23 / 49
CHAPTER.3 業の深い緋色(ゴウノフカイヒイロ)【天体衝突6ヶ月前(秋)】
§ 3ー6 10月20日① 友情 ー変動ー
しおりを挟む怒り。
怒りは感情の一種である。そもそも感情は単独で機能するものではなく、身体・思考・行動などと密接に関係して形成されている。体調や生活習慣の変化、生きてきた中で作り上げた信念や思考の揺らぎなど、感情の発露には様々な要因が影響する。
オーストリアの精神科医であり心理学者のアルフレッド・アドラーは、怒りは感情の中で最も厄介なものとしている。その根拠として、怒りが感情の中で最も対人関係の要素が強い二次感情としたからである。
怒りの二次感情は、まずは心に浮かび上がった一次感情によって生まれる。傷つき・寂しさ・悲しみ・心配・落胆……など、本人すら自覚しないネガティブな要因が怒りの一次感情になる。親が子を叱るときの主な一次感情は心配になり、仕事場で上司が部下を叱るときは落胆になる。
怒りをコントロールするアンガーマネジメントとしては、怒りを表現する前に、その要因となる一次感情を意識することによって冷静になり、その要因を伝えるようにすることで良好な人間関係を保てるとしている。
怒り。その感情をぶつけるのは、その要因となる一次感情を相手に解ってもらいたいという過激なコミュニケーションになる。しかし、怒りの感情を持つことは悪いことではない。怒りは偽りのない心の声。世界中の人びとが持つ、喜びなどの感情と同価値なものなのである。
怒り。それは人間である証明なのかもしれない。
♦ ♦ ♦ ♦
--神奈川県横浜・中華街--
土曜の夜ということもあり、みなとみらい線はいつもように混みあっていた。終点で電車を降り改札を出ると、赤のネオンと蒸料理の匂いがアジアの異文化を漂わせる。
中華街の入口である朝陽門を人波の一員となり通過する。中華まん・ショーロンポー・北京ダックロール・フカヒレスープ・いちご飴、列を為す軒先で味わう観光客たち。お土産屋や占い所も人が混みあっている。見えない獣の澱みを感じさせない、否、跳ね返そうとさえする雰囲気に満ちていた。
喫茶ル・シャ・ブランのメンバーたちははぐれないように目的の中華飯店に向かっていた。目当てのお店【金華酒店】は店長の昔なじみが経営している中華料理屋さんで、何度か店長も含めたバイトたちで来たことがある。チリソースやマヨネーズ味の海老料理が自慢で、本場というより日本人の味覚に合わせた味付けを敢えて行っているとのことだ。麻婆豆腐や八宝菜、飲茶に小籠包もここで味わったことで大好きなものになった。
「内定、取り消しになっちゃいましたよ」
3日前、閉店間際にそう笑いながら話をした匡毅の変化を店長は見逃さなかった。その後、店長はすぐに颯太や彩、蜜柑ちゃんに匡毅を元気づけようと相談した。「こういうときは美味しいものを食べるのが一番」と店長がすぐに金華酒店に電話をして予約したのである。
当日、ル・シャ・ブランは閉店前に店長を残し、生田颯太・玉川匡毅・梅ヶ丘彩・喜多見蜜柑・栢山瑞稀・風祭浩一・東海林加奈の7人で向かうことになった。店長は閉店後に駆けつけることになっていた。
喧騒著しい街路を進む。途中、中国風の屋根の東屋・会芳亭に座って休む人々を横目に通り過ぎる。しばらく進んだ手相占いの横に目的の金華酒店があった。
ガラス窓越しに中を眺めると、楽し気に話す観光客で賑わっていた。風祭さんが「やっと着いたよ~」とお腹がペコペコなしぐさをしながら店のドアを開けた。
4人掛けの2つのテーブルには、これでもかと料理が並んだ。蜜柑ちゃんと瑞稀ちゃんには烏龍茶、他のメンバーは生ビールのジョッキを手に、風祭さんが「ではでは、お疲れ様でーす♪ かんぱーい!」と音頭を取り、会が始まった。
「パンドラって、結局どうなるんですかね?」
「この間来たお客さんがさぁ」
「今度の蜜柑ちゃんのシフォンケーキ、美味しそうよね」
