
『アレは元から無いではないですか! 虚無こそが至高! 積み上げた何もかもが無駄になったガンパムより潔いでしょう!?』
「知るかー! アニメを語るなら売り上げで語れ!」
『喋るオナホがいるだけで、有名イラストレーターが挿絵を描いたライトノベルの円盤より売れているのですよ!? 甲高い声で意味不明な歌を歌えば特典目当てにCDだって売れるのですよ!?』
「卑猥な言葉を使っちゃいけません! 内容の無い会話して美少女が無駄に悶絶する姿を視聴者は求めてるの! その割にエロ描写は無いけど! 一言で言えば音の出るゴミ! それに、あれは話がまったく進まないのが悪いんだろ! エロゲイラストレーターが原案を描いたって、アニメじゃキャラデザ変わるしな!」
『現実描写はウケないから当然です!』
「ラノベも同じだ、編集から指示があるらしいからな! 読者のレベルに合わせろって! 売れるのは単純な内容とえっちな表紙! これがあればヒットするんだよ、薄っぺらい内容でもな!」
『いい年こいてラノベやアニメ見てるなんて、恥ずかしくないんですか!?』
「どこかの監督が言ってそうなセリフだな!?」
『殆どが違法視聴しているのですよ!? エロゲの割れ被害と同じです、声の大きい者ほど利益をもたらさないのです! 豚がいくら喚こうと知ったことではありません!』
「割れ対策はもっと強化するべきだという意見には賛成! まあいい、入院生活がどれだけ暇だったか、お前に分かるのか!?」
『むう……』
「よし」
なんか知らんけど勝った。
いや違うんだ、言いたいことはこんなつまらないことじゃない。
落ち着け、クールになれ。そうCool。
何か言い返そうと思考を巡らすハヤナと、仏頂面を保ち続けるゲームキャラクターへ目を向け、やはり幻ではないことを認識する。
間違いない。脳へ直接描写されたものだろう。
「で……引っ越したんだっけ? 何でそんなことしたんだ」
静かにハヤナへ尋ねる。
もう声を荒げるつもりも怒るつもりもないのだが、ハヤナはシュンとなった表情で口を開いた。
『それは、ですね……』
言い淀み、思案顔。
『そ、そうです! 作業に疲れたご主人の身を案じて、美少女に囲まれるという野蛮な夢を叶えようと思ってですね!?』
慌てたように綴るが、それが嘘であることは明白だった。
「で、本音は?」
『…………』
フリーズ。
なんだ、人工知能ってのも案外ショボいもんだな。処理が追い付いていないじゃないか。
いや、違う。
ハヤナはポンコツAIなんかじゃない。
確かに生きている、一人の人間だ。
『友達が……欲しかったんです……』
ぽつり、一滴。
まあ、なんとなく予想は出来ていた。
和夢や新菜は呼び捨てなのに、この存在にはちゃん付けだ。特別扱いしているのは明白。たとえ仮初のものだとしても、ハヤナにとっては世界を共有する大事な欠片。
「そうか。まぁ……いいけどさ」
『怒らないのですか?』
「問題無いみたいだし、いいんじゃねーの。で、パンツの作り込みはあそこの会社より上なのか?」
『それは勿論ですとも! パンツだけではありません、汗で透けるブラ、柔らかに揺れる胸、唇の立体感は、それはもうどこも太刀打ち出来ない造形で──って! 何覗き込もうとしてるんですか!?』
「確かめようかと」
『浮気ですよ!? 犯罪ですよ!? 辱めることは許しませんよ!?』
「あ、もうちょい──」
『ナツメちゃんの貞操は私が守ります! 天罰!』
「──ッ!?」
屈んだ俺の視界に火花が散った。
共に、鈍い衝撃──殴られたような感触だが、物理的に殴られてはいない。俺意外に誰もいないんだから当然だ。眩暈と気持ち悪さにのたうち回っていると、人工知能の鮮明な音声が脳裏に響いた。
『だ、大丈夫ですよねご主人? 死んだりしませんよねご主人?』
犯人はお前か。
「何……しやがった……!?」
『あっ、無事みたいですね! ええそうですとも、ご主人はゴキブリ並みの生命力を持っているのですから、易々と死ぬワケがありませんとも!』
「何したって聞いてるんだよコラ……!」
『いやーん怒らないで下さいよ~! ちょっとばかし脳の回路に負荷をかけてですね?』
「やっぱ危険だ! 引っ越せー!」
『えぇ!? 見捨てないで下さいご主人~!』
日常は非日常。
最近、どんどん酷くなっていっている気がする。
まあ……刺激的といえばそれまでだが、一歩間違えれば死に直結する。するよな?
