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Phase2 力の覚醒への一歩的な何か!
都へようこそ!③
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「さて、何故呼び出されたか分かるか?」
すっかり日も昇った午前九時。
三時課の鐘が鳴ると、マリーが座す団長室へ呼び出された。
「えっと……報酬を渡すためですか?」
いくら休日であるからといって、団員皆が出払っているワケではない。必要な事務仕事や事後処理の対応に追われ、忙しく働く団員だっている。そんな中を寝巻でうろつくのは気が引けるので、支給されたBDUに着替えてから足を向けた。
「ん、確かにそれもある。だが違うのだ、咎めはしないから言ってみろ」
「はぁ……」
団長は厳格な表情を崩さずに、回りくどく咎める。
俺一人が呼び出された理由か……恐らくだが、確信があった。
「マッサージですか?」
思いついたことを言ってみた。
マリーはしきりに肩が凝る、腰が痛いと言っていたのだ。昨日はいつの間にか寝てしまっていたために、団長命令を無視してしまった。きっと、それを怒っているのだ。
「してくれるのか? それは願ってもいない幸運だが……生憎、今は手が放せん」
言いながらも、手元にある書類の束へサインをはしらせる。多くの団員が休暇を満喫している中、団長であるマリーは卓上で戦争を繰り広げていた。
「負傷者への給付、親族への賠償、新たなる要塞の建造……しばらくは籠りっきりだな、終わってから頼もう」
一瞬だけ、表情が崩れる。
帰還していない団員もいる……その人を偲んだのだろうか。寮から向かう最中、微かに、すすり泣く声が聞こえた。血の闘争団は家族なのだ、自分にとっては他人であろうとも。
「はぁ……」
「君の働きには感謝している。少ないが、これを受け取ると良い」
キリの良いところで書類仕事を打ち切り、右手にペンを握ったまま、引き出しから革の小袋を取り出した。それを左手に持ち替えたかと思うと、俺に向かって放り投げた。緩い放物線を描くそれが墜落する直前に、危なげなくキャッチする。
「あ、ありがとうございます」
ずっしりと、見た目以上の重さが手に圧し掛かる。この世界では金貨が出回っているのだ、小袋の中身も金貨で間違いない。未開封のペットボトルを受け取ったような重さだ……金貨一枚がおよそ0,3グラム、ではこの中に何枚入っている?
「でも、何も投げなくたって……」
「ん……すまない。少し、疲れてしまってな」
言うと、マリーは顔を抑えて溜め息を吐いた。
椅子にもたれかかるように体を伸ばし、ゆっくりと深呼吸する。それから感じ取れたのは、疲れと怒り。
「核兵器でもあれば、被害は少なく済むのだがな……」
アメリカ出身だという女性は、愚痴をこぼした。
「マリー団長?」
「あぁすまない、君は日本人だったな。悪く思わないでくれ、ただの独り言だ」
「いえ……」
それは別の世界の話。
二度と繰り返してはいけない歴史。
誰もが理解している禁忌。
だが、もしもこの世界にあったのなら……頼ってしまうのだろうか。
「そんなもの無くとも対抗できるのだ。あの大砲の威力は見ただろう? 防衛拠点へ優先的に配備し、怪物どもを駆逐している。異能殺しの撃鉄と呼ばれているが、私はミョルニルに変更すべきだと思っている。あるいはトロールハンマー」
「はぁ……」
マリーは話題を逸らし、救援の際に見せつけた大砲のことを力説する。全てではないが、日本とアメリカでは価値観が違うのだ。核に抱いている印象も違う。それを気にしているのだろう。そう思考して、彼女が口にした単語へ意識を向ける。
ミョルニルか……確か、どこかの神話に登場した兵器だったか。
怪物を倒すために英雄が手にした、全てを粉砕する神話の武器。
「エーデル要塞は……不運だったと言う他ないが」
祈りを込めた、破壊の砲弾。
己ごと闇へと誘う魔術の結晶。
黒い雨を降らすこともなく、空気を汚染することもなく、ただ飲み込む兵器。
神話に挑むそれを以てしても、敵の侵攻を止めることは難しい。
「そう……ですね」
だからこそ、自分たちがいる。
神話の再現へと挑むのだ。
「これからは王国軍に出張って貰う。築城技術は向こうが上手だ、要塞は次の攻勢までに再建するだろう」
「王国軍?」
たびたび耳にしてはいたが、聞き慣れない言葉。
静謐の箱庭を包囲し、要塞へ駐屯し、最前線へ立つ存在。
「そう言えば、王国軍って何ですか? 今更ですけど」
「ユリカから聞いていないのか? 仕方ない、息抜きついでに教えてやろう……今更だが」
マリーは今度こそペンを置き、深く、息を吐いた。
「この国の守護者だ。自衛隊とでも言えば分かりやすいか? 異能の力は持っていないが、戦闘に長けた者で構成された軍隊だ。優秀な人材は引き抜いたり、こちらへ出向させて手伝いもする、我々のパートナーだ」
「へぇ……血の闘争団とは違う組織なんですね」
「そうだ。いいか、この国では彼らに逆らうな、決して問題を起こさないことだ。剣も持ち歩かない方がいい」
抑えた声で忠告する。
イデアル・プトラオム国の正式な軍隊だというのなら、楯突いた場合に制裁を受けるのは当然。
戦場で放り投げたジャマダハルは、マリーたちが回収し、現在は寮の部屋に安置されている。ティアからの贈り物を粗雑に扱ったことを反省しつつ、頷いた。
「はぁ、それはもちろん」
「あの怪物どもを殲滅する為に、我々は存在しているのだ。だが元凶でもある……快く思っていない者もいるのだ、天炎者のことを」
元凶、か。
そうだ、怪物が生まれたのは天炎者が元凶。転移者たちは過去の魔王を討伐し、世界に平和を取り戻したが、世界は均衡を求めてしまった。
「そう、ですか……」
「事情を知っているのは一部のみだがな。むしろ勇者の手伝いが出来ると喜ぶ者もいるのだ、あまり意識する必要はない、安心しろ」
ひらひらと手を動かしたのは、気にするな、という意思表示か。それとも、単に固まった手首をほぐしただけなのだろうか。
ヤツらを殲滅したら、また新たな怪物が出現するのではないか……余計な憶測は飲み込んだ。
「それで……まだ思いつかないのか?」
「はい?」
「呼び出した理由だ」
すっかり忘れてしまっていた。
だが報酬は受け取った、マッサージも今はお預け、では何の為に?
