異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase2 力の覚醒への一歩的な何か!

都へようこそ!④

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 きっと、呪いなんかじゃない。
 確かに、魔法なんだ。

舌斬雀のアンザム──」

 魂を救済する、ただ一つの魔法。
 水平に構えた右手に熱が集まると、剣先から光が迸った。それは10メートルは離れただろう少女に狙いを定め、発射の命令を今か今かと待ち望んだ。

「──カイト

 囚われの君へ、安らぎを。
 揺蕩う亡者に、救済を。
 幼くして奴隷となった少女の魂を、救わなければ。知識にある奴隷のイメージは、どれもが悲惨な末路を遂げていたように思う。強制労働、性的虐待、挙句の果てには玩具扱いして殺害……君も、そんな目にあっているのだろうか。
 なら、助けなければ。鳥籠に囚われるのは残酷なことなのだから。だが外の世界は天敵だらけだ、苦しいこともあるだろう、辛いこともあるだろう。だから、肉体との呪縛を絶ってあげる。

 無意識に言霊を紡いで、少女の解放をただ願った。
 多分、笑っていたと思う。

 罪にまみれた自分でも、誰かを救うことが出来るという自尊心。魂という領域まで踏み込んで、それを壊せるという優越感。救世主となったのだ、という愚かな自負。

 ──主人公になろう、一緒に。

 好きにしていいんだ、この世界を。
 さぁ、君を楽園へ招待してあげる。
 一条の光が少女を貫くのを、今か今かと待ち望んだ。その魂に触れたい、見たい、汚したい、壊したい……蹂躙したい。
 不意に、少女が見せた泣き顔を思い出した。あぁ、そんなに涙を浮かべて謝らないで。今から楽しい、楽しい虚無の世界へ誘ってあげるから。お代はいらない、その魂を賭けてくれればそれでいい。綺麗なのか、汚いのか、見せてくれればそれでいい。

 刹那の痛みでこの世界を旅立てるんだ、それは何と嬉しいことだろう。自分も行きたい、だが救わなければならない人はごまんといるのだ、まだ共にはいけない。それが悲しい。だが安心して欲しい、向こうでは彼が待っているのだから。

 箱舟は彼方。
 深淵は間近。
 もう戻れない、と誰かが言う。
 光が少女を貫く直前、何かが視界を遮った。

「お……?」

 右腕が曲がる、不思議な感覚。だが折り曲げる方向が反対だ、何故上腕が天に向けられ、前腕が地へ垂れているのだ?

「おぉ……?」

 バキンバキン、と不快な音が響き渡る。鼓膜を震わせたのではなく、体内を伝播して響いていた。伝導したのは、恐らく骨だ。

「何をしているのですか!!」

 視界を遮った黒い影が、怒鳴り声をあげる。
 何を怒っているのだ、自分は善行をしているだけだ。だからどいてくれ、邪魔をするな。

「目を覚ましなさい、山城瑞希!!」
「──ッ!」

 カチリ、と歯車が噛み合った。
 そうだ、自分はそんな名前だ。異世界に堕とされ、呪いを与えられ、血の闘争団へ入団した人間だ。そして今日は街へ買い物に出掛けて、目の前にいる由梨花に付き合わされて、肉食獣に恐喝されて……そして?

 そうだ、奴隷の少女と出会ったのだ。
 由梨花の肩越しに、何事かと振り返ったグラナの顔があった。

「あれ、俺は──」
「目を覚ませと言っているのです!!」
「へ?」
「いい加減にしなさい!!」

 叫んだかと思うと、由梨花が力強く地面を蹴る。渾身の力を込めた膝蹴りが、俺の折れ曲がった右肘に直撃した。

「いっ……!?」

 激痛。反射的に目を瞑ってしまった。堪えて瞼を開くと、何か白いものが服を突き破って姿を現していた。気絶しなかったのは僥倖と言わざるを得ない。

「ほ……骨!?」
「ようやくお目覚めですか……自分が何をしでかそうとしたか、分かっていますか?」
「はあ!?」

 由梨花こそ何をしでかしている、勝手に腕をぐちゃぐちゃにして──そう言える状況ではない。明らかに、殺意に満ちた眼光。捕食対象を見つけた獣。

「何って……別に何も……」

 激痛を堪えて返答する。脂汗が止まらないし、ぬめった感覚が右腕全体に纏わりついている。アドレナリンが放出されるが、痛みを完全に麻痺させることは叶わない。
 俺を責めるのは道理が通らないだろう、決闘なんていつ開始された?