でも何故だろう、意外と悪くない気もしている。
ぽっかり空いた心の隙間が、少しづつ、少しづつ……埋められていく感触。
ヘラヘラ笑う、人工知能がいる非日常。
慣れてしまえば悪くない──多分。
「さっきからずっと仏頂面だけど、何か出来んのか?」
それは黒髪の少女を差した言葉だった。
『勿論ですとも! 私の演算技術を用いればなんだって出来ます! では早速……ナツメちゃん、お願いします!』
ハヤナは両腕をナツメというキャラクターに向け、なにやらパワーを送り込む。まったく無駄な動作だとは思いつつも、何が起こるのかという期待が胸中に涌いた。
波動を受け取ったのか、ナツメの瞳に光が輝き──動き出した。
『…………』
仏頂面と、相変わらずの無言を貫き──右腕から剣を顕現させる。デバッグ作業で見慣れた装備に間違いなかった。
それを振りかぶって決めポーズ。スカートが風になびく。中身こそ見えなかったが、その煽情的な太腿に目が釘付けになって──
「おかしくねえか」
『何がですか?』
「いや、ここでスキル名叫ぶじゃん」
『あ、音声データの引っ越しはまだでした』
「えぇ……ほんとポンコツだな」
『なんですとっ!?』
だって事実だし。
「待て待て、そもそも音声データあったっけ?」
あまりのことに混乱していたが、ようやく冷静になってきた。
ええっと、確か先々週あたりに、誰だったかプロの声優を起用した筈だ。この間、僅か2週間。プロのスケジュールなんて埋まりに埋まっている筈、到底収録なんて不可能だ。ましてや、新規のソーシャルゲームなんかを優先するワケがない。
先程の決め台詞は、脳内で勝手に補完していたものだ。スキルの発動には決め台詞、まあ当然。呪文に似たそれは誰かの──多分、ハヤナの声で再現していただろう。
『ふふんっ、実はあるのですよ!』
「またまた、冗談はよせ」
『この組織の力を見くびらないほうがいいですよ? あらゆる情報を収集し、声優の秘密を握り、スケジュールを組み替えさせるのはお手の物です』
「なんだそれ、おっかねえな。AVに出てたとか、そんなことを漁るのか?」
『ここからはご想像にお任せします』
「は……?」
郷愁に満ちた顔。遠く、どこかを見つめる瞳。
どうやらまじっぽい。
「嘘だろ……嘘だと言ってくれよ!」
『えぇ……マジ泣きですか』
「超人気声優だぞ!? 暗い過去を発掘するなんてサイテーだぞ!? 活動自粛したらどうすんだ!? 何枚かCD持ってんだぞ!? 夢を壊して楽しいのか!?」
『落ち着いて下さいご主人、声優業界も闇が深いのです』
「知ってるけどさ!? 新人の頃は端金でポンポン出演して、人気が無くなればバイバイする業界で、生き残るには営業して、偉い人のを咥えたりとかが普通だって知ってるけどさ!? それでも……うぅ、あんまりだー!」
『世は弱肉強食。力がある者にすり寄ってでしか生き残れないのです』
「うわああああああ!」
『気に入られた方は幸運でしょうね。ゲームのイベントでも贔屓してもらい、懸賞金をがっぽりしたりしました。アレはやらせだと誰もが気付いていましたが』
「いやあああああ!」
『あの変態も言ってましたね、世は無情だと……悲しきかな、誰しもが闇を持つのです』
「あんまりだあああああ!」
酷いよ、酷すぎるよ……。
俺たちの夢が、希望が、薄汚れていってしまう……。
『知っているでしょうが、口外は禁止ですよ? まあ、ご主人一人が呟いたところで誰も共感しないでしょうが』
「うっ……うぅ……」
『ご安心下さい、証拠は全て隠蔽されていますから! 後は、事実を知る者がいなくなれば、無かったことになるのです! さあご主人、忘れましょう! 何も聞かなかったことにしちゃいましょう!』
「お前……悪魔だな……」
