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序章:ストレス耐性の弱い御方は閲覧を控えて下さい
プロローグ
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僕は字が読めない。
親の顔も知らず、家族愛も知らず、捨てられた僕は孤児院で育った。最低限の会話が可能になるとすぐさま練兵所に収容され、市民権を得る為にひたすら剣を振るった。
現実は無情、僕は兵士になれなかった。
理由は単純、僕は兵士に向いていなかった。
僕は顔も知らない親を呪った。
それでも生きる為に奉公せねばならず、僕は使用人としてとある貴族に雇われた。小さい体とはいえ養成課程は達成したのだから、体力や精神力には多少の自信があった。肥え汲みはもちろん庭木の手入れ、主人が狩りへ出掛ける際にはフットマンとしてお供した。
忙しい毎日。
罵声を浴びせられることも仕事であり、打擲を受けることも給金の内。身分の差は絶対、それは揺るがない事実であり、僕を生殺与奪する権利は彼らにある。強靭だと自負していた精神と肉体が蝕まれていく中、それでも、一つの光が僕を照らしてくれた。
その貴族には、僕と同い年の息子がいた。
彼には才能があり、能力があり、広い器があった。僕のような下男を侮蔑せず、こっそりと嗜好品を分けてくれたりもした。当初の僕はそれに毒でも盛られているかと疑っていたけれど、手を付けないことを不審がった彼は憂いを帯びた表情でそれを食べ、毒など入っていないことを笑って証明したりもした。
ある日、吟遊詩人が招かれた。
もちろん、下男に過ぎない僕がそれを拝聴することは不可能。なのだけれど、彼がその前日、詩人が招かれることをあまりにも嬉しがっていたので、女中と主人の目を盗み、こっそりと拝聴した。
その時だろう。美しい、という感情が芽生えたのは。
音色が変わったことを不審に思って間を覗くと、詩人は葉っぱを口に当て、短い旋律を奏でていた。美しい、とても美しい、七色の光に満たされながら。それは精霊の加護故の、人では到底発せられない奇跡だった。
彼にも、精霊の加護がついた。
それを知った時、僕はとても、とても嬉しかった。彼も喜びに頬を緩ませ、主人に黙って上質な肉をご馳走してくれた。女中に見つかって大目玉を食らったけれど、結局、彼女も黙ってくれていた。勿論彼は、彼女にも肉を分けてくれた。
それなりに満たされていた、と思う。
いつまでも続いてくれればいいな、とも。
彼が変わったのは、主人が亡くなってからだ。
跡を継ぐために猛勉強し、時には政治の舞台に顔を出し、彼は子供の時間を忘却していった。僕は彼の支えになれるならと身を粉にして働いた。そんな彼の姿を、奥様がどこか冷めた目で見ていた事に一抹の不安を感じながらも。
朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも後に眠る。自分の時間など無く、女中に心配されるような状態になろうとも、只一つが為に働いた。
彼が僕に、打擲するようになろうとも。
それが正しいことなのだと、至極当然な事なのだと、どちらも分かっているから。
裏切られた、とは思わない。
でも少しだけ、寂しい。
そんな時、ふと、あの吟遊詩人の旋律を思い出した。
誰もが寝静まった夜。
葉を一枚取り、色褪せた記憶を手繰って見様見真似で息を吹いた。勿論あの音色を再現できる筈もなく、間抜けな雑音が冷たい闇夜へ溶けていく。
それでも。
それでも、もう少しだけ。
あの日の彼に、出会えるのなら。
あの日の輝きに、触れられるのなら。
叶わない願いだと、分かっていても。
汚れたこの身でも、許されるのならと。
「──汝、我を惹きつけし演奏者なり」
誰かの声。
空を見上げ。
夜風に靡く紅い髪。
月光に負けぬほど燃えがる、深緋の瞳。
「──汝、誰が為に奏し者なり」
僕は何も言葉を発することが出来ず、ただ、その輝きに見惚れていた。
「──汝、我との契約を求めるか」
強い意志を秘めた声音で、凛とした旋律を紡ぐ。