各々、目の前の料理に舌鼓を打ち、歓談を楽しむ。「はい」と小皿に五目そばを取って匡毅に渡す彩。この会の主目的は匡毅を少しでも励ますこと。その話題に触れられず、店長が来るのを待ったほうが良いのかも、なんて思うほど匡毅の笑顔には無理があった。
「ありがとう」「そうですね」「いいですね」懸命に相槌は打っているものの、瞳孔が狭まっているからなのか瞳がただただ黒い。昔、事故後に見た彩の瞳をふと思い出す。そんな匡毅の様子は魔法のように伝わり、内定取り消しの話をさせないようにしている気がした。
「紗良さん、今度TV出るらしいわよ」
加奈さんから不意に出た言葉。はっとしたようにこちらを一瞬見る。目が合ったことで観念したのか、ハーッと息を吐く。
「ごめん、颯太くん。あんまり紗良さんの話は聞きたくないよね?」
「もう、大丈夫ですよ。気持ちの整理はついてるので」
「ホントに?」
「ホントですって。TVに出るってどういうことですか」
「うーん……颯太くんがそう言うなら言っちゃうけど、この前パートの帰りに駅で偶然、紗良さんに会ったのよ。そこで少し立ち話したんだけど、彼女、アナウンサー希望だったじゃない? このご時世で新人でも駆り出されるみたいで、海外のなんかの会議のレポートをしに行くって言ってたのよね。だから、今度ニュースにきっと出ると思うのよ」
成城紗良。元恋人で、突然振られた相手。こんな時に彼女の話を聞き、厳重に封をして閉じ込めておいた想いがざわつく。
「紗良……さんは元気そうでしたか?」
「んー、忙しそう感じだったけど、笑ってたし元気そうだったわね」
「そうですか。それならよかったです……」
何も良い訳ではなかったが、当たり障りのない相槌を打つのが精一杯だった。彼女と終わってしまった本当の理由。気づくと勝手に開きそうな封を無理やり閉じる。
食事会が始まり、並べられた色彩豊かな料理を一通り味わった頃だった。口火を切ったのは瑞稀ちゃんの無邪気な一言だった。
「匡毅さんは、この先どうするんですか?」
蜜柑ちゃんの友達で、匡毅に淡い恋心を抱いている17歳の高校2年生の栢山瑞稀。ショートボブで元気いっぱいな彼女は、きっと匡毅がル・シャ・ブランのバイトをする期間が伸びるかもと期待していたのかもしれない。
「……うーん、他の仕事探さないといけないんだけどな……」
「匡毅さんならすぐに見つかりますよ!」
「……ありがとう、瑞稀ちゃん」
精一杯の作り笑い。ジョッキを手に取り、3分の1程残ったビールを一気に喉に流し込む。目の前に取り分けられた料理にはほとんど手をつけていない。
「まぁ、ちょっとゆっくりしてから考えた方がいいんじゃないかな」と風祭さん。
「とりあえず、お腹いっぱい食べましょ」と加奈さん。
緻密な硝子細工を手に取るような丁寧で繊細な言葉を選んで匡毅に伝える。そんな中、颯太は声を掛けれなかった。匡毅はどんな時も感じよく受け答えをするが、長く深く彼と付き合いがある者は目に感情が表れることを知っている。力のない目尻と俯いた瞳が物語る。彩も声を掛けていなかった。それは当然のことなのだが、心がグッと硬くなる。
優しい気遣いの言の葉には、そのまま発した者の気持ちが込められていた。が、それを受け取る側の心情が濁れば屈折して込められた思いが伝わってしまう。この食事会の開催も、先ほどまでの当たり障りのない会話すらも、今の匡毅の余裕のない心のささくれを痛ませた。そのささくれへの消毒液のような優しさが、匡毅のひび割れた許容量いっぱいの器から隠したかった惨めさという液体をこぼれさせてしまったのだ。
はぁ……。匡毅は作り笑いすら出来なくなり深い溜息を吐くと、ガタンと椅子から立ち上がる。
「先に……帰ります」
そう呟くように一瞥して出口へ向かう。みな心配そうな表情を浮かべる。しかし、声を掛けられない重苦しい空気感が背中に漂っていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる