異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase2 力の覚醒への一歩的な何か!

都へようこそ!③

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「さて、何故呼び出されたか分かるか?」

 すっかり日も昇った午前九時。
 三時課の鐘が鳴ると、マリーが座す団長室へ呼び出された。

「えっと……報酬を渡すためですか?」

 いくら休日であるからといって、団員皆が出払っているワケではない。必要な事務仕事や事後処理の対応に追われ、忙しく働く団員だっている。そんな中を寝巻でうろつくのは気が引けるので、支給されたBDUに着替えてから足を向けた。

「ん、確かにそれもある。だが違うのだ、咎めはしないから言ってみろ」
「はぁ……」

 団長は厳格な表情を崩さずに、回りくどく咎める。
 俺一人が呼び出された理由か……恐らくだが、確信があった。

「マッサージですか?」

 思いついたことを言ってみた。
 マリーはしきりに肩が凝る、腰が痛いと言っていたのだ。昨日はいつの間にか寝てしまっていたために、団長命令を無視してしまった。きっと、それを怒っているのだ。

「してくれるのか? それは願ってもいない幸運だが……生憎、今は手が放せん」

 言いながらも、手元にある書類の束へサインをはしらせる。多くの団員が休暇を満喫している中、団長であるマリーは卓上で戦争を繰り広げていた。

「負傷者への給付、親族への賠償、新たなる要塞の建造……しばらくは籠りっきりだな、終わってから頼もう」

 一瞬だけ、表情が崩れる。
 帰還していない団員もいる……その人を偲んだのだろうか。寮から向かう最中、微かに、すすり泣く声が聞こえた。血の闘争団は家族なのだ、自分にとっては他人であろうとも。

「はぁ……」
「君の働きには感謝している。少ないが、これを受け取ると良い」

 キリの良いところで書類仕事を打ち切り、右手にペンを握ったまま、引き出しから革の小袋を取り出した。それを左手に持ち替えたかと思うと、俺に向かって放り投げた。緩い放物線を描くそれが墜落する直前に、危なげなくキャッチする。

「あ、ありがとうございます」

 ずっしりと、見た目以上の重さが手に圧し掛かる。この世界では金貨が出回っているのだ、小袋の中身も金貨で間違いない。未開封のペットボトルを受け取ったような重さだ……金貨一枚がおよそ0,3グラム、ではこの中に何枚入っている?

「でも、何も投げなくたって……」
「ん……すまない。少し、疲れてしまってな」

 言うと、マリーは顔を抑えて溜め息を吐いた。
 椅子にもたれかかるように体を伸ばし、ゆっくりと深呼吸する。それから感じ取れたのは、疲れと怒り。

「核兵器でもあれば、被害は少なく済むのだがな……」

 アメリカ出身だという女性は、愚痴をこぼした。

「マリー団長?」
「あぁすまない、君は日本人だったな。悪く思わないでくれ、ただの独り言だ」
「いえ……」

 それは別の世界の話。
 二度と繰り返してはいけない歴史。
 誰もが理解している禁忌。
 だが、もしもこの世界にあったのなら……頼ってしまうのだろうか。

「そんなもの無くとも対抗できるのだ。あの大砲の威力は見ただろう? 防衛拠点へ優先的に配備し、怪物どもを駆逐している。異能殺しの撃鉄ハイデントゥームハンマーと呼ばれているが、私はミョルニルに変更すべきだと思っている。あるいはトロールハンマー」
「はぁ……」

 マリーは話題を逸らし、救援の際に見せつけた大砲のことを力説する。全てではないが、日本とアメリカでは価値観が違うのだ。核に抱いている印象も違う。それを気にしているのだろう。そう思考して、彼女が口にした単語へ意識を向ける。
 ミョルニルか……確か、どこかの神話に登場した兵器だったか。
 怪物を倒すために英雄が手にした、全てを粉砕する神話の武器。

「エーデル要塞は……不運だったと言う他ないが」

 祈りを込めた、破壊の砲弾。
 己ごと闇へと誘う魔術の結晶。
 黒い雨を降らすこともなく、空気を汚染することもなく、ただ飲み込む兵器。
 神話に挑むそれを以てしても、敵の侵攻を止めることは難しい。

