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Phase1 プロローグ的な何か!
異世界へようこそ!②
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「へえー、なかなか風情あるじゃん」
「ここが“リューグナ―村”だよ! 果樹園が多いから、林檎や蜜柑で有名なの。ミズキは本当に知らないの?」
「あぁ……まあ」
目に入るのはいかにも中世ヨーロッパを再現した街並み。だが想像していたレンガ造りの建物は少なく、大半は木造建築の建物であり、一本の川を挟むように軒を連ねている。
「しっかし、村っていう割には人が多いような?」
「そうだね。でも今だけだよ、選定試験も終わっちゃったし」
流石にトイレ事情まで再現されているワケではないようで、ティアを先導に歩を進める道は綺麗に整地されていた。蠢く民衆をかき分けて進む。
「選定試験? さっきも聞いたな、なにそれ?」
「冒険者ギルド“血の闘争団”に入団するための選抜だよ!」
いきなり英語が出てきやがった……この世界ガバガバじゃねえか。
「選抜? その為に森に入ったのか?」
「ううん、私は落第したの。でも入団の条件は、力を持っていること。決闘で負けはしたけど、強いモンスターを倒せばもしかしたら、って思って」
「へぇ……そんなに入りたいもんなのか」
「当然! 私も魔王討伐に参加したいんだもの!」
「魔王!?」
なるほど、お決まりの展開だな。目指すべき目標が生まれたのはいいが、その道を進むべきか否か。
「俺もそこに入ることは出来るのか?」
「ウルフを武器もなしに倒せたんだから、実力は十分だと思うよ。ただね、もう試験は終わってるの」
「あ、そう……」
道は閉ざされていたようだ。
「でも私は諦めない! 必ずや入団して、お金持ちになるの!」
「へ……?」
「ここの生活も悪くはないけれど、やっぱり豪遊生活をしてみたいじゃない? 団員が相手にするのは魔王の眷属、そいつらを討伐しただけで多額の報奨金が与えられるわ!」
「…………」
「それに、ギルドの団員が現場を退く理由の多くは貴族との結婚だよ! 強い女性に惹かれるんでしょうね、金持ちの妻になることも可能なの! ──って、何よそのジト目は?」
「いや……。立派だなって思っただけだ」
「そうでしょう? それに、回復魔法を覚えた私は戦線に必須ともいえる存在だよ! まったく、どうして落第したのかな……まあ分かってるけど」
「戦闘向きじゃなかったんだな。支援一辺倒ってワケだ」
「うぐっ……まあね。腕力も無い私に持てるのはダガーかステッキくらい。でも攻撃魔法なんていう高等技は習得できなかったから、ステッキを振り回すっていう憧れの夢を諦めたんだ」
「憧れるのか? 魔法少女みたいだな」
「本当の魔法少女ですー!」
そんな話をしながら街道を進んでいたが、なにやら違和感を感じる。というより視線──明らかに皆が注目していた。この世界では異質な学生服を着ている俺に。
『おい、あのガキ』
『内地の服か? いやしかし』
『だよな、どうも似てるよな』
『ああ、“天炎者”にちげえねえ』
『やるか?』
『当然』
人々が囁きあっている声が聞こえる。疑問を覚えた時には、一人の巨漢が針路を塞いでいた。2メートルはあるのではないかという巨漢の大男はニヤリと笑う。
「よお小僧! メイズは好きか!?」
「へ……?」
「ほら、コレだよコレ!」
後ろ手に隠していたモノを見せる。青々とした皮と、立派な髭を蓄えたソレは──
「トウモロコシ……?」
強面の男にそんなことを聞かれるのも驚いたが、この異世界にもトウモロコシが存在するということに驚いた。タイムスリップでもしたというのか? いや待て、中世ヨーロッパにトウモロコシが出回っているのは異常だろう。
「好きか、好きだよなあ!? ほらたんと食え、お代はいらねえからよ!」
「うおっ!? あ、ありがとうございます?」
ウモロコシを粗雑に押し付けられる。どれも立派に実ったスイートコーン。しかし、なぜ俺に無料で渡すんだ?
「いいなー、いいなー! おじさん、私にも頂戴!」
「お? しょうがねぇなぁ、ほら、お嬢ちゃんにもやらぁ!」
「わー、キレー! ズル剥けだー! ミズキのよりも立派だし!」
「!?」
いや落ち着け、何を動揺してるんだ、トウモロコシの話だ。なるほど、ティアが受け取ったのは皮が剥がれてすぐに調理オーケーな状態だ。蒸す、焼く、茹でることで甘みが引き立つ。
「ええっと、これは本当に──」
「がはは、マオス食品をご贔屓に!」
「すごーい! 今日はごちそうだー!」
受け取っていいのか、そう問う前に男は去っていった。困惑する俺とはしゃいでいるティアが残されたが、すぐに別の人影が俺達を包囲する。
「よお兄ちゃん、これ持っていきな! ありったけのフルーツだ!」
「あ、アタシはこれあげるわ! 手に入ったばかりの香辛料よ、好きに使って!」
「私はチーズを与えましょう。ほら、白カビがいい具合に繁殖しています、柔らかくておいしいですよ?」
「こらお前ら、そんなに持てるワケねえだろ! へへっ旦那、このツタ篭を使ってくだせえ。あっしの手作り品でさあ」
「へ? へえ!?」
あらゆる方向から様々な食料品を手渡される。ティアは押し寄せる群衆に弾きとばされた模様。
「「「「リューグナ―商店街をご贔屓に!」」」」
それふだけ言い残すとそれぞれの持ち場へ戻った。篭いっぱいの品物を抱えた俺と、目を回しているティアを放って。
「え……なにこれ」
☆
「ごっちそう、ごっちそう、おったのっしみ~!」
街の外れにあるというティアの家に到着する。しかし女性の家か……いや、ただ食事を頂戴するだけだ、何を緊張することがあるというのか。ティアは木造のドアを開き、“アムレット料理店”の看板が掲げられた家の中に入って――あれ、なんで読めるんだ? 明らかに俺が読める文字ではない、楔文字のような造形だというのに。
「たっだいまー! お父さーん!」
「おうティア、帰ったか。薬草を摘みにいったにしては時間がかかったから、暴漢にでも襲われたかと思ったぜ」
「そ、そんなことないってー」
「お父さん……?」
店奥から姿を現したのは筋肉ムキムキ、お鬚もっさり、頭ツルツルの大男。ティアとは似ても似つかぬ父親だ。
「そうだお父さん、親切な人にたくさん食材を貰ったの! そしてこの人が、家まで運んでくれたんだ! お礼にお昼ごはん用意してくれない?」
「へ?」
おいおい、内容がだいぶ改変されてないか? まあ腹が空いて来たし、頂けるならうれしいんだけれど。
「私が森に入ったことは黙ってて。お父さん、そういうことは許さないから」
