異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase2 力の覚醒への一歩的な何か!

ホテルへようこそ!③

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 ──回顧の獄に鎖されし
 ──其は、暖炉を舞わす西洋フランス人形
 ──窃取せよ、初心なるけがれ

 肌がざわめく。
 恐怖に怯える。
 強者の嘶きは、呪文と共に。

恋人の嘆きベゼッセンハイト

 死地に追い詰められた草食動物が放つ、慈悲なる一撃クード・グラス

「な……!?」

 目線を合わせていた由梨花はいち早く異変に気付いて後退するが、中腰姿勢であった為に足をもつれさせる。倒れ込みはしなかったものの、無防備であることに変わりはない。

 無警戒を狙った一撃。
 自衛の言霊も唱えられず、何かが由梨花の体に突き刺さった。

「──ッ!?」

 グラナの手に握られていたのは、銀の装飾が施されたレイピア。蒲公英色の装甲を右腕に纏い、力強く由梨花の胸に突き立てた。

 飛び散る赤。
 倒れいく友。

 壊された──秘められた復讐心が火を放つ。

「何してんだ……」

 この幼女も転移してきた人間だ。
 与えられた魔法で再びの生を満喫する咎人だ。
 血の闘争団の目を逃れ、平凡な生活を営んでいる人間だ。
 居場所を見つけた、幸福な人間だ。
 様々な思考が掻き混ざる。
 だが、瞬時に一つの結論に辿り着いた。

 大切なものを壊された。
 大切なものを奪われた。
 大切なものを汚された。

「何してんだ……テメー!」

 沸き立つ激情。
 闘争こそが人の本領だ、年齢も性別も関係ない、強者こそが頂点に立てる。
 俺だ。
 強者は俺だ。
 孤独を抱え、友を殺し、過去と決別した俺こそが強者だ──だからお前が、俺のものに手を出すことは許さない。家族に危害を加えたお前のことを許さない。

 幼女だろうと構うものか、皆が内に獣を飼っているのだから。
 衝動に身を任せ、言霊を唱える時間すら惜しみ、拳を握って駆け出した。

「本当に殺すよ?」
「……ッ!?」

 対象は即座に由梨花の身に隠れ、引き抜いたレイピアの切っ先を首筋に押し当てる。
 破壊の快楽をもたらす筈の拳は、暴力の行き場を失った。

「いいの?」
「ぐっ……」

 貫かれたのは胸だ、安易に死ぬことはない。しかし頭を落とされれば確実に死ぬ。例外は幾度か見たが、それが事実。

「いい子。静かにしてて、騒ぎは起こしたくない」

 くすっ、と余裕に満ちた笑みを浮かべる。
 見かけの年齢にそぐわない、妖艶な微笑み。

「お前……天炎者で間違いないな?」

 落ち着け、相手は一人の人間だ。
 状況はこちらが不利、由梨花は気を失っているようだし、更には人質に取られている。
 成功したこともない説得にて、彼女を取り戻すしかない。

「そう。だから何?」

 くすくすと、無邪気な笑みが口から零れる。
 顔にかかった鮮血を舐める仕草は、官能的であり、屈辱的であった。

「だからって……どうして由梨花を刺した!? 血の闘争団として、最前線で戦ってるんだぞ!?」

 できるだけ声を抑え、少女に問う。
 天炎者である由梨花はアイドルにも等しい知名度を持ち、顔も名前も都では知れ渡っている。グラナも知っている筈だ、罪を負った転移者として突き進む、彼女のことを。

「うるさいから。理由はそれで充分でしょ」
「は……はあ!?」
「口先だけの餓鬼。理想を振りかざしたクソビッチじゃない。闘争団もうるさい、傷を舐め合う愚か者の集まり」

 ケタケタと、どこかの悪魔と似た嗚咽を漏らす。
 コイツは本物だ、と誰かが囁く。
 本物の、悪魔だと。

「ふざけんな、みんな命を懸けて戦ってんだ!」

 恐れに負けぬよう、声を張り上げる。
 由梨花を蔑ろにされたことも頭にきたし、団を侮辱されたことも許せなかった。エーデル要塞で命を落とした英霊を馬鹿にされたのだ、彼らがいなければ都も災禍に巻き込まれていたかもしれないというのに。

 ──本当に?