「自覚が無いのか? 食堂でぶちまけたそうだな?」
「!?」
「報告では、ウィーザが吐いた後に君も吐いたそうだな? ユリカがキレイに掃除したが、まだ臭うそうだ」
「すみません……」
忘れてなどいない、今朝の戦場。
ひたすら頭を下げ、謝罪を口にしたあの光景を忘れることなど出来るものか。幸いなことに利用者は少なかった為、異臭に悩まされた被害者は少ない……筈だ。罵る声も多くは聞こえなかったし、その場にいた者は許してくれた……筈だ。
まさか、団長にまで責められるとは思わなかった。
「こころなしか臭うな……どれ、近くに寄れ」
「いえ、遠慮します」
臭いフェチですか、なんてことを言う勇気はない。脱力している彼女ならともかく、団長である彼女には。
というかまだ臭うのか、しっかり洗ったし、着替えも済ませたのに。
「ん……では命ずる」
「はい?」
命令してまで臭いを嗅ぐのか、と思い身構えた……が、それは杞憂であった。
「これより街へ出向き、新たな衣類を購入せよ」
☆ ☆
都であるフォールベルツの街を歩く。
これまで生活していた村とは違い、目に入る建物は多くが石造りだった。裕福な家庭なのだろう、と浅はかな思考をしながら、通行する人にぶつからないよう歩を進める。
命令されたのは服の購入。
ファッションに興味などなかったし、いつも学生服を着ていた自分は、替えの服を多く持っていなかった。今着ているのは、村で購入した地味な服。
学生服はボロボロで、裁縫が得意な人の手に預けられた。やはり、あれを着ていないというのが落ち着かない。異色を放つ学生服は、この世界での僅かな誇りだった。
まぁ、いいか。
今は命令を実行して早く帰ろう。やはり人込みは苦手だ、村と比べて倍以上の数の人間に飲み込まれてしまいそうだ。適当な服屋を見つけて、適当な衣服を買って帰ろう。
休日なのだからのんびりと……いや、あの子の元へ訪れようか。
「そっちじゃないですよ、こっちです」
腕をグイッと掴まれ、反対方向へ引っ張られる。
「おススメの服屋があるのです、そこで購入しましょう」
落ち着いた色の服を着た少女に先導され、見知らぬ通路を歩き続けた。持ち主の内面を表現するかのように、小さなポシェットが激しく揺れる。
「なぁ、由梨花」
「何ですか、瑞希」
振り向いた少女は、いつもの仏頂面をしていた。
「どうして付いてくるんだ? 買い物くらい一人で出来るって」
マリーに命令を与えられた後、由梨花に捕まえられた。これから買い物に街へ出向くことを伝えると、『私も行くので少し待っていて下さい』なんて言って30分は待たされた。その間に出発すれば良かった、と今は後悔している。
「瑞希はこの街を出歩くのは初めてでしょう? 迷子になっては困ります、だから案内してあげているのではないですか」
「迷子になんてなるか、道くらい分かる。もうあっち行け、休日を楽しんで下さい班長様」
「ほ~う? 私の慈悲を無駄にするつもりですか」
「何が慈悲だ、ただの束縛だ!」
「そんなことを言いますか。考えてみて下さい、これは美味しい機会ですよ」
「何が?」
「さあ?」
一歩も引かず、腕を引っ張り続ける。
もはや、諦めにも似た感情が湧いていた。
「良いではないですか。私とショッピングに行くか、私と訓練するか、二つに一つだったのです。こちらのほうが、瑞希にとっては楽しいものだと思いますよ」
「その選択肢はおかしいだろ。休日なんだ、一人にしてくれたっていいじゃないか」
「自分の立場を理解していますか? あなたは私の部下なのですよ、命令に従って下さい」
「今日はオフなんですよねぇ!」
「口答えしますか? いいでしょう、上下関係をハッキリさせてあげますとも。もう一度殺りますか?」
「結構です!」
胸を貫く幻痛に襲われ、会話を無理矢理終わらせる。実力勝負ではこちらが上だ、と何の確証も無い自負で己を慰め。口喧嘩で勝った覚えはないのだ、どうせ必ず負ける、と経験に基づく思考で戦略的に撤退した。
負けを認めたワケじゃない。
「案内なら、ヴァルターさんのほうが良かったな……」
ボソッと呟いた言葉は、少女の地獄耳に捕らえられていた。
「瑞希……まさかとは思いますが、そのケがあるのですか?」
「ケ? どこの毛だ?」
「無自覚ですか? じゃあ聞きますが、私とヴァルター、どちらの案内が良いのですか?」
「そりゃヴァルターさんだろ。同じ男だし、服も無難なの選んでくれそうだし」
「はぁ……あんな暑苦しい男のどこが良いのですか。もう少し、視野を広げてみてはいかがですか」
少しだけ、不貞腐れた声音となった。
やはり人というのは分からない、このワガママ姫は特に。
「それに、彼にファッションセンスはありません。部下としては優秀ですが、休日には出会いたくありませんね」
「そこまで言うか」
「班長ですから」
言う間にも歩を進める。
この時間を惜しむように、足早に。
急いだのは自分だったろうか、それとも彼女だったろうか。
「ほら、そろそろ着きますよ」
大通りから僅かに逸れた小道を通り、目的の店へと到着した。急かされるように入店すると、真っ先に女性物の洋服が目に入る。男性物が隅に追いやられた配置にあり、客も女性が殆ど。
視線に晒され、とても居心地が悪い。
「瑞希には何が似合うでしょうか……つんつるてんになりそうですね、どれも」
「もう結構です、自分の服でも探して来たら?」
店に着いたのだ、コーディネイトまで任せたつもりはないし、十分だった。金貨での勘定もある程度は理解しているし、最後まで付き合う必要はない。
「ほ~う……それは、奢ってくれるという意味ですか?」
イヤらしい笑みを浮かべる。
「俺が? なぜに?」
「案内代を支払ってくれるのですね、いいですとも。一着だと思わないことです、何着だって奢ってもらいますよ」
「ふざけんな、そんな金持ってない」
「知ってるんですよ? マリーからひゃく──」
「やめろ! やめて下さい」
「お静かに。店内で大声を上げるとは何事ですか、迷惑です」
「悪かったよ……」
「は?」
「すみませんでした……」
この女、どうやって知った?