「お、おう」
声を落として耳元で囁く。なるほど、年頃の娘を危険な場所へは向かわせたくない親の愛情か。
「ほお、それは幸運だったな。で、あんたがその──ぶう!?」
「きゃっお父さんきたなーい」
俺を見るなり噴き出しやがった。でもそれは可笑しかったことが理由ではなく、驚愕したためである。
「こ、これはこれは失礼を! さぁどうぞ、お好きな席へお座りください! すぐに料理をお持ちします!」
「はぁ……」
媚び諂う態度で接客する。案内されるままに客の姿がないテーブルの席へ腰かける。入店する直前に見た太陽は天高く、もう昼になったことを示していた。
ティアを店奥へ引っ込ませた店主は、ワインのつがれた木のカップを置くと自身も奥へ姿を消す。
「おいティア、粗相はなかっただろうな?」
「え、なんのことー? ミズキはただの知り合いだよー?」
「茶化すな、あの服は天炎者の証明だ! 血の闘争団の幹部で間違いない!」
「えっ……ええ!? でも、そんなの知らないって言ってたよ? 隣の国から観光でも──」
「いや、あの恰好は似すぎている。というかティア、今まで気づかなかったのか?」
「だって、最近流行のファッションかな~って思って」
「明らかに異質だろう! しかしこれはチャンスだ、媚を売っておかなければ」
これを飲むか飲まざるべきか迷っているとそんなやりとりが耳に入る。丸聞こえですよお父さん。しかしイグナイターとは何のことだ? どうして俺がギルドの構成員に見られている?
他にも転移した人間はいる──なるほど、それが原因か。まあいいさ、今は好意を受け取ろう。
「ささ、こちらをどうぞ! 雷撃トカゲのぶつ切りステーキ!」
「うむ」
考え事をしている間に皿に乗せられた料理が運ばれてくる。うん、グロテスクな肉の塊。毒々しい紫色の血が溢れ出してるし……これ、食っても大丈夫なのか? とりあえず、追加で運ばれてきたパンやサラダに手を付ける。
「えぇと、ゴメンなさいミズキさん!」
「ん?」
果物を盛った皿を運んできたティアが首を垂れる。
「君……あなたが血の闘争団の幹部様とは知らずに行った、数々の非礼、お許しください! それに私の命まで救ってくださるとは!」
ふむ、他の人間は偉く頑張ったようだな。ではその功績、この俺がすこしばかり借りても罰は当たらないだろう。当たらないよな?
「いやいや、そんな畏まる必要はない。俺はただ、するべきことをしただけさ」
「あ、ありがたき幸せ!」
うん、俺は嘘をついていない。勘違いした君たちがいけないんだよ。くっくっく、人の上に立つというのは気分がいい……やっぱり罪悪感がすごいな、そろそろやめよう。
「どうですかい? 当店自慢の肉料理は?」
「む……」
ギラついた眼差しをティアの父に向けられる。なかなか口をつけないことが気に入らない様子。意を決して口へ運ぶ──そうだ、この世界で生きていくんだ、これくらい食べられないでどうする。
「……ごくん」
「……(ゴクリ)」
「……闘争団か、いいなあ」
見た目は最低な一品を飲み込む。ふむ、これはなかなか──感想を述べようとした時、店先のベルが客の入店を告げる。
「チッ……ああ申し訳ありません、只今貸し切りで──って、ええ!?」
「?」
店主の叫び声が店内に反響する。新たな客は、紅いマントを学生服の上に羽織った出で立ちをしている……ん、学生服?
「え、ウソ……また天炎者?」
民族衣装の上にエプロンを羽織ったティアが息をのむ。静寂を破る訪問者が口を開いた。
「昼時に申し訳ありません。こちらに不審者が出現したという情報を得たので、各家を調べて回っているところなんです」
「は、はぁ……それはご苦労様です。しかしウチには誰も――」
「くんくん、臭いますね、これは臭います。こびりついた罪の臭いが」
そう言って、被ったフードを振り払う。黒紅の髪を振り乱し、切れ長の目で俺を射抜いた。
「咎人を見つけました。さあ、共に旅立ちましょう。命を燃やす冒険へ」
「は……?」
明らかに日本人、そして女子高生である少女が手を差し伸べる。まさか初日に会うとは思わなかったな……他の転移してきた人間に。
「おい、どういうことだ?」
「う~ん? ミズキは団員じゃない?」
「あの服はどう見ても天炎者のものだよな」
「でも内地では似た服が流行してるらしいし」
「じゃあつまり」
「騙された?」
何やら不穏な会話を続ける親子。今は置いておこう、まずは目の前の存在にどう対応するべきか考えろ。旅立ちか……つまり、魔王討伐の旅ってことだな。
「いきなりそんなこと言われてもな……まだ、この世界でどう生きていくか考えているところだからさ。少しの間、考えさせてくれよ」
「ダメです、あなたに拒否権はありません。我々血の闘争団へ入団して下さい、それがあなたの選択肢です」
強い口調でそう返される。ふむ、俺を迎え入れる用意は出来ているらしい……なるほど、サポートは万全っていうのは確からしいな。だが強制イベントだなんて聞いてないぞ、ゲームの世界じゃないけれど。
「ねえ、どういうことかな?」
「あ~、これから団員になるのか?」
「あの子の服、ミズキの服と色とか似てない?」
「流行してるモノとは違うのか?」
「じゃあつまり」
「天炎者ってことは間違いない?」
親子は相変わらずひそひそと相談。顔を待ったにさせたり青くさせたりと忙しい。
「私たちの力は、贖罪の為に与えられたんです。この世界を救わなければなりません」
カツカツと音を立てて近寄ってくる。一定のリズムを刻む足音は、エコーのように体の内部まで反響した。
「従わないというのなら、無理やりにでも連れていきます」
どくん、どくん、と鼓動が高鳴る。なにもときめいているワケじゃない、純粋な恐怖――内から湧き出る潜在的恐怖が起こしたモノ。
「吼えなさい、愛の腕飾り!」
少女の体が激しい光に包まれる。それが轟音と共に吹き荒れる中、魔法の言霊が解き放たれたことを理解した。
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
「さぁ……あなたも剣を取るといいです。夏目由梨花、参ります!」
☆
「……どうしました? 早く言霊を唱えたらどうですか?」
由梨花と名乗る少女が光の中から姿を現す。それは俺と同じ、与えられた魔法を発動していた。だが鎧は全身を覆うものではなく、右腕にだけ深緋の装甲を纏っていた。その手に掴まれているのは、灼熱を宿す炎剣。それを振りかぶると、狭いアムレット料理店の壁に一筋の傷跡を刻む。焼け跡は爛れ、紅蓮の火の粉がじくじくと浸食していく。
「ちょ、ちょっと待て! 何だその力!? 炎だと!?」
シエルは言っていた、「これは君にだけ与える」ものだと。だというのに、この少女にも?