「それに、餓鬼はお前だ、俺達より先に死を選んだクソ餓鬼だ!」

 今まで出会った転移者たちには、皆共通点があった。言葉を交わし、体に触れて分かったこと……自殺して、この世界に送られてきた。

 グラナも同じだ、幼いうちに自殺した。
 社会を恨んで死を選んだ。
 孤独なまま。

「餓鬼はお兄ちゃんのほうでしょ? 流されるままに入団したって聞いてるよ? 自分の意思はないの?」

 ムッとした表情で、論点をずらして返される。お兄ちゃんとはなんだ、汚らしい妹を持った覚えは無い。
 冷静にそこを指摘するべきだったが、感情が溢れた。

「俺の意思だ! みんなを守るために、自分で決めて入団した! 流されてなんかない、俺が選んだ!」
「ふーん……みんなって誰?」
「何のことだ……!?」
「お兄ちゃんが言う、みんなって誰?」

 年端もいかぬグラナは、哲学的な問いを投げかける。

「このお姉ちゃん? 血の闘争団? それともまさか……ここの国民?」

 旅立った理由など一つだけだ。
 大切な姉を、傷付けたくなくて。

「優しい人ばっかりだよね、だから簡単に潜り込めた。お馬鹿さん……本当にお馬鹿さん!」

 声が上擦った瞬間、拘束している由梨花の太腿にレイピアを突き立てる。ずぶずぶと肉を抉る度、華奢な体が痙攣した。

「やめろ!!」
「静かにしてお兄ちゃん? どうせ何も出来ないんだから、大人しくしてて」

 すぐさま構え直して威嚇する。
 動けばすぐに首を掻き切るつもりだ……流れ出る血を止めることも、衣服の下に左手を這わせることも、見ていることしか出来なかった。

「ヒーローにでもなるつもり? 誰かを守るなんて思い上がりだよ、人は自分さえ守れればそれでいい」
「何……!?」
「このお姉ちゃんは、お兄ちゃんのことをお仲間だって認めてるみたいだけど……それだけだよ。簡単に裏切るし、必要が無くなれば処分する。遊べなくなった人形は焼却炉行き」
「違う! 絶対に裏切らない、絶対に離れない! 正しい命の使い方を教えてくれたんだ、馬鹿にするな!」

 世界の混乱は転移者たちが引き起こした。ならば、転移者が命をもって対処しなければならない。
 それを教えてくれた、互いに信頼している、かけがえのない友達。

「命の使い方……ふーん……」

 馬鹿にするように、俺を見上げた。

「それが正しいものだと誰が言えるの? もっと自由に生きたいと思わないの?」

 その言葉に、少しだけ、揺れた。

「綺麗事を信じるなんて、お兄ちゃんはお馬鹿さん。そんなの無視して、二度目の人生を謳歌すればいいのに」
「それなりに謳歌してる!」
「口だけならなんとでも言えるよね。本心はどう?」
「あ!? 事実だ、本心だ!」
「怪物と戦うのは無意味だって分かってる? お兄ちゃんがいなくても、代わりは他にいくらでもいる。戦争なんて誰かに任せて、好きな事をすればいい」

 許されるのなら、とっくにしている──叫びそうになる声を、飲み込んだ。

 不意に、夜空に咲く華が見えた。
 花火が轟く音が脳裏に蘇る。
 散った後の漆黒が、全てを、世界を、飲み込んでいく。
 その闇が、グラナの背後にも見えた──気がした。

「お前は……今、好きな事をやっているのか?」

 誘われないよう、ハッキリと、自分の意思をもって少女に問う。

「そうだよ? 自分の意思で盗みをやってる。どこの世界も金で決まるの、この異世界も! 少しのスリルと莫大な報酬……病みつきになっちゃった」

 お前もこっちに来い──呼ばれている気がして。

「このホテルもたくさん隠してたから、全部貰っちゃった。私が使ってあげる、こんな汚い金なんて」

 グラナは吐き捨てるように言う。
 金で縛られるこの世界が、酷く鬱陶しいように。

「それ目当てで潜り込んだ……? 人の善意を何だと……!」
「善意なんてあるワケないよ。利用価値があるかどうかだけ」
「価値だと?」
「新しいサービス始めたのは知ってるでしょ? 風俗だよ、本番ありの。私みたいな年齢の子が欲しかったんだって、この世界にもロリコンっているんだね。院長先生は喜んでたなぁ、豚が出荷されていくのを。肉便器になると思って清々したんだろうね、みんなも喜んでたよ、迷惑な私が巣立っていくのを」

