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二章です!
対抗しました!
しおりを挟む「──!?」
ロープを手にする和夢の顔が、愕然とした表情を浮かべたことは覚えている。彼は次の瞬間、顔面を叩き潰されて床へと崩れ落ちていた。
ふわり、とヒラヒラの装飾がついたスカートが目の前で揺れる。
「新菜……?」
『……!』
コスプレメイドのデザイナー、ガイノイド紛いの美少女、振りまく愛嬌は全て手段──あちら側だと思っていた少女が、俺とハヤナを守るように立ちはだかった。
「ちぃっ!」
即座に我を取り戻した悠奈は、ふざけた格好の武闘家へと再び取り出した銃で狙いを付ける。その顔からは笑みが消えていた。
「──ッ!」
まるで待っていましたとでも言わんばかりに踏み込んで、その長い足に遠心力を乗せて叩きつける。低い姿勢から放ったそれは、見事に拳銃を持つ右手にヒットしていた。
途端に響く間の抜けた銃声。
こいつ、部下に対して銃を弾くことにも躊躇いがないのか!?
「が──!?」
驚いている間にも新菜は追撃し、悠奈の腕を掴んで引き寄せ、同時に肘を顔面へと叩きつけた。勢いがのったそれを食らい、鼻血を垂らしながら悠奈は崩れ落ちた。
「こっち!」
上司たちを一瞬で無力化した新菜は、呆然としている俺の手を引いて開発室へと走り出す。
「ちょ……!?」
「すぐに起き上がる! ハヤナ、マザーへ侵入するよ! お兄ちゃんはドア押さえてて!」
『は、はいっ!』
一息に指示を出し、俺は言われるがままにドアを塞ぐ。取り換えたばかりのそのドアはいたって普通のものであり、鍵を持っていない俺は、開かないようこの体で押さえることしか出来なかった。
「新菜、君はあっち側じゃ……?」
今のうちに縛るべきだったんじゃないかとも思うが、その時間も惜しいと判断。
まさかの助太刀参戦したメイド少女に、驚きを纏いながら尋ねた。
「私はハヤナの友達だよ。泣かせる人間は全員敵」
短く言い切る。新菜だってハヤナを泣かせて楽しんでた気もするが、自分が泣かせるのなら構わないのだろうか、まあそこらへんは後で追及するとしよう、というかどうやって知ったんだ──それらの思考は絶ち消えた。
すぐさま新菜が纏うメイド服の、フリフリした袖口から何か、コードのようなものがにゅるにゅると這い出だしたからだ。それは意思を持っているかのようにうねり、開発室に据え置かれたパソコンへ向かって、接続されていく。
「それは……」
「もう知ってるでしょ、私は半端者のガイノイド。半分人間で、半分機械。損傷した脳も、人工知能で補ってるの」
「え……」
言葉に詰まる。
何だそれは、ただ脳にチップを埋め込んだだけじゃないのか。それよりももっと深刻な、普通ではない体なのか。
「気持ち悪いでしょ。ごめんね、今まで黙って、馴れ馴れしくしてて。それが命令だったから」
「そんな気はしてたよ」
「うふふ、やっぱり?」
自嘲するように笑い声をあげた。ジャミングが解除されたのか、いつの間にやらPCへと意識を移したハヤナの顔が、哀しみに満ちたものへと変わっていく。
「でも、気持ち悪いだなんて思ったことは一度も無い。真実を知った今も。新菜はハヤナの大切な友達で……大切な妹、だから」
罪悪感は当然あるが、言わずにはいられなかった。
失ってしまった大切な欠片。思い出したくもない、呼ばれたくもない、忘却したいと強く願ったその存在が……今ではとても。
「ハヤナ。私は、いてよかったかな」
『勿論です! ニーナがいたからこそ、私はここにいるのですから!』
「私がいたから?」
『はいっ!』
すっかり俺のことは無視し、友達同士で意思を確認し合う。
構わないさ、誰かに必要とされる理由があるからこそ、不安もなく戦えるのだから。
「──ッ!?」
微笑ましい瞬間も束の間、抑えていたドアが乱暴にノックされる。いや、この衝撃は絶対蹴りだ、渾身の力を込めて蹴ったに違いない。
『新菜貴様ァ! 自分が何をしでかしたか理解しているのか!? 私はともかく隊長にまで手を挙げるとは、即刻処分されても文句は言えんぞ!』
嘘だろ、完全にオチてたのにもう復活したのかよ!? いやそんなことはいい、今は抑えることに神経を集中させなければ!
