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Phase1 プロローグ的な何か!
冒険の旅へようこそ!②
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「aaaaahhhhh!!」
青碧色の怪物は叫ぶ。
どうして理解してくれない、どうして一つになってくれない。
あなたなら分かってくれると思ったのに。
そう聞こえた。
「大丈夫ですか瑞希!」
「正気に戻れ!」
死縛者の精神汚染から解放された俺に、由梨花と、警備団であるオルドナが声をかけた。
そうだ、俺は山城瑞希だ。
そして、あの怪物を粉砕する者だ。
誰が理解などするものか、俺の領域を汚した罪人などに。
「ヴァルター……体は十分動きますね?」
少女が誰かに声を掛ける。のろのろと視線を動かすと、至る箇所から血を滲ませている大男がふらつきながら近付いて来ていた。彼女の部下である騎士で間違いない。
「彼とティアさんを連れてここから逃げて下さい。警備団の方々も」
「何を仰るのですかユリカ様! 私がこの身をもってヤツの動きを止めます、その隙に!」
「聞きません、あなたに与えられた使命を忘れたのですか!?」
「くっ……ですが!」
俺を無視して口論する3人。
俺を逃がすだと? まだ戦えるのに、何を言っている。
そうだ、粉砕しなければ。立ち上がろうと足に力を込め……空を仰いで転倒した。
あぁ、俺の鎧はとっくに壊れていたのか。霞む視界に、ぶくぶくと泡立てながら藍鉄色の鎧が消滅し、骨が砕け散った右拳が映る。それが動かせることを確認して安堵すると、反対の腕へ目を向けた。
由梨花に切断された左腕は、肘から先が行方不明だった。痛い、痛い……もう一度、あの安らぎに包まれたい。どうして断ち切ってしまったんだ、楽園はそこにあったのに。
魔法が解けると、即座に恐怖が押し寄せる。
俺は普通の人間なんだ、あんな化け物に適うはずがない。武器も壊れた、鎧も壊れた、ならどうやって戦えばいい。早く逃げないと、この地獄から。
「俺たち警備団も戦力に入れて欲しい。盾役なら慣れっこだからさ」
「あなた方にはあなた方の仕事がある筈です、違いますか」
「そりゃそうだが、あんたらも守るべき対象だ」
「心遣いは感謝しますが聞きません、村人の避難を急がせてください」
「いや、だけどな……」
「じきに応援が到着する筈ですが、誰かが時間稼ぎをしなければなりません。それは私たちの仕事……相打ってでも彼女を止めます、急いで!」
「あぁもう……了解!」
オルドナは俺を乱暴な動作で肩に担ぎ、戦線を離脱する。これでいいんだ、由梨花は強いしきっと倒してくれる。もう俺が苦しい思いをする必要なんてないんだ。
「料理屋の娘!」
オルドナは走りながら、声を張って叫ぶ。
「君も来い、俺が命を懸けて守る!」
激痛を遮断しようと、防衛機能である気絶が実行される寸前だった。
ティア・アムレットがそこにいた。
大粒の涙を浮かべて。
「で、でも……ミズキの腕……」
「この程度ならばすぐに再生する! 一刻も早くこの場を離れなければ!」
「ユ、ユリカさんは……?」
「時間を稼いで下さっているのだ! 君たちは村人と共に避難しろ、俺がすぐ加勢に戻る!」
会話はうまく聞き取れなかったが、ティアが酷く怯えた様子であることは見て分かった。
──誰だ。
──誰だ、彼女を泣かせたのは。
──誰だ、俺の帰るべき場所を傷つけたのは。
「ユリカさんを置いていくなんて出来ないよ!」
「これが血の闘争団の使命なのだ、いいから来い!」
騎士姿の男が少女の手を掴み、強引に引っ張る。少女はそれに抵抗した。
「いやだ! ユリカさんは普通の女の子だもん、私の友達だもん!」
「お傍にいたいのは私とて同じだ!」
どくん、どくんと鼓動が早くなる。
「でもユリカさんが──!」
ようやく、剣を手にした理由を思い出した。
「ユリカさんが死んじゃうよ──!!」
この子の為に、命を使うと決めたじゃないか。
「目覚めろ……恐怖の王冠」
君が望むことを成そう。
どんな願いも叶えよう。
痛みにも耐えられる。
恐れを知らず立ち向かえる。
俺を認めてくれたから。
俺を赦してくれたから。
君がいるから。
君が……いるから。
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
「なっ……ミズキ!?」
「少年!?」
オルドナの拘束を解いて地へ降り立つ。
戦え、闘え、そして敵を倒せ。ティアを泣かせるモノ全てが敵だ、敵は──壊さなければ。
「ミズキ──!?」
体が燃えるように熱くなる。だが不思議と痛みは引いていき、霞む視界もハッキリと冴えていく。
ティアを泣かせた張本人に目を向けると、その凶爪を由梨花の胸に深々と突き刺していた。まあその程度では死なないだろう、胸に風穴が空いても死ななかったのだから。だが、あの死縛者は精神攻撃を仕掛けてくるのだ、心を折られれば一貫の終わり。
体の状態を確かめる。右はしっかり握れる、では左は? あぁ、ないんだったか……なら生やせばいい。思考した途端に傷口が泡立ち、新たな腕が藍鉄の装甲を纏って芽を出した。
命をくべろ、それが薪だ。
燃やし尽くす旅は、まだ始まったばかり。
──いける。
叫びを置き去りにして走る。俺の目に映る戦場では、精神汚染でもされたのか、抵抗をやめて呆然自失になっている由梨花の姿を捉えていた。
まずあれを引き抜かなければ。だが面倒だ、切り落とそう。
この魔法は意思によって姿を変える……その言葉を思い出し、一心に武器をイメージする。硬く、鋭く、魔を絶つ剣……ジャマダハルを思い浮かべると、右手に熱が集まっていくのを感じた。
そうだ、これが俺の力だ。
だがもっと、もっと硬く! もっと鋭く! もっと強大な力を! その為なら防御など捨てていい、もっと魔を絶つ力を!