「そう……ですね」

 だからこそ、自分たちがいる。
 神話の再現へと挑むのだ。

「これからは王国軍に出張って貰う。築城技術は向こうが上手だ、要塞は次の攻勢までに再建するだろう」
「王国軍?」

 たびたび耳にしてはいたが、聞き慣れない言葉。
 静謐の箱庭を包囲し、要塞へ駐屯し、最前線へ立つ存在。

「そう言えば、王国軍って何ですか? 今更ですけど」
「ユリカから聞いていないのか? 仕方ない、息抜きついでに教えてやろう……今更だが」

 マリーは今度こそペンを置き、深く、息を吐いた。

「この国の守護者だ。自衛隊とでも言えば分かりやすいか? 異能の力は持っていないが、戦闘に長けた者で構成された軍隊だ。優秀な人材は引き抜いたり、こちらへ出向させて手伝いもする、我々のパートナーだ」
「へぇ……血の闘争団とは違う組織なんですね」
「そうだ。いいか、この国では彼らに逆らうな、決して問題を起こさないことだ。剣も持ち歩かない方がいい」

 抑えた声で忠告する。
 イデアル・プトラオム国の正式な軍隊だというのなら、楯突いた場合に制裁を受けるのは当然。
 戦場で放り投げたジャマダハルは、マリーたちが回収し、現在は寮の部屋に安置されている。ティアからの贈り物を粗雑に扱ったことを反省しつつ、頷いた。

「はぁ、それはもちろん」
「あの怪物どもを殲滅する為に、我々は存在しているのだ。だが元凶でもある……快く思っていない者もいるのだ、天炎者のことを」

 元凶、か。
 そうだ、怪物が生まれたのは天炎者が元凶。転移者たちは過去の魔王を討伐し、世界に平和を取り戻したが、世界は均衡を求めてしまった。

「そう、ですか……」
「事情を知っているのは一部のみだがな。むしろ勇者の手伝いが出来ると喜ぶ者もいるのだ、あまり意識する必要はない、安心しろ」

 ひらひらと手を動かしたのは、気にするな、という意思表示か。それとも、単に固まった手首をほぐしただけなのだろうか。
 ヤツらを殲滅したら、また新たな怪物が出現するのではないか……余計な憶測は飲み込んだ。

「それで……まだ思いつかないのか?」
「はい?」
「呼び出した理由だ」

 すっかり忘れてしまっていた。
 だが報酬は受け取った、マッサージも今はお預け、では何の為に?

「自覚が無いのか? 食堂でぶちまけたそうだな?」
「!?」
「報告では、ウィーザが吐いた後に君も吐いたそうだな? ユリカがキレイに掃除したが、まだ臭うそうだ」
「すみません……」

 忘れてなどいない、今朝の戦場。
 ひたすら頭を下げ、謝罪を口にしたあの光景を忘れることなど出来るものか。幸いなことに利用者は少なかった為、異臭に悩まされた被害者は少ない……筈だ。罵る声も多くは聞こえなかったし、その場にいた者は許してくれた……筈だ。
 まさか、団長にまで責められるとは思わなかった。

「こころなしか臭うな……どれ、近くに寄れ」
「いえ、遠慮します」

 臭いフェチですか、なんてことを言う勇気はない。脱力している彼女ならともかく、団長である彼女には。
 というかまだ臭うのか、しっかり洗ったし、着替えも済ませたのに。

「ん……では命ずる」
「はい?」

 命令してまで臭いを嗅ぐのか、と思い身構えた……が、それは杞憂であった。

「これより街へ出向き、新たな衣類を購入せよ」


 ☆ ☆


 都であるフォールベルツの街を歩く。
 これまで生活していた村とは違い、目に入る建物は多くが石造りだった。裕福な家庭なのだろう、と浅はかな思考をしながら、通行する人にぶつからないよう歩を進める。

 命令されたのは服の購入。
 ファッションに興味などなかったし、いつも学生服を着ていた自分は、替えの服を多く持っていなかった。今着ているのは、村で購入した地味な服。
 学生服はボロボロで、裁縫が得意な人の手に預けられた。やはり、あれを着ていないというのが落ち着かない。異色を放つ学生服は、この世界での僅かな誇りだった。

 まぁ、いいか。
 今は命令を実行して早く帰ろう。やはり人込みは苦手だ、村と比べて倍以上の数の人間に飲み込まれてしまいそうだ。適当な服屋を見つけて、適当な衣服を買って帰ろう。
 休日なのだからのんびりと……いや、あの子の元へ訪れようか。