「急ぐよ──ダイブ!」
『はいっ──私も!』
掛け声とともに、ハヤナは姿を消し、新菜は動かなくなる。ネット世界へのダイブ、意識を海へと投げ出したのだろう。人間ではないからこそ出来る、異世界への渡航。
『ここを開けろクソガキィ!』
「そうはいかねぇな白髪ァ!」
危険な旅を妨害する輩を押し留めるのが俺の仕事だ。
執拗にノックされる扉を、足に渾身の力を入れて踏ん張り、体を押し付けて留める。大丈夫、いくら和夢が暴れようと、体重を乗せたこのドアは簡単には破れない!
『聞こえてるかなアルバイト君。それがどれだけ危険な行いなのか、気付いていないわけじゃないだろう。今すぐ止めたほうがいい。言ったろう、これでも僕は君を気に入っているんだよ』
攻撃的な声と入れ替わりに、諭すような悠奈の声がドア越しに聞こえてくる。この人も覚醒するだなんて、ひ弱に見えて案外強靭な肉体だな。
「銃ぶっぱなしといてよく言えますね……!」
『それで済めば良かったのだけれど。脳が焼き切れても知らないよ?』
「覚悟の上……!」
そう強がってはみせるものの、内心は動揺しまくり。
予想はしていたが、まさか本当だとは信じたくはなかった。俺の状態がハヤナに影響するのなら、その逆もしかりということを。ネット世界で繰り広げられているであろう電脳戦、過酷なそれのフィードバック。
『僕たちの情報を暴露する危険性だってあるんだ。それに加え、いつぞやのように混乱を引き起こす可能性だってある。その人工知能がどれだけ危険なものであるか、知らない君じゃないだろう』
「それは嘘ですね……!」
『へぇ?』
「ハヤナがそんなことしないってことくらい知っているでしょう……? だから監視の穴を開けたり、好きにゲームをつくらせた。我儘なだけの子供だって知っているから……!」
思考は未だハッキリしている。が、やばい……何だか視界がぐらついてきた。ついでに言うと刺すような頭痛も起こり、気分が酷く悪いものとなっていく。
それでもまだ、崩れるわけにはいかない。
「ガチガチな監視網ってのも、実は嘘なんじゃないですか……?」
『残念ながらそれは本当だよ。言った筈だよね、組織は一枚岩じゃないんだ』
それくらい分かっているさ、様々な思惑を秘めた人間がいるってことくらい。ハヤナを……アヤを、危険分子として処分しようとする人間と、手を組んで利用しようとする人間がいるってことを。
「──ッ!?」
一段と強い鈍痛が襲い、思わず呻く。
これが只の幻痛かどうかの判断もつかないが、ハヤナが頑張っている証だということだけは理解出来る。
『疑り深いのは構わないけれど……あはぁ、やっぱり本質的なことに気付いていないみたいだ』
自然と肩で息をする程の状態、明滅する視界の中、それでも意識を途切れさせないよう、言葉を紡いだ。
「どういう……意味ですか……?」
『聞けば答えが返ってくると思ったかい? 甘い甘い、でも甘いからこそ生きていける。知り過ぎたものは消される運命だ』
それが社会の美徳だって、誰かが言っていたな。まあ日本でもそれらしい事件は起こっているし、そうなのだろうと納得は出来る。
『う~ん、扉を開けてくれないかな』
体力と精神力が摩耗していることに気付いたのか、ノブをがちゃがちゃと回し始める。
確かに限界だ……それでも。
「開けません……邪魔なんてさせません……!」
『違う違う、そんなことしないよ。ハヤナたちが勝ったんだ、もう君が体を張る必要がないってことさ』
「え……?」
勝った? 勝ったって……何に?