寒気にも似た肌の震えを感じた時には、右腕部以外の装甲が消失していた。それを犠牲に掴むのは、1メートルを超える藍鉄の剣。
「うぅぅぅぅぁぁぁぁぁあああああ!」
それを力任せに振り下ろし、死縛者の左腕を切断する。それは緑色の液体を撒き散らし、地へ落ちた。血というべきものをシャワーのように浴びる中、胸中に一つの思考が芽生えた。
──楽しくない。
力こそが正義だった、破壊こそが善だった。
だというのに、面白くない。
この感情は何だ?
「aaaaahhhhhh!!」
両腕を失った死縛者は、不利と悟ったのか距離を取ろうとする。
楽しくなどないが、逃がすつもりは更々無かった。
捕らえなければ……そう思考すると握った剣が縦に割れ、二又の槍状に変形した。
跳躍した死縛者の後を追い、その胴体へ突き刺す。地へ伏した怪物へ追撃し、その息の根を一撃で止めようと頭部へ狙いを定めた。
瞬間、青碧の鎧が揺らめいた。瞬時に両腕が再生し、腕とかろうじて表現できる塊が俺の体を貫いていく。
痛みにも、学生服を破かれることにも怒りは湧かなかった。ただ、無駄な抵抗を続ける怪物が哀れでならなかった。
待ってろ、すぐ楽にしてやる。生に縛られたお前を解放してやる。
≪寒い……寒いです≫
触手を通し、再び精神汚染される。
≪温もりが欲しかった……だけなんです≫
その声が誰のものであるかは明白だった。
冬化粧されたベランダに、一人の少女が薄着で体操座りしている情景が浮かぶ。痣だらけのその手には、アルコール缶が握られていた。
≪お父さん、お母さん……私はもう、疲れました≫
眠りの国を訪問しよう。これを飲めば、きっと異界への門が開く。そこはきっと暖かい場所なんだ、冷たい人なんてどこにもいない場所。
缶を飲み干し、隠し持った錠剤を口に含む。吐き気に襲われるが、魔法の発動に必要な苦しみだ、ぐっと堪える。しばらくすると気持ち悪さが薄れ、頭がぼうっとなってきた。
あぁ、お迎えがきたんだ、魔法の国の妖精さんが。
私は寒空の下、不思議の国へ旅立ちました。
──同情なんてしない。
疑念は確信に変わっていた。
「もういい……休め」
俺は罪を赦されたのだ、命の使い方も決めたのだ。
もう一度、なんていう望みは持たない。
剣を握る手に力を込め、二又の切っ先を首元へ突き刺す。それは俺の意思の通り動き、徐々に元の形へ戻ろうとする。鋏と化した剣が、怪物の首を切断した。
──これで、お前を縛るモノはない。
≪誰でもいい……愛を下さい≫
最期に流れ込んできたのはそんな言葉。
俺の体に突き刺さった触手はだらりと抜け落ち、死縛者は活動を停止した。
「…………」
動かなくなった青碧の怪物を、しばし眺めていた。
強敵を倒したというのに、何の快感も得られない。それどころか、湧いてくるのは哀れさ。決して同情したワケではない、最期まで足掻き続けたこの怪物に。
「そうだ、由梨花」
何の為に戦ったのかを思い出し、傷を負って蹲る少女の元へ足早に駆け寄る。腹部に刺さった腕は自力で引き抜いたようで、今は溢れ出す血と臓物が零れないよう両手で塞いでいた。
「大丈夫か、由梨花?」
天炎者は体が丈夫とはいえ、痛みは公平に与えられる。それに死縛者は精神攻撃まで行ったのだ、精神まで並外れているワケではないこの少女は無事だろうか。
「問題……ありません。お見事でしたよ、瑞希」
無理矢理笑顔を浮かべてはいるが、それは苦痛に歪んでいた。
「それはどーも」
「褒めてあげたというのに……その態度は何ですか」
苦笑いする元気があれば十分か。まあ本人がこう言っているし、命に別状はないだろう。だが治療した方が傷の治りも早いかもしれない、すぐにティアを呼んで応急処置をしてもらおう。
「自己肯定も完了したようですし、これで安心して──っ!?」
突如、少女の瞳が驚愕に見開かれる。
「瑞希、後ろ──」
かちん、かちん、と歯車が噛み合う音が聞こえた気がした。
──懺悔の泉に綴じられし
再生しつつある傷口から、呪文の詠唱が響き渡る。
──其は、熔炉を捻る機巧人形
波打つ肌が感じ取ったのは、生への執着と死への恐怖。
──魅惑せよ、生熟れの咎
死縛者は頭部を失いながらも立ち上がり、身の丈を超えるほどの凶爪を右手に宿し、命を刈り取ろうと俺へ向けて振り下ろした。
「くっ……!」
避けるのは間に合うが、それでは由梨花が八つ裂きにされてしまう。身をよじって剣を掲げ、憎悪で形成された凶爪を受け止めた。
「しつこい……!」
首を落とされても動き続ける怪物は、幾何かの弱体化はしているものの、その殺意は減るどころか増している。
一人で死ぬのは嫌だ、お前も道連れにしてやる──そんな思念が爪越しに伝わった。
「おい、どうすればコイツは止まる!?」
「通常であればすでに死んでいます……これほどの執念だとは。瑞希、彼女の動きを止めることは可能ですか?」
「あぁ任せろ!」
策を講じているであろう由梨花を信じ、力強く答える。
「おらあああああ!」
気合の雄叫びをあげて凶爪を振り払い、即時構え直して胸元へ突き刺す。なおも爪をでたらめに振り回すが、それは俺の目前数センチメートルで空を切った。この距離なら攻撃は届かない、そして動けば動くほど泥沼だ。
割れろ──そう思考すると、刺さった剣が再び展開して傷口を開く。
「吼えなさい、愛の腕飾り!」
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
由梨花は魔法を発動し、その穴に炎剣を差し込む。
「送狐の想い……点火!」
唱えた途端、死縛者の肉体が轟音を放って炎上する。空まで届くかというほどの火柱を発生させたそれは、リューグナ―村を混乱に陥らせた原因の再現に間違いなかった。
「このまま……細胞全て……燃やし尽くします……!」
だが、炎の勢いは段々と衰えていく。魔法を発動したのは2回、この大技を放ったのも2回、さらには幾度もの負傷……体力の限界だった。
「くっ……」
少女は志半ばに、前のめりに崩れ落ちる。
「由梨花!」
「ユリカ様──!」
何者かが少女の名を呼んだ。彼女の部下であるヴァルターだった。彼はロングソードを構え、戦闘に加わろうと甲冑を鳴らして駆けてくる。
「彼女を頼む! コイツは俺が!」
視線を逸らしたのは刹那。
気付いたときには、死縛者が目の前まで迫っていた。
「な……」
傷がどれほど深くなろうと構わない、お前を連れていけるのなら。
ニタ、と頭のない怪物が不気味に嗤う。
──嬉しい、君と一緒になれるのね。
その凶爪が振り下ろされた。
「……仰いで、無聊の手鏡」
──閑寂の波に凍ざされし
──其は、融炉を轉ぶ蝋人形
──饑渇せよ、無邪気の業
死の淵には時が止まって見えるという。
まさにそれを体験し、この爪はいつになったら俺を貫くのだろうと息を呑んで見ていた。だが自分の体が普通に動かせることに気が付くと、死縛者は完全に静止しているのだ、という結論を考え出した。
「……夏の夜の夢」
冷気を感じたかと思うと、死縛者の外殻を氷が浸食していき、結晶の塊と化していく。氷の発生源は、死縛者の背中に刺さった柄の長い鎌であった。
「これは、ノーレン様の……!?」
オブジェと化した怪物は、何も言わずそこにいた。
「……点火」
一段と冷気が強くなり、絶対零度の一端を体感したかと思うと、ガシャンと音を立ててオブジェは壊れた。
物言わぬ怪物の残骸を踏み潰し、一人の少女が姿を現す。
「……なに、これ」
感情の読めない声音。
底知れない深淵を覗いた翠の瞳。
それが興味無さげに俺を捉える。
「……はぐれ天炎者は排除」
栗毛をなびかせ、少女は鎌を振りかぶり、
「……死ね」
狂気を孕んだ瞳を向けた。
☆
「……消えろ」
大鎌が空を切る音が、やけに遠く聞こえた。
身を守ろうと剣を構えるが、疲労感と倦怠感が襲い、体は石のように重く、言うことを聞いてくれない。確実に首を狙った攻撃を防ぐ時間は俺になかった。
「くっ……!」
諦めに似た境地の中、ギン、と金属の重低音が耳朶を打つ。
「お止め下さい、ノーレン・スミス様!」
由梨花の腹心であるヴァルターが白銀のロングソードを構え、少女の鎌を受け止めていた。
「彼は敵ではありません!」
「……だから、何?」
ノーレンと呼ばれた少女の静かな憤怒に満ちた声と共に、その力は増していく。紫紺色の鎌から発せられる冷気がソードを包んだかと思うと、パキパキと氷の塊が浸食していき、その手元まで至ろうとしていた。
「ぐっ……煌く黄金の刻印よ、闇を照らす灯台よ!」
このままでは諸共殺される……そう判断した騎士は、その力を開放した。
「顕現せよ、騎士の嫉心!」
呪文を唱えたかと思うと、魔法陣が剣に浮かび、閃光を放って氷を砕いた。バチバチと金切り音を響かせるのは、刀身を這いずり回る一条の稲妻。
「……ちっ」
「ご無礼をお許しくださいノーレン様。ですが、どうか話を聞いて頂きたい!」
威勢を削がれた少女は剣と鎌の鍔迫り合いから離脱し、大きく距離をとる。ヴァルターは雷を纏う剣を下げ、交戦する気はないが防衛はする、という意思を示してから続けた。
「この少年は、ユリカ様が目を掛けられた天炎者であります! 争う必要など御座いません!」
守られることは不甲斐なかったが、俺の体力は限界だったようで鎧の魔法が解ける。大剣が手に吸い込まれるように消えていくと、重心のバランスを失って尻餅をついた。
