使用人、最強精霊と契約して成り上がる。

もるひね

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序章:ストレス耐性の弱い御方は閲覧を控えて下さい

第三話

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 目的の場所に到着したのは日も沈み、どっぷりと闇に染まった……何時だろう? 時計なんてものは当然のように持っていないし、鐘の音も動いている馬車の中では聞こえないしで不明だ。おそらく深夜ではないだろうけれど静寂に満たされた見知らぬ街へ、長い、長い、とても時間を掛けて到着した。

 馬車が止まるとすぐさま荷物を抱えて飛び降り、馬と御者へ深く一礼する。「これが仕事だ」と若干引き気味の笑顔を浮かべた若い御者は、金を請求するでもなく、依頼主からの依頼についてもう一度述べた。

「今日明日はこの宿へ泊ってくれ、手続きやらなんやらですぐには生徒になれないんだ」
「はい、畏まりました」
「あっちに行けば寮生活らしいからな、自由なのは今のうちだけかも知れない。くれぐれも……おっと。ま、お前ならそんなことはしないだろうが。とにかく、使いは向こうからここへ来るらしいからあまりうろちょろするなよ」
「はい、畏まりました」
「…………」
「…………」
「何か聞きたいことは?」
「何を聞いてよろしいのでしょう?」

 無礼なことは聞けませんので。

「この街の名はロウラグニス、通う先はシュトアプラッツ魔法学校、宿の名はファイク、これが分かっていれば十分だろうがな」

 大きく溜め息を吐かれた後、捲し立てるように言われてしまう。
 ロウラグニス、はい、ロウラグニスですね分かりました。それとシュトア──頭の中で必死に復唱していたのだけれど、彼の言葉は更に続いたのでそれは中断された。

「お前は字の読み書きが出来ないんだろう?」
「はい、申し訳ありません」
「何かと不便だろ、主人には俺から言っておく。ついでに金も払ってくるからここで待ってろ」
「そのような畏れ多い……!」
「相場の倍払われたんだ、これくらい構わねえさ。まあ安心しろよ元使用人、ここの主人は金さえ積めば黙ってくれる、俺と同じ人間だ。娘がいるらしいが、そっちには黙ってろよ」
「はい、畏まりました」
「本当に分かったのか」
「はい、勿論でございます」
「宿の名前言ってみろ」
「ええと……申し訳ありません、どうぞお殴り下さい」
「出来るわけねえだろうが……バルムヘルム家の元使用人で、これからあそこの生徒になるお前に」

 もう一度大きなため息をついて、ゆっくりと教えてくれた。
 ファイク、はい、ファイクですね分かりました──頭を下げているうちに御者は宿へ向かい、話をつけにいってしまった。

 ゆっくりと頭を上げ、闇夜の景色へ目を向ける。
 石畳の道に煉瓦造りの家々。いつか主人の荷物持ちとして歩いた街と比べて──失礼ではあるけれど、僅かばかり立派な街。整然と立ち並ぶそれらには点々と明るい光が灯っていて、既に就寝していてもおかしくない時間だということだけは分かった。

 ──なれ、ようやく着いたのか?

 誰かの声が聞こえた。

「はい、無事到着致しました」

 住民の迷惑にならないよう、静かに答える。

 ──ここはどこだ?

 気怠げな声が続いた。

「ファイクです」

 確信を込めて答えた。

 ──そうか。で、泊る宿というのはどのような名だ?

「ファイクです」

 自信満々に答えた。

 ──ほほう? 街の名と同じ宿か、さぞかし立派な宿であろう。

「勿論でございます」

  余裕をもって答えた。

「…………」

 うん。
 うん?
 そうだったっけ?

「何ぶつぶつ言ってんだ」
「! も、申し訳ありません!」

 もう話がついたのか、御者が戻ってきていた。彼は多少不審がったもののすぐさま馬車へ飛び乗り、どことも知れない闇へ馬を走らせいく。

「いつまでそうしておるのだ、面を上げよ」
「はい」

 どこか芯の抜けた声──言い方を変えれば間の抜けた声に促されて頭を上げる。隣にはいつの間にか実体化したらしいエアリィが、大きな欠伸を噛み殺して僕を見上げていた。

 うん、改めて見るとやはり小さい。
 うん? 昨夜会った時というか、今日馬車へ乗る前と比べると、僅かばかり背が縮まれたような?
 いやそんなことはない、蓄積した疲労が見せる錯覚だろう。