「そっちじゃないですよ、こっちです」

 腕をグイッと掴まれ、反対方向へ引っ張られる。

「おススメの服屋があるのです、そこで購入しましょう」

 落ち着いた色の服を着た少女に先導され、見知らぬ通路を歩き続けた。持ち主の内面を表現するかのように、小さなポシェットが激しく揺れる。

「なぁ、由梨花」
「何ですか、瑞希」

 振り向いた少女は、いつもの仏頂面をしていた。

「どうして付いてくるんだ? 買い物くらい一人で出来るって」

 マリーに命令を与えられた後、由梨花に捕まえられた。これから買い物に街へ出向くことを伝えると、『私も行くので少し待っていて下さい』なんて言って30分は待たされた。その間に出発すれば良かった、と今は後悔している。

「瑞希はこの街を出歩くのは初めてでしょう? 迷子になっては困ります、だから案内してあげているのではないですか」
「迷子になんてなるか、道くらい分かる。もうあっち行け、休日を楽しんで下さい班長様」
「ほ~う? 私の慈悲を無駄にするつもりですか」
「何が慈悲だ、ただの束縛だ!」
「そんなことを言いますか。考えてみて下さい、これは美味しい機会ですよ」
「何が?」
「さあ?」

 一歩も引かず、腕を引っ張り続ける。
 もはや、諦めにも似た感情が湧いていた。

「良いではないですか。私とショッピングに行くか、私と訓練するか、二つに一つだったのです。こちらのほうが、瑞希にとっては楽しいものだと思いますよ」
「その選択肢はおかしいだろ。休日なんだ、一人にしてくれたっていいじゃないか」
「自分の立場を理解していますか? あなたは私の部下なのですよ、命令に従って下さい」
「今日はオフなんですよねぇ!」
「口答えしますか? いいでしょう、上下関係をハッキリさせてあげますとも。もう一度殺りますか?」
「結構です!」

 胸を貫く幻痛に襲われ、会話を無理矢理終わらせる。実力勝負ではこちらが上だ、と何の確証も無い自負で己を慰め。口喧嘩で勝った覚えはないのだ、どうせ必ず負ける、と経験に基づく思考で戦略的に撤退した。
 負けを認めたワケじゃない。

「案内なら、ヴァルターさんのほうが良かったな……」

 ボソッと呟いた言葉は、少女の地獄耳に捕らえられていた。

「瑞希……まさかとは思いますが、そのケがあるのですか?」
「ケ? どこの毛だ?」
「無自覚ですか? じゃあ聞きますが、私とヴァルター、どちらの案内が良いのですか?」
「そりゃヴァルターさんだろ。同じ男だし、服も無難なの選んでくれそうだし」
「はぁ……あんな暑苦しい男のどこが良いのですか。もう少し、視野を広げてみてはいかがですか」

 少しだけ、不貞腐れた声音となった。
 やはり人というのは分からない、このワガママ姫は特に。

「それに、彼にファッションセンスはありません。部下としては優秀ですが、休日には出会いたくありませんね」
「そこまで言うか」
「班長ですから」

 言う間にも歩を進める。
 この時間を惜しむように、足早に。
 急いだのは自分だったろうか、それとも彼女だったろうか。

「ほら、そろそろ着きますよ」

 大通りから僅かに逸れた小道を通り、目的の店へと到着した。急かされるように入店すると、真っ先に女性物の洋服が目に入る。男性物が隅に追いやられた配置にあり、客も女性が殆ど。
 視線に晒され、とても居心地が悪い。

「瑞希には何が似合うでしょうか……つんつるてんになりそうですね、どれも」
「もう結構です、自分の服でも探して来たら?」

 店に着いたのだ、コーディネイトまで任せたつもりはないし、十分だった。金貨での勘定もある程度は理解しているし、最後まで付き合う必要はない。

「ほ~う……それは、奢ってくれるという意味ですか?」

 イヤらしい笑みを浮かべる。

「俺が? なぜに?」
「案内代を支払ってくれるのですね、いいですとも。一着だと思わないことです、何着だって奢ってもらいますよ」
「ふざけんな、そんな金持ってない」
「知ってるんですよ? マリーからひゃく──」
「やめろ! やめて下さい」
「お静かに。店内で大声を上げるとは何事ですか、迷惑です」
「悪かったよ……」
「は?」
「すみませんでした……」

