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二章です!
風邪です!
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「いい加減に起きろ小僧、仕事はまだまだ残っている」
「…………」
「そんなに眠りたいのなら、いいものを飲ませてやろう。くっくっく、フェアゲッセンはまだまだ残っている、桃源郷へご案内しよう。2本同時にいくか? 最高にハイな気分にしてやろうか?」
「…………」
物騒な恐喝にほとほと呆れ、のそのそとデスク下の空間から這い出る。
結局というかやはりというか、泊まり込みで仕事が続けられた。それも連日のように。精神を摩耗させ、生産効率を大幅に低下させながら、それでも続けられる大事なお仕事。
分かってはいるが……もう無理、体が持たない。
「まだ始業時間じゃないですよ……」
そんな情けない声が出てしまう。
日の光がうっすらと差しこむ開発室。そこに潜む人間は俺と和夢の二人だけ。新菜は未成年である為に一時帰宅しているのだ、そろそろ顔を見せる頃だとは思うが。
「うっ……へっくしっ!」
「風邪でも引いたか? 軟弱なヤツだ、さっさと薬でも飲んで来い」
どこか投げやりな声で告げられる。体を壊しても仕方ないだろう、激しく発光する画面と四六時中にらめっこているのだから。
ぐらつく足元と揺れる視界。それに頭がガンガン痛む。
「一度帰ったりとか……」
「許可すると思ったか?」
「インフルだったら……」
「私には効かん」
「なんで断言できるんですか……」
「鍛え方が違うのだ」
覇気は無いが自信満々。
やっぱりそうだ、あんた馬鹿だ。
「みんなおはよう。もうすぐ朝ご飯が出来上がるよ、こっちに来て」
開発室へ流れ込む新たな風。それには電子レンジから放たれたであろう添加物にまみれたコンビニ弁当の香りが混ざっていた。もう食べたくない。
「丁度良い新菜、コイツの為に風邪薬を持ってこい。強力なヤツでいい」
「え、お兄ちゃん風邪引いたの?」
いつも微笑みを浮かべていた少女だったが、珍しくキョトンとした表情となり、ちらりと俺へ視線を向けた。
これはもしや……ご奉仕タイム到来か? 桃源郷に辿り着いていたのか? これからメイド少女である新菜が優しく看病してくれるというありふれた展開が開始されるのか? いいよな、いいんだよな、俺、すっごい疲れてるんだからな。あんなことやこんなことをおねだりしたってバチなんかあたらな──
「じゃあ、座薬持ってくるね」
夢でした。
「待て、待ってくれ。座薬って……アレだよな」
「そうだよ? 粘膜摂取のほうが効果が出るの早いし、熱もすぐ下がって仕事出来るよ」
「仕事したくないです! できるだけゆっくり熱を下げて欲しいんです!」
「うふふふ。安心して、優しくするから」
「どうして満面の笑みで言うんだよ!? つまりあれだろ、ケツ出せってことだろ!? やめてくれよ、ちっぽけなプライドが粉々に砕けちまうよ!」
「そんなに自分でしたいの?」
「経口タイプ寄越せって言ってるの!」
「どう動くか分からない他人に対して自分の運命を任すしか無いっていう不安が得も言えない快感になるんだよ」
「新菜も風邪引いてるんじゃないか!?」
季節は変わり目。急激な気温の変化と連日の勤務で体と精神はボロボロだ。
俺と和夢は見るからにボロボロだったが、この少女だけはいつもニコニコしていた。只者ではないことは熱心な作業や異常な料理スキルなどから明白だが、そこは人間、やはりガタがきている様子。
「うるさいヤツだ、とっととケツを出せ」
胡麻塩頭の馬鹿がキツイ目線を向ける。ふざけんなよこんな場所で脱げとかとんだ羞恥プレイだよ!
「新菜が嫌だというのなら、私直々に挿入してやる」
「は……?」
この馬鹿何を口走ってんだ。
「早く持ってこい、直腸までデリバリーだ」
「うん、少し待ってて」
「は……?」
何勝手に話を進めてるんだ。
「小僧、そこになおれ。仕事はいいぞぉ? 金が手に入るぞぉ? 労働は義務だぞぉ?」
じりじりと距離を詰める大男。その瞳には狂気の色。
「その日を生きる為に身を粉にするのは、屈辱的であり、背徳的であり、利己的であり、絶望的であり……甘美だとは思わないか? どこかの誰かの笑顔を思い浮かべると、それだけで腹が膨れないか?」
「あんた目がいっちゃってるよ!?」
風邪どころじゃねえ、クスリ決めてやがる!