誰かに聞かれたのでは、と店内を見渡す。大丈夫だ、誰も聞いていない。おそらく。
スリに気を付けろ──それがマリーからの忠告だった。都とはいえ、やはり盗賊という輩は存在するらしい。光があれば影がある、当然といえば当然の事。ずっしりと金貨が詰まった巾着袋を、盗まれてはいないかと思い手で触れる。大丈夫、確かにある。
持ち出す量をもっと減らしておくべきだった。しかし入用なもの、興味を惹くものがあった時に足りなくては困る──結局、殆どを持ち出した。
「一着は買ってもらいます。いいですね?」
「はい……」
ワガママ姫の相手は疲れる。ヴァルターさん、いつもお疲れ様です。
「おや……フリーデではないですか」
「む? ユリカ……様。奇遇ですね」
男性物を物色しているうちに、由梨花は見知った顔を見かけたようだ。
「あなたもショッピングですか。ですがここは男物……ヴァルターにですか?」
「は、仰る通り」
「兄想いですね。全く、彼も素直になるべきなのですよ。こんなに想ってくれる妹がいるというのに」
「お気遣い頂き光栄」
なんとなく、見た記憶がある。
言葉遣いこそ似てはいるが、顔のつくりは似ていない兄妹。
ぼやけた記憶に、鬼の形相で兄を追う彼女の姿があった。仲の良い二人なんだろうな、などと勝手に解釈しておく。
「今日はお休みなのです、満喫して下さい」
「は、ではこれにて……」
休日である為、彼女も私服で来店していた。
団の切り込み隊長でもある由梨花がいては、落ち着いて買い物もできないだろう。彼女がそう思ったかは知らないが、短く会話を終わらせて場所を移す。
瞳が、俺を捉えた。
「貴様……」
「はい?」
ジロリ、と視線で舐め回される。
「ユリカ様と……」
鬼気迫る表情で、何か思案する。
「この男、しばしお借りしてもよろしいでしょうか」
言いながら手を取り、店の出口へ引っ張られる。
「ちょ、ちょっと!?」
「いいですよ。口答えした罰です、爪の一枚でも剥いで下さい」
「御意」
「はてな!?」
剥ぐってどういうことだ、何をしたというのか!? 大切な部下だろ、と言葉にしても少女は聞き入れず、フリーデに連行され行く。振りほどこうと抵抗するが、女性とは思えない怪力。逃げられない。
「暴れるな」
「助けろ由梨花、班長だろ!?」
「知りません」
「はあ!?」
見捨てられた!?
「いいから来い」
「助けて、痛いのはイヤだ!」
「店内ではお静かに」
「イヤだー!」
「彼女にケガさせたら許しませんよ、大切な部下の妹なのですから」
一体、何が彼女の気に触れたのだろう。
由梨花の姿がドアの隙間から消える瞬間、今朝見た夢を思い出した。鳥になって空を飛んでいたら、猛禽類に出会う夢だ。多分、あれは未来予知の一種だったのだろう。
肉食の天敵が、ここにいる。
「さて……貴様に聞きたいことがある」
「なんですか」
人気の無い路地裏へ連行された。
フリーデ・タリスマンは鋭い眼光で睨みつける。
女性客の視線よりも酷く、居心地が悪い。
「ユリカ様とどういう関係だ?」
「はい?」
呆然。
「ユリカ様とはどういう関係だと聞いている!」
「絞めないで……」
答えるのが遅いからって首を絞めるとは、教育がなってないぞヴァルター。
「部下です……」
「ユリカ様は部下を休日まで連れ歩かない、嘘をつくな!」
事実を言ったら発狂された。
「本当です……」
「ユリカ様との関係を言え! 爪を剥ぐ!」
猛禽類の瞳。だが一つの感情がちらついている。
「友達です……」
「友だと……?」
多分、これが正解だろう。
血の闘争団は家族だと誰かが言っていたが、今の自分には口に出来ない。いつか、気にもしなくなった時には言えるのだろう。
「絞めないで……」
「む……」
彼女をケガさせたら許しません──魔法を発動することは躊躇われる。あれは敵を倒すための呪いだ、人に向けていい代物ではない。だが天敵だ、食われる前に発動しなければ、と理性と本性が対抗していた。
「すまん、つい」
「つい、で人の首を絞めるんですか……」
血気盛んな団員ばかりじゃないか。闘争好きな、暴力集団。
「だが好機だ。貴様、ユリカ様とまぐわえ」
「はい?」
この女、何と言った。
「兄様をたぶらかすユリカ様とまぐわえ、と言っている!」
「絞めないで……」
言葉の意味も分からない。いや、現代文は得意なんだ、薄っすらと思い出して……ダメだ、脳に酸素が回されていない。
「一発なら問題ない! 出来なければ問題ない!」
「はなして……」
視界が霞む。世界が閉ざされる。だがうるさい存在が捲し立て、頬を何度も衝撃が襲う。
「接吻でもいい! 兄様の目を覚まさせるのだ!」
「たすけて……」
だから嫌だったんだ、由梨花と出歩くのは。
「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」
意識は朦朧。
帰ったら寝よう。
鳥籠の外は危険だらけだ、飼われるほうが気分が良い。
──本当に?
沈みゆく意識だったが、強烈なビンタで再び覚醒する。
「聞いているのか!? 接吻しろと言っているのだ!」
「やめて……」
「兄様あああああ! 私の愛を受け取ってえええええ!」
「ゆらさないで……」
ワガママ姫が、ここにもう一人。
「私はこんなに愛してるのに! どうして兄様は逃げるのだ!」
「やめろ……」
「兄様あああああ!!」
「うっ……」
愛を求めるお姫様。
「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」
猛烈な吐き気。
俺が一体何をしたというのか。
「む、六時課の鐘が鳴った……兄様を捕まえないと。今日こそ手料理を流し込む」
「…………」
正午を伝える鐘の音は、耳鳴りに掻き消された。
「ではな。いいか、接吻くらい何も問題ない、見せつけてやれ」
放心状態の俺を置いて、フリーデは明かりへと歩を進める。
「待ってて兄様、すぐに首輪と手錠をかけてあげる」
神々しく、輝いていた。
心の隙間を埋めようと、本性をさらけ出した彼女が羨ましかった。
自分も素直になれたらな、と思考したのを最後に、海に沈んだ。
意識を取り戻した時、誰かがいた。
「あっ……起きましたか」
「由梨花……?」
暖かな日光と、清らかな水のせせらぎ。それに混ざって、人の喧騒が遠くに聞こえる。
見上げた視界の先には、疲れた顔の由梨花がいた。
「まったく、大変だったのですよ? あなたをここまで運ぶのは」
「どこ……?」
上体を起こすと、真っ先に噴水が目に入る。どうやら公園、俺はベンチに寝ていたようだ。頭が置いてあった先に、由梨花が座っていた。パンパンに膨らんだポシェットをまさぐりながら。
思い出せ、何があった?