「自覚無し、ですか。これはマズイですね……」
「マズイのは俺の腕だ! は、早く救急車を呼んでくれ!」
「ありませんよそんなもの。今更、腕の一本で泣き言を言わないで下さい」
「はあ!? 犯罪だぞ、傷害事件だぞ!?」
「いいから黙って下さい、これ以上騒ぎを大きくしないで下さい」
「騒ぎの元凶が何言ってんだ!?」
「黙りなさい!」
「ぶっ!?」

 顔面に強烈な衝撃。ビンタなんて生ぬるいものではない、明らかに拳で殴られた。ゴキッと鈍い音が聞こえたが、まさか鼻まで折れてはいないよな。

「ひどい……」
「あなたは私の部下です、命令を厳守して下さい」

 同年代の上司はご立腹。
 せっかくの休日は、とんだ厄日であったようだ。

「ここにはいられません、すぐに帰りますよ」

 痛みを堪えて蹲る俺を傍目に、奪った金貨で購入した洋服や手荷物を纏めて帰り支度。テキパキと終わらせると、誰かに向けて囁いた。

「ヴァルター。ヴァルター、いないのですか?」

 名を呼んだのは配下の騎士。彼女曰く、休日には出会いたくない男。
 いつも由梨花の隣にいた存在は、今日は姿を現さない。代わりに、別の騎士が物陰から這い出てきた。

「ヴァルター殿はフリーデ殿から逃げております、ユリカ様」

 のそのそとベンチの下から這い出したのは、もう一人の部下であるウィーザだった。スニーキングが休日の過ごし方なのだろうか、変わった趣味だな。

「今日も隠れていましたか……咎めはしませんが、いい加減にやめて下さい」
「申し訳ないであります、ですが心配でありますので……」
「見ているだけでは意味がありませんよ? 今だって私が手を下したのですよ?」
「申し訳ないであります、突然のことでありましたので……」

 風景に溶け込む彩色を施した服を着るウィーザは、力なく首を垂れる。手を下した、というのは俺の腕を砕いたことで間違いない。ウィーザも見ていたのなら止めてくれれば良かったのに。
 しかし、どこから見ていた? フリーデに襲われた時も見ていて止めなかったのか?

「本当に……手のかかる班ですね」

 班長は頭を抱えてひとりごちる。

「まあいいです。ウィーザ、後は任せましたよ」
「はい! 波風立てず、でありますね。お任せ下さい!」

 酔いが完全に醒めた騎士は足早に、奴隷とジェントルマンの元へ歩を進めた。男ははにかんだ笑顔を見せ、ウィーザと談笑しているようだった。

「瑞希、我々は帰りますよ」
「えぇ……服買えてないんだけど」
「また買いにくれば良いではないですか。マリーの命令など知りませんよ、現場の命令が優先されます」
「団長命令だぞ!?」
「口答えしないで下さい、殺りますよ?」
「ぐっ……悪かったよ」
「は?」
「すみませんでした……」

 確かに、こんな状態で買い物など続けられない。感覚の戻らない右腕をさすり、ふらふらと立ち上がる。
 決闘など尚更できない。魔法を発動すれば傷の治りも多少は早くなるだろうが、衆人環視の中で言霊を唱えるのは恥ずかしい。それに村とは桁違いの人口なのだ、もし負けてしまっては沽券にかかわる。

「せっかくの休日が台無しです」
「台無しなのは俺の腕だ!」
「ツバつけておけばすぐ治りますよ」
「んなワケあるか!」
「私がつけてあげますか?」
「お断りします!」
「では焼いてあげますよ。レアですか、ミディアムですか? 好きな焼き加減で塞いであげます」
「ステーキじゃないんだぞ!? カニバリズムなんてサイテー!」
「誰が男の腕など食べますか。私を食べるならともかく」
「誰がお前なんか食うか! 鶏ガラみたいな体しやがって、もっと肉つけろ!」
「は?」
「なんだよ!?」
「言っていい事と悪いことがあります。殺りますよ?」
「ぐっ……悪かったよ」
「は?」
「すみませんでした……」

