異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase3 真の力の目覚め的な何か!

寮へようこそ!

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「あ~つっかれた~……」

 一日の訓練が終わって自分の部屋へ戻ると、真っ先にベッドへ身を鎮めた。寮の一階にある風呂場にも直行したいが、今から行った所で人で溢れていると判断し、夕食の時間までしばし休憩する。

「腰が……腰が痛い……」

 決して老化が進んでいるワケではない、由梨花の無茶な教育に体の節々が悲鳴をあげているのだ。
 一日で乗馬を覚えてもらいます──無理難題を押し付けないで欲しい、そんなこと天才でなければ不可能だ。重心の置き方など分からないし、暴れ回る馬と信頼関係を築くことも難しいし……教官に何度怒られた事か。手綱をほっぽりだしてしまい、馬が訓練場を逃げ出した時は本気で焦った。由梨花班総出で取り押さえる程の大捕り物になったからだ。

「そうだ、手紙……」

 ふと思い出し、痛む体を起こして机へ向かう。
 リューグナ―村で帰りを待っている姉の元へ、そろそろ手紙を送らねばと思ったからだ。都へ移ってからまだ一週間も経過していないが、無事であることくらいは伝えなければ。

 引き出しに入れておいた便箋とペンを取り出し、予め渡されていた住所が書かれたメモを確認する。うん、読めない。意味はなんとなく分かるが、楔形文字にしか見えない。とりあえず書き写して、後で寮に住んでいるウィーザにでも問題ないか確認してもらおう。

 しかし、本文には何を書けば良いのだろう。これまでに起こったことを書き連ねるか、血の闘争団での生活を掻い摘んで書き連ねるか。由梨花の厳しい教育、ヴァルターと妹との関係、ウィーザに話した胸の内、マリーの雄姿と意外な一面……そんなことを書いてもつまらないだろうな。

 何を書けば良い、何を書けばあの子を心配させないで済む。「俺は元気にしています」とでも書けば良いのか? 文字だけで感情まで読み取ってくれるのか?

「はあ……」

 結局、日本語で書いても相手は読めないということに思い当たってペンを置く。この国の言葉を幾何か勉強はしたが、日常会話レベルにさえ達していない。下書きくらいは書こうとしたが、どうも筆が乗らない。

 実際に会って、言葉を話して、体に触れられたのなら……こんな葛藤をしないだろうに。
 今は只、会いたい。この鳥籠を飛び出して、会いに行きたい。
 ──お兄ちゃんは騙されてるんだよ!!
 いつか、グラナが叫んだ言葉が響く。
 あれは俺を説得するための方便だ、と理性が叫ぶ。
 あれが事実であるならば今すぐ逃げろ、と誰かが囁く。
 囚われることなど望んでいない。守るために旅立ったというのに、ここでの日常は拍子抜けするほど平穏そのものだ。体力的にキツイ場合もあるが。
 みんなを、家族を守ると決めたのに。
 由梨花のように、忠誠を誓ったつもりなのに。

「分かんねえよ……」

 一人になると、いつもこうだ。
 選ばれた運命を生き抜くと、決心したのに。
 揺らいでしまう。

『瑞希、いますか? いますよね?』

 静寂を切り裂く、少女の声。
 反応を待たずにドアが開かれ、団の制服に身を包んだ由梨花が現れた。

「ノックくらいしろよ」

 隠すようにペンと便箋を引き出しに仕舞ってから、突然の来訪者に言葉を返す。愛嬌の無い仏頂面は相変わらず。

「いつもマナーだなんだって言ってるクセに……」
「いると分かっているのに、何故する必要があるのですか?」
「恥ずかしい事してたらどうするんだ」
「上の部屋には私がいるというのに、そんなことをするのですか? 分かってやっているのなら変態ですね」
「うるせーな、何の用だよ?」
「ゴミがあるなら今のうちにまとめておいて下さい」
「なんで?」
「明日の早朝、一斉に回収しますので」
「あ、そう……俺たちが当番だっけ?」

 寮で生活する上では、必然的に共同作業が発生する。庭・風呂場・トイレ・廊下……様々な場所の掃除は自分たちでやらなければならない。
 ゴミ出しも当然、仕事になる。集めたゴミを焼却炉へ放り込むだけなのだが。それくらい個人でやれと言いたい。