服を買いに行って、由梨花に連れていかれて、そして──そうだ、肉食獣に捕まったのだ。
「由梨花、お前……助けなかったな?」
「フリーデは気が触れやすいのでして……まあ、ドンマイとしか言えないです」
目線を逸らし、引き攣った顔で言う。
それで許すつもりはなかった。
「絞め堕とされたんだぞ!? これは犯罪だろ!?」
「だから謝っているではないですか」
「どこがだ!? 遺憾の意を表明しただけじゃねーか!」
「悪かったですよ」
「謝れー!」
「口答えしますか? ここで殺りますか?」
「受けて立つ!」
「いいでしょう、白黒ハッキリさせてあげます……黒が勝ちますが」
「やってやる!」
負けられない戦いが、ここにある。
体調は万全……とは言えないが、十分に戦える。いや待て、せっかくの休日に何をしようとしているんだ。立ち上がりそうになった体を押し留め、ベンチへ腰を掛ける。
「勝負を諦めたのですか? 蹂躙してあげましょうか?」
「結構です! 俺は服を買いに来たんだ、お前に構ってられるか!」
合わせて立ち上がった由梨花は拍子抜け。
つまらないですね──そう聞こえたが、無視してポケットをまさぐる。まさか気絶しているうちにスリにあっていないよな、そう思ったからだ。
「あれ……?」
巾着袋は確かにあった。
だが、異様に軽い。中身を確認すると、多少……というか、大分減っている。
「あっ……」
動転している俺の耳に、何かが散らばる音が届けられた。
どうやら由梨花のポシェットから、物が溢れてしまったようだ。しかし、午前中に見たポシェットはすっからかんで、中にはあんなに物が入っていない筈。香水の瓶とか、光物とか、お菓子とか……そんな物が入っているとは思えなかったのだが。
「おい、まさか……」
「…………」
仏頂面の少女は答えない。
表情を崩さずに物を拾い集め、何事も無かったかのように腰を下ろした。ベンチに置かれていた、畳まれた洋服を隠すように。
「まさかだよな、おい……」
「服の一着は買えます……」
まさかだった。
「泥棒だぞ!? 犯罪だぞ!?」
「いいではありませんか、教育費です」
「部下の金を巻き上げるなんてサイテーだ!」
「うるさいですね、殺りますか?」
「おう殺ってやる!」
長い言葉は不要、世界は残酷なのだから。
今度こそ立ち上がり、言霊を唱えて──
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
誰かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ。悪い、急に」
小さな、小さな子供に体当たりしてしまった。幸いどちらも転んではいないし、ケガもしていない。だというのに謝り続けている。
「全面的に瑞希が悪いんですよ」
「うるさいな……」
成り行きを見ていたであろう由梨花がポシェットをまさぐり、飴玉を手にして子供に語り掛けた。
「驚かせて申し訳ありません。これをどうぞ、気が落ち着きます」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
だが落ち着かないし、受け取らない。
よくよく見ると、都にしてはみすぼらしい衣服を纏っている。
それに幼い、少女だった。こんな公園で一人でいるのか、親はどこだろう。
「お金は好きですか? このお兄さんがたくさんくれるそうです」
「金で解決するなんてサイテーだ」
「問題ありません、教育費ですよ」
「間違った方向性に育つだろ!?」
事態が解決しないからって、金にものを言わせるとは。しかも奪った金で。
いやしかし、どうすれば良いのだろう。一向に落ち着く気配が無いし、親が迎えにでも来てくれると嬉しいのだが。
公園へ目を向けると、何事かとこちらを向く家族たちが目に入った。だがすぐに視線を逸らし、自分の子供を抱きしめる。何も見なかった、何もなかった──そう信じて。
視界の隅に、小さな異物が映り込む。衝撃でポケットから落ちていたのだろう、俺の巾着袋だった。それを拾い上げ、これからどうするべきかを考える。
「ここにいたか、探したぞグラナ」
「──ッ!」
その時、一人の男が声を掛けた。
貴族だろうか、周りと比べて随分と身なりの良い格好だ。そして肥え太っている。滲む汗を拭きながら、俺たちに一礼した。
「申し訳ありません、グラナが迷惑を掛けたようで──おや、血の闘争団のユリカ様ではありませんか! 御目にかかれて光栄」
帽子を脱いで礼をする姿はジェントルマン。後退していなければ完璧だった。
由梨花は仏頂面だったが、明らかに歪んでいた。油断すると爆笑してしまうのを堪えていたのだ。分かる、分かるぞ。
「今日は休みです、やめて下さい」
「は──ではこれにて。グラナ、行こうか」
「はい……」
グラナと呼ばれた少女は付き従い、男の後を追う。父子にしては年が離れているような……いや、知ったことではないか。余計な詮索はしない、それがマナーだ。
「瑞希、知っていますか?」
「何さ?」
ポツリ、と由梨花が呟く。
「この世界にはですね」
躊躇わずに。
「奴隷がいるのですよ」
言葉を紡いだ。
視線は、公園へ移った。
遊び続ける家族たちがいた。
恋人と寄り添う者たちがいた。
それらは、影絵のように掴みどころが無くなっていく。
すぐに、視線は戻った。
先導する豚と、付き従う少女。
──君も、囚われているのか。
足が、動き出した。
「ですが皆──瑞希?」
夢は遥か。
楽園は何処。
手掛かりは、掴んだ。
「目覚めろ、恐怖の王冠」
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
この手にある。
力がある。
「救済してあげるよぉ……」
羽ばたこう、一緒に。
祈ると共に、割れた剣先を少女へ向けた。
すっかり日も昇った午前九時。
三時課の鐘が鳴ると、マリーが座す団長室へ呼び出された。
