異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase3 真の力の目覚め的な何か!

騎士団へようこそ!

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 翌朝、疲れの癒えない体を起こして体を確認する。
 左腕がしっかりあることに安堵すると、再びベッドへ潜り込んだ。何も考えるな、これまでに何回切り落とされたとか、ズタズタにされたとか考えるな。死縛者に蜂の巣にされ、由梨花には切り落とされ、右腕を粉砕され──やばい、変なスイッチが入ってしまった。
 だがそれも存在証明。

「瑞希、朝です。おはようございます」

 ノック音がした直後、扉の開閉音が連鎖する。一時課の鐘を遠くに聞きながら、むくりと上体を起こす。冷や汗を拭って、来訪者へと声を掛けた。

「自分で起きれるから、いい加減にそれやめろ。目覚まし時計のつもりなのか?」
「何ですか、嫌なのですか。私の慈悲を無下にするというのなら、今週のトイレ掃除を全て瑞希にやらせます」

 素知らぬ顔で極悪な提案。夏目由梨花は肩をすくめ、重たげな瞼をぐしぐしと擦った。

「横暴すぎるだろ……」
「ではこうしましょう、毎朝心臓を貫きます」
「クッションを挟め! 鼻をつまむとか、ファニーボーンを叩くとか……ああもうどうでもいい」
「冗談ですよ。で、幾何かは頭を冷やせましたか? 昨日は夕食にも現れませんでしたが」

 どくん。

「あぁ、まあ……うん」
「やけに素直ではないですか。まぁいいでしょう、やはり黒こそが正義なのです。私は何も悪くありませんよ、瑞希の愚かさ故なのです」

 そう言って、ふふんと鼻を鳴らす。
 確かに幾何かは冷えた。物理的に、だが。
 自室に戻ってこれたのは日付が変わる寸前。門限という壁が立ちはだかってはいたが、特別な取り計らいでお咎めはなし。宿直の警備員も見て見ぬフリをした。部屋に戻ってからは、いつかのように泥のように……とはいかなかった。
 解を探し続け、眠れぬ夜を過ごしたのだ。
 淡々と流れる日々に、ただこの身を委ねながら。
 錆びた鍵束を持つ少女は、既に鳥籠の外。
 何も知らぬ、愚かな俺を置き去りにして。

「なあ……ヴァルターさんの妹って、どんな人なんだ?」

 これくらいなら問題無いだろうと判断し、由梨花に尋ねる。
 すまし顔は仏頂面に早変わりし、疑いの色が色濃く滲み出た。

「突然何ですか。闇討ちですか? それとも手を出すつもりですか?」
「どっちでもねえよ、ただの興味」

 まずい、いくらなんでも突然過ぎた。クッションを入れておくべきだったが……後悔しても遅い。

「ほー……あなたにしては珍しいですね」
「んなことないだろ。ざっくりでいいから、教えてくれよ」
「嫌です。本人に聞いたらどうですか。あるいは兄に」
「いや、それは……ちょっと。色々あるみたいだし」

 そんなことをしたら、再び絞め堕とされてしまう。いや、それだけで済むとは思えない。
 ──ユリカ様とまぐわえ!
 路地裏で言われたことを思い出した。つまり、そういう意味だよな。接吻っていうのも、そういう意味だよな。互いに意識などしていないのに、愛など無いのに、行為をしたところでヴァルターが振り向くワケも無いのに。
 ただ愛を求めていたあの日のフリーデは、どこにいったのだ。

「ふむ、それもそうですね。フリーデの話題を持ち出すと、いつもヴァルターの顔は恐怖に引き攣りますから。仕方ないですね、知っている範囲で良ければお話します」

 折れた、というより部下の身を最優先したようだ。
 やれやれと身振り手振りでこれでもかと感情を露にする仕草は気に食わないが、そんな小さなことで腹を立てたりはしないさ、紳士だからな。

 由梨花はコツコツと椅子の元へと歩を進め、音も無く腰を下ろしてから語りだした。

「フリーデ・タリスマン。団長であるマリーの身辺警護をする親衛隊に所属しています」
「女性なのにマンなのか」
「あなたは馬鹿ですか。馬鹿でしたね」

 ごもっとも。
 冷たい視線を受け止めつつ、慎重に探る。

「話の腰を折って悪かった。で、親衛隊って?」
「少数精鋭の部隊で構成されるエリートですよ、エリート。アイドルのファンではありません」
「それは知ってる。それで、任務は身辺警護だけじゃないんだろ? 要塞戦では一緒に戦ってたし」
「当然です、一般部隊と同様に出征します。持てる力は全て出すのです、戦力の逐次投入など愚の骨頂……話が逸れました。まあ、優秀な方です。兄への異常な執着さえなければ」