『命令の書き換えは重罪。だけれどハヤナは保護しなければならない。君の身の安全も保障するよ、組織というのは身内には甘いからね』
その言葉は、既にハヤナと新菜が目的を達成したことを意味しているのだろうか。
「暴力で屈服させるような人を信用出来るとでも……?」
『君の度胸を試しただけさ、うん。合格ってことで』
「ふざけやがって……!」
『少しばかりストレスが溜まってたってのもあるけれど。毒にも薬にもならない、山場の一つも無い、つまらないアニメを見過ぎてたからかもね』
いきなり話題が転換し戸惑ってしまう。
こいつ、油断させて強引に扉を開かせるつもりだな? その手には乗らない!
「スマホ太郎……?」
その手には乗らない!
『あれには感想を生み出す余力も無い。あれの売り上げを越えられないアニメ会社は僕たちが買収する価値も無いだろう、いくら円盤が売れない時代とはいえね。配信での稼ぎを計算に入れてもアレ以下っていうのはあるんだよ』
「はぁ……」
『注目を集める手順書としては価値があったけれどね。良い声で喋るオナホがわらわらいれば豚どもは騒ぐのさ』
「どいつもこいつも女性蔑視主義者かよ」
『いやいや、僕は男女平等主義者だよ』
「嘘つけーい!」
掴みどころの無さすぎるディレクターだよ本当に!
『まぁまぁ。さ、扉を開けてくれないか』
「信用出来ませんね」
『意地を張るのもいいけれど、夢見がちな馬鹿は死ぬだけだよ? 和夢には冬流を通して、僕の陳情を上層部へ伝えてもらっているんだ、今すぐ攻撃を止めろってね』
ドア越しにも笑っていることが判別できる高い声。
あまりにも呑気なそれが、酷く耳障りだった。
「あんたが最初からそうしていれば、こんなことにはならなかったんだ……!」
上司だという悠奈が動いていれば、ハヤナが泣く必要も、新菜が組織を裏切る必要もなかったんだ。ただ、生みの親と対話したいだけだったのに。
『ハヤナに対しての攻撃を、だよ』
「なに……?」
『ついでに言うと、対抗措置も展開している』
「はあ……?」
『分からないかな? 本部に対して抗っているんだよ。脅威度はハヤナの方が各段に上だからね、彼らの動きも早い早い。やはり凄まじいものだ、2分足らずでマザーを突破するなんて普通じゃあない』
割と本気で言っている意味が分からないぞ。
『なぁなぁに誤魔化していたけれど、きっぱりと袂を別れたってこと。僕たちは君の味方さ』
相変わらず信用出来ないことをペラペラと喋ってくれる!
『クーデターと言ってもいいけれどね。さあ大変だ、結果を出さなければ予算を打ち切られるどころか、僕たちみんなが処分される。運命共同体だよアルバイト君』
「何だそりゃおっかねぇ……いや、それを信じるとして、袂を別れたんじゃ?」
状況がまるで呑み込めていないのだが。
『どうしても底では繋がってしまうものさ。警察とヤクザの関係は分かるよね?』
「そりゃ、まあ……」
『あるいはア〇ハイムと連〇、ジ〇ンみたいな』
「分かりやすいです、はい」
そこまで言われれば流石に。
『僕たちの組織に名前なんてものはない。けれど、セカンドピースという組織は確実に存在している。ソーシャルゲーム制作会社で、アニメ制作会社と穏便に手を組もうとしている秘密結社さ』
その声が聞こえた途端、体が後方へと倒れ込んだ。
「うおっ!?」
前のめりではない、後方にだ。重心を置いていた背が、そのドアごと崩れ落ちた。
衝撃に対して反射的に閉じた瞳を開くと、微笑みを浮かべて見下ろす、鼻にティッシュを詰め込んだ悠奈がいた。その手には、何やら得体の知れない凶器……なんだそれ、チェーンソー?