「どこかの誰かなど死ねばいいがな。例えば小僧、貴様のようなクズはこの手で粉砕してやりたいと常日頃思考している。あの手この手でどう処分しようかと考えるのが、私なりのストレス解消法だ」
「主張が一貫してねえ!」
「結果、やはり硫酸で──」
「おぞましすぎる!」
たった3人の開発メンバー、それらは皆悪い風邪に感染してしまったようだ。
いや待て、もう一人いたような?
「おいハヤナ、お前からもなんか言ってくれよ」
デスク上のPCを仰ぎ見る。そこには、誰よりもゲームの完成を願っっている存在が一体……いや、一人。
「ハヤナ?」
『ご主人……』
反応が薄いことが心配になって覗き込むと、小さな頭を両手で抑える人工知能がいた。
『うぅん……。処理が追い付きません……』
「どうしたんだよ、まさかお前も風邪か? AIのクセに?」
『へ……へくちっ』
まさかだった。
「ほら見てお兄ちゃん、舌下タイプもあったよ。私が飲ませてあげよっか?」
「ならアレだな。無理矢理塞げ、即時熱を下げさせろ」
「うふふふふふ……お兄ちゃん、キッスの覚悟はいい?」
何だこの空間。
まともなのは俺だけか!?
「はしたないこと言っちゃいけません! それ寄越してくれ、一人で飲めるから」
「ちゃんと飲めるか心配だもん。ゆっくり、ねっとり、私の舌で押し込まないと」
「漫画かアニメの見過ぎだ! 必要性がまるで無いじゃないか!」
「これは医療措置だよ。気にしなくていいよ」
「やめてくれよ、誑かさないでくれよ!」
「うふふ、その気何て全くないよ。仕事に必要なことだから」
それはそれで哀しい。
「さあ小僧、口と尻穴どちらを塞がれたい? それとも、どちらもをご所望か? 欲深いヤツめ、ならば堪能させてやる」
「うふふ……お兄ちゃ~ん」
「──っ!?」
じりじりと迫る肉壁。
その手に握られるのは不思議なクスリ。
まずい、このままでは貞操の危機。いや、心に深い傷を負ってしまう!
「ふ、普通のやつを買ってきます!」
「逃がすな!」
「了解」
「あひぃん!?」
脱走は無謀、即座に捕らえられてしまった。
「そら脱げ」
「こっち向いて」
「や……やめっ!」
魔の手からは逃げられない!
「いくぞ」
「うふふ」
「やめろおおおおお!!」
俺はそれを受け入れる事しか出来なかった。でも、戦場から遠く離れた場所にいる俺は、いつだって“きっと誰かが何とかしてくれる”と思っていた。
それが過ちだと知っていながら。
☆ ☆
「へっくし!」
『へくちっ』
「先輩でも風邪引くことあるんだぁ。それはどうでもいいけど、ハヤナちゃん大丈夫? ウィルスでも侵入したの?」
『だ、大丈夫ですよ彩智……』
相変わらず頭が痛い。人としての尊厳が踏みにじられそうになった俺を救ってくれたのは、専属イラストレーターの彩智だった。
丁度良く出勤した彼女の視界に入ったのは、半裸で押し倒され間もなく昇天してしまうであろう不審者。その声にならない叫びに和夢と新菜は我を取り戻したようで、まあ、強行を取りやめてくれた。
「冷たいヤツ……」
「は? 露出狂の変態なんて私の知り合いにいないんだけど?」
信頼を犠牲にして。
「俺のせいじゃないのに……」
「うわぁマジ泣き? 惨めねぇ、本当に惨め。ねぇハヤナちゃん、こんなクズの所じゃなくて私の所に来ない?」
『は……はい?』
蔑むことは止めず、卓上のスマートフォンに移り込んでいるハヤナを勧誘。
あの事件の当事者だというのによくもまあ、そんなことを言えるもんだ──言葉を呑み込む。結局、悪い夢だったんだ。夏の昼の白昼夢。彼女にとってはそれでいいじゃないか。
『ですが……へくちっ』
「きゃー! ハヤナちゃんのくしゃみは可愛いなぁ!」
「ぶえっくし!」
「うわっきったな! 先輩はあっち向いててよ、しっしっ!」
何だよ、俺が何したってんだよ!? そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃないか、病人だぞ!? 感染してやるぞ!?