「早う行くぞ」
「はい」

 急かされては仕方ない。馬車の音が聞こえなくなるまでここにいたかったのだけれど、間近の宿へ歩き出す。
 と、並んで歩いていたエアリィの足が止まった。

「お……おぉ?」
「いかがされましたか」

 何やら困惑している様子。

「む、む、むぅ……趣があるというか、風情があるというか? いや決して汝のおった屋敷と見比べなどしないのだがな? 決してみすぼらしいなどとは思わんのだがな? これが街の象徴たる宿だとは思わんのだがな?」
「勿論でございます、立派な宿であられます」
「ん……んん? ま、まぁ良いわ。些細な事に拘らんのが精霊としての器……」

 納得してくれたらしいので、僕は扉を開けて入室を促す。

「汝、早う入れ」
「なりません、お先に」
「未契約ではあるが、我は汝の僕だぞ」
「そのような畏れ多い……!」
「はぁ、もう面倒になってきおったわ」
「申し訳ありません……!」
「静かにせい」
「は……」
「…………」
「…………」

 エアリィのジト目を受け、無礼を承知で入室した。

「し、失礼致します」

 その声は若干、震えていたかもしれない。荷物持ちとして外出した際はいつも主人の後についていっただけだったので、どのように振る舞えば良いのか勝手が分からない。
 僕は下男でもあるのだし──ミレニアからはしつこく「もう使用人ではない」と言われたけれど、そう簡単に意識は変わってくれないものでもあるし。

「いらっしゃい、ませ」

 出迎えられてしまった。
 頭を下げている……少女は使用人だろうか? メイド服ではないのだけれど? エプロンはつけているけれど? 一般人なのだろうか? 宿では使用人を雇っているのだろうか? 駄目だ分からない。

 ええと、この言葉はつまり? 先に入室した僕に向けられたものであるので? 僕が答えなければならないもので?

 ええと、旦那様はいつもどうお答えされていただろうか? ええと……「うむ」? それを僕が言えと?

「あ、は、い、いえ、そのような畏れ多い……」
「え?」

 困惑されてしまった。

「頭を下げるな、さっさと入らんか」
「はい、申し訳ありません」
「だからそれが……今日はもう何も言うまい」

 呆れられてしまった。

「御二人? 部屋は、開いてます。好きな──」
「いらぬ、一部屋で構わん。我はこ奴の僕であるからな」
「そのような畏れ多い……!」

 何を仰っているのですか!? 私は下男風情でありまして!

「僕……?」
「うむ」
「…………」

 しかしなんと頼もしいお言葉遣いでありましょうか。そう、それはまさしく──いやいやいや僕はもう使用人ではないのだけれど。

「…………取り合えず、どうぞ。お部屋をご案内、します」
「うむ」
「…………」

 やはり僕は、誰かの下で働く方が向いている──そう思考して黙りました。

「…………どっちが、僕?」

 そんな言葉が手に持ったランタンで足元を照らす少女の口から聞こえた気がしたけれど、ギシギシ鳴る床をおっかなびっくりした様子で進むエアリィと、その後を幾つもの荷物を抱えつつ歩く僕には聞こえなかった。

 僕たちが宿泊した部屋は二階の一室。
 僕が荷物を下ろして仕舞われているらしい本を薄明りを頼りにして探す中、エアリィは布団に飛び込んで遊んでいた。これは後で掃除しなければならないだろう。いや、お世辞にも綺麗とはいえない部屋だ、勝手ながらも今すぐ掃除、出来れば全ての部屋を掃除したい。いやいやそれよりも、下男であった僕が彼女と同じ部屋にいる事自体がおかしいのであって。

 そんな事を考えていると人の気配。すぐさま僕たちの部屋のドアがノックされた。

「お客様」

 鈴のような声は、先ほど案内してくれた少女のものだろうか。僕は思考と作業を中断してドアへ向かう。

「お茶と、軽食を、お持ちしました」
「お気遣い、痛み入ります」

 ドアを開けてそう言うと、予想通りの少女がいた。手にした盆の上には茶器とサンドウィッチが載せられている。

「えっ……」
「?」

 少女は目を丸くされてしまいました。

「あ、いえ、ありがとう、ございます」
「は、はい、ありがとう、ございます?」

 軽く会釈されてしまいました。

「お部屋へ失礼、します」
「はい……」

 落ち着かれない様子なのは何故でしょうか。

「!」

 気が付きました。

「も、申し訳ありません! 私のようなものが差し出がましいことを!」

 反省しました。
 そうだ、彼女は一流の仕事人である筈なのにそれの邪魔をしてしまうとは! これがミレニアだったら大目玉処では済まされない!