「ノーレン様もご覧になったハズです、彼と死縛者との戦闘を! それでも敵だとおっしゃるのですか!?」
「……はぐれ天炎者はみんな敵」
「じきに血の闘争団へ入団します、その為にユリカ様はこの地へ留まられた!」
「……まだ入団してない」
「入団すればよろしいのですね……ならばここで儀を執り行います、祭壇の無い簡略式ですが……少年!」
大鎌を構え続ける少女との問答を止め、ヴァルターは肩で息をする俺に問う。
「その血肉……我等血の闘争団へ捧げる覚悟はあるか!?」
「へ……?」
振り返ったヴァルターの顔には焦燥が浮かんでいた。
思考は霞がかかったようにぼんやりとしていたが、その言葉の意味はおおよそ理解できる。命を燃やす旅に出ること。だがそれは、死と隣り合わせの危険な旅。
俺は楽園を見つけたんだ、そんなことしたくない。
聖女は何処かとのろのろと見回すと、気を失った由梨花を介抱していた。やはり君は女神だ、と思考すると同時に傍にいたい、という思いがこみ上げてくる。
「いや、俺は──」
まだ時間はあるはずだ、一緒にいられる時間が。
由梨花が提示した期限は残り3日、それまでアムレット料理店でありふれた日常を満喫していたい。彼女がどのような選択をしようとも。
「馬鹿者、ここで殺される気か──!?」
ヴァルターが声を落としてたしなめる。
「彼女に慈悲など無い、野良である君を殺すことを躊躇わない! 形だけでいい、ここは私の言うことに従え!」
切羽詰まった表情で迫られ、うやむやに頷くしかなかった。
状況が上手く理解できない俺を尻目に、ヴァルターは左手を振りかざす。
「Wretched souls iron making at Hell's gate──《聞け、地獄の門を叩きし亡霊よ》」
光が、熱が、迸った。
「Let it end with this conviction of Malus!──《禁断の果実の信念を以て、ここに終止符を打て!》」
それが額に触れたかと思うと、電撃が体内を駆け回った。筋肉が硬直し、痛みに悲鳴をあげることもできない。細胞の一つ一つが針で突かれる不快感と、狂った神経が伝える幸福感で何も思考出来なかった。
痛いのに気持ち良い……それは支配される者の心情。檻の中の野生動物。俺は多分、奴隷としての証を刻まれたんだ。
一瞬の出来事だったのだろうが、体感では長い、とても長い時間が経過していたと思う。
ヴァルターは呆然とする俺から目を逸らし、ノーレンと再び対峙する。
「…………」
「これで首輪がつきました……まだ不満がおありでしょうか?」
「……つまんない」
「それは、お認めになったと受け取ってよろしいですね?」
「……勝手にすれば」
やけに冴えた視界には、鎌の切っ先を逸らす少女と、大きく息を吐く騎士が映っていた。
「……男の天炎者は危険」
大鎌を消し、リューグナ―村への道を辿ろうとした少女が囁く。
「……私が殺す」
それだけ言い残し、この場を去ろうとする。
「うぐっ……待て!」
体内で咲いた花火の音が鳴り止まない中、俺の命を狙うノーレンに声を掛ける。
「どうして……俺を狙う!?」
俺も由梨花と同じ天炎者だ、だというのになぜ殺されなきゃならない? なぜ入団しなければならない?
──理由なんて、先の戦闘で分かっていたのに。
少女はふう、と微かな溜息を漏らしてから、呟いた。
「……秩序を乱すから」
「秩……序?」
「……この地獄の秩序」
「は……?」
「……すぐに知る」
人見知りには思えないが、要領の得ないぶつ切りの答えが返された。地獄とは、このリューグナ―村のことか、それともイデアル・プラトオム国のことなのか。それとも……。
「……そうだ、ユリカはどこ?」
そこでようやく、年齢相応の感情が込められた声を聞いた気がした、迷子の友達を心配するような、寂しさと悲しさを含んだ声音。
「…………」
稲妻を鎮めたヴァルターの案内を待たず、ティアの膝の上で寝息を立てる少女の元へ歩を進める。
「……っ!」
ティアは無言の訪問者を警戒し、抱くように由梨花を両腕で包んだ。それらを囲うように、オルドナら幾人かの警備団が警戒色を露に武器を構えている。
俺を殺そうとしたんだ、ティアも殺されるかも……痙攣し続ける手足に力を込めて立ち上がる。ヴァルターは心配ないと俺に言うが、心配なのだ、行かなければ。
「……ユリカの、何?」
ノーレンは問う。
「友達……!」
ティアは敬られ、同時に畏怖される天炎者に怯むことなく答えた。
異世界からの来訪者を、彼女は受け入れてくれた。
「大切な、友達……!」
「…………」
寡黙な少女の背中が、少しだけ震えた気がした。
寒気のため? それとも別の?