「えっと……報酬を渡すためですか?」
いくら休日であるからといって、団員皆が出払っているワケではない。必要な事務仕事や事後処理の対応に追われ、忙しく働く団員だっている。そんな中を寝巻でうろつくのは気が引けるので、支給されたBDUに着替えてから足を向けた。
「ん、確かにそれもある。だが違うのだ、咎めはしないから言ってみろ」
「はぁ……」
団長は厳格な表情を崩さずに、回りくどく咎める。
俺一人が呼び出された理由か……恐らくだが、確信があった。
「マッサージですか?」
思いついたことを言ってみた。
マリーはしきりに肩が凝る、腰が痛いと言っていたのだ。昨日はいつの間にか寝てしまっていたために、団長命令を無視してしまった。きっと、それを怒っているのだ。
「してくれるのか? それは願ってもいない幸運だが……生憎、今は手が放せん」
言いながらも、手元にある書類の束へサインをはしらせる。多くの団員が休暇を満喫している中、団長であるマリーは卓上で戦争を繰り広げていた。
「負傷者への給付、親族への賠償、新たなる要塞の建造……しばらくは籠りっきりだな、終わってから頼もう」
一瞬だけ、表情が崩れる。
帰還していない団員もいる……その人を偲んだのだろうか。寮から向かう最中、微かに、すすり泣く声が聞こえた。血の闘争団は家族なのだ、自分にとっては他人であろうとも。
「はぁ……」
「君の働きには感謝している。少ないが、これを受け取ると良い」
キリの良いところで書類仕事を打ち切り、右手にペンを握ったまま、引き出しから革の小袋を取り出した。それを左手に持ち替えたかと思うと、俺に向かって放り投げた。緩い放物線を描くそれが墜落する直前に、危なげなくキャッチする。
「あ、ありがとうございます」
ずっしりと、見た目以上の重さが手に圧し掛かる。この世界では金貨が出回っているのだ、小袋の中身も金貨で間違いない。未開封のペットボトルを受け取ったような重さだ……金貨一枚がおよそ0,3グラム、ではこの中に何枚入っている?
「でも、何も投げなくたって……」
「ん……すまない。少し、疲れてしまってな」
言うと、マリーは顔を抑えて溜め息を吐いた。
椅子にもたれかかるように体を伸ばし、ゆっくりと深呼吸する。それから感じ取れたのは、疲れと怒り。
「核兵器でもあれば、被害は少なく済むのだがな……」
アメリカ出身だという女性は、愚痴をこぼした。
「マリー団長?」
「あぁすまない、君は日本人だったな。悪く思わないでくれ、ただの独り言だ」
「いえ……」
それは別の世界の話。
二度と繰り返してはいけない歴史。
誰もが理解している禁忌。
だが、もしもこの世界にあったのなら……頼ってしまうのだろうか。
「そんなもの無くとも対抗できるのだ。あの大砲の威力は見ただろう? 防衛拠点へ優先的に配備し、怪物どもを駆逐している。異能殺しの撃鉄と呼ばれているが、私はミョルニルに変更すべきだと思っている。あるいはトロールハンマー」
「はぁ……」
マリーは話題を逸らし、救援の際に見せつけた大砲のことを力説する。全てではないが、日本とアメリカでは価値観が違うのだ。核に抱いている印象も違う。それを気にしているのだろう。そう思考して、彼女が口にした単語へ意識を向ける。
ミョルニルか……確か、どこかの神話に登場した兵器だったか。
怪物を倒すために英雄が手にした、全てを粉砕する神話の武器。
「エーデル要塞は……不運だったと言う他ないが」
祈りを込めた、破壊の砲弾。
己ごと闇へと誘う魔術の結晶。
黒い雨を降らすこともなく、空気を汚染することもなく、ただ飲み込む兵器。
神話に挑むそれを以てしても、敵の侵攻を止めることは難しい。
「そう……ですね」
だからこそ、自分たちがいる。
神話の再現へと挑むのだ。
「これからは王国軍に出張って貰う。築城技術は向こうが上手だ、要塞は次の攻勢までに再建するだろう」
「王国軍?」
たびたび耳にしてはいたが、聞き慣れない言葉。
静謐の箱庭を包囲し、要塞へ駐屯し、最前線へ立つ存在。
「そう言えば、王国軍って何ですか? 今更ですけど」
「ユリカから聞いていないのか? 仕方ない、息抜きついでに教えてやろう……今更だが」
マリーは今度こそペンを置き、深く、息を吐いた。
「この国の守護者だ。自衛隊とでも言えば分かりやすいか? 異能の力は持っていないが、戦闘に長けた者で構成された軍隊だ。優秀な人材は引き抜いたり、こちらへ出向させて手伝いもする、我々のパートナーだ」
「へぇ……血の闘争団とは違う組織なんですね」
「そうだ。いいか、この国では彼らに逆らうな、決して問題を起こさないことだ。剣も持ち歩かない方がいい」
抑えた声で忠告する。
イデアル・プトラオム国の正式な軍隊だというのなら、楯突いた場合に制裁を受けるのは当然。
戦場で放り投げたジャマダハルは、マリーたちが回収し、現在は寮の部屋に安置されている。ティアからの贈り物を粗雑に扱ったことを反省しつつ、頷いた。
「はぁ、それはもちろん」
「あの怪物どもを殲滅する為に、我々は存在しているのだ。だが元凶でもある……快く思っていない者もいるのだ、天炎者のことを」
元凶、か。
そうだ、怪物が生まれたのは天炎者が元凶。転移者たちは過去の魔王を討伐し、世界に平和を取り戻したが、世界は均衡を求めてしまった。
「そう、ですか……」
「事情を知っているのは一部のみだがな。むしろ勇者の手伝いが出来ると喜ぶ者もいるのだ、あまり意識する必要はない、安心しろ」
ひらひらと手を動かしたのは、気にするな、という意思表示か。それとも、単に固まった手首をほぐしただけなのだろうか。
ヤツらを殲滅したら、また新たな怪物が出現するのではないか……余計な憶測は飲み込んだ。
「それで……まだ思いつかないのか?」
「はい?」
「呼び出した理由だ」
すっかり忘れてしまっていた。
だが報酬は受け取った、マッサージも今はお預け、では何の為に?