 この女、どうやって知った?
 誰かに聞かれたのでは、と店内を見渡す。大丈夫だ、誰も聞いていない。おそらく。

 スリに気を付けろ──それがマリーからの忠告だった。都とはいえ、やはり盗賊という輩は存在するらしい。光があれば影がある、当然といえば当然の事。ずっしりと金貨が詰まった巾着袋を、盗まれてはいないかと思い手で触れる。大丈夫、確かにある。
 持ち出す量をもっと減らしておくべきだった。しかし入用なもの、興味を惹くものがあった時に足りなくては困る──結局、殆どを持ち出した。

「一着は買ってもらいます。いいですね?」
「はい……」

 ワガママ姫の相手は疲れる。ヴァルターさん、いつもお疲れ様です。

「おや……フリーデではないですか」
「む? ユリカ……様。奇遇ですね」

 男性物を物色しているうちに、由梨花は見知った顔を見かけたようだ。

「あなたもショッピングですか。ですがここは男物……ヴァルターにですか?」
「は、仰る通り」
「兄想いですね。全く、彼も素直になるべきなのですよ。こんなに想ってくれる妹がいるというのに」
「お気遣い頂き光栄」

 なんとなく、見た記憶がある。
 言葉遣いこそ似てはいるが、顔のつくりは似ていない兄妹。
 ぼやけた記憶に、鬼の形相で兄を追う彼女の姿があった。仲の良い二人なんだろうな、などと勝手に解釈しておく。

「今日はお休みなのです、満喫して下さい」
「は、ではこれにて……」

 休日である為、彼女も私服で来店していた。
 団の切り込み隊長でもある由梨花がいては、落ち着いて買い物もできないだろう。彼女がそう思ったかは知らないが、短く会話を終わらせて場所を移す。

 瞳が、俺を捉えた。

「貴様……」
「はい?」

 ジロリ、と視線で舐め回される。

「ユリカ様と……」

 鬼気迫る表情で、何か思案する。

「この男、しばしお借りしてもよろしいでしょうか」

 言いながら手を取り、店の出口へ引っ張られる。

「ちょ、ちょっと!?」
「いいですよ。口答えした罰です、爪の一枚でも剥いで下さい」
「御意」
「はてな!?」

 剥ぐってどういうことだ、何をしたというのか!? 大切な部下だろ、と言葉にしても少女は聞き入れず、フリーデに連行され行く。振りほどこうと抵抗するが、女性とは思えない怪力。逃げられない。

「暴れるな」
「助けろ由梨花、班長だろ!?」
「知りません」
「はあ!?」

 見捨てられた!?

「いいから来い」
「助けて、痛いのはイヤだ!」
「店内ではお静かに」
「イヤだー!」
「彼女にケガさせたら許しませんよ、大切な部下の妹なのですから」

 一体、何が彼女の気に触れたのだろう。
 由梨花の姿がドアの隙間から消える瞬間、今朝見た夢を思い出した。鳥になって空を飛んでいたら、猛禽類に出会う夢だ。多分、あれは未来予知の一種だったのだろう。

 肉食の天敵が、ここにいる。




「さて……貴様に聞きたいことがある」
「なんですか」

 人気の無い路地裏へ連行された。
 フリーデ・タリスマンは鋭い眼光で睨みつける。
 女性客の視線よりも酷く、居心地が悪い。

「ユリカ様とどういう関係だ?」
「はい?」

 呆然。

「ユリカ様とはどういう関係だと聞いている!」
「絞めないで……」

 答えるのが遅いからって首を絞めるとは、教育がなってないぞヴァルター。

「部下です……」
「ユリカ様は部下を休日まで連れ歩かない、嘘をつくな!」

 事実を言ったら発狂された。

「本当です……」
「ユリカ様との関係を言え! 爪を剥ぐ!」

 猛禽類の瞳。だが一つの感情がちらついている。

「友達です……」
「友だと……?」

 多分、これが正解だろう。
 血の闘争団は家族だと誰かが言っていたが、今の自分には口に出来ない。いつか、気にもしなくなった時には言えるのだろう。

「絞めないで……」
「む……」

 彼女をケガさせたら許しません──魔法を発動することは躊躇われる。あれは敵を倒すための呪いだ、人に向けていい代物ではない。だが天敵だ、食われる前に発動しなければ、と理性と本性が対抗していた。