「……そう」
すぅっと、手を差し伸べた。それはゆっくりとティアの頬に触れる。
「……鉄みたい」
触れれば自分が溶けてしまう。氷の化身であるノーレンはすぐに手を引っ込め、眠る由梨花と抱くティアを交互に見つめた。
「……炎に触れても、歪まないでね」
「え? それって……どういう……」
「……いずれ知る」
ティアは理解できない顔をしているが、俺には何となく意味が分かった。
天炎者は命を燃やす魔法使い。それらと接していれば、きっとティアのような純真な人間は歪んでしまう。死が隣り合わせの戦場に投げ出されれば当然。いや、戦場に限らない。当たり前の日々の中でも。
選択の時は間近。
楽園を追放されるまで3日。
「……じゃあね」
由梨花の安否を確認し終わったのか、今度こそ帰路についた。村を経由して向かうのは、おそらく闘争団の本拠地である都。
小さな背中を揺らし、天炎者ノーレン・スミスは消えていった。
「はあ……」
緊張の糸が途切れ、その場に膝をつく。
気を失っていないのが自分でも不思議だった。今思い返せば、右手を潰されたり左手を切断されたり精神攻撃を受けたり、果てには電撃攻めされたりと酷い目にあった。
だが生きてる。ここで生きている。
「ミズキ──!」
涙を滲ませた少女が俺の名を呼ぶ。
それはまぶしすぎて、とても直視できない輝き。
不器用な笑顔を返した俺は、もう後戻りできなかった。
「帰ろう、ティア……アムレット料理店に」
それでも、与えられた夢の続きを。
──もう交わらない、いつか帰るべき場所へ
膝を抱える日々との旅立ち。
青碧色の怪物は叫ぶ。
どうして理解してくれない、どうして一つになってくれない。
あなたなら分かってくれると思ったのに。
そう聞こえた。
「大丈夫ですか瑞希!」
「正気に戻れ!」
死縛者の精神汚染から解放された俺に、由梨花と、警備団であるオルドナが声をかけた。
そうだ、俺は山城瑞希だ。
そして、あの怪物を粉砕する者だ。
誰が理解などするものか、俺の領域を汚した罪人などに。
「ヴァルター……体は十分動きますね?」
少女が誰かに声を掛ける。のろのろと視線を動かすと、至る箇所から血を滲ませている大男がふらつきながら近付いて来ていた。彼女の部下である騎士で間違いない。
「彼とティアさんを連れてここから逃げて下さい。警備団の方々も」
「何を仰るのですかユリカ様! 私がこの身をもってヤツの動きを止めます、その隙に!」
「聞きません、あなたに与えられた使命を忘れたのですか!?」
「くっ……ですが!」
俺を無視して口論する3人。
俺を逃がすだと? まだ戦えるのに、何を言っている。
そうだ、粉砕しなければ。立ち上がろうと足に力を込め……空を仰いで転倒した。
あぁ、俺の鎧はとっくに壊れていたのか。霞む視界に、ぶくぶくと泡立てながら藍鉄色の鎧が消滅し、骨が砕け散った右拳が映る。それが動かせることを確認して安堵すると、反対の腕へ目を向けた。
由梨花に切断された左腕は、肘から先が行方不明だった。痛い、痛い……もう一度、あの安らぎに包まれたい。どうして断ち切ってしまったんだ、楽園はそこにあったのに。
魔法が解けると、即座に恐怖が押し寄せる。
俺は普通の人間なんだ、あんな化け物に適うはずがない。武器も壊れた、鎧も壊れた、ならどうやって戦えばいい。早く逃げないと、この地獄から。
「俺たち警備団も戦力に入れて欲しい。盾役なら慣れっこだからさ」
「あなた方にはあなた方の仕事がある筈です、違いますか」
「そりゃそうだが、あんたらも守るべき対象だ」
「心遣いは感謝しますが聞きません、村人の避難を急がせてください」
「いや、だけどな……」
「じきに応援が到着する筈ですが、誰かが時間稼ぎをしなければなりません。それは私たちの仕事……相打ってでも彼女を止めます、急いで!」
「あぁもう……了解!」
オルドナは俺を乱暴な動作で肩に担ぎ、戦線を離脱する。これでいいんだ、由梨花は強いしきっと倒してくれる。もう俺が苦しい思いをする必要なんてないんだ。
「料理屋の娘!」
オルドナは走りながら、声を張って叫ぶ。
「君も来い、俺が命を懸けて守る!」
激痛を遮断しようと、防衛機能である気絶が実行される寸前だった。
ティア・アムレットがそこにいた。
大粒の涙を浮かべて。
「で、でも……ミズキの腕……」
「この程度ならばすぐに再生する! 一刻も早くこの場を離れなければ!」
「ユ、ユリカさんは……?」
「時間を稼いで下さっているのだ! 君たちは村人と共に避難しろ、俺がすぐ加勢に戻る!」
会話はうまく聞き取れなかったが、ティアが酷く怯えた様子であることは見て分かった。
──誰だ。
──誰だ、彼女を泣かせたのは。
──誰だ、俺の帰るべき場所を傷つけたのは。
「ユリカさんを置いていくなんて出来ないよ!」
「これが血の闘争団の使命なのだ、いいから来い!」
騎士姿の男が少女の手を掴み、強引に引っ張る。少女はそれに抵抗した。
「いやだ! ユリカさんは普通の女の子だもん、私の友達だもん!」
「お傍にいたいのは私とて同じだ!」
どくん、どくんと鼓動が早くなる。
「でもユリカさんが──!」
ようやく、剣を手にした理由を思い出した。
「ユリカさんが死んじゃうよ──!!」
この子の為に、命を使うと決めたじゃないか。
「目覚めろ……恐怖の王冠」
君が望むことを成そう。
どんな願いも叶えよう。
痛みにも耐えられる。
恐れを知らず立ち向かえる。
俺を認めてくれたから。
俺を赦してくれたから。
君がいるから。
君が……いるから。
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
「なっ……ミズキ!?」
「少年!?」
オルドナの拘束を解いて地へ降り立つ。
戦え、闘え、そして敵を倒せ。ティアを泣かせるモノ全てが敵だ、敵は──壊さなければ。
「ミズキ──!?」
体が燃えるように熱くなる。だが不思議と痛みは引いていき、霞む視界もハッキリと冴えていく。
ティアを泣かせた張本人に目を向けると、その凶爪を由梨花の胸に深々と突き刺していた。まあその程度では死なないだろう、胸に風穴が空いても死ななかったのだから。だが、あの死縛者は精神攻撃を仕掛けてくるのだ、心を折られれば一貫の終わり。
体の状態を確かめる。右はしっかり握れる、では左は? あぁ、ないんだったか……なら生やせばいい。思考した途端に傷口が泡立ち、新たな腕が藍鉄の装甲を纏って芽を出した。
命をくべろ、それが薪だ。
燃やし尽くす旅は、まだ始まったばかり。
──いける。
叫びを置き去りにして走る。俺の目に映る戦場では、精神汚染でもされたのか、抵抗をやめて呆然自失になっている由梨花の姿を捉えていた。
まずあれを引き抜かなければ。だが面倒だ、切り落とそう。
この魔法は意思によって姿を変える……その言葉を思い出し、一心に武器をイメージする。硬く、鋭く、魔を絶つ剣……ジャマダハルを思い浮かべると、右手に熱が集まっていくのを感じた。
そうだ、これが俺の力だ。
だがもっと、もっと硬く! もっと鋭く! もっと強大な力を! その為なら防御など捨てていい、もっと魔を絶つ力を!