 少女は俺の左腕を掴み、血の闘争団本部へ向けて引っ張っていく。倒れないよう気を付けながら、噴水のある公園を後にした。
 しかし、由梨花は何故俺の腕を折ったのだ? 難しい年頃の女子高生は分からない、何をしでかすのか本当に分からない。ただ単にムシャクシャしてやったのだろうか、班長として活動するのはストレスが溜まりそうではあるし。解消するのに手をあげるのは理不尽だが、天炎者は体が丈夫で傷の治りも早い、格好のサンドバッグだ……本当に理不尽だな。

 公園を抜けると、人でごった返す中央通りに出た。右腕を隠しながら、由梨花の後を追う。人の群れとすれ違う度、微笑ましい会話や笑い声が聞こえてきた。今日の夕飯は何にしよう、誕生日プレゼントは何にしよう、明日着る服は何にしよう──平和に暮らす者たちがいた。

 目を逸らし、背を向けた光。
 それを守るために、ここにいる。
 苛つきなど覚えるな。殺意など目覚めさせるな。
 自分は一人の戦士なのだから。

 感情が渦巻く最中、由梨花は人通りの少ない路地裏へ俺を誘導し、右腕を無理矢理修復しようとした。

「ひっ……!?」
「我慢して下さい、男の子でしょう?」

 修復というのはつまり、折れた骨をくっつけるということ。

「や……やめろ!」
「安心して下さい、手先は器用ですから」
「む、無理無理……!」
「骨を接げばすぐに治ります。このまま放っておいたら曲がったままですよ、それでもいいなら止めますが」
「接いだところで治らないって! 開放骨折したんだ、手術しないと!」
「腕を生やしておいて何を言いますか。ですが魔法の発動は許しませんよ、言霊を唱えたら喉を切ります」
「慈悲はないのか!?」
「腕一本で済ませたことが慈悲なのです」
「そんな殺生な!? 優しかった由梨花は何処へ行った!?」
「口答えはいい加減に──」
「すみませんでした……」

 抵抗は無意味だった。班長である由梨花に楯突くのは命がけ。
 ぷらぷらとだらしなく揺れる腕に、真剣な表情をした由梨花の手が触れる。
 瞬間、激痛。

「ひっ……!?」
「まだこれからですよ、歯を食いしばって下さい。くれぐれも絶叫をあげないように」
「無理無理無理無理!」
「はあ……ダルマにしたくなってきました」
「……ッ!?」
「四肢を落とされるのと、どちらが痛いでしょうね?」

 暴れ出した体が停止する。
 この女は危険過ぎる、腕を躊躇なく粉砕したのだ、手足を捥ぐなど造作もない。事あるごとに言っていた、内に秘めた野望を達成させるワケにはいかない、俺の為にも。

「優しくお願いします、由梨花班長……」
「情けないことを言わないで下さい」
「俺、初めてなんです……」
「あなたが言うと気持ち悪いですよ」
「何が?」
「さあ?」

 開放骨折も骨を無理矢理接ぐのも初めてなのだ、何がおかしいというのか。

「声を上げないで下さいね、軍に聞かれては面倒です」
「軍? 王国軍のことか?」

 丁度マリーが説明したばかりの存在。血の闘争団とのパートナーだ、騒ぎになるのはマズイのだろうか。

「そうです。一部の者ではありますが、天炎者を排除しようと動いているのです、隙を与えてはいけません」
「聞いたな……お互いに命を懸けて戦ってるのに?」
「色々とあるのですよ」
「色々、ねぇ」

 一人の人間ですら色々あるのだ、団体にだって色々ある。それは分かるが、こんな状況であっても理解し合えないというのは物悲しい。
 周りとの関係を絶とうとした自分には、踏み込めない話題だった。