「は~いお兄ちゃん、お待たせ~!」
そんな時、エプロン姿の少女が休憩所へやってきた。手にした盆の上には、白い湯気を立てているコップが1つ。それがコトリと俺の目前に置かれると、途端に芳醇な香りに包まれる。
「おぉ……すげぇいい匂い」
「新菜ちゃん、何作ってたの?」
「玉子酒です、風邪に良く効くらしいので」
「随分と渋いわね、薬でも飲ませればいいのに」
「うふふふふ」
いや本当、薬と睡眠時間をくれればわざわざこんなもの作らなくたって済むだろうに。監禁同然のデスマーチで体が壊れるのは当然の帰結だ。
事件の後、新菜は給湯室に引き籠った。そこで作成されていたのは黄色が強く主張しているお酒。
「んじゃ、ありがたく頂きます」
彩智の意見を心底肯定しながらも提供された玉子酒を口に含む。
「おぉ……すごいな新菜、全然卵臭くない。プリンが入ったお酒みたいで飲みやすい」
「うふふふふふ」
薄気味悪い笑みは勘弁してくれ、何か異物を混ぜ込んだのかと疑ってしまう。
しかしこの美味しさはたまらない、もっと苦いものだと思っていたのだが。
「え、それ本当? 玉子酒を美味しく作るのって大分難しいわよ?」
レビューに彩智は驚き顔。
「低温でゆっくり湯煎することがコツです。温度管理に気を付ければ難しくありません」
ニコニコと言い返す新菜。
「くっ、負けた……」
「何に負けてんだ……」
聞くと、抑えた声でこそこそと耳打ちされる。
「だって、こんな可愛くて料理上手な新菜ちゃんがずっと和夢さんの傍にいるのよ?」
「あー……自身が無いと?」
「絵だって奇麗なのよ? 背景や小物だけでキャラクターは描かないけど、私みたいな半端者より格段に綺麗なの」
「あー……デザインも兼ねてるんだっけ」
「うぅ……なんだか、私がここにいる必要無いんじゃないかなって思えてきちゃった」
「考えすぎだろ」
「だって……冬流さんが描いたキャラクターは皆個性持ってて、生き生きしてて……。私のキャラは、やっぱりハンコ絵でしか無いんだなって実感しちゃって……」
段々と声がくぐもっていき、悲痛な感情が空気を通して伝わってくる。
どうやら、ここにも重病者が一人いたようだ。
「弱気なお前は気持ち悪いな」
「は? 存在が気持ち悪いアンタが何言ってんの?」
気のせいでした。
「まあ聞け。ハンコにはハンコの良さがある。やっぱねえわ、登場キャラ全員魚顔してたあのソーシャルゲームは嫌気が差したから一週間でアンインストールしてやったわ」
「私の絵を馬鹿にしてる……?」
やべえ、つい本音がポロリと。つーかあれは彩智が関わっていない筈。まあ、彩智の絵もハンコといえばハンコだし。
「可愛ければいいんじゃね。豚なんか誰も気にしてねーだろ、表情が描き分けできなくたって、髪型変えただけの新キャラ出したって、パンツが見れれば金払うような奴らだからな。ふはははは、所詮データでしかないのに、哀れな奴らだ」
「アンタ、ぶん殴っていいかしら……?」
正論言っただけじゃないか。それに彩智自身だってハンコであることを自覚して嘆いているじゃないか。
「何100万も課金に突っ込むのは本当に滑稽──」
「ふんっ」
「ぶっふぉおえ!!」
『ご主人……へくしっ』
奔る衝撃、飛び出す玉子酒。
ああもう、本当に今すぐ帰宅したい。
「さっちゃん、可愛がるのはそこまで。そろそろディレクターが来るから会議室へ」
「はいは~い」
「おろろろろろろ」
『ご主人……うっ、おろろろろろろ』
何事も無かったかのように休憩所を去っていく彩智。お前、ただ暴力振りたかっただけなんじゃねえか。
「つーか……“とおる”って誰?」
「え、先輩知らないの?」
明らかに見下した目を浮かべるんじゃねえよ。
「殆どの既存キャラを描いてくれた先任……いや、ここは師匠と呼ぶべき? 師範? 先生?」
「はぁそうですか、どうでもいいです……」
そういえば、ちょっと前に和夢から聞いていたな。
彩智はあくまで見世物パンダだと。
「そんなんだからアンタはクズなのよ」
「えぇ……」
「じゃあお兄ちゃん、午前中はここでゆっくりしていいからね」
去っていく彩智と、笑顔で拘束を告げる新奈。
「帰ったりとか……」
「駄目」
「コンビニで薬を……」
「駄目」
「病院で診察……」
「駄目」
「何故!?」
「駄目」
「聞いてくれよ! これは犯罪だよ!?」
「駄目」
慈悲も無いのか!?