寒気にも似た肌の震えを感じた時には、右腕部以外の装甲が消失していた。それを犠牲に掴むのは、1メートルを超える藍鉄の剣。
「うぅぅぅぅぁぁぁぁぁあああああ!」
それを力任せに振り下ろし、死縛者の左腕を切断する。それは緑色の液体を撒き散らし、地へ落ちた。血というべきものをシャワーのように浴びる中、胸中に一つの思考が芽生えた。
──楽しくない。
力こそが正義だった、破壊こそが善だった。
だというのに、面白くない。
この感情は何だ?
「aaaaahhhhhh!!」
両腕を失った死縛者は、不利と悟ったのか距離を取ろうとする。
楽しくなどないが、逃がすつもりは更々無かった。
捕らえなければ……そう思考すると握った剣が縦に割れ、二又の槍状に変形した。
跳躍した死縛者の後を追い、その胴体へ突き刺す。地へ伏した怪物へ追撃し、その息の根を一撃で止めようと頭部へ狙いを定めた。
瞬間、青碧の鎧が揺らめいた。瞬時に両腕が再生し、腕とかろうじて表現できる塊が俺の体を貫いていく。
痛みにも、学生服を破かれることにも怒りは湧かなかった。ただ、無駄な抵抗を続ける怪物が哀れでならなかった。
待ってろ、すぐ楽にしてやる。生に縛られたお前を解放してやる。
≪寒い……寒いです≫
触手を通し、再び精神汚染される。
≪温もりが欲しかった……だけなんです≫
その声が誰のものであるかは明白だった。
冬化粧されたベランダに、一人の少女が薄着で体操座りしている情景が浮かぶ。痣だらけのその手には、アルコール缶が握られていた。
≪お父さん、お母さん……私はもう、疲れました≫
眠りの国を訪問しよう。これを飲めば、きっと異界への門が開く。そこはきっと暖かい場所なんだ、冷たい人なんてどこにもいない場所。
缶を飲み干し、隠し持った錠剤を口に含む。吐き気に襲われるが、魔法の発動に必要な苦しみだ、ぐっと堪える。しばらくすると気持ち悪さが薄れ、頭がぼうっとなってきた。
あぁ、お迎えがきたんだ、魔法の国の妖精さんが。
私は寒空の下、不思議の国へ旅立ちました。
──同情なんてしない。
疑念は確信に変わっていた。
「もういい……休め」
俺は罪を赦されたのだ、命の使い方も決めたのだ。
もう一度、なんていう望みは持たない。
剣を握る手に力を込め、二又の切っ先を首元へ突き刺す。それは俺の意思の通り動き、徐々に元の形へ戻ろうとする。鋏と化した剣が、怪物の首を切断した。
──これで、お前を縛るモノはない。
≪誰でもいい……愛を下さい≫
最期に流れ込んできたのはそんな言葉。
俺の体に突き刺さった触手はだらりと抜け落ち、死縛者は活動を停止した。
「…………」
動かなくなった青碧の怪物を、しばし眺めていた。
強敵を倒したというのに、何の快感も得られない。それどころか、湧いてくるのは哀れさ。決して同情したワケではない、最期まで足掻き続けたこの怪物に。
「そうだ、由梨花」
何の為に戦ったのかを思い出し、傷を負って蹲る少女の元へ足早に駆け寄る。腹部に刺さった腕は自力で引き抜いたようで、今は溢れ出す血と臓物が零れないよう両手で塞いでいた。
「大丈夫か、由梨花?」
天炎者は体が丈夫とはいえ、痛みは公平に与えられる。それに死縛者は精神攻撃まで行ったのだ、精神まで並外れているワケではないこの少女は無事だろうか。
「問題……ありません。お見事でしたよ、瑞希」
無理矢理笑顔を浮かべてはいるが、それは苦痛に歪んでいた。
「それはどーも」
「褒めてあげたというのに……その態度は何ですか」
苦笑いする元気があれば十分か。まあ本人がこう言っているし、命に別状はないだろう。だが治療した方が傷の治りも早いかもしれない、すぐにティアを呼んで応急処置をしてもらおう。
「自己肯定も完了したようですし、これで安心して──っ!?」
突如、少女の瞳が驚愕に見開かれる。
「瑞希、後ろ──」
かちん、かちん、と歯車が噛み合う音が聞こえた気がした。
──懺悔の泉に綴じられし
再生しつつある傷口から、呪文の詠唱が響き渡る。
──其は、熔炉を捻る機巧人形
波打つ肌が感じ取ったのは、生への執着と死への恐怖。
──魅惑せよ、生熟れの咎
死縛者は頭部を失いながらも立ち上がり、身の丈を超えるほどの凶爪を右手に宿し、命を刈り取ろうと俺へ向けて振り下ろした。
「くっ……!」
避けるのは間に合うが、それでは由梨花が八つ裂きにされてしまう。身をよじって剣を掲げ、憎悪で形成された凶爪を受け止めた。
「しつこい……!」
首を落とされても動き続ける怪物は、幾何かの弱体化はしているものの、その殺意は減るどころか増している。
一人で死ぬのは嫌だ、お前も道連れにしてやる──そんな思念が爪越しに伝わった。
「おい、どうすればコイツは止まる!?」
「通常であればすでに死んでいます……これほどの執念だとは。瑞希、彼女の動きを止めることは可能ですか?」
「あぁ任せろ!」
策を講じているであろう由梨花を信じ、力強く答える。
「おらあああああ!」
気合の雄叫びをあげて凶爪を振り払い、即時構え直して胸元へ突き刺す。なおも爪をでたらめに振り回すが、それは俺の目前数センチメートルで空を切った。この距離なら攻撃は届かない、そして動けば動くほど泥沼だ。
割れろ──そう思考すると、刺さった剣が再び展開して傷口を開く。
