異世界は呪いと共に!

もるひね

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Phase3 真の力の目覚め的な何か!

喫茶店へようこそ!③

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 メンバーたちが去ったテーブルで、一人寂しく紅茶を啜る。
 すぐに後を追うべきではあるが、グランツの好意を無下にするのは気が引けた。

『なあ、さっきのって修羅場だよな?』
『どう見てもそうよ、フラれたんでしょ』
『おお怖……にしてもあの黒い髪、天炎者じゃねーか』
『あらホントじゃない、アンタと別れてあの子とくっついちゃおっかな』
『ははは、笑えない冗談はよせ』
『アタシ、稼ぎが良い男が大好きなの』
『冗談はベッドの上だけにしろ』
『子供出来たってのは嘘』
『やめろ』

 ヒソヒソ声が周囲から聞こえてくる。うん、早くこの喫茶店を出よう。だがせっかくの自由時間だ、もう少しだけ一人でいたくもある。最後の一口を含みながら、先ほどの会話を思い返した。

 天炎者を殺そうとする人間がいる……まあ、そんな考えを持つ人間がいてもおかしくはない。危険な肉食動物は檻の中へ入れるべき。そこから逃げ出したのなら射殺しなければならない。血の闘争団という檻に囚われていないはぐれ者なら尚更。

 抵抗勢力だと濁していたが、おそらく敵だ。オニキスは言っていたのだ、「オレたちの敵はあの化け物ばかりじゃない」と。戦争に勝つための戦力である転移者を狩られるのは痛手となる、それを事前に阻止するのも仕事の内。

 あれ、オニキスは俺、というか天炎者のことを嫌っていた様子だったような? 由梨花には「信頼している」だとかほざきながらも馬鹿にしていたし、本人も強く拒絶していたし。
 まあ、天邪鬼な子供だし反発するのも仕方ないか。
 それよりも由梨花だ。突如として怒り出すとは何事だ、俺が何をしたというのだ。「可愛い」という呪文はグラナに対して放ったというのに、何故怒られなければならないのだ。自分が言われるのは嫌で、他人に向けて言われるのも嫌なのか。何というワガママっぷり。

 お姫様扱いされたがってるクセに──思考した直後、視界が闇に没入した。

「え、なに!?」
「くすくす……だーれだ?」

 耳元で、誰かが囁く。
 聞き覚えがある声。先ほどまで話の中心になっていた小悪魔で間違いない。まさか向こうから出てくるとは……抵抗勢力の手に掛かっていないようで一安心。すぐに捕まえるべきではあるが、強制するつもりなど俺には無い。
 とにかく冷静に、互いに話をしなければならないだろう。

「グ、グラ──」
「ふう~」
「な──!?」

 温い風が耳の中を駆け回り、脳が刺激を感知する。荒々しくもとろけるような快感に、視界では小さな火花が散る。

「びくびくしてる……くすくす、お兄ちゃんは可愛いなぁ。かぷっ」
「ひっ──!?」

 キャンパスには真っ白な絵の具がぶちまけられ、もう、群青の空の絵は見えない。

「んっ……ちゅっ……」
「や、やめ……」

 熱いものがハケのように動き回り、左耳が蹂躙される。上から下へ、左から右へと縦横無尽に暴虐の限りを尽くし、首筋まで侵略の手を進めていく。

「くすくす、消えない痕を消してあげる……んむっ」
「……!?」

 海蛇が這い回るのに疲れた時、烏は新たな獲物を見つけた。そこを目掛け、きつく、吸い取るように、熱いものを押し当てて──

「んちゅ~」
「!?」

 啄まれた。

「ぷはぁ……お兄ちゃんどう? 気持ちよかった?」
「…………」

 真っ白な脳内に、妖艶な声音が響く。
 どうって、どういう状態なのだろうか。とりあえず……頭がフットーしそう。

『別の女がいるみたいだぜ、残念だったな』
『アタシね、愛にはお金とか地位とか関係ないと思うの』
『今更取り繕うなよ、飽きたんならさっさと行け』
『子供がいるの、本当よ? 二人で育みましょ、愛の結晶を』
『…………』
『ちょっと聞いてるの? まさか、アタシを一人にするなんて酷いこと考えてないわよね?』
『…………』
『聞いてよ!』