「自覚が無いのか? 食堂でぶちまけたそうだな?」
「!?」
「報告では、ウィーザが吐いた後に君も吐いたそうだな? ユリカがキレイに掃除したが、まだ臭うそうだ」
「すみません……」
忘れてなどいない、今朝の戦場。
ひたすら頭を下げ、謝罪を口にしたあの光景を忘れることなど出来るものか。幸いなことに利用者は少なかった為、異臭に悩まされた被害者は少ない……筈だ。罵る声も多くは聞こえなかったし、その場にいた者は許してくれた……筈だ。
まさか、団長にまで責められるとは思わなかった。
「こころなしか臭うな……どれ、近くに寄れ」
「いえ、遠慮します」
臭いフェチですか、なんてことを言う勇気はない。脱力している彼女ならともかく、団長である彼女には。
というかまだ臭うのか、しっかり洗ったし、着替えも済ませたのに。
「ん……では命ずる」
「はい?」
命令してまで臭いを嗅ぐのか、と思い身構えた……が、それは杞憂であった。
「これより街へ出向き、新たな衣類を購入せよ」
☆ ☆
都であるフォールベルツの街を歩く。
これまで生活していた村とは違い、目に入る建物は多くが石造りだった。裕福な家庭なのだろう、と浅はかな思考をしながら、通行する人にぶつからないよう歩を進める。
命令されたのは服の購入。
ファッションに興味などなかったし、いつも学生服を着ていた自分は、替えの服を多く持っていなかった。今着ているのは、村で購入した地味な服。
学生服はボロボロで、裁縫が得意な人の手に預けられた。やはり、あれを着ていないというのが落ち着かない。異色を放つ学生服は、この世界での僅かな誇りだった。
まぁ、いいか。
今は命令を実行して早く帰ろう。やはり人込みは苦手だ、村と比べて倍以上の数の人間に飲み込まれてしまいそうだ。適当な服屋を見つけて、適当な衣服を買って帰ろう。
休日なのだからのんびりと……いや、あの子の元へ訪れようか。
「そっちじゃないですよ、こっちです」
腕をグイッと掴まれ、反対方向へ引っ張られる。
「おススメの服屋があるのです、そこで購入しましょう」
落ち着いた色の服を着た少女に先導され、見知らぬ通路を歩き続けた。持ち主の内面を表現するかのように、小さなポシェットが激しく揺れる。
「なぁ、由梨花」
「何ですか、瑞希」
振り向いた少女は、いつもの仏頂面をしていた。
「どうして付いてくるんだ? 買い物くらい一人で出来るって」
マリーに命令を与えられた後、由梨花に捕まえられた。これから買い物に街へ出向くことを伝えると、『私も行くので少し待っていて下さい』なんて言って30分は待たされた。その間に出発すれば良かった、と今は後悔している。
「瑞希はこの街を出歩くのは初めてでしょう? 迷子になっては困ります、だから案内してあげているのではないですか」
「迷子になんてなるか、道くらい分かる。もうあっち行け、休日を楽しんで下さい班長様」
「ほ~う? 私の慈悲を無駄にするつもりですか」
「何が慈悲だ、ただの束縛だ!」
「そんなことを言いますか。考えてみて下さい、これは美味しい機会ですよ」
「何が?」
「さあ?」
一歩も引かず、腕を引っ張り続ける。
もはや、諦めにも似た感情が湧いていた。
「良いではないですか。私とショッピングに行くか、私と訓練するか、二つに一つだったのです。こちらのほうが、瑞希にとっては楽しいものだと思いますよ」
「その選択肢はおかしいだろ。休日なんだ、一人にしてくれたっていいじゃないか」
「自分の立場を理解していますか? あなたは私の部下なのですよ、命令に従って下さい」
「今日はオフなんですよねぇ!」
「口答えしますか? いいでしょう、上下関係をハッキリさせてあげますとも。もう一度殺りますか?」
「結構です!」
胸を貫く幻痛に襲われ、会話を無理矢理終わらせる。実力勝負ではこちらが上だ、と何の確証も無い自負で己を慰め。口喧嘩で勝った覚えはないのだ、どうせ必ず負ける、と経験に基づく思考で戦略的に撤退した。
負けを認めたワケじゃない。
「案内なら、ヴァルターさんのほうが良かったな……」
ボソッと呟いた言葉は、少女の地獄耳に捕らえられていた。
「瑞希……まさかとは思いますが、そのケがあるのですか?」
「ケ? どこの毛だ?」
「無自覚ですか? じゃあ聞きますが、私とヴァルター、どちらの案内が良いのですか?」
「そりゃヴァルターさんだろ。同じ男だし、服も無難なの選んでくれそうだし」
「はぁ……あんな暑苦しい男のどこが良いのですか。もう少し、視野を広げてみてはいかがですか」
少しだけ、不貞腐れた声音となった。
やはり人というのは分からない、このワガママ姫は特に。
「それに、彼にファッションセンスはありません。部下としては優秀ですが、休日には出会いたくありませんね」
「そこまで言うか」
「班長ですから」
言う間にも歩を進める。
この時間を惜しむように、足早に。
急いだのは自分だったろうか、それとも彼女だったろうか。
「ほら、そろそろ着きますよ」
大通りから僅かに逸れた小道を通り、目的の店へと到着した。急かされるように入店すると、真っ先に女性物の洋服が目に入る。男性物が隅に追いやられた配置にあり、客も女性が殆ど。
視線に晒され、とても居心地が悪い。
「瑞希には何が似合うでしょうか……つんつるてんになりそうですね、どれも」
「もう結構です、自分の服でも探して来たら?」
店に着いたのだ、コーディネイトまで任せたつもりはないし、十分だった。金貨での勘定もある程度は理解しているし、最後まで付き合う必要はない。
「ほ~う……それは、奢ってくれるという意味ですか?」
イヤらしい笑みを浮かべる。
「俺が? なぜに?」
「案内代を支払ってくれるのですね、いいですとも。一着だと思わないことです、何着だって奢ってもらいますよ」
「ふざけんな、そんな金持ってない」
「知ってるんですよ? マリーからひゃく──」
「やめろ! やめて下さい」
「お静かに。店内で大声を上げるとは何事ですか、迷惑です」
「悪かったよ……」
「は?」
「すみませんでした……」
この女、どうやって知った?