「一蓮托生。片道切符はお持ちかな? 地獄か天国か、どちらに行き着くかなんて分からないけれど、ね」
その背後にあるオフィスには、見たことも無いほど大勢の……迷彩服に身を包んだ大人たちの姿が。それらは皆、手元の通信機器にかじりついてなにやら作業をしていた。
「きちんと自己紹介でもしておこうか。僕は内閣府直轄の天桜局係長、氷上悠奈だ。日本を、世界を、守る為に立ち上がった。それだけは信じてもらいたいのだけれど」
そう言いながら、俺に手を差し伸べる。
ともすれば折れそうな、茎のように細い腕。無意識に手が伸びてしまうと、それは力強く握られて勢いよく立ち直らせた。
立ち眩みにも似た眩暈に襲われる中、とりあえずの礼を述べると、悠菜は優しく微笑みを零す。これまでとは違う、母性に溢れた笑顔……だったかもしれない。
「ハヤナだって大切な国民さ。それだけじゃないってことも当然あるけれど、守るべき宝なのさ」
「これは……一体、どういうことですか」
「あはは、君は知らなくてもいいことだよ──ってのは通じないかな。つまりだね、この機会を利用して内部の裏切り者を突き止めたり、排除したりしたのさ」
「は?」
「一種の賭けだったけれど。勿論、新菜には命令なんてしてないよ、彼女は自分の意思で抗った。持つべきものは友だねぇ」
うんうん頷きながら、開発室へと踏み入っていく小さな背中。それは真っすぐに、一人の少女の元へ向かう。
「新菜、起きれるかい?」
辿り着くと、メイド少女の肩を、そっと揺らした。
「お母様……?」
意識が現実へと戻って来たのか、ゆっくりと瞳を開け、目前の人物をそう呼んだ。
お母様って……悠奈はやっぱり女性? 僕っ娘? というか何歳? 様々な思考が入り乱れ、不可解な状況の連続にパンク寸前。
『ご主人……』
ようやく聞き慣れた声が差し込まれた。見慣れた開発室の空中に浮かぶ、幻の虚像。
『疲れました……』
美しい銀の髪は所々逆立ち、目元には深いクマが浮かんでいた。
これまで見たこともないほどにくたびれた様子で力なく浮遊する人工知能。電子戦というものがどれだけ大変なものなのか想像もつかないが、激戦であったことは間違いない。
「ごめんね、悪気は無かったんだ。辛い決断を迫ってしまったね」
「処分命令を」
「そんなことしないよ。僕は嬉しいんだ、君の自我はきちんと残っていることを再確認できたから」
「ですが命令に背きました」
「あはは、頭の固さは筋金入りだね。顔面を蹴られるってのも良いものだよ、マゾヒストの気分が少し分かったような」
そういえばクリーンヒットしてたよな。だというのに笑って誤魔化せるとか普通じゃねえな。
「違反する行為です」
「大丈夫大丈夫、鬱憤は和夢をしばいて晴らすから。マザーへの侵入は大変だったろう、ゆっくり休んでて」
「私はハヤナをサポートしたに過ぎません」
「君にはそれですら困難だった筈さ。念の為検査しよう、大切な娘なのだから」
大切な娘に向かって発砲した親が何を言うのか。それはそれとして。
マザーという存在が何なのか気になったのでハヤナに尋ねると、疲れを隠しもしない気怠げな声で返してきた。
簡単に表現すると、この秘密結社を統括しているコンピュータらしい。FBIですら突破は困難であるこのオフィスよりも、格段にセキュリティが厳重である代物だとも。よくもまあそんな所を、たった二人分の処理能力で突破でき、無事に帰って来たものだ。悠奈たちの救援があったおかげかもしれないが。
「アルバイト君、君もだよ」
「は、はぁ……?」