僕はこの日を、永遠に忘れないだろう。
「──汝、その名は」
精霊と出会った日を。
親の顔も知らず、家族愛も知らず、捨てられた僕は孤児院で育った。最低限の会話が可能になるとすぐさま練兵所に収容され、市民権を得る為にひたすら剣を振るった。
現実は無情、僕は兵士になれなかった。
理由は単純、僕は兵士に向いていなかった。
僕は顔も知らない親を呪った。
それでも生きる為に奉公せねばならず、僕は使用人としてとある貴族に雇われた。小さい体とはいえ養成課程は達成したのだから、体力や精神力には多少の自信があった。肥え汲みはもちろん庭木の手入れ、主人が狩りへ出掛ける際にはフットマンとしてお供した。
忙しい毎日。
罵声を浴びせられることも仕事であり、打擲を受けることも給金の内。身分の差は絶対、それは揺るがない事実であり、僕を生殺与奪する権利は彼らにある。強靭だと自負していた精神と肉体が蝕まれていく中、それでも、一つの光が僕を照らしてくれた。
その貴族には、僕と同い年の息子がいた。
彼には才能があり、能力があり、広い器があった。僕のような下男を侮蔑せず、こっそりと嗜好品を分けてくれたりもした。当初の僕はそれに毒でも盛られているかと疑っていたけれど、手を付けないことを不審がった彼は憂いを帯びた表情でそれを食べ、毒など入っていないことを笑って証明したりもした。
ある日、吟遊詩人が招かれた。
もちろん、下男に過ぎない僕がそれを拝聴することは不可能。なのだけれど、彼がその前日、詩人が招かれることをあまりにも嬉しがっていたので、女中と主人の目を盗み、こっそりと拝聴した。
その時だろう。美しい、という感情が芽生えたのは。
音色が変わったことを不審に思って間を覗くと、詩人は葉っぱを口に当て、短い旋律を奏でていた。美しい、とても美しい、七色の光に満たされながら。それは精霊の加護故の、人では到底発せられない奇跡だった。
彼にも、精霊の加護がついた。
それを知った時、僕はとても、とても嬉しかった。彼も喜びに頬を緩ませ、主人に黙って上質な肉をご馳走してくれた。女中に見つかって大目玉を食らったけれど、結局、彼女も黙ってくれていた。勿論彼は、彼女にも肉を分けてくれた。
それなりに満たされていた、と思う。
いつまでも続いてくれればいいな、とも。
彼が変わったのは、主人が亡くなってからだ。
跡を継ぐために猛勉強し、時には政治の舞台に顔を出し、彼は子供の時間を忘却していった。僕は彼の支えになれるならと身を粉にして働いた。そんな彼の姿を、奥様がどこか冷めた目で見ていた事に一抹の不安を感じながらも。
朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも後に眠る。自分の時間など無く、女中に心配されるような状態になろうとも、只一つが為に働いた。
彼が僕に、打擲するようになろうとも。
それが正しいことなのだと、至極当然な事なのだと、どちらも分かっているから。
裏切られた、とは思わない。
でも少しだけ、寂しい。
そんな時、ふと、あの吟遊詩人の旋律を思い出した。
誰もが寝静まった夜。
葉を一枚取り、色褪せた記憶を手繰って見様見真似で息を吹いた。勿論あの音色を再現できる筈もなく、間抜けな雑音が冷たい闇夜へ溶けていく。
それでも。
それでも、もう少しだけ。
あの日の彼に、出会えるのなら。
あの日の輝きに、触れられるのなら。
叶わない願いだと、分かっていても。
汚れたこの身でも、許されるのならと。
「──汝、我を惹きつけし演奏者なり」
誰かの声。
空を見上げ。
夜風に靡く紅い髪。
月光に負けぬほど燃えがる、深緋の瞳。
「──汝、誰が為に奏し者なり」
僕は何も言葉を発することが出来ず、ただ、その輝きに見惚れていた。
「──汝、我との契約を求めるか」
強い意志を秘めた声音で、凛とした旋律を紡ぐ。
僕はこの日を、永遠に忘れないだろう。
「──汝、その名は」
精霊と出会った日を。
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