誰かに聞かれたのでは、と店内を見渡す。大丈夫だ、誰も聞いていない。おそらく。
スリに気を付けろ──それがマリーからの忠告だった。都とはいえ、やはり盗賊という輩は存在するらしい。光があれば影がある、当然といえば当然の事。ずっしりと金貨が詰まった巾着袋を、盗まれてはいないかと思い手で触れる。大丈夫、確かにある。
持ち出す量をもっと減らしておくべきだった。しかし入用なもの、興味を惹くものがあった時に足りなくては困る──結局、殆どを持ち出した。
「一着は買ってもらいます。いいですね?」
「はい……」
ワガママ姫の相手は疲れる。ヴァルターさん、いつもお疲れ様です。
「おや……フリーデではないですか」
「む? ユリカ……様。奇遇ですね」
男性物を物色しているうちに、由梨花は見知った顔を見かけたようだ。
「あなたもショッピングですか。ですがここは男物……ヴァルターにですか?」
「は、仰る通り」
「兄想いですね。全く、彼も素直になるべきなのですよ。こんなに想ってくれる妹がいるというのに」
「お気遣い頂き光栄」
なんとなく、見た記憶がある。
言葉遣いこそ似てはいるが、顔のつくりは似ていない兄妹。
ぼやけた記憶に、鬼の形相で兄を追う彼女の姿があった。仲の良い二人なんだろうな、などと勝手に解釈しておく。
「今日はお休みなのです、満喫して下さい」
「は、ではこれにて……」
休日である為、彼女も私服で来店していた。
団の切り込み隊長でもある由梨花がいては、落ち着いて買い物もできないだろう。彼女がそう思ったかは知らないが、短く会話を終わらせて場所を移す。
瞳が、俺を捉えた。
「貴様……」
「はい?」
ジロリ、と視線で舐め回される。
「ユリカ様と……」
鬼気迫る表情で、何か思案する。
「この男、しばしお借りしてもよろしいでしょうか」
言いながら手を取り、店の出口へ引っ張られる。
「ちょ、ちょっと!?」
「いいですよ。口答えした罰です、爪の一枚でも剥いで下さい」
「御意」
「はてな!?」
剥ぐってどういうことだ、何をしたというのか!? 大切な部下だろ、と言葉にしても少女は聞き入れず、フリーデに連行され行く。振りほどこうと抵抗するが、女性とは思えない怪力。逃げられない。
「暴れるな」
「助けろ由梨花、班長だろ!?」
「知りません」
「はあ!?」
見捨てられた!?
「いいから来い」
「助けて、痛いのはイヤだ!」
「店内ではお静かに」
「イヤだー!」
「彼女にケガさせたら許しませんよ、大切な部下の妹なのですから」
一体、何が彼女の気に触れたのだろう。
由梨花の姿がドアの隙間から消える瞬間、今朝見た夢を思い出した。鳥になって空を飛んでいたら、猛禽類に出会う夢だ。多分、あれは未来予知の一種だったのだろう。
肉食の天敵が、ここにいる。
「さて……貴様に聞きたいことがある」
「なんですか」
人気の無い路地裏へ連行された。
フリーデ・タリスマンは鋭い眼光で睨みつける。
女性客の視線よりも酷く、居心地が悪い。
「ユリカ様とどういう関係だ?」
「はい?」
呆然。
「ユリカ様とはどういう関係だと聞いている!」
「絞めないで……」
答えるのが遅いからって首を絞めるとは、教育がなってないぞヴァルター。
「部下です……」
「ユリカ様は部下を休日まで連れ歩かない、嘘をつくな!」
事実を言ったら発狂された。
「本当です……」
「ユリカ様との関係を言え! 爪を剥ぐ!」
猛禽類の瞳。だが一つの感情がちらついている。
「友達です……」
「友だと……?」
多分、これが正解だろう。
血の闘争団は家族だと誰かが言っていたが、今の自分には口に出来ない。いつか、気にもしなくなった時には言えるのだろう。
「絞めないで……」
「む……」
彼女をケガさせたら許しません──魔法を発動することは躊躇われる。あれは敵を倒すための呪いだ、人に向けていい代物ではない。だが天敵だ、食われる前に発動しなければ、と理性と本性が対抗していた。
「すまん、つい」
「つい、で人の首を絞めるんですか……」
血気盛んな団員ばかりじゃないか。闘争好きな、暴力集団。
「だが好機だ。貴様、ユリカ様とまぐわえ」
「はい?」
この女、何と言った。
「兄様をたぶらかすユリカ様とまぐわえ、と言っている!」
「絞めないで……」
言葉の意味も分からない。いや、現代文は得意なんだ、薄っすらと思い出して……ダメだ、脳に酸素が回されていない。
「一発なら問題ない! 出来なければ問題ない!」
「はなして……」
視界が霞む。世界が閉ざされる。だがうるさい存在が捲し立て、頬を何度も衝撃が襲う。
「接吻でもいい! 兄様の目を覚まさせるのだ!」
「たすけて……」
だから嫌だったんだ、由梨花と出歩くのは。
「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」
意識は朦朧。
帰ったら寝よう。
鳥籠の外は危険だらけだ、飼われるほうが気分が良い。
──本当に?
沈みゆく意識だったが、強烈なビンタで再び覚醒する。
「聞いているのか!? 接吻しろと言っているのだ!」
「やめて……」
「兄様あああああ! 私の愛を受け取ってえええええ!」
「ゆらさないで……」
ワガママ姫が、ここにもう一人。
「私はこんなに愛してるのに! どうして兄様は逃げるのだ!」
「やめろ……」
「兄様あああああ!!」
「うっ……」
愛を求めるお姫様。
「はぁ……はぁ……すまん、つい」
「…………」
猛烈な吐き気。
俺が一体何をしたというのか。
「む、六時課の鐘が鳴った……兄様を捕まえないと。今日こそ手料理を流し込む」
「…………」
正午を伝える鐘の音は、耳鳴りに掻き消された。
「ではな。いいか、接吻くらい何も問題ない、見せつけてやれ」
放心状態の俺を置いて、フリーデは明かりへと歩を進める。
「待ってて兄様、すぐに首輪と手錠をかけてあげる」
神々しく、輝いていた。
心の隙間を埋めようと、本性をさらけ出した彼女が羨ましかった。
自分も素直になれたらな、と思考したのを最後に、海に沈んだ。
意識を取り戻した時、誰かがいた。
「あっ……起きましたか」
「由梨花……?」
暖かな日光と、清らかな水のせせらぎ。それに混ざって、人の喧騒が遠くに聞こえる。
見上げた視界の先には、疲れた顔の由梨花がいた。
「まったく、大変だったのですよ? あなたをここまで運ぶのは」
「どこ……?」
上体を起こすと、真っ先に噴水が目に入る。どうやら公園、俺はベンチに寝ていたようだ。頭が置いてあった先に、由梨花が座っていた。パンパンに膨らんだポシェットをまさぐりながら。
思い出せ、何があった?