「すまん、つい」
「つい、で人の首を絞めるんですか……」

 血気盛んな団員ばかりじゃないか。闘争好きな、暴力集団。

「だが好機だ。貴様、ユリカ様とまぐわえ」
「はい?」

 この女、何と言った。

「兄様をたぶらかすユリカ様とまぐわえ、と言っている!」
「絞めないで……」

 言葉の意味も分からない。いや、現代文は得意なんだ、薄っすらと思い出して……ダメだ、脳に酸素が回されていない。

「一発なら問題ない! 出来なければ問題ない!」
「はなして……」

 視界が霞む。世界が閉ざされる。だがうるさい存在が捲し立て、頬を何度も衝撃が襲う。

「接吻でもいい! 兄様の目を覚まさせるのだ!」
「たすけて……」

 だから嫌だったんだ、由梨花と出歩くのは。

「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」

 意識は朦朧。
 帰ったら寝よう。
 鳥籠の外は危険だらけだ、飼われるほうが気分が良い。
 ──本当に?
 沈みゆく意識だったが、強烈なビンタで再び覚醒する。

「聞いているのか!? 接吻しろと言っているのだ!」
「やめて……」
「兄様あああああ! 私の愛を受け取ってえええええ!」
「ゆらさないで……」

 ワガママ姫が、ここにもう一人。

「私はこんなに愛してるのに! どうして兄様は逃げるのだ!」
「やめろ……」
「兄様あああああ!!」
「うっ……」

 愛を求めるお姫様。

「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」

 猛烈な吐き気。
 俺が一体何をしたというのか。

「む、六時課の鐘が鳴った……兄様を捕まえないと。今日こそ手料理を流し込む」
「…………」

 正午を伝える鐘の音は、耳鳴りに掻き消された。

「ではな。いいか、接吻くらい何も問題ない、見せつけてやれ」

 放心状態の俺を置いて、フリーデは明かりへと歩を進める。

「待ってて兄様、すぐに首輪と手錠をかけてあげる」

 神々しく、輝いていた。
 心の隙間を埋めようと、本性をさらけ出した彼女が羨ましかった。
 自分も素直になれたらな、と思考したのを最後に、海に沈んだ。
 



 意識を取り戻した時、誰かがいた。

「あっ……起きましたか」
「由梨花……?」

 暖かな日光と、清らかな水のせせらぎ。それに混ざって、人の喧騒が遠くに聞こえる。
 見上げた視界の先には、疲れた顔の由梨花がいた。

「まったく、大変だったのですよ? あなたをここまで運ぶのは」
「どこ……?」

 上体を起こすと、真っ先に噴水が目に入る。どうやら公園、俺はベンチに寝ていたようだ。頭が置いてあった先に、由梨花が座っていた。パンパンに膨らんだポシェットをまさぐりながら。

 思い出せ、何があった?
 服を買いに行って、由梨花に連れていかれて、そして──そうだ、肉食獣に捕まったのだ。

「由梨花、お前……助けなかったな?」
「フリーデは気が触れやすいのでして……まあ、ドンマイとしか言えないです」

 目線を逸らし、引き攣った顔で言う。
 それで許すつもりはなかった。

「絞め堕とされたんだぞ!? これは犯罪だろ!?」
「だから謝っているではないですか」
「どこがだ!? 遺憾の意を表明しただけじゃねーか!」
「悪かったですよ」
「謝れー!」
「口答えしますか? ここで殺りますか?」
「受けて立つ!」
「いいでしょう、白黒ハッキリさせてあげます……黒が勝ちますが」
「やってやる!」

 負けられない戦いが、ここにある。
 体調は万全……とは言えないが、十分に戦える。いや待て、せっかくの休日に何をしようとしているんだ。立ち上がりそうになった体を押し留め、ベンチへ腰を掛ける。

「勝負を諦めたのですか? 蹂躙してあげましょうか?」
「結構です! 俺は服を買いに来たんだ、お前に構ってられるか!」

 合わせて立ち上がった由梨花は拍子抜け。
 つまらないですね──そう聞こえたが、無視してポケットをまさぐる。まさか気絶しているうちにスリにあっていないよな、そう思ったからだ。