 ケタケタと、悪魔は嗤う。
 その姿はシエル・バーンズと瓜二つ。
 だが、内に湧き上がる感情は別の物。

「本番って……」
「人なんてすぐに変わる。前までは堅実に営業してたけど、収益は年々下がってた。このままじゃ立ちいかなくなるから、新しいサービスを取り入れたの」

 人に住まう、貪欲な獣。
 三大欲求を満たす為なら、ケダモノにすら成り果てる。

「醜悪で、下劣で、最悪なサービスだよね。でもお兄ちゃんはどう? もしもだけど、私を犯せたら嬉しい? 男なんてみんなそうだよね、弱い立場の女を犯すのに興奮するんでしょ?」
「するか! いいから由梨花を解放しろ、金を盗んだなら用はない筈だろ」

 確実に、何か裏がる。
 そう感じていながらも、由梨花の拘束が解かれるのを祈った。

「してもいいけど……お兄ちゃんはどうするの?」

 じっと、グラナに見つめられた。
 内面まで見透かすような、哀れみを帯びた瞳。

「血の闘争団で戦い続けるの? 戦争に勝てると信じてるの?」
「当然だ、勝てるに決まってる……!」
「じゃあ、その理由は?」
「理由……?」
「エアレイザーを閉じ込めることに成功しているのに、未だに殲滅できてない。他国の義勇兵も撤退した。第一、魔王を倒せば新たな魔王が現れる……終わりがあると思ってるの?」
「それは……」

 淡々と言われ、思わず口籠る。
 マリーの前で口にするのを躊躇った、胸に抱いていた不安。
 理想論など吹き飛ばされる、血みどろの戦い──冷たい汗が背中に張り付くのを感じた。
 それでも。

「俺は、マリー団長を信じる……!」

 由梨花が信じる、彼女を信じる。
 手を差し伸べてくれた、居場所を作ってくれた……家族だから。

「ふーん……勝ち目の無い戦争に参加して、惨めに死ぬことが正しいんだ。お兄ちゃんはお馬鹿さんだね」
「どんな物語にも終わりがある、この戦争だって終わる! 俺たちが終わらせるんだ、汚い魂を燃やし尽くしてな!」
「お兄ちゃん……くすくす。自分の存在価値を否定してるって、分かってるの?」

 どくん、と全身の細胞が波打つ。
 悟られないよう、声を荒げた。

「あぁ!? 否定なんかするか、今ここにいる俺が全てだ!」
「悔しいの? そんなことはないよね、正しい理想を求めてるんだもんね。お仲間さんたちや、か弱い民間人を見捨てて、どこかに逃げ出したりしないもんね? 行動しないで理想だけを吹いて回る卑怯者じゃないもんね? 犠牲を厭わないで前進する、あの醜い怪物よりも価値があるもんね?」

 聡明な少女は、矢継ぎ早に捲し立てる。
 逃げ出したい、と思ったことは何度もあった。過去の友人を殺したという、残酷な現実から逃れたくて。

 山を、登ろう。危険な捕食者がいない静かな山を、一人で登ろう──この胸に抱いた望みは、この地獄から逃避したいという、願望の表れだったのだろうか。

「鳥籠で飼われることを、望んでなんかいないもんね?」
「違う……!」

 冷や汗が一つ、また一つ、頬を伝っていく。

「縛られることを、良しとしてなんかいないもんね?」
「違う……!」

 やけに温い液体は、どこから溢れ出たものだろう。

「くすくす。そんな嘘の付き方じゃ、すぐに怪物の仲間入りだよ。平和ボケした日本人らしいね。ジッタードール……可哀想なお人形さん?」

 怖かった。
 全て、見透かされていた。
 醜い心を赤裸々に、丸裸にされた。

 ティア・アムレットに見られるのは怖くなかった。
 甘い声に促されるまま、己の罪と、泉で知った過去の断片を洗いざらい話した。
 あの子は今でも、黙ってくれている。
 その時は、嬉しかった。
 無理に理解しようとせず、ただ、黙って懺悔を聞いてくれた。