 重い溜息をついて、足元へ視線を落とす。
 由梨花を敵とみなし、同時に尊敬している半端者。どっちが本当で、どっちが嘘だ。どちらもだとでもいうのか、それこそ中途半端だ。

「ふーん……優秀、ねぇ」

 内心を悟られないよう、俺も視線を落とした。
 優秀、ということは素直に信じられる。河川敷を走り回っていた時は微塵も思わなかったが、紛れもなく優秀であり、天才でもあるのだ。

「あとは、裁縫が得意、料理が得意……マッサージも得意だと聞きました。マリーに重宝されている一人です、いつも肩をほぐして貰っているそうですよ」
「ああ、初日に傍にいたのはそういうこと。秘書みたいなもんだな」
「ん、ま、そう、ですかね。少しばかり情緒不安定な箇所がありますが」
「確かに……」

 秘書という役職を当てはめたことにやきもきしている様子。
 日本ではアシスタントと英訳される場合が多いが、重要書類を取り扱うのが主な仕事なのだ。第一、フリーデの正規の役割は身辺警護である。納得は出来ないが、理解出来てしまうのが気に入らないらしい。

「で、親衛隊は他にどんな仕事してるんだ?」
「どんな、と言われましても……マリーの小間使いとしか」
「あ、そう……」

 小間使い、か。それは間違いないな。

「分かった、十分だ。ありがとな」
「本当にどうしたのですか? 素直過ぎてキモチワルイですよ、風邪でも引きましたか?」
「朝から暴言吐くな! 何でもねーよ、ただの興味。さっさと食堂いこーぜ」

 布団を綺麗にたたみ、身の回りの整理を終わらせる。
 身支度が完了した後、ドアを開こうとして、

「待って下さい」

 呼び止められた。

「瑞希、あなたまさか……」

 震えた声は、

「妹属性が好きなのですか……?」

 驚愕の色に染まって、

「他人の妹にも欲情するのですか……?」

 憤怒が垣間見えた。

「んなワケねーだろ! あんなおっかない女のどこが良いんだ、グラナの方がマシだ! 大体、俺よりも年上だし、背丈だって同じくらいなんだぞ!」

 振り返ると、青ざめた顔の由梨花がいた。強い怒りのせいでそうなったのだろうか。

「まだグラナの肩を持つのですか、八方美人はいい加減にやめたらどうですか? グラナなんかよりもフリーデの方がマシですよ、甲斐甲斐しく世話をしてくれます。ヤンデレの妹に攻められるヴァルターを羨ましがっている者もいるのですよ?」
「知るか―! はぁ……もういい、朝からスゴイ疲れた気がする。取り合えず食堂行くぞ、何か食べなきゃ今にも死にそう」

 律儀にドアを開いて、由梨花が出て行くよう促す。
 俺が先に行けば良かったのだろうが、一人置いていくのも気が引ける。いや、俺の部屋に置いておくのには不安しかない。罠を仕掛けられでもしたらたまったものではないのだ。

「はいはい分かりました。続きはゆっくり聞きますから」

 最早呆れている様子。
 仏頂面はそのままに、ゆっくりと椅子から立ち上がり、あくびを噛み殺しつつそんなことを呟く。

「続き? 話はもう終わりだろ。それよりさあ、今日は何やるんだ、任務内容は?」
「要塞への補給物資輸送の護衛ですが……。そんなことはいいのです」

 再び瞼を擦ったかと思うと、真っ直ぐに見つめた。両目には、決然とした意志を宿らせて。

「彼女と何があったのですか」

 どくん。

「何でもねーよ、勘繰り過ぎだ」

 確信という炎を秘めた瞳に貫かれる。
 俺が下手なのか、少女が鋭いのか。どちらもだろうな。
 ──今日のことは他言無用だ。
 いけない、このままでは首がとんでしまう。