「そうです、燃やし尽くします。しかし……相変わらず殺風景な部屋ですね」

 由梨花は顔をしかめ、俺の部屋を見渡す。備え付けのものしか置かれていない、生活感皆無な部屋。

「それはお前に金を奪われたからだ!」
「まだ根に持っているのですか? いいではありませんか、先行投資です」
「思考回路が焼き切れてんじゃねーの? どうやったらそこまで正当化出来るんだ」
「馬鹿にしましたね? 明日は火打石や火打ち金ではなく、木をこすって火を起こして貰います」
「ふざけんな、朝から肉体労働かよ!?」
「原始時代に帰るのも悪くはないですよ」

 表情を変えぬまま言い切る。
 発火法は主に火打石。マッチは存在してはいるが、高級品である為においそれとは使えない。

「そこはほら、ファンタジーな方法でさ。お前の魔法とかで」
「くだらないことに力を使いたくありません」
「ごもっとも……」

 言い分は理解できる、あれは呪いなのだから。
 苦い表情でも浮かべていたのだろう、由梨花は口ごもる。しばしの沈黙の後、開き直った態度で、

「あなたが机に向かうとは珍しいですね、何をしていたのですか?」

 俺の私生活など見たこともないだろうに、そんなことを言う。用は済んだだろうにしつこいな。

「勉強……」

 咄嗟に浮かんだのは、そんな言葉。

「参考書も何も出してないですよ、もう少し上手く嘘をついて下さい。嘘は嫌いですが、ここまで粗雑では怒る気にもなりません」
「嘘だけど……俺の部屋で、俺が何してようと勝手だろ?」

 ふつふつと、苛立ちが募る。
 由梨花の来訪に対してではない。多分、理由なくこんな感情を生み出す、自分自身に対して。
 誰かにいて欲しいのに、誰かにいて欲しくない。矛盾を抱える、俺自身に。

「もしかして、手紙でも書こうとしていたのですか?」

 少女は細くした目で、確信を貫いた。

「宛先はティアさんでしょうか」

 真剣味を増した表情で、口籠る俺に構わず続ける。

「もしかして、ラブレ──」
「そんなんじゃない! 経過報告だ!」
「ムキになって否定しなくとも良いではないですか」
「うるせーな……もう帰れ、しっしっ!」
「ほー……上司に対してそんな態度ですか、今から殺りますか?」
「こっちはもうクタクタなんだ、勘弁してくれ」

 厳しい訓練を終えたばかりだというのに、由梨花はやる気満々。まあ、乗馬に精を出す俺を指導するのに飽きて専門の教官を呼び、その後はヴァルターやウィーザと連携の確認をしていたのだからそんなものだろう。

「口答えするとはいい度胸──」
「ああもう、俺が悪かったって……」

 メンドセー。前から思ってはいたがこの女、本当にメンドクセー。

「まあいいです。で、何を書きましたか?」
「あ?」
「手紙の内容です。間違えてもい……いえ、何でも」
「ああ?」

 かぶりを振って、言葉を切る。
 言いかけてやめた続きも気になるが、そんなことより。

「内容まで教える必要ないだろ、プライバシーの侵害だ!」
「ここから出される手紙などは全て検閲されます、私が見ても変わりません」
「初耳だぞ!? いや、それでもお前に見せるのはおかしいだろ、絶対見せねー!」

 書いてすらいないが、躍起になって返す。
 揺れた心を、更に揺さぶられる気がした。内面に触れられたくなくて。

「文に間違いがないか確認してあげる、と言っているのです。安心して下さい、この国の言葉は一通り読み書き出来ます」

 何となく、年相応の少女がいた、気がした。
 同年代の友達の助けになろうと、酷く、困った様子で。

「信用出来ないな……」
「信頼して下さい。いつか言ったでしょう、共に生きていくと」

 信頼、か。薄暗い牢獄の中で聞いた言葉だった。
 生涯忠誠、命を懸けて。

「ゴメン……」

 何故か、そんな言葉が漏れた。こちらに非など無いのに、言わなければならないと、思ったから。

「構いませんよ、人を信じることは難しいですから」
「そう、だな……」

 少女は呆れるような、優し気な顔で呟いた。わざとらしく肩をすくめ、それに同意する。
 少しだけ、内面を曝け出せた気がした。由梨花の微笑みは、悪戯を叱る母親のものだろうか。それとも、自分の場所まで来てくれた、ということの喜びの現れであるのだろうか。