「何も知らないのですか? この魔法は堕とされた人間全てに与えられるモノです。そして術者の意思によって姿を変える」
「何ぃ!?」
「私の他に2人、堕とされた人間が血の闘争団に所属しています。こちらに来れば、その力を正しく使うことが出来る」
「2人……? 意外と少ないな」
「確認できたのは、です。他の国や団体に身を寄せている人間もいます」
そう言うと、一つ溜息を吐いて剣を構える。
「無駄話は終わりです。さぁ、言霊を唱えて下さい。無抵抗な人を……ましてや男を凌辱する趣味は私にはありません。それとも、あなたはマゾですか? されるがままに犯されていいのですか?」
「ドMなワケねえだろ! つーか場所を考えろ、こんな狭い場所で戦うつもりか!?」
いくら他の客がいないからって、あまりにも非常識な!
「せ、狭い……必死に働いて築いた俺の城が、狭い……」
「泣かないでお父さん。狭いのは事実なんだし」
鍋を構えて防御姿勢を取る親子が視界に映る。この炎は危険だ、それに木造建築であるため火事になりかねない。というかもう燃えてる。
「あっ……」
「あっじゃねえ! そんなことも考えてなかったのか!?」
「失念していました……いいでしょう、広場で戦いましょうか。それならいいですか?」
「どれだけ戦いたいんだお前は!?」
「力こそが正義だからです。それと自己の存在証明の為……あなたもそうではないのですか?」
「はあ!? 知らねえよ、ついさっきここに転移してきたばかりなんだからな!」
「そうでしたか。なら、尚更逃がすワケにはいきません。必ず団に引き入れます」
「選択肢は他にもあるだろ!」
「聞きません。これが私たち、天炎者と称えられる者の宿命なのです」
由梨花は炎剣の構えを解き、その右腕が脈打ったかと思うと、鎧は跡形もなく消えていた。あらわになったセーラー服を翻し、料理店の出口へ向かう。
「広場まで案内します。そこで喧嘩をしましょうか」
「おい待て。その前にコレ、どうするんだよ」
「なんですか……?」
「店の弁償だ! いいか、俺は金をもってねえんだよ!」
「あっ……」
「失念してんじゃねー!」
「くっ……団に払わせます。店長さん、誠に申し訳ありません。すぐに遣いの者を送りますので、しばしお待ち下さい」
コイツ、後先考えずに魔法を使いやがったな!? どれだけ無計画……というより短期なんだ。
由梨花はすぐさま引き返し、ティアの父に謝罪する。困った顔を浮かべる店主に頭を下げ、隣に寄り添っていた少女にも意を述べた。
「怖い思いをさせてしまい、すみませんでした……これからの未来に、神のご加護があらんことを」
「は、い、いえ……ありがとうございます」
憧れの団員に祈りを捧げられたティアは頬を紅潮させる。それなりにクールな由梨花と童話の国の住人であるティアの組み合わせは意外と合って……いやいや、そんなことを考えてる場合か。
「では行きましょう。あなたの未来は決定していますが」
「分かった……」
☆
『おい、あのマント……血の闘争団のものじゃねえか?』
『ああ、しかも“焦熱のユリカ”じゃねえか! No.4がこんなところにいるとは……』
『それにしても、あの男の子と何するつもり? まさか決闘でもするのかしら?』
『分からない。でも天炎者であることは間違いないね……これは見物だよ』
連れてこられたのはリューグナ―村の中央にある石畳が敷かれた広場。数多の観衆が何事かと見つめる中、由梨花が口を開く。
「では始めましょうか。ここでなら戦えるでしょう?」
「まぁ。衆人環視ってのはいいもんじゃねえけどな」
「すぐに慣れます。凱旋時はこれの比ではありませんよ、聴衆の視線に慣れておいて下さい」
「入団前提で話すんじゃねえよ」
「何ですか、視線を向けられることは苦手ですか? 視姦するのは好きそうな顔をしているのに」
「そんな趣味持ってねえ! ……さてはお前、無自覚マゾだな?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。どこの世界に、うっかり店を壊して、うっかり弁償を忘れて、うっかり人々の目を集めるマゾがいるのですか?」
「お前のことだー!」
「まあ、この村は優しい人々ばかりですから罰を受けませんでしたが……まぁいいです、始めましょうか」
由梨花が目を細めた途端に空気が一変する。戦闘が始まる緊張感。魔法を行使する前に、彼女に問う。
「一つ確認させてくれ。俺が勝ったら、お前の言うこと聞く必要はないよな?」
「おかしなことを聞きますね。勝てると思っているのですか?」
「もちろん。で、どうなんだ? 潔く諦めてくれるのか?」
「さぁ? 私は諦めてあげてもいいですが、他の団員があなたを連行するかもしれません」
「マジかよ……」
「もしもの話です。あなたを捻り潰す……吼えなさい、愛の腕飾り!」
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
白光が輝いた直後、その手には炎剣が握られている。
俺が選ぶ選択肢は一つしかなかった。
「……目覚めよ、恐怖の王冠!」
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
内に潜む何者かが囁く。壊せ、壊せ、目に映るもの全てを壊せ──鎧を纏うと思考がスッキリし、剣を構える少女がたまらなく愛しく思えた。
ああそうだ、力を証明したいんだ。俺がお前より強いことを証明したい。だから……踏みつぶされてくれるよな?