「嘘はいけませんね……。ああそうでした、そろそろ月末ですねえ。欲しいものがたくさんあるのですよ、給金だけで賄えるでしょうか。服も買い直さなければなりませんしね……誰のせいで破れたか、あなた、知ってますか?」
「だから、俺は悪くねーだろ! 金を搾り取る気か、そうはさせねーからな! あれはグラナが悪いんだ、俺は悪くねえ!」
「あなたが捕まえていれば、弁償費を請求出来たのです。任務外でしたから保険は降りないのですよ?」
「知るかー! 死亡保険がおりなかっただけマシだと思え!」

 脅すつもりか、この性悪女。いやしかし、これは僥倖だ。このまま話題をグラナ方面に引っ張っていこう。

「で、何があったのですか?」

 先手を打たれた。

「い、いや、そのだな……」
「残念でしたね、異世界だからとて誰もが優しくしてくれると思ったら大間違いです。チート性能で転生してモテモテでお嫁さんも選び放題だなんて、中学生で卒業する妄想ですよ。まあ、主人公に優しすぎる物語が日本では望まれていましたが……。それを忠実にアニメにするという暴挙、最早感動すら覚えました。アニメーターと演者が可哀想ですよ、ええ。理想を明確な形にしてはダメなのですよ」

 冷笑を浮かべ、さも楽しそうに言葉を紡ぐ。弱者をいたぶるのがお好きなようだ。

「いくら書籍の宣伝目的とはいえ、巨額の製作費をかけて作られたのが寒気を覚えるゴ……ゴホン、そんなことはいいのです、既に関係無いことですので」

 いちいち下らないことを言うから、お前のことが嫌いなんだ。

「お前、アニメなんか見てたのか」
「どうでもいいでしょう。で、何があったのですか?」

 心の隙間を探り出す、その瞳が。

「ぐっ……」

 どうしようどうしようどうしよう、
 ──そんな嘘の付き方じゃ、すぐに怪物の仲間入りだよ。
 揺らいではいない、この程度で壊れはしない。
 だが、追い詰められているのは事実。いくらなんでも焦り過ぎた。もっとゆっくりと、時間をかけて……いや、言われた通りに忘れるべきだった。危険な好奇心さえ持たなければ、こんな感情になど、ましてや疑われることも無かったのに。

「何があったのですか……?」

 もう逃げられない。
 ガタン──窮地に立たされた俺を救ったのは、大きな物音。

「隣の部屋……?」

 バサバサという音が響き、問答は中断。
 本か何かが散らばったように聞こえた。
 すぐ近く。隣の部屋に間違いない。

「おかしいですね……」
「何が?」
「隣には……誰もいない筈ですよ」
「あ……そうだよ、物置同然だった筈だ」
「泥棒? まさか……幽霊?」
「いやまさか……」
「見に行きましょう」

 飛び出した由梨花の後を追い、自室を後にする。
 問い詰められることから脱出できたことを神に感謝……いや、どうせすぐに話をぶり返されるだろう。どうするべきだ、ぶちまけるか。話した所でどうにもならないと向こうも言っていたし、たいして問題にはならないだろう。

「開きますよ……」
「おう……」

 まあ、今は目の前のことに意識を集中させよう。
 真剣な顔で、由梨花がドアを開く。
 その先には、至る所に物が敷き詰められた部屋。しかし、何かが可笑しい。整理整頓されている中、一か所だけ崩れている。そして僅かなスペースを確保した床には、大量の書籍がぶちまけられていた。

「誰もいないな……自然に崩れたんじゃね?」
「そうですね……ん?」

 泥棒でも幽霊でもない、ただの自然現象だった。
 そのはずだった。

「何ですかね、あれ……」

 ぴょこんと飛び出した尻尾さえ見えなければ。

「その声……毛皮無き者か? 丁度良い、手を貸せ」

 そうだ、既に忘却の彼方にあった。

「報酬としてどんぐりを与えよう。いや、今ならば異教徒の討伐を引き受けてやっても良い」

 ここが剣と魔法の世界だということが。

「なんだ、アレ……」
「イタチ、でしょうか……いや……」

 本の隙間から顔を出したのは、褐色の毛皮をした細長い生物。

「イタチだと? 違う、騎士だ。どこからどう見ても騎士だ。正しくは……あ~、何だったか?」

 顔だけ真っ白なその生き物は、生意気にも人語を喋った。




 押さえつけていた本を除けてやると、その生物は体をぶるぶると震わせた後、俺たちの目の前まで近づいてきた。

「助かったぞ、毛皮無き者よ。にして、貴殿らは何を求む?」

 後ろ足で立ち上がって、軽く頭を下げる。褐色の細長い体に白い顔、長い尻尾……何となく、管狐というワードが脳裏に浮かぶ。

「なあ由梨花、俺が異常なのかな」
「どうでしょうね。集団催眠という線も考えられます」
「喋ってるよな、このイタチ」
「喋ってますね、おそらくテンでしょうが」
「服着てるよな、甲冑みたいな」
「着てますね、立派な騎士姿です」