『ご主人、静かにして下さい……』
「俺だって頭痛い……だけどな、言わないともっと酷くなるぞ」
『そうなのですか……?』
「間違いない」
多分。
「じゃあ、冷めないうちに全部飲んでね」
そう言い残し、新菜は開発室へ消えていく。
束の間の休息。とりあえず、暖かい玉子酒をゆっくり啜った。うん、美味しい!
「しっかしなぁ……いまいち信じられねぇなぁ」
『何がですか?』
「いや……」
この状況全てが。
全て悪い夢なのではないかと疑ってしまう。非日常の中の日常に。
ある筈だった、引き籠りの日常が随分と遠くに置いてきてしまった。
大切な何かも。
「お?」
『む?』
玉子酒を呑み終わった頃に始業の鐘が鳴った。
それは問題ない。
何も問題ない。
だが、同時に響くアラート。
開発室から飛び出す和夢と新菜。
何事かと様子を窺う彩智。
ずかずかと近づく足音。
「見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る」
悪い予感は的中。
『イザヤ書第13章9節……』
子離れできない父親の嘆き。
「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない……さぁ、黙示録の到来である!」
世界の終わりは、きっと大人なら皆一度は望んでいる。
俺だってそうだ。
忘却したい過去がある。
それでも。
それでも──あんたに彼女は渡せない。
「ミラー・スミス……!」
「…………」
「そんなに眠りたいのなら、いいものを飲ませてやろう。くっくっく、フェアゲッセンはまだまだ残っている、桃源郷へご案内しよう。2本同時にいくか? 最高にハイな気分にしてやろうか?」
「…………」
物騒な恐喝にほとほと呆れ、のそのそとデスク下の空間から這い出る。
結局というかやはりというか、泊まり込みで仕事が続けられた。それも連日のように。精神を摩耗させ、生産効率を大幅に低下させながら、それでも続けられる大事なお仕事。
分かってはいるが……もう無理、体が持たない。
「まだ始業時間じゃないですよ……」
そんな情けない声が出てしまう。
日の光がうっすらと差しこむ開発室。そこに潜む人間は俺と和夢の二人だけ。新菜は未成年である為に一時帰宅しているのだ、そろそろ顔を見せる頃だとは思うが。
「うっ……へっくしっ!」
「風邪でも引いたか? 軟弱なヤツだ、さっさと薬でも飲んで来い」
どこか投げやりな声で告げられる。体を壊しても仕方ないだろう、激しく発光する画面と四六時中にらめっこているのだから。
ぐらつく足元と揺れる視界。それに頭がガンガン痛む。
「一度帰ったりとか……」
「許可すると思ったか?」
「インフルだったら……」
「私には効かん」
「なんで断言できるんですか……」
「鍛え方が違うのだ」
覇気は無いが自信満々。
やっぱりそうだ、あんた馬鹿だ。
「みんなおはよう。もうすぐ朝ご飯が出来上がるよ、こっちに来て」
開発室へ流れ込む新たな風。それには電子レンジから放たれたであろう添加物にまみれたコンビニ弁当の香りが混ざっていた。もう食べたくない。
「丁度良い新菜、コイツの為に風邪薬を持ってこい。強力なヤツでいい」
「え、お兄ちゃん風邪引いたの?」
いつも微笑みを浮かべていた少女だったが、珍しくキョトンとした表情となり、ちらりと俺へ視線を向けた。
これはもしや……ご奉仕タイム到来か? 桃源郷に辿り着いていたのか? これからメイド少女である新菜が優しく看病してくれるというありふれた展開が開始されるのか? いいよな、いいんだよな、俺、すっごい疲れてるんだからな。あんなことやこんなことをおねだりしたってバチなんかあたらな──
「じゃあ、座薬持ってくるね」
夢でした。
「待て、待ってくれ。座薬って……アレだよな」