「なるほど……それがあなたの剣ですか。随分と歪な蕾ですね、それにダサい。鎧も言霊も」
「ダサいって何だ、仕方ないだろうが! 銃にブリュンヒルデとか名付けるヤツよりマシだ!」
「知りませんよ」
藍鉄色の装甲を纏った俺を見て、由梨花はジリ、と歩幅を詰める。それは決闘の火蓋を切る合図となった。
「では──夏目由梨花、参ります!」
「あぁ──山城瑞希、行くぜえええええ!」
互いに突撃しながら己の名を叫ぶ。それは自分こそが強者であるという自己暗示。
俺の拳の間合いに入るより先に、由梨花の剣が炎をまき散らして薙ぎ払われる。熱量を持った目くらましが直撃──確かに熱いが、耐えられないほどじゃない。怯むことなく炎を突き進み、横暴な少女めがけて右ストレートを──
「あぁ!?」
「遅い」
すでに目前から姿を消し、俺の右後方へ回り込んでいた。すぐさま裏拳を食らわせようとするが、それすらも躱される。
「この程度ですか?」
「クッソおおおおお!」
焦れば焦るほど泥沼……冷静さを欠いた鉄拳は空しく空を切り、その度に装甲が削られていく。深く切り刻まれると同時に業火が追撃し、中身ごと焼き尽くされる。不思議と痛みは感じないが、身体機能が刻々と低下していくのは感じられた。
「いいこと思いつきました、ダルマにして晒しましょう。とても興奮しますよ、奇異の目を向けられるというのは」
「ふざけんじゃねえええええ!」
口では抵抗するものの、未だに一撃すら加えられない。積もってゆくのは苛立ちばかり。
「ご安心下さい、肉体はすぐに再生します。私たち天炎者は、すでに人ではないのですから」
「ああ!?」
軽々と俺の攻撃を躱しながら言う。それは哀れみを含んだ声音。
「しかし、あれだけ大口を叩いておいてこの程度ですか? 素直に我々と手を組めば良かったのです、恥を晒す前に」
「くっ……クッソ!」
動きが鈍る、感覚が鈍る。まるで本物の鎧を着込んででもいるかのように動きが重くなる。魔法は日に一度だけ──今更思い出すのはそんな忠告。
落ち着け、このままじゃ勝てない。では、どうすれば攻撃を当てられる? 足りない脳で考え付いた結果は一つしかなかった。
「……? どうしました、勝負を捨てたのですか?」
「…………」
「はぁ。どうせなら、逃げるなり民衆を盾にするなりなんなりしてくれると良かったのですが。手足を捥ぐ罪悪感が薄れますので」
「…………」
「何も答えませんか。いいでしょう──ウィッカーマンを再現してあげます!」
抵抗を止めた俺を見て、由梨花は間合いを十分にとる。炎剣を水平に構え、迸る業火を纏い、一直線に突撃する。
ああそうだ、それを待っていた!
「なっ!?」
「見せつけるのが好きなお前らしいよなぁ、真正面から突っ込んでくるなんてよぉ」
煮え滾る剣を白刃どりされたことに驚愕の色を浮かべる。これが考え付いた最善策だった。実際に実行してくれるとは、自分でも思わなかったが。
「離して下さいっ!」
自由な足を使って俺の鎧を蹴り上げる。だがそんな華奢な足で何が出来る?
「なぁ、どうしてそこまでして俺を縛る?」
「くっ……離さないと言うのなら!」
剣を纏う炎の勢いが増し、色も赤から青へ昇華していく。未だ原型を留めてはいるが、手と腕の感覚はとうに消えていた。だがそれが──何だというのだ?
「どうして縛るのかって──聞いてんだよおおおおお!」
「ぐぅっ!?」
これまでの鬱憤を込めた回し蹴りがクリーンヒットし、由梨花の体が宙を舞う。その右手からは剣が離れ、魔法の行使者の元を離れた炎剣は、その業火を鎮めた。
「なぁ……聞いてんだよ」
「うっ……げほっ!ごほっ!」
掴んだ剣を放り投げ、蹲る少女の元へ進む。既に高揚感も何も感じない、ただただ怒りに染まっていた。
「どうして決められなきゃならねえ? 好きに生きて何が悪い!?」
「それが……私たち天炎者の宿命です!」
深緋の装甲から再び炎剣が出現する。だが以前より炎の勢いは弱々しく、吹けば消えてしまうのではないかと思うほどのともし火。
「ふざけんな! 魔王討伐なんて勝手にやってろ、俺は好きに生きる、好きに選ぶ! この世界で新しい人生を始めるんだ、邪魔すんな!」
「それは……許されません!」
よろよろと立ち上がり、剣を構える。これ以上の交戦が不可能であることは一目瞭然だった。
「許されるさ! 記憶なんて無いが、俺は自殺してここへ来た! それだけ苦しい、悲しい思いで死んだんだ、晴らされなきゃ嘘だろ!?」
「それこそが罪なのです!」
体は震えていたが、瞳に宿る意思に揺らぎはない。俺を屈服させることを諦めてはいなかった。
「自ら死を選ぶ……それこそが、私たち天炎者が犯した罪! 与えられたこの魔法で魔王を討伐する他に、報いる方法はないのです!」
「知ったことか! 俺を巻き込むんじゃねえ!」
「力を授かった時点で、あなたも立派な当事者です! いい加減、負けを認めたらどうですか!?」
今にも崩れ落ちそうなほど足を震わせておいて何を言っている。
「どれだけ強情なんだお前は!」
「あなたに言われたくありません!」
あーあったまきた。とりあえずグーで殴ろう。
重たい足を引きずりながら、精一杯に走る。由梨花も勝負を決めるかのように、風前の灯を爛々と輝かせた。
「こんの……意地っ張りがあああああ!」
「…………!」
拳と剣が交差する。
その瞬間、鎧が波打って消滅した。
「はっ……?」
疑問を感じた瞬間にはナニかが胸を突き破り、風穴を開けた。ドロリと流れだす赤い命を留めることも出来ず、ただただ眺めていた。あぁ、やけに頭がスッキリする──血が上りすぎていたからな、これくらいが丁度良い。霞む視界の中、少女の泣き顔を見た気がした。
「ここが“リューグナ―村”だよ! 果樹園が多いから、林檎や蜜柑で有名なの。ミズキは本当に知らないの?」
「あぁ……まあ」
目に入るのはいかにも中世ヨーロッパを再現した街並み。だが想像していたレンガ造りの建物は少なく、大半は木造建築の建物であり、一本の川を挟むように軒を連ねている。
「しっかし、村っていう割には人が多いような?」
「そうだね。でも今だけだよ、選定試験も終わっちゃったし」
流石にトイレ事情まで再現されているワケではないようで、ティアを先導に歩を進める道は綺麗に整地されていた。蠢く民衆をかき分けて進む。