「吼えなさい、愛の腕飾り!」
──追憶の闇に閉ざされし
──其は、転炉を巡る藁人形
──咆哮せよ、純潔の辟
由梨花は魔法を発動し、その穴に炎剣を差し込む。
「送狐の想い……点火!」
唱えた途端、死縛者の肉体が轟音を放って炎上する。空まで届くかというほどの火柱を発生させたそれは、リューグナ―村を混乱に陥らせた原因の再現に間違いなかった。
「このまま……細胞全て……燃やし尽くします……!」
だが、炎の勢いは段々と衰えていく。魔法を発動したのは2回、この大技を放ったのも2回、さらには幾度もの負傷……体力の限界だった。
「くっ……」
少女は志半ばに、前のめりに崩れ落ちる。
「由梨花!」
「ユリカ様──!」
何者かが少女の名を呼んだ。彼女の部下であるヴァルターだった。彼はロングソードを構え、戦闘に加わろうと甲冑を鳴らして駆けてくる。
「彼女を頼む! コイツは俺が!」
視線を逸らしたのは刹那。
気付いたときには、死縛者が目の前まで迫っていた。
「な……」
傷がどれほど深くなろうと構わない、お前を連れていけるのなら。
ニタ、と頭のない怪物が不気味に嗤う。
──嬉しい、君と一緒になれるのね。
その凶爪が振り下ろされた。
「……仰いで、無聊の手鏡」
──閑寂の波に凍ざされし
──其は、融炉を轉ぶ蝋人形
──饑渇せよ、無邪気の業
死の淵には時が止まって見えるという。
まさにそれを体験し、この爪はいつになったら俺を貫くのだろうと息を呑んで見ていた。だが自分の体が普通に動かせることに気が付くと、死縛者は完全に静止しているのだ、という結論を考え出した。
「……夏の夜の夢」
冷気を感じたかと思うと、死縛者の外殻を氷が浸食していき、結晶の塊と化していく。氷の発生源は、死縛者の背中に刺さった柄の長い鎌であった。
「これは、ノーレン様の……!?」
オブジェと化した怪物は、何も言わずそこにいた。
「……点火」
一段と冷気が強くなり、絶対零度の一端を体感したかと思うと、ガシャンと音を立ててオブジェは壊れた。
物言わぬ怪物の残骸を踏み潰し、一人の少女が姿を現す。
「……なに、これ」
感情の読めない声音。
底知れない深淵を覗いた翠の瞳。
それが興味無さげに俺を捉える。
「……はぐれ天炎者は排除」
栗毛をなびかせ、少女は鎌を振りかぶり、
「……死ね」
狂気を孕んだ瞳を向けた。
☆
「……消えろ」
大鎌が空を切る音が、やけに遠く聞こえた。
身を守ろうと剣を構えるが、疲労感と倦怠感が襲い、体は石のように重く、言うことを聞いてくれない。確実に首を狙った攻撃を防ぐ時間は俺になかった。
「くっ……!」
諦めに似た境地の中、ギン、と金属の重低音が耳朶を打つ。
「お止め下さい、ノーレン・スミス様!」
由梨花の腹心であるヴァルターが白銀のロングソードを構え、少女の鎌を受け止めていた。
「彼は敵ではありません!」
「……だから、何?」
ノーレンと呼ばれた少女の静かな憤怒に満ちた声と共に、その力は増していく。紫紺色の鎌から発せられる冷気がソードを包んだかと思うと、パキパキと氷の塊が浸食していき、その手元まで至ろうとしていた。
「ぐっ……煌く黄金の刻印よ、闇を照らす灯台よ!」
このままでは諸共殺される……そう判断した騎士は、その力を開放した。
「顕現せよ、騎士の嫉心!」
呪文を唱えたかと思うと、魔法陣が剣に浮かび、閃光を放って氷を砕いた。バチバチと金切り音を響かせるのは、刀身を這いずり回る一条の稲妻。
「……ちっ」
「ご無礼をお許しくださいノーレン様。ですが、どうか話を聞いて頂きたい!」
威勢を削がれた少女は剣と鎌の鍔迫り合いから離脱し、大きく距離をとる。ヴァルターは雷を纏う剣を下げ、交戦する気はないが防衛はする、という意思を示してから続けた。
「この少年は、ユリカ様が目を掛けられた天炎者であります! 争う必要など御座いません!」
守られることは不甲斐なかったが、俺の体力は限界だったようで鎧の魔法が解ける。大剣が手に吸い込まれるように消えていくと、重心のバランスを失って尻餅をついた。
「ノーレン様もご覧になったハズです、彼と死縛者との戦闘を! それでも敵だとおっしゃるのですか!?」
「……はぐれ天炎者はみんな敵」
「じきに血の闘争団へ入団します、その為にユリカ様はこの地へ留まられた!」
「……まだ入団してない」
「入団すればよろしいのですね……ならばここで儀を執り行います、祭壇の無い簡略式ですが……少年!」
大鎌を構え続ける少女との問答を止め、ヴァルターは肩で息をする俺に問う。
「その血肉……我等血の闘争団へ捧げる覚悟はあるか!?」
「へ……?」
振り返ったヴァルターの顔には焦燥が浮かんでいた。
思考は霞がかかったようにぼんやりとしていたが、その言葉の意味はおおよそ理解できる。命を燃やす旅に出ること。だがそれは、死と隣り合わせの危険な旅。
俺は楽園を見つけたんだ、そんなことしたくない。
聖女は何処かとのろのろと見回すと、気を失った由梨花を介抱していた。やはり君は女神だ、と思考すると同時に傍にいたい、という思いがこみ上げてくる。
「いや、俺は──」
まだ時間はあるはずだ、一緒にいられる時間が。