 金切り声に覚醒する。
 既に拘束は解かれていたようで、視界は鮮明に映る。何も変わらぬ喫茶店──だが異物が一つ、紛れ込んでいた。

「グラナ、お前……」
「久しぶりだね、お兄ちゃん」

 左の椅子にちょこんと腰かける幼女。白と黒のワンピースを着こんでおり、幼さと高貴さを小さい体からこれでもかと放出している。この世界ではありふれたものではあるが、この少女が着ると人形にしか見えない。

「え、えーと……久しぶり。って違う、そうじゃなくて……!」

 言いたいことは山ほどあるが、突然の邂逅と快楽の祝福に頭が回らない。
 放心しきっていた体に喝を入れてから、口を開く。

「いきなり何てことしてんだ!? はしたないだろ、年頃の女の子があんなことしちゃいけません!」

 違う、そうじゃない。

「くすくす、お兄ちゃんは嬉しがってたじゃない。ほら見て、カラダは正直だよ」
「やめなさい! 公然猥褻だぞ、犯罪だぞ!」
「捕まるのはお兄ちゃんの方だよ」
「何故!?」
「私は何もしてないよ、耳にチョコレートがついてたから舐めただけ。でもお兄ちゃんはびんびんにぺ──」
「やめろ! 分かったからやめてくれ、下品だから」

 落ち着け、言いたいことと聞きたいことはそんなことじゃない。
 喫茶店の客たちが好奇の目を向ける中、グラナへ掛ける言葉を選びながら、熱が冷めるのを待った。

「いきなり出てきやがって、どういうつもりだ?」

 物を盗むでも腹を刺すでもなく、エロチックな行為をした少女に問う。
 グラナは屈託のない微笑みを浮かべて、迷うことなく答える。

「それはね、お兄ちゃんたちが私のことを探してるって聞いたから」
「当たり前だ。由梨花はカンカンだぞ、おしりペンペンだけで済むと思うなよ」
「あのお姉ちゃん、さっきもカンカンだったよね。もしかして、お兄ちゃんフラれたの?」
「そんな関係じゃない、どうせあの日だったんだろ。つーか何で知ってんだ、見てたのか?」
「偶然だけどね。他の人たちがいなくなるのを待ってたんだ、偉いでしょ? お仕事の帰りだったんだけど、まさかこんな所で会うとは思わなかったなぁ」
「仕事って……今、何やってんだ?」
「くすくす。聞けば答えが返ってくると思ってるの? お兄ちゃんはお馬鹿さん、本当にお馬鹿さん」

 笑いながら言うが、どこか悲しみが含まれる響き。
 ゾクリ──背筋に冷たいものを感じ、衝動に任せて席を立った。
 何を呑気に話しているのだ俺は、こんな場所で!

「行くぞ」
「え、ちょっと──」
「ここじゃ話せないだろ、いいから来い! 連行するつもりはないから……!」

 グラナの細い腕を握り、出口へ足早に向かう。

「乱暴はダメだよぉ……。でも、お兄ちゃんにならそれでも……」
「見ない間に何があった!?」

 ホテルにでも連れていかれると思っているのか、顔を上気させながらも軽い足取りで後に続く。幼女趣味など無いし、手を出せば犯罪だ。合意の上ならだとか愛があればだとか、細かい話は捨て去れ。淫行条例に引っかかる。
 店員は驚愕の表情を浮かべてはいたが、俺たちを止めはしなかった。お代はグランツが払っているのだろう、礼を述べてから店を出る。

 出迎えたのは、喧騒。
 晩課の鐘はとうに鳴り、通りは家路を急ぐ人々で溢れていた。由梨花班が率いていた馬がいなくなっていることを確認してからグラナの手を引き、人通りの無い路地裏へと急ぐ。

「あの、お兄ちゃん? こんな所でやるのは野蛮というか、どうせならもっとイイ雰囲気で……」

 いつの日か、ヴァルター妹に連れ込まれた薄暗い路地。月明りさえ届かない暗闇の中へと連れ込んだ。
 グラナは困惑しつつも何か期待する瞳……それを無視して、静かに、口を開いた。

「由梨花から聞いたぞ、転移者を嫌っている組織があるらしいって。捕まったら、お前、死ぬより悲惨な目に合うかもしれないんだぞ? どうしてノコノコ出てきたんだ、あの店には軍人だっているかもしれないのに……!」