「あれ……?」

 巾着袋は確かにあった。
 だが、異様に軽い。中身を確認すると、多少……というか、大分減っている。

「あっ……」

 動転している俺の耳に、何かが散らばる音が届けられた。
 どうやら由梨花のポシェットから、物が溢れてしまったようだ。しかし、午前中に見たポシェットはすっからかんで、中にはあんなに物が入っていない筈。香水の瓶とか、光物とか、お菓子とか……そんな物が入っているとは思えなかったのだが。

「おい、まさか……」
「…………」

 仏頂面の少女は答えない。
 表情を崩さずに物を拾い集め、何事も無かったかのように腰を下ろした。ベンチに置かれていた、畳まれた洋服を隠すように。

「まさかだよな、おい……」
「服の一着は買えます……」

 まさかだった。

「泥棒だぞ!? 犯罪だぞ!?」
「いいではありませんか、教育費です」
「部下の金を巻き上げるなんてサイテーだ!」
「うるさいですね、殺りますか?」
「おう殺ってやる!」

 長い言葉は不要、世界は残酷なのだから。
 今度こそ立ち上がり、言霊を唱えて──

「きゃっ!?」
「うおっ!?」

 誰かにぶつかった。

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ。悪い、急に」

 小さな、小さな子供に体当たりしてしまった。幸いどちらも転んではいないし、ケガもしていない。だというのに謝り続けている。

「全面的に瑞希が悪いんですよ」
「うるさいな……」

 成り行きを見ていたであろう由梨花がポシェットをまさぐり、飴玉を手にして子供に語り掛けた。

「驚かせて申し訳ありません。これをどうぞ、気が落ち着きます」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 だが落ち着かないし、受け取らない。
 よくよく見ると、都にしてはみすぼらしい衣服を纏っている。
 それに幼い、少女だった。こんな公園で一人でいるのか、親はどこだろう。

「お金は好きですか? このお兄さんがたくさんくれるそうです」
「金で解決するなんてサイテーだ」
「問題ありません、教育費ですよ」
「間違った方向性に育つだろ!?」

 事態が解決しないからって、金にものを言わせるとは。しかも奪った金で。
 いやしかし、どうすれば良いのだろう。一向に落ち着く気配が無いし、親が迎えにでも来てくれると嬉しいのだが。
 公園へ目を向けると、何事かとこちらを向く家族たちが目に入った。だがすぐに視線を逸らし、自分の子供を抱きしめる。何も見なかった、何もなかった──そう信じて。

 視界の隅に、小さな異物が映り込む。衝撃でポケットから落ちていたのだろう、俺の巾着袋だった。それを拾い上げ、これからどうするべきかを考える。

「ここにいたか、探したぞグラナ」
「──ッ!」

 その時、一人の男が声を掛けた。
 貴族だろうか、周りと比べて随分と身なりの良い格好だ。そして肥え太っている。滲む汗を拭きながら、俺たちに一礼した。

「申し訳ありません、グラナが迷惑を掛けたようで──おや、血の闘争団のユリカ様ではありませんか! 御目にかかれて光栄」

 帽子を脱いで礼をする姿はジェントルマン。後退していなければ完璧だった。
 由梨花は仏頂面だったが、明らかに歪んでいた。油断すると爆笑してしまうのを堪えていたのだ。分かる、分かるぞ。

「今日は休みです、やめて下さい」
「は──ではこれにて。グラナ、行こうか」
「はい……」

 グラナと呼ばれた少女は付き従い、男の後を追う。父子にしては年が離れているような……いや、知ったことではないか。余計な詮索はしない、それがマナーだ。

「瑞希、知っていますか?」
「何さ?」

 ポツリ、と由梨花が呟く。

「この世界にはですね」

 躊躇わずに。

「奴隷がいるのですよ」

 言葉を紡いだ。

 視線は、公園へ移った。
 遊び続ける家族たちがいた。
 恋人と寄り添う者たちがいた。
 それらは、影絵のように掴みどころが無くなっていく。

 すぐに、視線は戻った。
 先導する豚と、付き従う少女。
 ──君も、囚われているのか。
 足が、動き出した。

「ですが皆──瑞希?」

 夢は遥か。
 楽園は何処。
 手掛かりは、掴んだ。

「目覚めろ、恐怖の王冠シュレッケン・クローネ

 ──残響の檻に囚われし
 ──其は、高炉を廻す泥人形
 ──胎動せよ、無垢なる辜

 この手にある。
 力がある。

「救済してあげるよぉ……」

 羽ばたこう、一緒に。
 祈ると共に、割れた剣先を少女へ向けた。
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