突然呼ばれて阿保らしい声を出してしまった。
「精密検査」
到底安心できない心境を察したのか、到底信頼できない追加の補足を付け加える。
「安心しなよ、不慮の事故に遭わせるつもりなんてないから。ハヤナはそこにいるかい?」
「はい……」
『すみませんご主人、少し、休みます……』
少女へ視線を移すと、か細い声を残し、消えるように姿を消した。何も死んだわけじゃない、ただ単に、網膜への投射を継続するのが怠くなったのだろう。きっと。おそらく。多分。
「おぉ……?」
ハヤナが消失すると同時に、俺の体も膝から崩れ落ちた。CPU使用率が限界にでも達したのだろうか。
「お兄ちゃん大丈夫?」
すっかり元の口調に戻った新菜が心配の声と共に駆け寄ってきて、俺の額に冷たい手を当てる。
「酷い熱、すぐに薬を用意するから」
「いや、俺なんかより自分のことを──」
心配してという前に身を翻し、開発室を出て行ってしまう。処分命令だとか物騒な事を言っていたのに、もう気にもしていないのか。
「あはは、新菜はそういう娘だよ」
感情を優先する少女のことを、心底嬉しそうな顔で褒めたたえる氷上悠奈。
自然と睨んでしまう視線を気にも留めず、メイド少女の母は他人事のように語る。
「本当の娘なんかじゃあないけれどね。身寄りがないから僕が引き取った。言い方を変えれば保護、だねぇ」
「誰から……何処から、ですか」
「知った所で何も変わらないよ。むしろ悪化するかも」
「俺はもう無関係じゃない。教えて下さい」
「聞けば答えが返ってくる学生気分は止めたほうがいい。それに、変にちょっかいを出されると僕たちでも守り切れなくなる可能性がある」
ああそうだ、痛いほどに分かってるさ。
結局、俺たちは皆歯車だと。
「脅迫したり守ろうって言ったり、主張が一貫してませんよ」
「主張が一貫してる人間なんてどこの世界にもいないよ。状況に合わせて掌をくるくる回すのが人間ってものさ」
「全部、筋書き通りだとでも言うんですか」
「どうだろうねぇ。神のみぞ知るってやつさ」
「前の事件、あれもまさか」
「いやいやまさか。自作自演だとでも疑っているのかい、僕たちがそんなことするわけないだろう」
「…………」
「見過ごしはしたけれどね」
「…………ハヤナの転移方法を見定める為ですかたったそれだけの為にあんな」
「アルバイト君?」
「…………」
「知り過ぎた者はどうなると思う?」
「…………」
「仲良くしようじゃないか。君も僕も、引き返すことなんて出来ないのだから」
「…………」
「さあ、配信まで猶予は少ない。僕たちは僕たちに出来ることをするだけさ。それが人類への奉仕だと願って、ね」
「…………」
「あ、怒ってる? あはは、じゃあ次の休日に開催されるライブイベントに行くといい、適度な休息は必要だから。ボディガードに新菜もつけよう、彼女の分も手配する」
「…………あなたたちならゲームをつくらなくたって流行を操作することくらい簡単なんじゃないですか」
「僕たちはね、力付くなのはあんまり好きじゃないんだよ。脅しておいて言えることじゃないけれど」
「…………」
「知って良い事だけ知っていればいい。それが社会の美徳だ」
そう言い残し、ディレクター氷上悠奈は開発室を後にした。
残されたのは俺一人。
何か大切なものが、足元からガラガラと崩れ落ちていく音を聞いた。所詮はアルバイト、ここは日本、出る杭は打たれる、長い物には巻かれろ、郷に入っては郷に従え、蛙の子は蛙。