「そうだよ? 粘膜摂取のほうが効果が出るの早いし、熱もすぐ下がって仕事出来るよ」
「仕事したくないです! できるだけゆっくり熱を下げて欲しいんです!」
「うふふふ。安心して、優しくするから」
「どうして満面の笑みで言うんだよ!? つまりあれだろ、ケツ出せってことだろ!? やめてくれよ、ちっぽけなプライドが粉々に砕けちまうよ!」
「そんなに自分でしたいの?」
「経口タイプ寄越せって言ってるの!」
「どう動くか分からない他人に対して自分の運命を任すしか無いっていう不安が得も言えない快感になるんだよ」
「新菜も風邪引いてるんじゃないか!?」
季節は変わり目。急激な気温の変化と連日の勤務で体と精神はボロボロだ。
俺と和夢は見るからにボロボロだったが、この少女だけはいつもニコニコしていた。只者ではないことは熱心な作業や異常な料理スキルなどから明白だが、そこは人間、やはりガタがきている様子。
「うるさいヤツだ、とっととケツを出せ」
胡麻塩頭の馬鹿がキツイ目線を向ける。ふざけんなよこんな場所で脱げとかとんだ羞恥プレイだよ!
「新菜が嫌だというのなら、私直々に挿入してやる」
「は……?」
この馬鹿何を口走ってんだ。
「早く持ってこい、直腸までデリバリーだ」
「うん、少し待ってて」
「は……?」
何勝手に話を進めてるんだ。
「小僧、そこになおれ。仕事はいいぞぉ? 金が手に入るぞぉ? 労働は義務だぞぉ?」
じりじりと距離を詰める大男。その瞳には狂気の色。
「その日を生きる為に身を粉にするのは、屈辱的であり、背徳的であり、利己的であり、絶望的であり……甘美だとは思わないか? どこかの誰かの笑顔を思い浮かべると、それだけで腹が膨れないか?」
「あんた目がいっちゃってるよ!?」
風邪どころじゃねえ、クスリ決めてやがる!
「どこかの誰かなど死ねばいいがな。例えば小僧、貴様のようなクズはこの手で粉砕してやりたいと常日頃思考している。あの手この手でどう処分しようかと考えるのが、私なりのストレス解消法だ」
「主張が一貫してねえ!」
「結果、やはり硫酸で──」
「おぞましすぎる!」
たった3人の開発メンバー、それらは皆悪い風邪に感染してしまったようだ。
いや待て、もう一人いたような?
「おいハヤナ、お前からもなんか言ってくれよ」
デスク上のPCを仰ぎ見る。そこには、誰よりもゲームの完成を願っっている存在が一体……いや、一人。
「ハヤナ?」
『ご主人……』
反応が薄いことが心配になって覗き込むと、小さな頭を両手で抑える人工知能がいた。
『うぅん……。処理が追い付きません……』
「どうしたんだよ、まさかお前も風邪か? AIのクセに?」
『へ……へくちっ』
まさかだった。
「ほら見てお兄ちゃん、舌下タイプもあったよ。私が飲ませてあげよっか?」
「ならアレだな。無理矢理塞げ、即時熱を下げさせろ」
「うふふふふふ……お兄ちゃん、キッスの覚悟はいい?」
何だこの空間。
まともなのは俺だけか!?
「はしたないこと言っちゃいけません! それ寄越してくれ、一人で飲めるから」
「ちゃんと飲めるか心配だもん。ゆっくり、ねっとり、私の舌で押し込まないと」
「漫画かアニメの見過ぎだ! 必要性がまるで無いじゃないか!」
「これは医療措置だよ。気にしなくていいよ」
「やめてくれよ、誑かさないでくれよ!」
「うふふ、その気何て全くないよ。仕事に必要なことだから」
それはそれで哀しい。
「さあ小僧、口と尻穴どちらを塞がれたい? それとも、どちらもをご所望か? 欲深いヤツめ、ならば堪能させてやる」
「うふふ……お兄ちゃ~ん」
「──っ!?」
じりじりと迫る肉壁。
その手に握られるのは不思議なクスリ。
まずい、このままでは貞操の危機。いや、心に深い傷を負ってしまう!