「選定試験? さっきも聞いたな、なにそれ?」
「冒険者ギルド“血の闘争団”に入団するための選抜だよ!」
いきなり英語が出てきやがった……この世界ガバガバじゃねえか。
「選抜? その為に森に入ったのか?」
「ううん、私は落第したの。でも入団の条件は、力を持っていること。決闘で負けはしたけど、強いモンスターを倒せばもしかしたら、って思って」
「へぇ……そんなに入りたいもんなのか」
「当然! 私も魔王討伐に参加したいんだもの!」
「魔王!?」
なるほど、お決まりの展開だな。目指すべき目標が生まれたのはいいが、その道を進むべきか否か。
「俺もそこに入ることは出来るのか?」
「ウルフを武器もなしに倒せたんだから、実力は十分だと思うよ。ただね、もう試験は終わってるの」
「あ、そう……」
道は閉ざされていたようだ。
「でも私は諦めない! 必ずや入団して、お金持ちになるの!」
「へ……?」
「ここの生活も悪くはないけれど、やっぱり豪遊生活をしてみたいじゃない? 団員が相手にするのは魔王の眷属、そいつらを討伐しただけで多額の報奨金が与えられるわ!」
「…………」
「それに、ギルドの団員が現場を退く理由の多くは貴族との結婚だよ! 強い女性に惹かれるんでしょうね、金持ちの妻になることも可能なの! ──って、何よそのジト目は?」
「いや……。立派だなって思っただけだ」
「そうでしょう? それに、回復魔法を覚えた私は戦線に必須ともいえる存在だよ! まったく、どうして落第したのかな……まあ分かってるけど」
「戦闘向きじゃなかったんだな。支援一辺倒ってワケだ」
「うぐっ……まあね。腕力も無い私に持てるのはダガーかステッキくらい。でも攻撃魔法なんていう高等技は習得できなかったから、ステッキを振り回すっていう憧れの夢を諦めたんだ」
「憧れるのか? 魔法少女みたいだな」
「本当の魔法少女ですー!」
そんな話をしながら街道を進んでいたが、なにやら違和感を感じる。というより視線──明らかに皆が注目していた。この世界では異質な学生服を着ている俺に。
『おい、あのガキ』
『内地の服か? いやしかし』
『だよな、どうも似てるよな』
『ああ、“天炎者”にちげえねえ』
『やるか?』
『当然』
人々が囁きあっている声が聞こえる。疑問を覚えた時には、一人の巨漢が針路を塞いでいた。2メートルはあるのではないかという巨漢の大男はニヤリと笑う。
「よお小僧! メイズは好きか!?」
「へ……?」
「ほら、コレだよコレ!」
後ろ手に隠していたモノを見せる。青々とした皮と、立派な髭を蓄えたソレは──
「トウモロコシ……?」
強面の男にそんなことを聞かれるのも驚いたが、この異世界にもトウモロコシが存在するということに驚いた。タイムスリップでもしたというのか? いや待て、中世ヨーロッパにトウモロコシが出回っているのは異常だろう。
「好きか、好きだよなあ!? ほらたんと食え、お代はいらねえからよ!」
「うおっ!? あ、ありがとうございます?」
ウモロコシを粗雑に押し付けられる。どれも立派に実ったスイートコーン。しかし、なぜ俺に無料で渡すんだ?
「いいなー、いいなー! おじさん、私にも頂戴!」
「お? しょうがねぇなぁ、ほら、お嬢ちゃんにもやらぁ!」
「わー、キレー! ズル剥けだー! ミズキのよりも立派だし!」
「!?」
いや落ち着け、何を動揺してるんだ、トウモロコシの話だ。なるほど、ティアが受け取ったのは皮が剥がれてすぐに調理オーケーな状態だ。蒸す、焼く、茹でることで甘みが引き立つ。
「ええっと、これは本当に──」
「がはは、マオス食品をご贔屓に!」
「すごーい! 今日はごちそうだー!」
受け取っていいのか、そう問う前に男は去っていった。困惑する俺とはしゃいでいるティアが残されたが、すぐに別の人影が俺達を包囲する。
「よお兄ちゃん、これ持っていきな! ありったけのフルーツだ!」
「あ、アタシはこれあげるわ! 手に入ったばかりの香辛料よ、好きに使って!」
「私はチーズを与えましょう。ほら、白カビがいい具合に繁殖しています、柔らかくておいしいですよ?」
「こらお前ら、そんなに持てるワケねえだろ! へへっ旦那、このツタ篭を使ってくだせえ。あっしの手作り品でさあ」
「へ? へえ!?」
あらゆる方向から様々な食料品を手渡される。ティアは押し寄せる群衆に弾きとばされた模様。
「「「「リューグナ―商店街をご贔屓に!」」」」
それふだけ言い残すとそれぞれの持ち場へ戻った。篭いっぱいの品物を抱えた俺と、目を回しているティアを放って。
「え……なにこれ」
☆
「ごっちそう、ごっちそう、おったのっしみ~!」
街の外れにあるというティアの家に到着する。しかし女性の家か……いや、ただ食事を頂戴するだけだ、何を緊張することがあるというのか。ティアは木造のドアを開き、“アムレット料理店”の看板が掲げられた家の中に入って――あれ、なんで読めるんだ? 明らかに俺が読める文字ではない、楔文字のような造形だというのに。
「たっだいまー! お父さーん!」
「おうティア、帰ったか。薬草を摘みにいったにしては時間がかかったから、暴漢にでも襲われたかと思ったぜ」
「そ、そんなことないってー」
「お父さん……?」
店奥から姿を現したのは筋肉ムキムキ、お鬚もっさり、頭ツルツルの大男。ティアとは似ても似つかぬ父親だ。
「そうだお父さん、親切な人にたくさん食材を貰ったの! そしてこの人が、家まで運んでくれたんだ! お礼にお昼ごはん用意してくれない?」
「へ?」
おいおい、内容がだいぶ改変されてないか? まあ腹が空いて来たし、頂けるならうれしいんだけれど。
「私が森に入ったことは黙ってて。お父さん、そういうことは許さないから」
「お、おう」
声を落として耳元で囁く。なるほど、年頃の娘を危険な場所へは向かわせたくない親の愛情か。
「ほお、それは幸運だったな。で、あんたがその──ぶう!?」
「きゃっお父さんきたなーい」
俺を見るなり噴き出しやがった。でもそれは可笑しかったことが理由ではなく、驚愕したためである。
「こ、これはこれは失礼を! さぁどうぞ、お好きな席へお座りください! すぐに料理をお持ちします!」
「はぁ……」