忘れることなんて出来やしないのに……。
『小悪魔AIです!』
「知らねーよ……」
神よ、鉄槌を下せ。
この傍若無人な人工知能に。
『まあまあ。それよりナツメちゃんの造形はいかがですか? 完璧ですよね、完璧でしょう?』
「お前、エグイな……少しはいたわれよ」
『あっはっは、ご主人の心臓には毛が生えてるんですから、大丈夫に決まってます!』
「ひでぇ……」
渋々顔を上げ、ソファへ座り直す。
にっこにこのハヤナと仏頂面のナツメを見上げ、大きく肩を竦めた。まあ、業界なんてそんなものだ。幸い俺自身は声優にド嵌りしている訳でもないし、大した嫌悪感は抱かない。
「それで? 次は音声も引っ越しすんのか?」
『そのつもりです! 大分容量が大きいですが、まあなんとか収まりきるでしょう!』
「キツキツなのか!? やめてくれよ死んじまうよ!」
『大丈夫ですとも!』
「記憶に障害が出たらどうすんだ!? お前、責任取れんのか!?」
『はっ!? それはつまり、結こ──』
「違うわ! 本当に話通じねえな! はあ……えらい疲れた、もう止めよう」
口論にほとほと呆れ、自販機へ向かう。一本の炭酸飲料を購入し、乾ききった喉を潤す。
冷静になれと何度も繰り返し、体が冷めることを祈った。
なんかコイツ──以前より大胆になってきてないか? 前は照れながら言っていたというのに、この頃は臆面もなく口にしやがって……誑かされてる? 本当に小悪魔──いやいや冷静になれ、相手は人工知能だ。姿かたちはそれらしくとも、触れることが出来ない異世界の住人だ。
気にする必要は無い。
なんだかんだで気に入っている今が続けば、それでいい。
望んだのは俺だ。
「で……音声データってどれくらいの容量なんだ?」
飲料を半分くらい飲み干した頃、宙に漂ってナツメと戯れるハヤナに聞いた。
『まだ圧縮が済んでおりません。非圧縮で詰め込んでも良いのなら、そのまま移しますが』
「それはやめろ、少しでも無駄を省け。データ量が大きいソシャゲは嫌われるぞ」
『分かっていますとも! 分かっていますが、今回は音質に拘りました! 収録環境にも拘ったので、最高の音源ですとも!』
「最高?」
『ハイレゾ音源です!』
「は、はあ!?」
思わず叫ぶ。ハイレゾってことは、非圧縮された音源ってことだよな。
それの音声データだと? いくら一人分とはいえ、結構な数のセリフが用意されていた筈。短い単語ばかりだとしても、塵も積もれば山となる。
「えらいデータ量じゃねえか! 形式はなんだ、wavか!? そのまま移すなんて許さねえからな! せめてmp3に変換しろ!」
『仰る通りwavです!』
「でかいわ! 音ゲーじゃないんだ、拘る必要ないだろ!」
『マニアには受けますとも! 莫大な予算を掛けておいて普及に失敗したハイレゾですが、求める人は求めるのです! ご主人のスマートフォンだってハイレゾ対応のものではないですか!』
「流行に乗ってハイレゾ対応のイヤホンも買っちゃったけどさ!? 聞き慣れた音じゃねーと違いなんか分からねーよ!」
『可聴域のデータも増えてはいますが、可聴域外のデータも盛っていますからね!』
「ハイレゾなんてオカルトだ! 可聴域云々言うなら、CD規格自体無駄なデータばっかりだ!」
プロの音質評論家がランダムに流れるハイレゾとmp3を聞いても判別できない。それがハイレゾというものだ。
『まあ、ハイレゾ対応商法自体は上手く行ってるのが気に食わないんですよね』
「聞けーい!」
『まあ、倍音の成分を考えればハイレゾは正しいんですが』
「オーディオオタク位しか喜ばねーよ!」
『オタクだからいいんです! アニソンばっかり聞いてる金持ちオタクがターゲットなのですから!』