「ふ、普通のやつを買ってきます!」
「逃がすな!」
「了解」
「あひぃん!?」
脱走は無謀、即座に捕らえられてしまった。
「そら脱げ」
「こっち向いて」
「や……やめっ!」
魔の手からは逃げられない!
「いくぞ」
「うふふ」
「やめろおおおおお!!」
俺はそれを受け入れる事しか出来なかった。でも、戦場から遠く離れた場所にいる俺は、いつだって“きっと誰かが何とかしてくれる”と思っていた。
それが過ちだと知っていながら。
☆ ☆
「へっくし!」
『へくちっ』
「先輩でも風邪引くことあるんだぁ。それはどうでもいいけど、ハヤナちゃん大丈夫? ウィルスでも侵入したの?」
『だ、大丈夫ですよ彩智……』
相変わらず頭が痛い。人としての尊厳が踏みにじられそうになった俺を救ってくれたのは、専属イラストレーターの彩智だった。
丁度良く出勤した彼女の視界に入ったのは、半裸で押し倒され間もなく昇天してしまうであろう不審者。その声にならない叫びに和夢と新菜は我を取り戻したようで、まあ、強行を取りやめてくれた。
「冷たいヤツ……」
「は? 露出狂の変態なんて私の知り合いにいないんだけど?」
信頼を犠牲にして。
「俺のせいじゃないのに……」
「うわぁマジ泣き? 惨めねぇ、本当に惨め。ねぇハヤナちゃん、こんなクズの所じゃなくて私の所に来ない?」
『は……はい?』
蔑むことは止めず、卓上のスマートフォンに移り込んでいるハヤナを勧誘。
あの事件の当事者だというのによくもまあ、そんなことを言えるもんだ──言葉を呑み込む。結局、悪い夢だったんだ。夏の昼の白昼夢。彼女にとってはそれでいいじゃないか。
『ですが……へくちっ』
「きゃー! ハヤナちゃんのくしゃみは可愛いなぁ!」
「ぶえっくし!」
「うわっきったな! 先輩はあっち向いててよ、しっしっ!」
何だよ、俺が何したってんだよ!? そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃないか、病人だぞ!? 感染してやるぞ!?
「は~いお兄ちゃん、お待たせ~!」
そんな時、エプロン姿の少女が休憩所へやってきた。手にした盆の上には、白い湯気を立てているコップが1つ。それがコトリと俺の目前に置かれると、途端に芳醇な香りに包まれる。
「おぉ……すげぇいい匂い」
「新菜ちゃん、何作ってたの?」
「玉子酒です、風邪に良く効くらしいので」
「随分と渋いわね、薬でも飲ませればいいのに」
「うふふふふ」
いや本当、薬と睡眠時間をくれればわざわざこんなもの作らなくたって済むだろうに。監禁同然のデスマーチで体が壊れるのは当然の帰結だ。
事件の後、新菜は給湯室に引き籠った。そこで作成されていたのは黄色が強く主張しているお酒。
「んじゃ、ありがたく頂きます」
彩智の意見を心底肯定しながらも提供された玉子酒を口に含む。
「おぉ……すごいな新菜、全然卵臭くない。プリンが入ったお酒みたいで飲みやすい」
「うふふふふふ」
薄気味悪い笑みは勘弁してくれ、何か異物を混ぜ込んだのかと疑ってしまう。
しかしこの美味しさはたまらない、もっと苦いものだと思っていたのだが。
「え、それ本当? 玉子酒を美味しく作るのって大分難しいわよ?」
レビューに彩智は驚き顔。
「低温でゆっくり湯煎することがコツです。温度管理に気を付ければ難しくありません」
ニコニコと言い返す新菜。
「くっ、負けた……」
「何に負けてんだ……」
聞くと、抑えた声でこそこそと耳打ちされる。
「だって、こんな可愛くて料理上手な新菜ちゃんがずっと和夢さんの傍にいるのよ?」
「あー……自身が無いと?」
「絵だって奇麗なのよ? 背景や小物だけでキャラクターは描かないけど、私みたいな半端者より格段に綺麗なの」
「あー……デザインも兼ねてるんだっけ」
「うぅ……なんだか、私がここにいる必要無いんじゃないかなって思えてきちゃった」
「考えすぎだろ」
「だって……冬流さんが描いたキャラクターは皆個性持ってて、生き生きしてて……。私のキャラは、やっぱりハンコ絵でしか無いんだなって実感しちゃって……」