 絞り出した声には多分、憤怒が込められていただろう。
 軍に捕まれば罪を罰せられる。反抗勢力に捕まれば辱められる。団に捕まれば戦場へ誘われる。
 我ながら、理不尽な目にしか合わないな、と息を呑んだ。自由に生きたいだけなのに、それすらも許されない。

「くすくす、お兄ちゃんは私のことを心配してくれてるんだ。それってどんな感情? もしかして愛?」
「はぐらかすな、こっちは真剣だ! 精神が壊れれば死縛者になって、また死ぬ羽目になるんだぞ!?」

 心配はしていた。自分より幼い少女が悲惨な目に合っているのではないか、と内心ハラハラしていた。この腐った世界でも気高く生きるこの子を、尊敬していたから。
 借りを返さずにいなくなられたら困る、という理由もあるが。

「大丈夫だよ、あそこには軍も、反抗勢力シャルフリヒターもいないから」

 グラナはくすくすと笑いながら、聞き慣れない言葉を言う。

「は? シャル……何?」
「転移者を嫌っている組織の名前。解放軍ってところかな?」
「なんだそれ、由梨花は名前なんて無いって……」
「話を鵜呑みにするのは止めたほうがいいよ? ま、血の闘争団が対処することないだろうし、知らないままでもいいんじゃないかな」

 手をひらひらさせ、些細な事だと身振りで表す。
 確かに、警察権の無い血の闘争団にはどうしようもない。自衛の為ならば動けるだろうが、専ら正規軍の役目だろう。
 知識が豊富な由梨花が口にしなかったのは、余計な事だと判断した為か、はたまた忘れていただけか。

「どうしてグラナが知ってる? お仕事ってのが関係してるのか?」

 当然の疑問。団でもないはぐれ者の幼女が、自分でさえ知らない組織の名を何故知っているのだ。それに、身の危険を冒してまで自由でいられる理由はなんだ。

「くすくすくす。教えてあげてもイイよ、ベッドの中で」

 不敵に笑って誤魔化された。

「はあ……ちんちくりんに欲情なんてしねーよ」
「さっきはビクビクしてたのに? 私の舌使いがたまらなかったんでしょ」
「やめろ!」

 ペロリと顔を出した真っ赤な舌はとても煽情的──違う、欲情なんてしてない。
 おぉ、もう……マジになってたのが冗談に思える。幼いグラナに弄ばれている気がして、大きなため息を一つ吐き、肩の力を抜く。

 グラナはニコニコと笑みを浮かべていた。
 やはり、とても精神を病んでいるようには見えない……いや、外見で判断出来るほど単純なものではない。陰性と陽性、どちらかの症状を発症しているかを観察する。無気力感はまるで無いし、幻覚を見ているようでもない……おそらく。

 ズバリと聞くべきだろうか、「グラナは統合失調症なのか」と。いや、そんなこと面と向かって言われてみろ、ムキになって否定する。精神病への対処療法など知らないが、とにかく、理解しなければ。

「くすくす、そんなことはどうでもいいの。ねえお兄ちゃん、心は決まってるんだよね」

 素人判断に頭を悩ませていると、グラナから喋りだした。

「軍にも闘争団にも連れていく気が無いってことは、私と一緒に来てくれるんだよね? ここでヴァージンをあげてもいいよ。ね、どうかな?」

 再びの勧誘。
 取り合えず、被害妄想は発症していない……のだろうか。

「残念だったな、俺はロリコンじゃない。前にも言った筈だ、一緒には行けない」
「一緒にはイケナイの?」
「アブナイ言葉を使うんじゃありません! 初めては大切な人の為に取っておけ!」

 由梨花にはビッチと言っておきながら、グラナこそビッチではないか。いや、貞操は守っているようだし……分からないな、女の子というものは。

「そんなにあのお姉ちゃんが好きなの? 私なら従順に従うよ、どんな命令だって聞いてあげる。胸だってすぐに大きくなるよ、成長期だから」
「やめなさい! それに、由梨花とは恋仲じゃねえって言ってるだろ!」

 恋愛感情は捨てた、と由梨花は言っていた。本音と建て前のどちらかは判断出来ないが、少なくとも俺に好意など持っていない。あるのならば金貨を奪わないし、目を潰さないし、逆ギレなんてしないだろう。四六時中一緒というか、付き纏われているのは同じ班だからだ。