媚び諂う態度で接客する。案内されるままに客の姿がないテーブルの席へ腰かける。入店する直前に見た太陽は天高く、もう昼になったことを示していた。
ティアを店奥へ引っ込ませた店主は、ワインのつがれた木のカップを置くと自身も奥へ姿を消す。
「おいティア、粗相はなかっただろうな?」
「え、なんのことー? ミズキはただの知り合いだよー?」
「茶化すな、あの服は天炎者の証明だ! 血の闘争団の幹部で間違いない!」
「えっ……ええ!? でも、そんなの知らないって言ってたよ? 隣の国から観光でも──」
「いや、あの恰好は似すぎている。というかティア、今まで気づかなかったのか?」
「だって、最近流行のファッションかな~って思って」
「明らかに異質だろう! しかしこれはチャンスだ、媚を売っておかなければ」
これを飲むか飲まざるべきか迷っているとそんなやりとりが耳に入る。丸聞こえですよお父さん。しかしイグナイターとは何のことだ? どうして俺がギルドの構成員に見られている?
他にも転移した人間はいる──なるほど、それが原因か。まあいいさ、今は好意を受け取ろう。
「ささ、こちらをどうぞ! 雷撃トカゲのぶつ切りステーキ!」
「うむ」
考え事をしている間に皿に乗せられた料理が運ばれてくる。うん、グロテスクな肉の塊。毒々しい紫色の血が溢れ出してるし……これ、食っても大丈夫なのか? とりあえず、追加で運ばれてきたパンやサラダに手を付ける。
「えぇと、ゴメンなさいミズキさん!」
「ん?」
果物を盛った皿を運んできたティアが首を垂れる。
「君……あなたが血の闘争団の幹部様とは知らずに行った、数々の非礼、お許しください! それに私の命まで救ってくださるとは!」
ふむ、他の人間は偉く頑張ったようだな。ではその功績、この俺がすこしばかり借りても罰は当たらないだろう。当たらないよな?
「いやいや、そんな畏まる必要はない。俺はただ、するべきことをしただけさ」
「あ、ありがたき幸せ!」
うん、俺は嘘をついていない。勘違いした君たちがいけないんだよ。くっくっく、人の上に立つというのは気分がいい……やっぱり罪悪感がすごいな、そろそろやめよう。
「どうですかい? 当店自慢の肉料理は?」
「む……」
ギラついた眼差しをティアの父に向けられる。なかなか口をつけないことが気に入らない様子。意を決して口へ運ぶ──そうだ、この世界で生きていくんだ、これくらい食べられないでどうする。
「……ごくん」
「……(ゴクリ)」
「……闘争団か、いいなあ」
見た目は最低な一品を飲み込む。ふむ、これはなかなか──感想を述べようとした時、店先のベルが客の入店を告げる。
「チッ……ああ申し訳ありません、只今貸し切りで──って、ええ!?」
「?」
店主の叫び声が店内に反響する。新たな客は、紅いマントを学生服の上に羽織った出で立ちをしている……ん、学生服?
「え、ウソ……また天炎者?」
民族衣装の上にエプロンを羽織ったティアが息をのむ。静寂を破る訪問者が口を開いた。
「昼時に申し訳ありません。こちらに不審者が出現したという情報を得たので、各家を調べて回っているところなんです」
「は、はぁ……それはご苦労様です。しかしウチには誰も――」
「くんくん、臭いますね、これは臭います。こびりついた罪の臭いが」
そう言って、被ったフードを振り払う。黒紅の髪を振り乱し、切れ長の目で俺を射抜いた。
「咎人を見つけました。さあ、共に旅立ちましょう。命を燃やす冒険へ」
「は……?」
明らかに日本人、そして女子高生である少女が手を差し伸べる。まさか初日に会うとは思わなかったな……他の転移してきた人間に。
「おい、どういうことだ?」
「う~ん? ミズキは団員じゃない?」
「あの服はどう見ても天炎者のものだよな」
「でも内地では似た服が流行してるらしいし」
「じゃあつまり」
「騙された?」
何やら不穏な会話を続ける親子。今は置いておこう、まずは目の前の存在にどう対応するべきか考えろ。旅立ちか……つまり、魔王討伐の旅ってことだな。
「いきなりそんなこと言われてもな……まだ、この世界でどう生きていくか考えているところだからさ。少しの間、考えさせてくれよ」
「ダメです、あなたに拒否権はありません。我々血の闘争団へ入団して下さい、それがあなたの選択肢です」
強い口調でそう返される。ふむ、俺を迎え入れる用意は出来ているらしい……なるほど、サポートは万全っていうのは確からしいな。だが強制イベントだなんて聞いてないぞ、ゲームの世界じゃないけれど。
「ねえ、どういうことかな?」
「あ~、これから団員になるのか?」
「あの子の服、ミズキの服と色とか似てない?」
「流行してるモノとは違うのか?」
「じゃあつまり」
「天炎者ってことは間違いない?」
親子は相変わらずひそひそと相談。顔を待ったにさせたり青くさせたりと忙しい。
「私たちの力は、贖罪の為に与えられたんです。この世界を救わなければなりません」
カツカツと音を立てて近寄ってくる。一定のリズムを刻む足音は、エコーのように体の内部まで反響した。
「従わないというのなら、無理やりにでも連れていきます」
どくん、どくん、と鼓動が高鳴る。なにもときめいているワケじゃない、純粋な恐怖――内から湧き出る潜在的恐怖が起こしたモノ。
「吼えなさい、愛の腕飾り!」
少女の体が激しい光に包まれる。それが轟音と共に吹き荒れる中、魔法の言霊が解き放たれたことを理解した。
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
「さぁ……あなたも剣を取るといいです。夏目由梨花、参ります!」
☆
「……どうしました? 早く言霊を唱えたらどうですか?」
由梨花と名乗る少女が光の中から姿を現す。それは俺と同じ、与えられた魔法を発動していた。だが鎧は全身を覆うものではなく、右腕にだけ深緋の装甲を纏っていた。その手に掴まれているのは、灼熱を宿す炎剣。それを振りかぶると、狭いアムレット料理店の壁に一筋の傷跡を刻む。焼け跡は爛れ、紅蓮の火の粉がじくじくと浸食していく。
「ちょ、ちょっと待て! 何だその力!? 炎だと!?」
シエルは言っていた、「これは君にだけ与える」ものだと。だというのに、この少女にも?