 だが、グラナは違う。
 秘めた本性を暴き出し、ぐちゃぐちゃに、掻きまわす。
 心底楽しそうに。
 踏みにじることに快楽を求めて。
 汚さが理解できることを、心底嬉しそうに。

「揺れないでいられる方法……教えてあげよっか?」

 滲む視界の中、人差し指を口に当て、悪戯っぽく微笑むグラナが映る。
 赤化粧した、悪魔の誘惑。

「私と一緒に来ない? 男手が必要なの」
「は……?」
「見たことも無い世界を教えてあげる。何者にも縛られない、自由な世界を」

 気が付けば、既に由梨花は解放されていた。
 一歩、また一歩……悪魔が距離を詰めてくる。

「きっと運命だったんだよ。不思議な硬貨が引き合わせた、運命の出会い」

 誰が為の世界を、グラナは諸手を挙げて祝福する。
 血だまりに浮かぶ由梨花の姿は、もう瞳に映らない。

「一緒に羽ばたこう、お兄ちゃん」

 逃げなければ、と本能が囁く。
 逃げられない、と理性が叫ぶ。
 伸ばしかけた腕の先に、微かな……しかし確かな、熱を感じた。

 ふざけるな──誰かが蠢いた。

「目覚めろ、恐怖の王冠シュレッケン・クローネ……!」

 ──残響の檻に囚われし
 ──其は、高炉を廻す泥人形
 ──胎動せよ、無垢なる辜

 内に潜む獣が、窮地に立たされた俺を抱きしめた。
 それは、祝福。
 この身に寄生する、呪いの言霊。

 廻せ、輪姦せ、高炉を強姦せ。
 選ばれた運命を、生き抜くために。




 胸中に広がっていく、どす黒い感情。
 友達などいらない、家族などいらない。持っていなければ、誰かに奪われることも無い。人という鎖に繋がれていなければ、それは自由であることに等しいだろう。

 要塞を道連れにして、多くの兵士が死んだ。それを聞いた時、俺の心は揺らがなかった。それはそうだ、顔も名前も知らない誰かが死んだだけ。自分にも世界の誰にも本当は関係ない、何の影響も与えない、交通事故で誰かが死んだと同じなのだ。

 結局、起きるか起きないかなのだ。誰かが傷つくことも、誰かが死ぬことも。
 俺が死ぬことも。
 それでも。

「ふざけんな……!」

 それでも、守りたいものがある。
 それでも、帰りたい場所がある。
 離れるほどに恋い焦がれる、君がいるから。

「叶えたい夢はここにあるんだ……一緒になんか行くか!」

 藍鉄の剣を水平に構え、悪魔の誘惑を拒絶する。
 笑みを貼り付かせたままのグラナだったが、少しだけ、困惑の色が混ざった。

「ふーん……夢って何? 戦争に勝つこと?」
「そんな大層なことじゃない、大切な人を守ることが俺の夢だ!」
「それって誰? あのお姉ちゃん? くすくす、守れてないよ、お兄ちゃんのお馬鹿さん」

 言われ、強襲を受けた由梨花を、眼球を動かして探す。
 部屋の片隅に、四肢を投げ出して横たわる彼女の姿があった。脅威の再生力によって傷は塞がり、これ以上の出血は見られない。だが意識は失ったままで、体は小刻みに痙攣している。グラナの能力が原因だろう。

「本当にお馬鹿さん……それで、その剣で私を殺すの? 確かに私は罪を犯したけれど、血の闘争団に警察としての権力は無いよ? 敵討ち? それとも私刑? 正しい理想を掲げておいて、気に入らないヤツをレイプするなんて横暴だよ」

 少女もレイピアを構え、怯まずに対抗する。じりじりと後退しており、再び由梨花を人質に取るつもりだろと推測する。
 このまま、力任せに捻じ伏せても良かった。
 年端もいかぬ少女を辱めることは可能だった。
 蹂躙し、屈服させ、支配することは容易であった。
 尊厳を踏みにじれ、シーツを赤く染め上げろ──内なる獣が囁く。