段々と声がくぐもっていき、悲痛な感情が空気を通して伝わってくる。
どうやら、ここにも重病者が一人いたようだ。
「弱気なお前は気持ち悪いな」
「は? 存在が気持ち悪いアンタが何言ってんの?」
気のせいでした。
「まあ聞け。ハンコにはハンコの良さがある。やっぱねえわ、登場キャラ全員魚顔してたあのソーシャルゲームは嫌気が差したから一週間でアンインストールしてやったわ」
「私の絵を馬鹿にしてる……?」
やべえ、つい本音がポロリと。つーかあれは彩智が関わっていない筈。まあ、彩智の絵もハンコといえばハンコだし。
「可愛ければいいんじゃね。豚なんか誰も気にしてねーだろ、表情が描き分けできなくたって、髪型変えただけの新キャラ出したって、パンツが見れれば金払うような奴らだからな。ふはははは、所詮データでしかないのに、哀れな奴らだ」
「アンタ、ぶん殴っていいかしら……?」
正論言っただけじゃないか。それに彩智自身だってハンコであることを自覚して嘆いているじゃないか。
「何100万も課金に突っ込むのは本当に滑稽──」
「ふんっ」
「ぶっふぉおえ!!」
『ご主人……へくしっ』
奔る衝撃、飛び出す玉子酒。
ああもう、本当に今すぐ帰宅したい。
「さっちゃん、可愛がるのはそこまで。そろそろディレクターが来るから会議室へ」
「はいは~い」
「おろろろろろろ」
『ご主人……うっ、おろろろろろろ』
何事も無かったかのように休憩所を去っていく彩智。お前、ただ暴力振りたかっただけなんじゃねえか。
「つーか……“とおる”って誰?」
「え、先輩知らないの?」
明らかに見下した目を浮かべるんじゃねえよ。
「殆どの既存キャラを描いてくれた先任……いや、ここは師匠と呼ぶべき? 師範? 先生?」
「はぁそうですか、どうでもいいです……」
そういえば、ちょっと前に和夢から聞いていたな。
彩智はあくまで見世物パンダだと。
「そんなんだからアンタはクズなのよ」
「えぇ……」
「じゃあお兄ちゃん、午前中はここでゆっくりしていいからね」
去っていく彩智と、笑顔で拘束を告げる新奈。
「帰ったりとか……」
「駄目」
「コンビニで薬を……」
「駄目」
「病院で診察……」
「駄目」
「何故!?」
「駄目」
「聞いてくれよ! これは犯罪だよ!?」
「駄目」
慈悲も無いのか!?
『ご主人、静かにして下さい……』
「俺だって頭痛い……だけどな、言わないともっと酷くなるぞ」
『そうなのですか……?』
「間違いない」
多分。
「じゃあ、冷めないうちに全部飲んでね」
そう言い残し、新菜は開発室へ消えていく。
束の間の休息。とりあえず、暖かい玉子酒をゆっくり啜った。うん、美味しい!
「しっかしなぁ……いまいち信じられねぇなぁ」
『何がですか?』
「いや……」
この状況全てが。
全て悪い夢なのではないかと疑ってしまう。非日常の中の日常に。
ある筈だった、引き籠りの日常が随分と遠くに置いてきてしまった。
大切な何かも。
「お?」
『む?』
玉子酒を呑み終わった頃に始業の鐘が鳴った。
それは問題ない。
何も問題ない。
だが、同時に響くアラート。
開発室から飛び出す和夢と新菜。
何事かと様子を窺う彩智。
ずかずかと近づく足音。
「見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る」
悪い予感は的中。
『イザヤ書第13章9節……』
子離れできない父親の嘆き。
「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない……さぁ、黙示録の到来である!」
世界の終わりは、きっと大人なら皆一度は望んでいる。
俺だってそうだ。
忘却したい過去がある。
それでも。
それでも──あんたに彼女は渡せない。
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0
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