「何も知らないのですか? この魔法は堕とされた人間全てに与えられるモノです。そして術者の意思によって姿を変える」
「何ぃ!?」
「私の他に2人、堕とされた人間が血の闘争団に所属しています。こちらに来れば、その力を正しく使うことが出来る」
「2人……? 意外と少ないな」
「確認できたのは、です。他の国や団体に身を寄せている人間もいます」
そう言うと、一つ溜息を吐いて剣を構える。
「無駄話は終わりです。さぁ、言霊を唱えて下さい。無抵抗な人を……ましてや男を凌辱する趣味は私にはありません。それとも、あなたはマゾですか? されるがままに犯されていいのですか?」
「ドMなワケねえだろ! つーか場所を考えろ、こんな狭い場所で戦うつもりか!?」
いくら他の客がいないからって、あまりにも非常識な!
「せ、狭い……必死に働いて築いた俺の城が、狭い……」
「泣かないでお父さん。狭いのは事実なんだし」
鍋を構えて防御姿勢を取る親子が視界に映る。この炎は危険だ、それに木造建築であるため火事になりかねない。というかもう燃えてる。
「あっ……」
「あっじゃねえ! そんなことも考えてなかったのか!?」
「失念していました……いいでしょう、広場で戦いましょうか。それならいいですか?」
「どれだけ戦いたいんだお前は!?」
「力こそが正義だからです。それと自己の存在証明の為……あなたもそうではないのですか?」
「はあ!? 知らねえよ、ついさっきここに転移してきたばかりなんだからな!」
「そうでしたか。なら、尚更逃がすワケにはいきません。必ず団に引き入れます」
「選択肢は他にもあるだろ!」
「聞きません。これが私たち、天炎者と称えられる者の宿命なのです」
由梨花は炎剣の構えを解き、その右腕が脈打ったかと思うと、鎧は跡形もなく消えていた。あらわになったセーラー服を翻し、料理店の出口へ向かう。
「広場まで案内します。そこで喧嘩をしましょうか」
「おい待て。その前にコレ、どうするんだよ」
「なんですか……?」
「店の弁償だ! いいか、俺は金をもってねえんだよ!」
「あっ……」
「失念してんじゃねー!」
「くっ……団に払わせます。店長さん、誠に申し訳ありません。すぐに遣いの者を送りますので、しばしお待ち下さい」
コイツ、後先考えずに魔法を使いやがったな!? どれだけ無計画……というより短期なんだ。
由梨花はすぐさま引き返し、ティアの父に謝罪する。困った顔を浮かべる店主に頭を下げ、隣に寄り添っていた少女にも意を述べた。
「怖い思いをさせてしまい、すみませんでした……これからの未来に、神のご加護があらんことを」
「は、い、いえ……ありがとうございます」
憧れの団員に祈りを捧げられたティアは頬を紅潮させる。それなりにクールな由梨花と童話の国の住人であるティアの組み合わせは意外と合って……いやいや、そんなことを考えてる場合か。
「では行きましょう。あなたの未来は決定していますが」
「分かった……」
☆
『おい、あのマント……血の闘争団のものじゃねえか?』
『ああ、しかも“焦熱のユリカ”じゃねえか! No.4がこんなところにいるとは……』
『それにしても、あの男の子と何するつもり? まさか決闘でもするのかしら?』
『分からない。でも天炎者であることは間違いないね……これは見物だよ』
連れてこられたのはリューグナ―村の中央にある石畳が敷かれた広場。数多の観衆が何事かと見つめる中、由梨花が口を開く。
「では始めましょうか。ここでなら戦えるでしょう?」
「まぁ。衆人環視ってのはいいもんじゃねえけどな」
「すぐに慣れます。凱旋時はこれの比ではありませんよ、聴衆の視線に慣れておいて下さい」
「入団前提で話すんじゃねえよ」
「何ですか、視線を向けられることは苦手ですか? 視姦するのは好きそうな顔をしているのに」
「そんな趣味持ってねえ! ……さてはお前、無自覚マゾだな?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。どこの世界に、うっかり店を壊して、うっかり弁償を忘れて、うっかり人々の目を集めるマゾがいるのですか?」
「お前のことだー!」
「まあ、この村は優しい人々ばかりですから罰を受けませんでしたが……まぁいいです、始めましょうか」
由梨花が目を細めた途端に空気が一変する。戦闘が始まる緊張感。魔法を行使する前に、彼女に問う。
「一つ確認させてくれ。俺が勝ったら、お前の言うこと聞く必要はないよな?」
「おかしなことを聞きますね。勝てると思っているのですか?」
「もちろん。で、どうなんだ? 潔く諦めてくれるのか?」
「さぁ? 私は諦めてあげてもいいですが、他の団員があなたを連行するかもしれません」
「マジかよ……」
「もしもの話です。あなたを捻り潰す……吼えなさい、愛の腕飾り!」
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
白光が輝いた直後、その手には炎剣が握られている。
俺が選ぶ選択肢は一つしかなかった。
「……目覚めよ、恐怖の王冠!」
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
内に潜む何者かが囁く。壊せ、壊せ、目に映るもの全てを壊せ──鎧を纏うと思考がスッキリし、剣を構える少女がたまらなく愛しく思えた。
ああそうだ、力を証明したいんだ。俺がお前より強いことを証明したい。だから……踏みつぶされてくれるよな?