「お兄ちゃんも罪を重ねるの? そうだね、きっとそれが真実なんだよ、私たちはみんな罪人だから。奪って、殺して、傷付けることしか出来ないもん。こんなクソみたいな世界で、綺麗に生きることなんて不可能だからね」

 だが、それは躊躇われた。
 グラナの言葉に共感したワケではない。
 心のどこかで、尊敬していたのだ。
 汚い己を肯定し、それでも孤独に生きていく、幼い少女のことを。

「“扉は開けてあるか閉まっているかのどちらかだ”……私の国の諺だけど、意味分かる? 中途半端は許されないよ、て意味。血の闘争団として敵を殺して、殺して、殺し尽くして……大罪人になるの。そして裁かれるの、もちろん人間に」

 不可能という単語を辞書に書き込んだグラナは、くすくすと、哀しく嗤う。

「死縛者になるのは嫌でしょ? 痛い思いしたくないでしょ? だから一緒にきてよ、今ならまだ許してあげるから。初めてをあげてもいいよ、15歳を犯せるのは嬉しいでしょ?」

 拒絶されたが、尚も手を組もうと提案する。
 誰かの影と重なって見え、一つの感情が芽を出した。
 それを不器用なりに、言霊にのせる。
 俺にできることを、するだけだ。

「大切な仲間がいるんだ、理解してくれる人がいるんだ、あんな怪物には成り果てない。つーか15歳に見えねーぞ、小学生だと思ってた」
「周りには12歳って言ってあるから、それも正解。でもそんなことはいいの、お兄ちゃんが言う仲間って誰? その人が死んだら悲しくない? 世界全てを壊したくなるほどに」
「死ぬことなんて無いさ、みんな強いからな。それに、何だかんだで気に入ってるんだ、この世界を。エアレイザーを殲滅して、本当の平和にするんだ」

 救えなかった、対話を拒絶した、過去の友人。
 理性を失った彼は、ただあるがままに災禍をもたらした。もし彼と一つになっていれば、俺という存在は消え失せていただろうか。言葉も通じない、死縛者となって。

 だが、この少女は違う。
 確証なんて無いが、キッパリと断言できる。
 少し頭が良いだけの、ひねくれた、ただの子供だと。

「くすくす、お兄ちゃんはお馬鹿さんだなあ。理想なんて幻想だよ、あの化け物たちに勝てるワケないのに。ガイア理論って知ってる? 地球で起こる現象は、全部地球自体の自浄作用だって理論。ここが地球かは知らないけど、きっと同じだよ、化け物は現れ続ける。アレは異常気象みたいなものだよ、人間で言えばアレルギー反応。絶対に終わらない、絶対に勝てない」

 すっかり由梨花の元へと後退し、抱き起した首筋へ剣先を突き付ける。
 不思議と、怒りは湧いてこない。
 別の感情の影に隠れたのだ。
 話をしなければ。
 理解しなければ。

「絶対に勝てる。どれだけ後悔しようと立ち止まらないさ、この魂を燃やし尽くすまで」
「出来もしないことを──」
「そうだ、名前はなんて言うんだ?」
「へ……?」
「お前の名前。グラナってだけしか知らないんだ」

 突然の話題転換に、少女は戸惑う。
 自分でも、何故こんなふざけた事を聞いたかは分からない。多分、会話が下手なことが原因だ。生前も現在も、基本的には仲が良い人間としか会話をしないから。
 下手なりに、説得しなければ。
 道を違えないうちに。

「俺は山城瑞希。ミズキ・ヤマシロって言うべきか? で、そこの人質は夏目由梨花だ、俺の上司。刺したことは許してやるよ、この間は俺の右腕をバキバキにへし折ってくれたからな、その報いだ」
「…………」

 グラナは呆然とした表情で見つめる。
 視線は俺と由梨花を交互し、存在を確かめているようだった。
 黙ったままなので、互いの情報を補足する。

「喧嘩っ早かったり、勝手に人の金を使ったり、ワガママだったり……でも優しい、大切な俺の友達。そうだ、グラナに謝らないといけないことがある」

 構えたままだった剣を下ろして「消えろ」と念じる。
 刹那、獣の咆哮が闇から響いた……気がした。お前一人でやれるのか、蹂躙したくはないのかと、熱をもって囁きかける。