「書けたら見せて下さいね、厳しく推敲しますから」

 いや、そんな難しい考えなど無いか。

「絶対見せねー」
「強がりを言えるのも今の内です、泣きつく瑞希の顔が目に浮かびますよ」
「泣きつくんならウィーザさんかヴァルターさんだ!」
「けちですね……」

 吐き捨てながらドアノブに手を掛ける。ようやく用が済んだようだ。
 音を立ててドアを開く中、姿を隠しながら最後に言った。

「夕食が終わったら、少し付き合って下さい」




 食堂での食事は、いつもより静かだった。
 由梨花は暴力を振るうでもなく、終始思案顔。それを不審に思う俺とウィーザ。この空気を変えて欲しいと願ったが、昼に騒いでいたオニキスは現れなかった。ウィーザに聞くと、彼は自宅から通勤しているらしい。寮で絡まれることは無いが、いざ必要な時にいないとは。

 重苦しいワケではないが落ち着かない食事を終えると、しばし部屋で待つように言われた。書き損ねた手紙をいい加減に書こうと思ったが、やはり文が浮かばない。何も綴らぬペンを放り出し、ベッドへ身を投げた。ここが魔法の国だというのなら、感情を書き写すペンでもあれば良いのに。

 やきもきしていると、コンコン、と静かにノック音が響く。

『いますか? いますよね?』
「はいはい、いますよ」

 仕方なしに身を起こし、開けられる前にドアを開く。驚いた表情の由梨花がそこにいた。何か、棒状のものを大量に抱えながら。

「びっくりさせないで下さい、突然開くなど……」
「さっきはお前が突然開いたよな? 今回はノックしたけど」
「問題など無いでしょう。では行きますよ、ついてきて下さい」
「今から? 何処に? 風呂に入りたいんだけど」
「私の言うことを聞かないのですか?」
「もう訓練終わったし、上司だ部下だなんて通用しないぞ」
「分かっています、ですからお願いしているのです」
「お願い?」
「えぇ、お願いです。少しばかり付き合って下さい」

 普段なら構わずに命令しそうなものだが、今回は様子がおかしい。
 随分としおらしいというか、弱気だというか。ぎゅっと、両手で抱える棒の束を抱きしめる姿が、酷く小さく見えた。

「いいけど……どこに?」
「すぐ近くです。お風呂にも間に合いますよ、行きましょう」

 言うと、答えを待たずに歩き出す。仕方ないので後を追う。その棒は何かと聞いたが、「お楽しみです」と口を割らなかった。
 慎重な足取りで階段を降り、玄関を出る。
 日はすっかり落ち、街灯が照らす道を黙々と歩き続けた。
 振り回されるのはいつものことだが、少しだけ、いつもと違う。
 小さな小さな、影を追って。

「ここです」
「ここって……川じゃねーか」

 10分程歩いた頃、目的の場所に到着した。
 いつの日か、子供のように泣き崩れた河川敷。
 人々の喧騒は遠く。

「では、準備します」

 そう言って、棒の束をゆっくりと地へ横たえて屈みこむ。
 自分もそうするべきだろうな、と判断して、隣に屈んだ。

「準備って?」
「お楽しみです」

 ポケットから瓶らしきものを取り出し、それのキャップを外す。地面へ置くと、新たに石を取り出して、かちかちと鳴らし始めた。

「火打石? 火を点けるのか?」
「…………」

 答えず、黙々と打ち合わせ続ける。瓶の口からはみ出している白い布に目掛け、火花を飛ばしているようだ。どうやら瓶はアルコールランプであるらしい。
 しかし、中々着火しない。
 由梨花の顔が苦悶に歪み始めた。

「代われよ、俺がやるから」

 何となく、そう言うべきだと思った。
 無茶ばかり提案する彼女に苦痛を与えるのは胸がスッとするが、顔を真っ赤にさせ、震える手で石を叩き続ける姿を見ていられなかった。