服を買いに行って、由梨花に連れていかれて、そして──そうだ、肉食獣に捕まったのだ。
「由梨花、お前……助けなかったな?」
「フリーデは気が触れやすいのでして……まあ、ドンマイとしか言えないです」
目線を逸らし、引き攣った顔で言う。
それで許すつもりはなかった。
「絞め堕とされたんだぞ!? これは犯罪だろ!?」
「だから謝っているではないですか」
「どこがだ!? 遺憾の意を表明しただけじゃねーか!」
「悪かったですよ」
「謝れー!」
「口答えしますか? ここで殺りますか?」
「受けて立つ!」
「いいでしょう、白黒ハッキリさせてあげます……黒が勝ちますが」
「やってやる!」
負けられない戦いが、ここにある。
体調は万全……とは言えないが、十分に戦える。いや待て、せっかくの休日に何をしようとしているんだ。立ち上がりそうになった体を押し留め、ベンチへ腰を掛ける。
「勝負を諦めたのですか? 蹂躙してあげましょうか?」
「結構です! 俺は服を買いに来たんだ、お前に構ってられるか!」
合わせて立ち上がった由梨花は拍子抜け。
つまらないですね──そう聞こえたが、無視してポケットをまさぐる。まさか気絶しているうちにスリにあっていないよな、そう思ったからだ。
「あれ……?」
巾着袋は確かにあった。
だが、異様に軽い。中身を確認すると、多少……というか、大分減っている。
「あっ……」
動転している俺の耳に、何かが散らばる音が届けられた。
どうやら由梨花のポシェットから、物が溢れてしまったようだ。しかし、午前中に見たポシェットはすっからかんで、中にはあんなに物が入っていない筈。香水の瓶とか、光物とか、お菓子とか……そんな物が入っているとは思えなかったのだが。
「おい、まさか……」
「…………」
仏頂面の少女は答えない。
表情を崩さずに物を拾い集め、何事も無かったかのように腰を下ろした。ベンチに置かれていた、畳まれた洋服を隠すように。
「まさかだよな、おい……」
「服の一着は買えます……」
まさかだった。
「泥棒だぞ!? 犯罪だぞ!?」
「いいではありませんか、教育費です」
「部下の金を巻き上げるなんてサイテーだ!」
「うるさいですね、殺りますか?」
「おう殺ってやる!」
長い言葉は不要、世界は残酷なのだから。
今度こそ立ち上がり、言霊を唱えて──
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
誰かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ。悪い、急に」
小さな、小さな子供に体当たりしてしまった。幸いどちらも転んではいないし、ケガもしていない。だというのに謝り続けている。
「全面的に瑞希が悪いんですよ」
「うるさいな……」
成り行きを見ていたであろう由梨花がポシェットをまさぐり、飴玉を手にして子供に語り掛けた。
「驚かせて申し訳ありません。これをどうぞ、気が落ち着きます」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
だが落ち着かないし、受け取らない。
よくよく見ると、都にしてはみすぼらしい衣服を纏っている。
それに幼い、少女だった。こんな公園で一人でいるのか、親はどこだろう。
「お金は好きですか? このお兄さんがたくさんくれるそうです」
「金で解決するなんてサイテーだ」
「問題ありません、教育費ですよ」
「間違った方向性に育つだろ!?」
事態が解決しないからって、金にものを言わせるとは。しかも奪った金で。
いやしかし、どうすれば良いのだろう。一向に落ち着く気配が無いし、親が迎えにでも来てくれると嬉しいのだが。
公園へ目を向けると、何事かとこちらを向く家族たちが目に入った。だがすぐに視線を逸らし、自分の子供を抱きしめる。何も見なかった、何もなかった──そう信じて。
視界の隅に、小さな異物が映り込む。衝撃でポケットから落ちていたのだろう、俺の巾着袋だった。それを拾い上げ、これからどうするべきかを考える。
「ここにいたか、探したぞグラナ」
「──ッ!」
その時、一人の男が声を掛けた。
貴族だろうか、周りと比べて随分と身なりの良い格好だ。そして肥え太っている。滲む汗を拭きながら、俺たちに一礼した。
「申し訳ありません、グラナが迷惑を掛けたようで──おや、血の闘争団のユリカ様ではありませんか! 御目にかかれて光栄」
帽子を脱いで礼をする姿はジェントルマン。後退していなければ完璧だった。
由梨花は仏頂面だったが、明らかに歪んでいた。油断すると爆笑してしまうのを堪えていたのだ。分かる、分かるぞ。
「今日は休みです、やめて下さい」
「は──ではこれにて。グラナ、行こうか」
「はい……」
グラナと呼ばれた少女は付き従い、男の後を追う。父子にしては年が離れているような……いや、知ったことではないか。余計な詮索はしない、それがマナーだ。
「瑞希、知っていますか?」
「何さ?」
ポツリ、と由梨花が呟く。
「この世界にはですね」
躊躇わずに。
「奴隷がいるのですよ」
言葉を紡いだ。
視線は、公園へ移った。
遊び続ける家族たちがいた。
恋人と寄り添う者たちがいた。
それらは、影絵のように掴みどころが無くなっていく。
すぐに、視線は戻った。
先導する豚と、付き従う少女。
──君も、囚われているのか。
足が、動き出した。
「ですが皆──瑞希?」
夢は遥か。
楽園は何処。
手掛かりは、掴んだ。
「目覚めろ、恐怖の王冠」
──残響の檻に囚われし
──其は、高炉を廻す泥人形
──胎動せよ、無垢なる辜
この手にある。
力がある。
「救済してあげるよぉ……」
羽ばたこう、一緒に。
祈ると共に、割れた剣先を少女へ向けた。
応援ありがとうございます!
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