由梨花が提示した期限は残り3日、それまでアムレット料理店でありふれた日常を満喫していたい。彼女がどのような選択をしようとも。
「馬鹿者、ここで殺される気か──!?」
ヴァルターが声を落としてたしなめる。
「彼女に慈悲など無い、野良である君を殺すことを躊躇わない! 形だけでいい、ここは私の言うことに従え!」
切羽詰まった表情で迫られ、うやむやに頷くしかなかった。
状況が上手く理解できない俺を尻目に、ヴァルターは左手を振りかざす。
「Wretched souls iron making at Hell's gate──《聞け、地獄の門を叩きし亡霊よ》」
光が、熱が、迸った。
「Let it end with this conviction of Malus!──《禁断の果実の信念を以て、ここに終止符を打て!》」
それが額に触れたかと思うと、電撃が体内を駆け回った。筋肉が硬直し、痛みに悲鳴をあげることもできない。細胞の一つ一つが針で突かれる不快感と、狂った神経が伝える幸福感で何も思考出来なかった。
痛いのに気持ち良い……それは支配される者の心情。檻の中の野生動物。俺は多分、奴隷としての証を刻まれたんだ。
一瞬の出来事だったのだろうが、体感では長い、とても長い時間が経過していたと思う。
ヴァルターは呆然とする俺から目を逸らし、ノーレンと再び対峙する。
「…………」
「これで首輪がつきました……まだ不満がおありでしょうか?」
「……つまんない」
「それは、お認めになったと受け取ってよろしいですね?」
「……勝手にすれば」
やけに冴えた視界には、鎌の切っ先を逸らす少女と、大きく息を吐く騎士が映っていた。
「……男の天炎者は危険」
大鎌を消し、リューグナ―村への道を辿ろうとした少女が囁く。
「……私が殺す」
それだけ言い残し、この場を去ろうとする。
「うぐっ……待て!」
体内で咲いた花火の音が鳴り止まない中、俺の命を狙うノーレンに声を掛ける。
「どうして……俺を狙う!?」
俺も由梨花と同じ天炎者だ、だというのになぜ殺されなきゃならない? なぜ入団しなければならない?
──理由なんて、先の戦闘で分かっていたのに。
少女はふう、と微かな溜息を漏らしてから、呟いた。
「……秩序を乱すから」
「秩……序?」
「……この地獄の秩序」
「は……?」
「……すぐに知る」
人見知りには思えないが、要領の得ないぶつ切りの答えが返された。地獄とは、このリューグナ―村のことか、それともイデアル・プラトオム国のことなのか。それとも……。
「……そうだ、ユリカはどこ?」
そこでようやく、年齢相応の感情が込められた声を聞いた気がした、迷子の友達を心配するような、寂しさと悲しさを含んだ声音。
「…………」
稲妻を鎮めたヴァルターの案内を待たず、ティアの膝の上で寝息を立てる少女の元へ歩を進める。
「……っ!」
ティアは無言の訪問者を警戒し、抱くように由梨花を両腕で包んだ。それらを囲うように、オルドナら幾人かの警備団が警戒色を露に武器を構えている。
俺を殺そうとしたんだ、ティアも殺されるかも……痙攣し続ける手足に力を込めて立ち上がる。ヴァルターは心配ないと俺に言うが、心配なのだ、行かなければ。
「……ユリカの、何?」
ノーレンは問う。
「友達……!」
ティアは敬られ、同時に畏怖される天炎者に怯むことなく答えた。
異世界からの来訪者を、彼女は受け入れてくれた。
「大切な、友達……!」
「…………」
寡黙な少女の背中が、少しだけ震えた気がした。
寒気のため? それとも別の?
「……そう」
すぅっと、手を差し伸べた。それはゆっくりとティアの頬に触れる。
「……鉄みたい」
触れれば自分が溶けてしまう。氷の化身であるノーレンはすぐに手を引っ込め、眠る由梨花と抱くティアを交互に見つめた。
「……炎に触れても、歪まないでね」
「え? それって……どういう……」
「……いずれ知る」
ティアは理解できない顔をしているが、俺には何となく意味が分かった。
天炎者は命を燃やす魔法使い。それらと接していれば、きっとティアのような純真な人間は歪んでしまう。死が隣り合わせの戦場に投げ出されれば当然。いや、戦場に限らない。当たり前の日々の中でも。
選択の時は間近。
楽園を追放されるまで3日。
「……じゃあね」
由梨花の安否を確認し終わったのか、今度こそ帰路についた。村を経由して向かうのは、おそらく闘争団の本拠地である都。
小さな背中を揺らし、天炎者ノーレン・スミスは消えていった。
「はあ……」
緊張の糸が途切れ、その場に膝をつく。
気を失っていないのが自分でも不思議だった。今思い返せば、右手を潰されたり左手を切断されたり精神攻撃を受けたり、果てには電撃攻めされたりと酷い目にあった。
だが生きてる。ここで生きている。
「ミズキ──!」
涙を滲ませた少女が俺の名を呼ぶ。
それはまぶしすぎて、とても直視できない輝き。
不器用な笑顔を返した俺は、もう後戻りできなかった。
「帰ろう、ティア……アムレット料理店に」
それでも、与えられた夢の続きを。
──もう交わらない、いつか帰るべき場所へ
膝を抱える日々との旅立ち。
応援ありがとうございます!
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