「え?」
「…………え?」

 あれ、怒られないのですか?

「汝、うるさいぞ」

 怒られてしまいました。

「お客様は、変わった方、ですね」
「も、申し訳ありません……」

 ああ、そうだ。僕はもう使用人じゃなくて、ここでは一人の客なのだった。
 客は扉を開けて出迎えることなんてしないのだろう。

「では、置いておきます」
「はい、ありがとうございます」

 備え付けの机に茶と食事を置くと、彼女は一礼して部屋を後にした。もちろん僕も一礼してしまったのだけれど。

「アクストよ、これは食べて良いのか?」
「勿論でございます」

 まあ、難しいことは考えても仕方ない。

「うむ……ふむふむ、何とも不思議な味である。良く分からんが良いものだ」
「あの御方も喜ばれることでしょう」
「汝は食わんのか?」
「そのような畏れ多い……!」
「…………」
「…………」

 食べました。
 とても、美味しかったです。
 それはそれとして。

 それから僕たちは休む準備に取り掛かった。この宿にはお風呂がなく──まあ下男である僕が使うことなんて躊躇われるものであるのだけれど──体を拭いてくれと言うエアリィの頼みを必死の思いで「申し訳ありません」と説得し、片方が廊下で待機し、片方がその間に部屋で拭く、という規定を設定した。勿論エアリィが先に体を拭くので僕は外へ。

 蝋燭の揺らめく炎を眺めながらふと思考する。
 今更なのだけれど、エアリィが身に纏っているのは紅いドレス。勿論ただの服ではないようで、日中は分からなかったのだけれど薄っすらと光を放っているものだった。とても綺麗な神秘の輝きであり、きっと夜の街中を彼女が歩けば道行く人々皆が魅了されるだろう。何故なら彼女は精霊で、とてつもない輝きを放てる精霊なのだから。

 うん。
 うん?

 これまでの魔法だったり、目の前へ突如出現したりした事実から、彼女は間違いなく精霊……なのだけれど。
 精霊って……食事をとったり、洋服を着たり脱いだり、体を拭いたりするものなのだろうか? 地面を歩く存在なのだろうか。

 うん。分からない。
 ああそう言えば……ミレニアが「秘密は力の一つです」だなんて別れ際に言っていた。まあ答えが出るでもないし、おいそれと聞ける立場でもないし、このままで良いのだろう。

 秘密は秘密のままでいい──その答えが出た時、慌てた様子でエアリィが飛び出してきた。なんでも「黒くて大きい虫が顔に向けて飛び掛かって来た」のだとか。精霊とは虫をも惹き付ける偉大な御方──いや考えるのはそれではなくて、すぐさま退治に向かおうとしたのだけれど。彼女は「殺せ」と仰られず──ああ、なんと慈悲深い御方なのでありましょう──僕は必死の思いで、長い触角と黒光りする甲殻を持つ虫を追い払いました。

 もちろんその時、エアリィの服装は……。

「では、我は寝るぞ」
「はい、おやすみなさいませ」

 必需品袋に入れられていたカチカチに硬いパンを食べ終わったエアリィは、ばふんっと埃を舞い上がらせてベッドへ飛び込んだ。
 さて、僕も眠ろうか。体感だといつも眠っている時間じゃない、まだまだ仕込みだったりの仕事が残っていたりするのだけれど……ああ、僕はもう、それをやる立場にいないのか。少し悲しい。

 この感情は眠れば消えるだろう、そう思って蝋燭の火を消そうとし──足りない頭が回った。

「…………」
「…………」
「あの、エアリィ様?」
「何か?」
「ここで御静まりになられるのですか?」
「そうであるが?」
「そのお姿で、でありますか?」
「そうであるが?」

 何故ですか!?

「とけても良いのだが、器を形作るとどうも肌に合わん。まあ未契約でもあるのだ、不安定故のものであろう」
「申し訳ありません……!」
「汝が気にする必要は無い、とにかく休め」
「は……」
「おい、何故床で眠ろうとする?」
「はい、申し訳ありません」
「ほれ、こっちへこい」
「そのような畏れ多い……!」
「…………」
「…………」

 無理ですよ!?