「奴隷のこともです。何も皆が性奴隷になっているワケではありません、それは偏った考えですよ」
「奴隷? そうだ、さっきの女の子は奴隷なんだって?」
「あなたを揺さぶった原因はそれでしょうね。まったく、人の話は最後まで聞いて下さい」

 由梨花は大きな溜め息を吐く。
 奴隷という言葉を聞いてからの記憶が、何故かもやがかかったようにぼやけている。奴隷を見て何か行動した筈だ、それは間違いない。
 物語の主人公のように、主人との関係を絶ち切ろうとしたのだろうか。そして自分の奴隷として侍らせようとしたのだろうか。だが幼い少女だ、幼女と言っても刺し違えないほどの幼さだった。手を出すつもりなど毛頭ないが、そのことを風紀の乱れと判断し、由梨花が暴力に頼ったのだろうか。いやまさか。
 思い出そうと神経を研ぎ澄ませるが、右手の激痛に阻まれてしまう。

「まあいです、後で説明しますから……では、覚悟はいいですか?」
「ひっ……!?」

 握力が強くなる。
 いよいよ、骨と骨を繋ぎ合わせるのだ。素人の直感で。
 上手く行くとは到底思えないが、自分で接ぐ勇気もない。魔法を発動出来たのなら、怖いもの無しな気分で接げるのだろうが、それは許されていない。由梨花に身を委ねるしかなかった。

「何かで口を塞いで下さい、私が無理矢理塞いでもいいですが」
「焼くのか!? そんなのイヤだ、左腕噛むから!」
「焼きませんよ……怯えずとも良いではないですか」
「明らかに残念そうな顔するんじゃねーよ、暴力女!」
「ほ~う……傷付きました」
「は?」
「えいっ」
「──ッ!?」
 
 ぐちゃっ、と不快な音。
 神経が暴れ回る、電撃のような刺激。
 中途半端な心構えの最中に、少女は腕をくっつけた。

「────」

 電撃なんて優しいものではない。ヴァルターに与えられた電撃責めなんて温いものではない。まさに、雷が直撃したかのような、骨格が透けて見えるほどの衝撃。
 口はだらしなく開いてた。
 だが悲鳴をあげることすら出来ない。

「ふむ、なかなか上手く出来ました。後は当て木でも……無事ですか瑞希?」

 やり遂げた、と少女はすまし顔。
 もちろん視界に映っているワケもなく。

「あっ……気絶しましたか」

 微かに意識はあった。ひたすら気絶を願うが、空しくも叶わない。

「まあいいでしょう、乙女を傷付けた罰です……はぁ、ティアさんが可哀想に思えてきました」

 ぶつくさ言いながら、適当な木材を探しに行く。放心状態の俺はただ、ここにいた。
 神よ、俺が一体何をしたというのか──今日だけで何度思考したか分からないが、いもしない神に己の罰を問う。
 答えなんて届けられる筈もなく、由梨花のビンタを食らうまで呆然としていた。手先が器用なのが関係するかは分からないが、右腕は綺麗に巻かれた包帯で包まれていた。俺の金貨で購入した上質な包帯らしい、ということは聞かなかった事にしておこう。

 震えながら寮に帰ると、泥のように眠った。
 由梨花は話があるとか言っていたが知ったことか、これ以上隣にいて欲しくはなかった。何せ今日は休日だ、ゆっくり休んで何が悪い。それに話の内容も分かる、正規軍と血の闘争団との関係だ。一団員である自分にとっては大した問題ではないのだ、班長や団長が知っていれば良いだろう。

 そう思い、部屋に帰ってベッドへ潜り込んだ。由梨花も止めはしなかったのだし、何も問題は無い。
 奴隷である少女のことも気掛かりではあったが、なるべく意識の外に置いた。自分に何が出来るワケでもないのだ、自分一人すら守れない、非力な俺には。

 夢を見よう。
 山を登る、ありふれた夢を。
 天敵の猛禽類も、凶暴な肉食獣も出没しない、静かな山を登ろう。
 夢を見ることは叶わないと薄々感じていながら、意識は海へと沈んでいった。

 翌日。
 目覚めたら牢屋にいた。
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