 今は、望まない。
 恐怖に怯え、緊張しているこの俺が、本当の姿だ。

「お前と初めて会ったあの時、俺は殺そうとしたんだ。奴隷だって聞いたから、無意識にやったって……本当に悪かった。ゴメン」
「…………」
「グラナはスリだったとか、同じ転移者だったとか、そんなことは関係ない。事実は事実だ、由梨花が止めなかったら殺してた」
「…………」
「許して、欲しいんだ。気が済むまで俺を刺してくれていい。だから、由梨花を解放してくれ」

 下げた頭に冷や汗が伝う。
 グラナは何も言わず、沈黙が密室を支配した。
 長い、長い静寂。
 体感でおよそ120秒後、グラナが口を開く。

「くすくす。頭を上げてよお兄ちゃん、怒ってないから」

 言われて上げた視界には、微笑む少女の姿があった。
 由梨花をぎゅっと拘束する腕を、少しだけ、震わせながら。

「無意識に……か。うん、許してあげる、こうして生きてるワケだし。あの時は、ただの痴話喧嘩かと思ってたけど……」
「そ、そんなんじゃないって……」

 傍目からはそう見えたのかと思うと、気恥ずかしい。

「このお姉ちゃんを解放してあげてもいいよ。ただね、お願いがあるの」
「お願い?」
「うん。やっぱり私と来て欲しいな、お兄ちゃんには」

 微笑みを張り付けたまま、グラナは催促する。

「欲しくなっちゃったの、お兄ちゃんのことが。その心も、体も、全部が欲しい……一緒に羽ばたこうよ、鳥籠の外に」

 蒲公英色の鎧を纏う右手に力を込め、レイピアを由梨花の喉元へ突き付ける。薄っすらと、赤い血が滲み出た。
 あくまで強制せず、自分の意思で選ばせる。
 責任は私が取ってあげるから──言外に、そう言っていた。

「それは……出来ない」
「どうして? そんなにこのお姉ちゃんや、血の闘争団が好きなの? 人との繋がりなんて邪魔なだけだよ、束縛されるのはイヤだよね?」
「そうだな、束縛されるのは本当にイヤだ。それでも、何ていうかな……悪くないんだ、隣にいられることも。自分は孤独じゃないって、分かるから」
「死んじゃったら孤独になるよ? いついなくなるか分からないよ、突然裏切られるよ? それでもいいの?」
「いなくなったりしない、裏切ったりしない。俺が守る、命を懸けて」

 生涯忠誠、命を懸けて。
 仮初の家族の為なら、この命を燃やす覚悟がある。
 大切な姉がいるから。

「ああもう……いつまでもいつまでも……」

 笑みを浮かべた顔が、歪んだ。

「下手に出ればいい気になって!! 私の言うことを聞いてよ!!」

 激昂。
 金切り声をあげたグラナは勢いのまま立ち上がり、由梨花の黒髪を左手で力一杯掴み上げる。
 意識を微かに取り戻したのか、その端正な顔が衝撃と激痛に歪む。

「やめろ……!」
「このままじゃ死んじゃうよ!? 血の闘争団なんてお馬鹿さんばっかりで、何の役にも立たない連中の集まりなんだよ!? それとも……くすくす、この女に慰められたの!? けどね、それは自分の安全を確保したに過ぎないんだよ、騙されてるんだよお兄ちゃんは!! とんだ売女だよね、このクソビッチ!!」

 笑いながら、叫んだ。

「人間なんてみんなそうだよ、自分が良ければそれでいい!! 私だって物扱いされたんだよ、元の世界でも、この世界でも!! だから分かるんだよ!! みんな奪われた、みんな裏切った!! 信じられるのは自分だけなんだよ!!」

 刃物で切り裂かれるのでは、と感じるほどの狂気が溢れる。
 グラナもまた、過去に囚われていた。
 俺と、同じだ。

「でもお兄ちゃんは違うでしょ!? 目を見れば分かるよ、本当は誰にも、何にも、これっぽっちも関心が無いってことが!! だから信頼出来るんだよ、奪われたりしないから!!」

 どくん、と鼓動が早まる。
 開いた隙間を、覗かれていた。

「俺はもう空っぽじゃない……! その手を離せ、由梨花を傷付けるな……!」
「そんなにこの女が好きなの!? 咥えられたのが嬉しかったの!? それはただの手段だよ、快楽に溺れさせて騙してるんだよ!!」

 床へ叩きつけるように手を離し、こびりついた髪を忌々し気に払う。

「お兄ちゃんは騙されてるんだよ!! だから一緒に行こうよ、自由に生きようよ!!