「大丈夫ですっ」

 頑固に拒否される。
 こんなこと、いつもなら部下に命じて自分はやらないだろうに。
 吐きそうだった時は、率先して水を持って来てくれたりもしたが。

「いいから」
「やれますっ! 大丈夫ですっ!」

 泣きそうな顔で何言ってんだ。
 この少女が何をしたいのか分からないが、今はランプに火を点けなければならないだろうことは分かる。焦りによって石を手に打ち付ける頻度も増えてきたので、変わらなければと思い手を出した。

「あーもう、俺が──」
「──っ!?」

 火打石を奪い取ろうとしたワケではない、ただ手を伸ばしただけだ。だというのに由梨花は身構え、後ろ手に石を隠した。
 一体何だというのだ。
 人の善意を踏みにじりやがって──言葉は掻き消える。

「吼えなさい、愛の腕飾りリーベ・アルムバント!」

 ──追憶の闇に閉ざされし
 ──其は、転炉を巡る藁人形
 ──咆哮せよ、純潔の辟

「うおっ!?」

 突如、魔法を発動する。
 気にでも触れたか、それとも敵でも出現したのか──強張る体に力を込めて、とにかく距離を取ろうとするが、間に合わない。
 少女は火打石を放り投げ、深緋の装甲を纏う右腕に顕現した炎剣を振りかぶり、素早く突き刺し──

「お……?」

 不思議と痛みはない。
 反射的に閉じてしまった目を恐る恐る開くと、ランプに剣先をちょこんと接触させる由梨花の姿があった。

「はぁ……原始時代はやはり面倒です」

 薄暗い河川敷に浮かぶ小さな火。
 無事に着火したことを確認すると、すぐに炎剣は姿を消した。

「何だよ、ビックリさせんな!」
「何を驚いているのですか。見ましたか? 私の火打石の扱いはプロ級でしたでしょう?」

 すっかりいつもの仏頂面。それどころか誇らし気だ。

「魔法使ったことを認めないつもりだな? 下らない事に使いたくないって言ったのはどこのどいつだ?」
「私はドイツ生まれではありません」
「知ってるっつーの!」
「さあ瑞希、これをどうぞ」

 野次をさらりと受け流して、何本かの棒を手渡す。
 細い木の枝の先端には、ぷっくりと膨らんで、それを押さえつけるように紙がぐるぐるに巻き付けられていた。

「何これ?」

 まあ、これだけセッティングされていれば予想はつく。
 受け取ったそれからは、ほのかに鉄の香り。

「先にやりますね」

 由梨花は我先に、ランプの火へそれを翳した。
 揺らめく火に炙られた棒の先からは、瞬時に華が咲く。

「おぉ……」

 抱いた苛立ちはどこへやら。
 秘めた不安はどこへやら。
 ただ、眺めていた。
 小さな小さな光の円舞。
 咲いて、咲いて、闇を照らして。
 存在を証明する為に。

「火薬とは違います、細かいスチール……要するに鉄粉です。ホッカイロの中身を燃やした経験はありますか? それと同じです」

 ちらちらと輝く閃光に照らされながら、少女は呟く。
 そんな経験は無いが、なんとなくは理解できた。粒が細かい分表面積が大きく、酸素をより多く取り込むことが出来る。激しく、狂ったように炎が迸る原理。

「純正の火薬を使おうと思ったのですがね……臭いますし。簡易的ではありますが、立派な花火ですよ、これは」
「へえ……」
「瑞希もどうぞ」

 促され、渡された棒をランプで炙る。
 すぐに着火し、黄色い光が暴れ出した。

「すげー……」
「でしょう?」

 自作したのか、それとも買ってきたのか……そんなことを聞こうかとも思ったが、今は、どうでも良かった。
 食い入るように見つめていた。
 輝きが消えないよう、壊れないよう、しっかりと握り続けて。

「あっ……先に消えました。バケツは準備してあります、そこに捨てて下さい」
「うん……」

 由梨花はよっこらせと立ち上がり、予め持って来ていたらしいバケツを物陰から拾い上げ、川へ水を汲みに行く。
 薄暗い闇に呑まれないよう、花火の先端をそちらへ向けた──が、火球はぽとりと落下してしまう。何故か湧き立つ物悲しさを噛み締め、新たな花火に火を点けた。
 網膜に焼き付く閃光。
 ぱちぱちと弾ける火花の音が、心地よい。
 嫌悪感も無く、暴力衝動も目覚めず。
 ただ美しい、光と音の饗宴を楽しんでいた。