 異常を認識すると返って頭が冷静になる、という話を思い出した。
 そもそもここは剣と魔法の世界だ。加えて、俺たちは既に一度死を経験している。常識など、とうに崩れ落ちているではないか。人語を喋る動物がいることの何が不思議なのだ。由梨花も不思議がってはいるが。

「騎士? そうだ、騎士だ。騎士団万歳! 騎士団万歳!」

 イタチ──由梨花が正しいのならテン、は首をかしげたかと思うと、右手を挙げて宣誓する。

「異端者と異教徒をこの世から排除するのだ! そうだろう同志よ……む? 同志はどこだ?」

 ぐりぐりと頭を回し、ここが物置と化している部屋だと気付くと、俺たちへ視線を向けた。

「毛皮無き者よ、我が同志はどこへ行った? そもそもここはどこだ?」

 表情などまるで読めないが、多分、不安がっている。
 おずおずと言葉を発したのは、由梨花だった。

「えーっと、ここは血の闘争団の寮です」
「あーせなる……何だそれは?」

 テンはつぶらな瞳をぱちくりさせ、またもや首をかしげる。
 考え込んだソレを傍目に、俺と由梨花は一歩下がって状況を確認した。

「迷い込んだんでしょうか」
「そうだろうな。捕まえるべきなのかな、この場合」
「そうですね、朝食に並ばれては食欲が失せますし」
「あっさりしてんな、ペットにでもするかと思った」

 可愛いって騒ぎ出すかと思っていた──なんて言えない。
 しかし迷子か。子供の迷子は可愛いが、大人の迷子はタチが悪い。というか何歳なのだろう。新宿駅に放したら脱出できるだろうか。

「喋るペットなど気味が悪いですよ。第一、テンの飼育など出来る気がしません」
「テンって何食うんだ、肉食なのか」
「雑食性です。何を食べるかはお好きに想像して下さい」

 雑食ってことは、人間みたいになんでも食べるんだろうな。自然の中で生きているのだから、小鳥やネズミ、小魚やバッタまで食べるのだろうか。いや、騎士姿のコイツの場合はどうなのだろう?

「取り合えず捕まえて下さい」
「え、俺?」
「もちろんです、噛まれて病気でももらったらどうするのですか」
「俺の身を案じてはくれないんだな、哀しいなあ」
「何を言っているのですか、死にはしません」
「だからってだな……」
「早くして下さい、命令です」
「分かった分かった、捕まえて放り出せばいいんだろ」

 ここまで言われては仕方ない。所詮は部下で、使いパシリ。
 先程の問答もうやむやになったし、これは天命に間違いない。
 テンへ向き直ると、未だ腕を組んで熟考していた。今がチャンス──手を伸ばしかけた瞬間、瞳に光が灯った。

「いやどこかで……そうだ、毛皮無き者たちの王が口にした、ような気がする。ああそうだ、幾世代をも遡る」

 その言葉に、手が、止まった。

「王って……?」
「国王のことですか……?」

 この国を治める統治者。その人が、団のことをコイツに話した?

「無論。我等が異教徒、並びに異端者を狩ることを、貴殿らの王が正義だと指し示したのだ」

 テンはうんうんと頭を揺らし、甲冑をカチャカチャと鳴らす。ずっと立ち上がっているが、重たくないのだろうか。

「異端? 異教? コイツは何言ってんだ?」

 一瞬自分たちのことかと疑ったが、敵対する様子もないし、おそらく違う。

「さ、さあ……聞いてみますか」

 言うと、床に膝を付き、目線を出来るだけ合わせるように調整してから、口を開いた。

「あの……あなたについて知りたいのですが、少しよろしいですか?」
「騎士団のことか? そうだな、それは天命と言って差し支えない。あの憎き異教徒を殺し尽くした時、我らが魂は天国へと旅立つのだ」