「汝は我が嫌いなのか?」
「決してそのような……!」
「そうではあろうが……」
「申し訳ありません……!」
「あぁもう、勝手にせい! ふんっ!」
「は……!」

 とはいえ同じ部屋で精霊と共に眠ることなど容易なものではない。疲れに疲れが溜まった体であろうとも中々寝付けなかった。


 ☆


 多分、浅く眠ってはいた。
 それでも僕は、はっきりと目を覚ました。
 微かに響く足音。一人ではない、二人だ。うん、何も問題ない。
 静かに毛布を払って音を立てぬよう立ち上がり、薄明りを放つ精霊のだらしのないいびきを邪魔しないよう部屋を出た。

 夜目は効いている、大丈夫、一度しか見ていないがおおよそは把握できている。
 相手が何処にいるのか。
 標的が何処にいるのか。

 僕は恥じた。
 遅すぎる後悔。
 それでも行かなければ。仕事なのだから。

 階段を降りて一階へ。宿の主人とあの少女も寝ているのだろうか、明かりは消えて静寂が支配している。いや違う、明かりは消された。ああそうだ、やつらに消された。

 宝を盗もうとする不埒者だ。
 だから誰かが守らなければ。

「…………」

 いた。
 一つの部屋、それの扉前に影が二つ。
 息遣いで分かる、臭いで分かる、そうなのだと。
 僕の恰好はこれまでに着たことも無い新品の寝巻だけれど問題ない、汚すのも仕事の内なのだから。  衣擦れは最小限に、そっと、接近した。

「…………!」

 薄い月明りに照らされた一つの影は、その手に獲物を握っていた。脅威度はあちらが上だ、真っ先に排除しなければ。しかしもう片方の影はそれより大きい、僕の体では真正面から立ち向かっては返り討ちになるだろう。

 では、どうしようか。
 まあ、考える頭なんて無い。

「──ふっ!」

 単純、突撃あるのみ。
 背後から強襲。
 まずは得物を持っている影の右腕を掴み、捻るようにこちらへ引いて、僕の肘を顔面へ向けて叩き込んだ。まあ僕の背は低いので顎を打ち抜くことになったのだけれど、勢いがのったそれで得物持ちは床へ膝を付く。

「このォ!」

 片方が叫んだ。
 即刻黙らせなければ。
 主人の眠りを妨げる輩は全員敵だ。

「餓鬼がぁ!」

 声からして男──が大きな腕を振り回し、多分、殴ろうとした。
 大丈夫、これは避けていい攻撃だ。

「なっ──!?」

 だから、どうか、御静かに。
 僕は男が振りぬいた腕を両手で掴む。
 包みながら、捻りながら、精一杯、折り曲げた。

「──ッ!?」

 声にならない叫びが聞こえた。
 駄目だ、心配するなって言ったばかりなのに、これではミレニアに怒られてしまう。
 だから。

「御静かに願います」
「がッ──!?」

 呻く男の後ろへ回り、抱き着くように首を絞める。

「皆様が起きてしまわれるので」
「かッ……かはっ……!」

 暴れ回る巨体にしがみつき、壁に打ち付けられようと放さず、ただ首を絞め続ける。やがていつものように、温い液体が袖へ纏わりついてきた。
 特に不快とは思わないけれど、汚されたことも構わないけれど……駄目だ、やっぱり許せないな。〝こちらで準備した〟というのはつまり、あの屋敷にあった物で間違いないのだから。

「早く御静まり下さいませんか」
「あっ……ぐっうっ……」

 体が大きいと首も太い──いやそうだとは限らないけれども──中々落ちてくれない。

 まあ、いいか。
 他にはいないだろうし、このままじわじわと……うん? 何か匂うような? あ! こいつまさか!?

「ふんっ!」
「くっ──」

 悠長に絞めてはいられなくなったので、渾身の力を込めて──殺すつもりで──落とした。

「ああ……」

 なんということを──また、恥じた。
 前回と前々回は屋敷の外だったものだから、ついうっかりしてしまった。ここは庭ではなくて宿ではないか、早くお掃除しなければ。無礼ながらも雑巾を拝借してこよう。

 うん。

 いや待て、まずはこいつらをどうしよう?
 ええと、いつもは屋敷の牢に放り込んで、それから旦那様か奥様かミレニアの判断待ちになるのだけれど?

 うん?

 不味い、後のことが分からない。
 ええと……ここの主人を起こすべきか? いやいや就寝している御方を起こすわけにはいかないし。あ、ええと、そうだ、軍に頼めばいいのだった。あれ、軍ってどこにあるのだろう? いや待て待てまずは逃げないように縛り上げて……縄はどこにあるだろう?