「なんか……平和だな」

 気が付けば、そんなことを口走った。
 疑念はどこへやら、ゆっくりと流れる時間に抱かれて。
 この燈火を、あの女の子にも見せてあげたいと、どこかで願った。

「ですが、偽りの平和です」

 独り言が聞こえていたらしく、闇から現れた由梨花が返す。
 手に持ったバケツをよいしょと下ろし、砲火に晒されないよう俺の隣へ屈みこんだ。

「偽り? 何言ってんだ、えらく平和じゃん。ティアも連れてくれば良かった」

 なみなみと水が注がれたバケツへと燃え尽きた花火を放り投げ、少女に言葉を返す。

「まあ……そうですが。しかし、グラナに刺された身でよく言えますね? 通り魔に会ったも同然ですよ」
「うっ、あれは……確かに。強盗で通り魔、傷害事件か」
「私を人質に取ったことも忘れないで下さい。見つけたらお尻ペンペンです」
「石くらい積めよ。随分と可愛らしい罰だことで」
「か、可愛いっ!?」
「うおっ!?」

 裏返った奇声を上げた途端、火の点いた花火の矛先が俺に向けられる。服に着火したり目に入っては大変危険だ──目には何度も異物が混入したが。飛び退いて距離を取り、射程外へ退避した。

「あぶねーな、火傷したらどうすんだ!」

 綺麗なバラには棘がある。
 美しいものには危険が付き纏う。
 注意すると、由梨花はふー、ふー、と興奮したネコのような唸り声をあげ、大きく息を吸ってから、いつもの平然とした顔に戻ろうとした。

「すぐに治りますよ、問題ありません」
「そういう問題じゃねー!」
「うるさいですね、髪を燃やしてあげましょうか?」
「髪はすぐ再生しないんだぞ、それだけはやめろ!」
「けち」

 口をへの字に曲げ、新たな花火に手を伸ばす。それからは特に会話もせず、ただ、煌く華を眺め続けた。ごく自然な、当たり前の沈黙。
 友人──ふと、そんな言葉を思い返す。ヴァルターに言われたのが、随分と遠い昔のことのように感じられた。あの時の自分が、今、ここにいる。
 そうだ、俺は言われたことをやればいい。それがあの子を守ることに繋がるのだからと、俺が自分で決めて、ここまで来たのだ。

 行いが悪ければ叱ってくれる、道を違えれば連れ戻してくれる、変り果てたら殺してくれる、君と共に。

「あの魔法ですが……」

 声を掛けられ、ハッとする。

「うん?」
「鎧の状態と剣の状態、別れているのは何故だと思いますか?」

 突拍子も無く、そんなことを聞かれた。

「知らないけど……」
「今更ですが教えてあげます。鎧は、自己が不確定である際に発動する姿です。ボーダーライン……不確定であるということは、それだけエネルギーを生み出せる状態である、ということを示しています」

 何やら専門用語が飛び出すが、今の俺には理解できない。
 いや、聞いたような……精神に関わる本に書かれていたような気がする。どっちつかずの境界線。

「不確定……?」
「死縛者は、安定を求めて暴虐の限りを尽くすのです。自己の存在証明の為に」

 閃光の輝きが、一つ分、弱くなった。
 埋めるように新たな花火に火を点けて、光量を一定に保つ。

「安定を求めて……壊すのか。それが、ここにいることの証明だから……」
「そうです。鎧を全身に纏うと、急激に体力を消耗します。しかし死縛者はずっと発動を続けます」

 不確定だからこそ、力が出せる。
 リューグナ―村を襲おうとした死縛者。あの転移者は、ただ居場所を求めていた。

「じゃあ、剣は……?」
「自己をハッキリと確定させた際の姿です。目的を持ち、何の為に使うべきかが分かっている者が発動出来ます」
「目的……確定していると、力は弱くなるのか……?」
「多分、ですがね。しかし新たな力も齎されました、むしろ強いくらいに」

 新たな力──由梨花であれば炎、ノーレンであれば氷。自身の罪に反する力を発現する。だが、その代償は大きい。
 あの子は気付いていたんだ、何も知らないというのに。

「感情を犠牲にして、か……」
「言った筈でしょう、そんな気がするだけだと。廃人になった天炎者など見たことありません。そもそも、出会った者も少ないですが」
「ノーレンと、マリーと、グラナくらいか。他には?」
「何人か、としか言えません。名前も分からないので」

 俺より先にこの世界へ堕とされた少女は肩をすくめる。
 名前も分からない相手というのは誰だろう。敵の天炎者のことだろうか。
 高村響──言おうとして、やめた。もういない、天炎者の名前。

「で、あなたの目的は何ですか?」
「は……?」
「まあ想像は出来ますが。ティアさんでしょう? 守りたいとでも願ったのですか? いい雰囲気で別れましたが、どこまでいきました? 泣き出してしまっていたのですから、さぞかし親密なのでしょうね」
「ばっ……そんなんじゃない!」

 ムキになって否定するのは事実である証拠だというのに、ムキになってしまった。
 いや、親密と呼べる仲ではない。あくまで一方的な、片思い。

「冗談ですよ。あ、勘違いしないで下さい、あなたを気に入っているワケではないですから。一度は助けられましたが、それとこれとは話が別です。全ては贖罪の為なのです」

 勘違いなどするか、このワガママ姫などに。
 頭髪を犠牲にすることに構わないで食らわそうとしたが、裏表の無い微笑みを前に、霧散してしまった。

「ただ……それも悪くはないですね」

 咲いて、咲いて、咲き乱れ。
 思い出の華よ、夜空に咲いて。

「え、それってどういう──」
「兄様あああああ!!」
「ぬおおおお!!」

 遠ざかっていた筈の喧騒が、近づいてきた。

「逃げないでえええええ!! 愛を受け取ってえええええ!!」
「兄妹で育めるワケないだろう!! いい加減諦めろ!!」

 どたどたと足を鳴らして先に立つ大男と、それを追う背の高い影。
 河川敷を走り回りながら響かせる声には、不思議と聞き覚えがある。同時に恐怖が沸き立ち、肌が震え出した。

「今日こそ接吻するのだ!! いや、その先まで行くぞ!!」
「頭を冷やせ、馬鹿者が!!」
「消えない思い出を作るのだ!! 私には、何人でも産む覚悟がある!!」
「ならん!!」
「成す!!」
「ならーん!!」

 花火の光に気付いたのか、一直線にこちらへ駆けてくる。
 街灯に導かれた蛾のように吸い付いてきたのは、思った通りの人物だった。

「ヴァルターさん?」
「それとフリーデですね」
「ユ、ユリカ様!? それに少年!?」
「ユリカ……様? ちっ……」

 向こうもこちらへ気付いたようで、上司の前で暴れるのは不敬だと判断したのか足を止める。驚きの顔を浮かべるヴァルターと、明らかに不満気なフリーデ。

「し、失礼致しました、お見苦しい所を……」
「失礼しました。では帰るぞ、兄様」
「やめんか!!」

 フリーデは停止した大男の腕をガッシリとホールド。それを振りほどこうをぶんぶん振り回すが、どうも抜けない様子。

「折角です、あなたたちもどうですか」

 助け舟のつもりかは知らないが、由梨花が提案する。手元の花火で円を描きながら。

「よろしいのですか?」
「兄様、帰……む、なんと面妖な……」

 ぐいぐい引っ張っていた手を止め、興味深々な瞳になる肉食動物。

「構いません。ついでにウィーザも呼びましょうか」
「ここにいるであります」
「うおっ!?」

 常世の闇からぬるりと顔を出すウィーザ。

「いつから……いました?」
「石で火を点けようと涙ぐんでいるあたりでありま──」
「なな泣いてなどいません! 瑞希も見たでしょう、一発で点ける私の妙技を!」
「やっぱ泣いてたのか」
「殺す!」
「なぜ!?」

 まあ、いいか。
 それから俺たちは、和気藹々と花火を楽しんだ。
 目を潰されたり、頭髪を焦がされたりしたけれど、俺は元気です。
 思い出──そうだ、思い出をつくれたから。
 形には残せなくとも。

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