 話を聞いているのかいないのか、テンは勝手に喋り出す。
 とても理解できる内容ではない……由梨花も頭が痛い様子。

「はぁ、そうですか……えーとですね、あなたのお名前を聞いても良いですか?」
「良い。我が名はノイン。そう、ノインだ。神の啓示を受け……はて、何故ここにいるのだったか。毛皮無き者よ、ここはどこだ?」
「ここは血の闘争団の寮です」
「そうだ、あーせなる。うむ、それは把握した。そこに良いものがあるとして……何やかんや? そうだ、異教徒を見つけたのだ」

 こちらの焦燥などお構いなしに、ノインと名乗るテンはマイペースに話し続ける。由梨花はやはりというべきか、後ろからでも分かる程の呆れ顔。
 エイリアンとの対話は、とても難しい。

「それでノイン、異教徒とは?」
「この世全ての悪であり、我等の敵だ。名を呼ぶのも躊躇われる」
「はぁ……」
「それを殺すのが我らが使命。いや、天命だったか。貴殿は、天国にもマタタビがあると思うか?」
「どうでしょうか……」

 由梨花はこちらをチラッと振り向き、「私にはムリです」とでも言いたげな目を向ける。俺にどうしろというのだ、代わりに対話しろとでも言うのか。
 取り合えず、捕まえよう。喋るテンというのがこの世界ではありふれているのかどうか知らないが、捕まえて誰かに──団長にでも報告するか。

「──ッ!」

 後ろに回り込んで捕まえよう。
 動き出した俺に気付いたのか、ノインは身構えた。上体を低く、足で踏ん張り、突撃する構え。
 その瞳に浮かぶのは、殺意。

「同志よ! あそこだ! 異教徒が!」
「え、何ですか」
「剣を抜け! 聖戦である!」
「剣?」
「いざゆかん! 騎士団万歳!」

 二本の足で歩き出す、その手には小さなナイフ……いや、ノインの小さな体には不釣り合いなほど、装飾が施された立派な剣が握られていた。どうやら背中にでも括り付けていたらしい。
 それを手にし、向かうは俺──ではなく、その足元を駆けた黒い影。

「毛皮無き者よ! 貴殿らも剣を抜け! 異教徒を滅ぼすのだ!」

 よちよちと歩きながら、覚悟が込められた声を張り上げる。
 どうして剣を抜くのだ。そんなものをわざわざ使わなくとも、己の爪と牙で仕留められるではないか。

「ネズミ……?」
「汚れた魂は光の中で浄化されるであろう! 行くぞ友よ! 騎士団万歳!」

 威勢良く、ノインは突進する。
 だがすばしっこいネズミに二息歩行で追いつける筈もなく、廊下に出た時には影も無い。

「騎士団万歳! 騎士団万ざ……ゲホッ! ゴホッ!」

 スタミナが切れたのか、剣を手放して身悶えする。
 何なんだコイツは。

「異教徒って、ネズミのことなんだろうな」
「では、異端者とは?」
「さあ?」
「ですよね」

 雑食であるのなら、ネズミも当然餌になる。だというのに剣で殺すとは、どういうことだ。異教徒と分類するのは何故なのだ。疑問ばかりが巡り巡る。

「む、この香り……朝餉は鶏肉で間違いない。異教徒を狩ってやったのだ、報酬を頂こう」

 呼吸を落ち着かせたらしいノインは、言いながら剣を背中の鞘へと戻し、四本の足で廊下を駆ける。

「おい待て! ネズミ狩ってねーだろ!」
「追いますよ、ノインが朝餉になるかもしれませんから」

 駆け出した由梨花を追って、急な階段を滑らないよう駆け降りる。
 厨房で働くコルトならばテンを調理などしないとは思うが、もしかしたら絞めるかも。まあ、テンの肉が美味しいと聞いたことも無いし、雑食だし、多分不味い。から揚げにすれば美味しいのだろうか。

 廊下を降りると、なるほど、香辛料の香りが微かに漂ってきた。食堂からは大分離れてはいるが、テンの嗅覚は見事に嗅ぎ取ったらしい。
 薄汚──くはないが、何か寄生虫だったり病気を持っていたとしたら被害が出てしまう。焦る気持ちで寮を後にした時、何かが聞こえた。

「何だ……?」

 時刻を伝える鐘の音ではない。

「これは……」

 慌ただしく鳴るのは、危険を知らしめる鐘の音。

「警戒態勢……! 非常事態です!」

 サイレンだ──響き渡る唸り声に、意識がハッキリしていくのを感じた。
 敵が、すぐ近くにいる。
 迷う間もなく駆け出した手には、覚悟を握った。
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