俺、ハヤナ、新菜は結局、ただの道具として使われたんだ。この社会を、組織を動かす一つの歯車。ミラー・スミスと対話したいが為にとった行動は、思いもよらない思惑に利用された。それがどのような結果を導くのかも知らされず、それが正しいことだと言われても判断のしようがない思惑に。
『…………』
ふと、人の気配を感じた。
「ハヤナ……?」
反射的にそう呼びながら、虚空へと視線を向ける。大きな隙間が空いた心を埋めたくて、銀色の髪を持つ少女を探す。
『…………』
随分離れた開発室の一角に、いた。
対照的な金の髪を持つ、見知らぬ少女が。
「え、誰……」
思わずそんな言葉が出てしまう。
が、意外に冷静な頭がMR技術に利用するポリゴンの幻だという答えを推定する。おそらく【アイ☆ドルR】に収録予定のポリゴンデータが、ハヤナの混乱に乗じて顕現してしまったのだ。メインキャラで引っ越しを済ませたのは黒髪のキャラクターだったが、それ以外にも隠して引っ越ししていたのだろう。
『…………』
喋るでもなく、決めポーズをとるでもなく、無表情な顔をこちらへ向け続ける。そうだ、ボイスも引っ越ししていないのだ、言葉を発せないのは当然。
「お兄ちゃん、薬持ってきたよ」
にらめっこを繰り広げている内に、とたとたと軽い足音を立ててメイド少女が戻ってくる。その手には錠剤が入っているだろう白い包装紙。
「なあ新菜……新菜には、ハヤナの姿が見えてたのか?」
「お兄ちゃんに移ってからでしょ? うん、見えてた」
「えっ」
マジかよ。
「うふふ、これも黙ってた事だね。脳の回路がお兄ちゃんと近い構造になってるからかな、波長が合うんだ。もちろん、視覚や聴覚にもそれなりに手が加えられてるけどね」
何の気なしに聞いたのに大胆なカミングアウトが発せられる。
そういえば、脳を人工知能で補ってるとか言ってたな……だからこそ、ハヤナの嘆きも聞こえたのか。
「じゃあ、あれも見えるのか」
一角に佇む幻影へと視線で促す。ハヤナ自身ではないが同じようなものだ、見えても不思議ではない。
「何のこと?」
あれ、見えてない?
「面白いなあお兄ちゃんは。熱が酷いみたいだね、早くお薬飲もうね」
ま、まあ……俺だけが見ている幻覚だって可能性は勿論ある。風邪だって治りきっていない体で脳がフル回転したのだろうから、見えてはいけないものが見えた可能性だって当然に。
取り合えず薬を飲もう。熱が下がれば脳も正常に戻って幻覚も消え失せる──ってちょっと待て、どうして新菜が薬を口に含んでいる? それは俺が飲むべきものでは? あ、新菜も脳をフル回転させたのか、解熱剤を呑むのはおかしくない。
そんなことを考えていたら、頭をガシッと掴まれた。
「こっち向いて」
「えっ」
吐息がかかるほどの目前に誰かの顔。
ちょっと待てちょっと待てちょっと待て! まさかあれか、舌下薬なのか!? いつか未遂で終わったあれの続きなのか!?
いやいやいや落ち着け俺、新菜は半分人間で半分ロボット、そんな感情持ってない、これは俺を逃がさないための愛嬌を振りまく為の手段であって、公明の罠だというか、決してカウントされないわけで、というか何故わざわざこんな面倒な手段を取るんだというか、俺はブサイクで何の取り柄もないアルバイトなわけで!
「私の事、嫌い?」
「──!?」
つい心拍数が上がる心音を感じながら──ゆっくりと口を開いた。
「自分で飲めます……」
その後めちゃくちゃ
ライブを楽しみました。
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