「なるほど……それがあなたの剣ですか。随分と歪な蕾ですね、それにダサい。鎧も言霊も」
「ダサいって何だ、仕方ないだろうが! 銃にブリュンヒルデとか名付けるヤツよりマシだ!」
「知りませんよ」
藍鉄色の装甲を纏った俺を見て、由梨花はジリ、と歩幅を詰める。それは決闘の火蓋を切る合図となった。
「では──夏目由梨花、参ります!」
「あぁ──山城瑞希、行くぜえええええ!」
互いに突撃しながら己の名を叫ぶ。それは自分こそが強者であるという自己暗示。
俺の拳の間合いに入るより先に、由梨花の剣が炎をまき散らして薙ぎ払われる。熱量を持った目くらましが直撃──確かに熱いが、耐えられないほどじゃない。怯むことなく炎を突き進み、横暴な少女めがけて右ストレートを──
「あぁ!?」
「遅い」
すでに目前から姿を消し、俺の右後方へ回り込んでいた。すぐさま裏拳を食らわせようとするが、それすらも躱される。
「この程度ですか?」
「クッソおおおおお!」
焦れば焦るほど泥沼……冷静さを欠いた鉄拳は空しく空を切り、その度に装甲が削られていく。深く切り刻まれると同時に業火が追撃し、中身ごと焼き尽くされる。不思議と痛みは感じないが、身体機能が刻々と低下していくのは感じられた。
「いいこと思いつきました、ダルマにして晒しましょう。とても興奮しますよ、奇異の目を向けられるというのは」
「ふざけんじゃねえええええ!」
口では抵抗するものの、未だに一撃すら加えられない。積もってゆくのは苛立ちばかり。
「ご安心下さい、肉体はすぐに再生します。私たち天炎者は、すでに人ではないのですから」
「ああ!?」
軽々と俺の攻撃を躱しながら言う。それは哀れみを含んだ声音。
「しかし、あれだけ大口を叩いておいてこの程度ですか? 素直に我々と手を組めば良かったのです、恥を晒す前に」
「くっ……クッソ!」
動きが鈍る、感覚が鈍る。まるで本物の鎧を着込んででもいるかのように動きが重くなる。魔法は日に一度だけ──今更思い出すのはそんな忠告。
落ち着け、このままじゃ勝てない。では、どうすれば攻撃を当てられる? 足りない脳で考え付いた結果は一つしかなかった。
「……? どうしました、勝負を捨てたのですか?」
「…………」
「はぁ。どうせなら、逃げるなり民衆を盾にするなりなんなりしてくれると良かったのですが。手足を捥ぐ罪悪感が薄れますので」
「…………」
「何も答えませんか。いいでしょう──ウィッカーマンを再現してあげます!」
抵抗を止めた俺を見て、由梨花は間合いを十分にとる。炎剣を水平に構え、迸る業火を纏い、一直線に突撃する。
ああそうだ、それを待っていた!
「なっ!?」
「見せつけるのが好きなお前らしいよなぁ、真正面から突っ込んでくるなんてよぉ」
煮え滾る剣を白刃どりされたことに驚愕の色を浮かべる。これが考え付いた最善策だった。実際に実行してくれるとは、自分でも思わなかったが。
「離して下さいっ!」
自由な足を使って俺の鎧を蹴り上げる。だがそんな華奢な足で何が出来る?
「なぁ、どうしてそこまでして俺を縛る?」
「くっ……離さないと言うのなら!」
剣を纏う炎の勢いが増し、色も赤から青へ昇華していく。未だ原型を留めてはいるが、手と腕の感覚はとうに消えていた。だがそれが──何だというのだ?
「どうして縛るのかって──聞いてんだよおおおおお!」
「ぐぅっ!?」
これまでの鬱憤を込めた回し蹴りがクリーンヒットし、由梨花の体が宙を舞う。その右手からは剣が離れ、魔法の行使者の元を離れた炎剣は、その業火を鎮めた。
「なぁ……聞いてんだよ」
「うっ……げほっ!ごほっ!」
掴んだ剣を放り投げ、蹲る少女の元へ進む。既に高揚感も何も感じない、ただただ怒りに染まっていた。
「どうして決められなきゃならねえ? 好きに生きて何が悪い!?」
「それが……私たち天炎者の宿命です!」
深緋の装甲から再び炎剣が出現する。だが以前より炎の勢いは弱々しく、吹けば消えてしまうのではないかと思うほどのともし火。
「ふざけんな! 魔王討伐なんて勝手にやってろ、俺は好きに生きる、好きに選ぶ! この世界で新しい人生を始めるんだ、邪魔すんな!」
「それは……許されません!」
よろよろと立ち上がり、剣を構える。これ以上の交戦が不可能であることは一目瞭然だった。
「許されるさ! 記憶なんて無いが、俺は自殺してここへ来た! それだけ苦しい、悲しい思いで死んだんだ、晴らされなきゃ嘘だろ!?」
「それこそが罪なのです!」
体は震えていたが、瞳に宿る意思に揺らぎはない。俺を屈服させることを諦めてはいなかった。
「自ら死を選ぶ……それこそが、私たち天炎者が犯した罪! 与えられたこの魔法で魔王を討伐する他に、報いる方法はないのです!」
「知ったことか! 俺を巻き込むんじゃねえ!」
「力を授かった時点で、あなたも立派な当事者です! いい加減、負けを認めたらどうですか!?」
今にも崩れ落ちそうなほど足を震わせておいて何を言っている。
「どれだけ強情なんだお前は!」
「あなたに言われたくありません!」
あーあったまきた。とりあえずグーで殴ろう。
重たい足を引きずりながら、精一杯に走る。由梨花も勝負を決めるかのように、風前の灯を爛々と輝かせた。
「こんの……意地っ張りがあああああ!」
「…………!」
拳と剣が交差する。
その瞬間、鎧が波打って消滅した。
「はっ……?」
疑問を感じた瞬間にはナニかが胸を突き破り、風穴を開けた。ドロリと流れだす赤い命を留めることも出来ず、ただただ眺めていた。あぁ、やけに頭がスッキリする──血が上りすぎていたからな、これくらいが丁度良い。霞む視界の中、少女の泣き顔を見た気がした。
応援ありがとうございます!
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