 一本、また一本と黒髪が落ちる度、声が湿り気を帯びた。

「だから……!! た、たす、助けてあげようと……し、したの、に……」

 もう、背後に潜む闇は見えない。
 ただ、孤独な少女がそこにいた。
 俺と同じ、理解者を求める罪人。

「ぐすっ……」

 一歩、踏み出す勇気を。

「こ、こないで……」

 細いレイピアを向けられるが、最早脅しにすらならない。

「こないで……ッ!!」

 心臓を正確に突かれようと、何も問題は無い。ただ痛いだけだ、すぐに治る。

「こないでぇ……」

 ずぶずぶと、肉を抉られる感触が何だ、慣れれば心地よい。マゾではない。

「ひっ……」

 罪を負った俺にも、何か出来るのなら。
 ティアのように、受け入れることが出来るのなら。
 由梨花のように、悩みを理解することが出来るのなら。
 命の使い方を、示すことが出来るのなら。

「やめて……」

 手探りでも、分かりあうことが出来たなら。

「ゴメンな……」
「…………」

 小さな頭に触れた。
 暖かい、熱を感じながら。

「一緒にいてやれなくて、ゴメンな……」
「…………」

 甘い香りが鼻腔を刺激する。
 少女は小さな頭を胸に埋め、顔を隠す。
 強がりばかりを言うのは、寂しい証拠。

「ワガママなお兄ちゃんで、ゴメンな……」
「…………」

 きっと、運命だったんだ。
 傷付け合うことも、触れ合うことも。
 蓬莱の玉の枝。
 決して手に入らない宝物に、少しだけ、手が届いた気がした。

「それでも……今だけは、傍にいるから」
「…………」

 ぎゅっと、少女の左手が腰に回った。
 あまりにも弱く、風が吹けば飛ばされるほどの力で。

「昔のことはいい、難しい話もいい。グラナはこんなに小さいんだから」

 同情ではない。
 自分が存在する意義を、見出したくて。
 結局、自己満足だと知っていても。

「だから……」

 続けようとした言葉を飲み込んだ。
 微かな嗚咽が漏れ聞こえたからだ。
 言葉はいらない、ただ、ここにいればいい。

 俺にも、何か出来るだろうか。
 誰かを救うことが出来るだろうか。
 誰かを守ることが出来るだろうか。
 決意は握った、後はやるだけ。
 闇に呑み込まれぬ、己の意思で。
 ありのままの、か弱い俺にも。
 傷つくことを恐れずに。

「私は……いらない子?」

 不意に、くぐもった声が聞こえた。
 語り掛けるように、壊さぬように、静かに返す。

「そんなことない……いて良かったって、思う」
「ほんとに……?」
「もちろん。奪いたいくらいに」
「くすくす……へんなの」

 揺り籠になれなくとも、身を預ける木になれるのなら。
 地獄の中でも、一筋の光を放てるのなら。
 それはなんと、幸福なことだろう。

「いつか私が、ほんとに奪うからね……」

 霞みゆく視界に、笑顔を浮かべた少女が映った。
 年相応の、たんぽぽのような、晴れ渡る笑顔。

「恋人の嘆き……」

 胸が、大きく弾んだ。
 ときめいたワケではない、文字通り、弾んだのだ。
 電撃にも似た激痛が、全身を駆け回る。
 筋肉は硬直し、視界は狭まり、瞬くことも叶わない。

「お兄ちゃんに会えて良かった……生きてて良かった……」

 ずるり、と胸からレイピアを引きずり出され、小悪魔は顔にかかった返り血を恍惚な表情で舐めとる。

「またね、お兄ちゃん……」

 崩れ落ちる中、名残惜しそうに部屋を出るグラナを見た。
 きっと、また会える。
 彼とは違うのだ、と神様に願いながら。
 妹が幸せでありますように、と闇に飲まれる直前、祈った。
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