「……!」

 内心パニックを起こしていると、物音が聞こえた。

「……?」

 別に侵入していた人間がいたのかと思ったのだけれど、どうやら違う様子。
 やつらなら、こんなに大きな足音を立てたりしない。

「お客さん、何か、用ですか……?」

 酷く、とても不機嫌そうな、気怠げな、間延びした声が聞こえた。男が侵入しようとしていた部屋の隣、そこが開いて小さな──僕より少しだけ大きな──影がランタンを提げて現れた。
 案内してくれた少女だった。

「騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありません……!」

 とにかく頭を下げ、出来るだけ静かに、それでいて力強く謝罪。

「え……?」
「侵入を許してしまい、申し訳ありません……!」
「な、何を──」
「床を汚してしまい、申し訳ありません……! 今すぐ私が掃除致します……!」

 いやまあこの方が侵入者を処理してくれるかもしれないし、それはそれで幸運なのだけれど。

「待って、待って……」
「はい、申し訳ありません」

 早まってしまっただろうか。
 頭を上げた先には少女。オレンジの光に照らされた少女の顔は明らかな困惑というか、どこか恐怖に引き攣っていた……ような気がした。

「これ、あなたが、やったの……?」
「はい、申し訳ありません」

 ああそうか、もしやご自身で堕としたかったのだろうか。

「…………」
「…………」

 うん?

「お父さん! 起きてお父さん!」
「!?」

 何をされているのですかお父様をお起こしされるなど!

「──!」

 どうかお止め下さい──その声を呑み込んで、動いた。
 何故なら、堕ちたと確信していた得物持ちの影が、蠢いたからだ。あろうことかその手に握る刃渡りの長いナイフを、少女へと向けていたのだから。

「えっ──」

 まさかこの短時間で覚醒するとは思いもよらず、得物を奪っておかなかったことを恥じ──影に体当たりし、そのまま馬乗りになって動きを封じる。

「くそっ! どけェ!」
「お静かに願います」

 こいつも男か……まあ何故か、本当に何故か、嘘かと疑う程に何故か、男ばかり相手にしてきてはいるのだけれど。

「畜生ッ! 護衛もいない貴族が泊まるって情報はやっぱ罠──」
「御静かに」
「だ──ッ!?」

 うるさいので殴る。
 まあ簡単に黙ってくれるわけが無いので、もう少し肉体を損傷させるか。僕は男の指を粉砕してナイフを奪い取り、それを手の甲へ突き立てた。

「──ッ!?」

 すぐさま後悔。
 そうだ、ここは宿なのだからこんなことしてはいけない、素直に首を絞めないと。汚い血で床を汚すだなんてあまりにも畏れ多いことなのだから。しかし、ミレニアのようなメイドさんはいないものなのだろうか。

「ぐっ……ぐっ! あぁあぁあぁ!」
「御静かに願いたいのですが」
「むぐっ!?」
「どうぞお眠りくださ──」
「止めてっ!」

 誰かが叫んだ。

「もう、止めて……」

 ああ、そうか。
 僕は、ここの使用人ではないのに。
 僕は、間違った行いをしたのだろうか。
 まあ、いいかな。
 きっと、あの精霊も諦めてくれる。
 だって、僕はこんなにも──取り合えず男は今度こそ眠らせましたけれど。

「手を、出して……」

 少女がそんなことを言った。
 誰に対してのものだったのか分からない。
 でも。

「私……ですか……?」

 手を取られてしまった。
 汚れた手を。
 汚い手を。

「わ、私のような者に触れられるなど……!」
「いい、から……」
「しかし……!」
「傷だらけ、だから……」
「お構いなく……!」

 この程度何て日常茶飯事なのだし、中身はもっと酷くもあるのだし。
 尚もお断りしていたのだけれど、根負けする形で差し出してしまった。

「踊って、不死の雉鳩カルトヘルツ

 なにやら消えそうな程に弱々しく輝き──それでも確かに暖かい熱が──少しだけ皮の向けた拳に伝わって来た。

「ハルモニア・ファイク……」
「?」
「私の、名前。あなたは?」

 どう答えるのが正しかったのかは分からない。
 まあ結局、ありのままを答えてしまったのだけれど。

 少女は僕の傷を治した後、縛り上げた男たちの傷も治してくれた。翌朝には、主人が呼んだ軍に引き取られたのだとか。
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