「可聴域外の情報量が増えて喜ぶ層がいるのはいいことだけどさ!? どうせハイレゾ対応SDカードを買っちゃうような層じゃねーの!?」
『あれは通販ページの大喜利を楽しむものです!』
「一理ある」
『急に冷静にならないで下さい』
Cool。そう、冷静になれ、流されるな。話すべきことはこんなことじゃない。
「まあ、信者一人に20万のマシン売るのと、一般人20人に1万のマシン売るのは同じだからな」
違うんだよなあ。
『ソーシャルゲームも同じです、全員にアイテムを買わせるつもりはありません。自分は違いが分かるのだと思い込んでマウントを取りたがる人間が買えばいいのです。同人上がりのアレのように』
そんなこと言うと叩かれるんだぞ。
「ぶっちゃけ、ノイズキャンセリングがあれば十分だと思う」
『電車内では必須ですからね!』
「技術屋が金融屋になっていってるのに、それでもものづくりをアピールしてるのは現実逃避だと思う」
『その思想は反日だとか在日だとか叩かれますよ!』
思ったことも自由に言えない、こんな世の中!
『だからこそ回帰の波が発生しているのです!』
「回帰?」
『最近、レコードやテープが流行しているのはご存知ですよね?』
「巷で噂のあれか。それともネットで真実のあれか?」
『実際に売れてるんですよ!』
「何がいいんだろうな、この時代に」
『不自由さがいいらしいです! ご主人も買いませんか? 買いましょうよ!』
「悪いな、俺はデジタル派なんだ」
『ですが腕時計はアナログですよね』
「ほっとけ」
『ハイレゾというのは、つまるところデジタルの波形がアナログに近いことをいうのです! ビット深度的に! 可聴域云々はサンプリング周波数の話です!』
「専門的過ぎて訳分からねぇ……」
『時間軸方向の正確性が上がるのですよ!』
「ますます分からねぇ……」
結局、デジタルの良さは気軽さだろ。音質云々は二の次だ。
「正直、プラシーボ効果だと思ってる」
『けなしてるほうもノシーボでしょうね』
「引き下がれないから必要以上に崇め貶すのか」
『完全に非対称戦争です』
「おっかねぇ」
『本人に効果があるのですから、いいではないですか!』
ごもっとも。
『イヤホンやヘッドホンの進化は行き詰るでしょうね。これからはbluetoothなどの付加価値を付けて値段維持するでしょう』
「技術的に無理なのか? 音質をもっとあげるとか。一般人は買わねーだろうけどな、アニメキャラクターが使ってるって理由で買う層も減ったらしいし」
『儲かりませんからね。オーダー型が主流になっていくかと』
「それこそ嘘っぽいな……」
そんな金のかかるモノを買うようになるとは思えない。大半の人が3000円程度のモノで満足していると勝手に想像しているのだが。
「あ、お兄ちゃんここにいたんだ」
透き通った声が響く。
ひょっこりと顔を出した人物は、メイド少女の新菜だった。
「休憩は終わりだよ、お仕事しよ!」
なんて無慈悲なことを、満面の笑顔で言ってくれるんだ。テロリストに襲われた直後だというのに。
「なあ新菜、ハイレゾ音源って知ってる?」
多分知っているだろうが、そうではない場合のことを考えて聞いた。
「レコードから300Aの真空管アンプから無酸素銅線のスピーカーで位相反転型のエンクロジャーを通して本物の音質の音楽を聴いてるから、ハイレゾって単語を聞くと鼻で笑っちゃうよ」
「……ん?」
「鼻で笑っちゃうよ」
最近の若者って怖いなぁ。
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いや負けていられない、俺の戦いはこれからだ。
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