「ふーん、そっかぁ……決意は固そうだね。無理矢理奪わないといけないかな」

 一瞬目を伏せたかと思うと、すぐに顔を上げた。その瞳には確かな火を灯して、

「お兄ちゃん、こんな話を知ってる?」

 何かを懐かしむように言った。

「地球温暖化は知ってるよね? ここじゃない、元の世界の話」
「は……?」

 まるで関係性の無い話題に呆気に取られる。

「分からないの? 本当にお馬鹿さんなの?」
「知ってるっつーの! 常識だろ、二酸化炭素を出さないようにしようだとか、レジ袋を削減しようだとか言ってたアレだろ? 他にも森林伐採をやめさせようだとか、エコカーを減税させようだとか」
「うん、そう。偉いよね、地球を守ろうとしてたんだからね。一生命体に過ぎない人間が、自分たちの生活を守る為にね」

 支配者だと思いあがってね──尻すぼみに付け加えると、視線を足元に落とした。

「アレはね、成熟した経済圏・人口減少・高齢化っていう問題を抱えた先進国が生み出した、都合の良い嘘にすぎないんだよ」
「は……?」
「環境ビジネスは金になる……巨大人口新興国の経済発展に歯止めをかける目的もあったけどね。自然を守れっていう綺麗ごとを吐いて、私腹を肥やす人間がいたんだよ」

 鏡の裏表。善があれば、それを利用する悪がある。
 確かに、温暖化は嘘であったという知識はある。北極の氷が溶けて海面が上昇するなんてとんだ笑い話だ。コップに水を注いで氷を浮かべ、それが溶けたらどうなるかなんて小学校で習うこと。

 それを公表しないのは、ビジネスの為。
 「エコ」と付けばその商品は売れるのだ、むしろそれしか売れてくれない。莫大な補助金を引き出す為にも用いられる魔法の呪文に成り代わった。メディアの情報を鵜呑みにした大馬鹿者から、金を巻き上げる為に。

「どいつもこいつも難しい話をしやがって……何が言いたいんだ?」

 グラナは曇った表情を浮かべてはいるが、決して錯乱などしてはいない。何か意思を持って話をしている。だが真意は何なのだ、この世界にも温暖化の脅威が迫っているとでも言うのか。
 いや、真意は分かる。俺を連れて行こうと画策しているのだ。錆びた鍵で、鳥籠を破る為に。

「儲ける人がいて、搾り取られる人がいるってこと。お兄ちゃんはどっちかな?」
「は……?」
「命まで絞られたくないでしょ? 一緒に行こ、お兄ちゃん」

 手を差し出した少女の背後には、深い闇。
 だが不思議と、恐怖を呼び覚ますものではない……あの時とは違う。

「一緒に来て。愛してあげるから。命の危険は無いけれど、違ったスリルが味わえるよ……ただ存在するオンリー・ザ・イグジストなんて寂しいよね?」

 ニッコリと、嗤った。
 その手を取れば、地獄からは逃れられる。
 仮初の平和から脱却できる。
 明日を許される。
 それでも。
 それでも、もう戻れない。

 ──閑寂の波に凍ざされし
 ──其は、融炉をころぶ蝋人形
 ──饑渇せよ、無邪気の業

「!?」

 ゾクリ──肌が震えた時には、手を伸ばした。

「危ねぇッ!」
「え……」

 闇を裂く一筋の閃光。
 直後、肉を切断する不快な音が、路地裏に響き渡った。


 ★ ★ ★


「……雪解けは近い。誰もが春を待ってる」
「承知しております。ですが、外道の道を歩くことをマリア様はお望み致しません」
「……外道は外道。私に構わないで、早く行って」
「お言葉では御座いますが、グラナ・ヴァネッサを丁重に歓待せよと命ぜられております。直々に賜ったお役目、放棄することなど出来ません」
「……あなたはお側役でしょ。現場は任せておけばいい」
「なりません。どうかマリア様の心中、お察しくださいませ。私共とて身を引き裂かれる想いで御座います、ですが……こればかりは、いかにノーレン様の命といえども、なりません」
「……つまんない」
「滅相も御座いません」
「……じゃあね」
「は。表に倒れている抵抗勢力の捕縛、我等親衛隊にお任せください」
「…………」
「どうか、お気に病まれぬよう」
「…………」

「……雪解け水はただ流れる。汚濁ごと洗い流して」

「……氷の思い出も、全て」

「……全て、照らす陽に溶かされて」

「……そうでしょ、ユリカ」
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