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少年期編

31 暴走する闇

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「ギャアアアアッ!!!!」
その絶叫は、大広間の優雅な雰囲気をぶち壊すに十分過ぎた。そこかしこで悲鳴があがり、暗い中を我先にと逃げ出す人々。悲鳴は、舞台からも断続的に聞こえてくる。獣の唸り声も…
自害したと見せかけて、鍵を開けた司会者らを襲った獣人たちは、向かってくる警備兵たちと闘っていた。檻の中にいる私の目の前で、さっきのキツネさんとその仲間と思しき獣人が警備兵数人を倒し、他の仲間の加勢に向かう。
「大丈夫…ここにいる限りは安全だよ、」
ぴったりとくっついて怯えるティナを抱きかかえて身を伏せ、私は油断なく辺りの様子を窺った。目の前で起こっていることは、あまりにも過去と重なる――争う声、悲鳴、血の臭い、屍。正直泣きそうだけど、泣いたら、背を向けたら助からないから。落ち着いて、機を待つんだ…
「キャンッ!!」
血に汚れた銀白の体軀が、ドタンと床に倒れる。

あのキツネさんが―!

見れば警備兵側も増援が来たのか、獣人側が劣勢になっている。オレンジ色の光が明滅して――

ドォーン!!

突如現れた、渦を巻く紅蓮の炎。それが抵抗を続ける獣人たちを呑み込み――

焼き尽くす…!

「!!!」

そこまでするか?!

衝撃と恐怖と怒りがごちゃまぜになって、私は思わず立ち上がって鳥籠の鉄格子を掴んだ。無駄だとわかっても、その手に力が入るのを止められない。

なんで…なんでそんな残酷なことを平気で…なんの躊躇いもなく…!!
私の中で『私』が叫び声をあげている。

ああ……獣人たちを焼いた兵たちが嗤ってる。ぞわりと背が粟立った。怒り、悲しみ、憎しみ…真っ黒な感情――

パキン

乾いた音を立てて、手をいましめていた枷が砕け散った。


獣人たちの抵抗レジストは、駆けつけたエレインの警備兵によって鎮圧された。危険が去って胸をなで下ろす者、商品を失い落胆する者、負傷し呻き声をあげる者、そして命を失ったしかばね―。
安堵した途端、ざわざわと勝手なことを言い始める輩。アルフレッドは、護衛たちの誘導で、大広間の隅から混乱する会場を眺めていた。
「ふむ。攻撃魔法を放った連中は、さすがペレアスと言ったところか。あれは厄介だな。」
父が言った。この戦争好きな国が今をもって倒れないのは、一部の突出した戦闘力ゆえだ。帝国が最も警戒している部分でもある。
「アレが最強というわけではないでしょう。」
警備兵をチラリと見て、アルフレッドは目許を険しくした。最強戦力がこんな北の地方都市で燻っているはずがない。やはり、この国の中枢に近づかねば、その最強がどの程度かは見えないだろう。ならば自分は…
アルフレッドが物思いに沈みかけた時だった。
「?!」
氷の刃のように冷たく強力な魔力を感じたのは。
「アルフレッド様!」
すぐさま護衛たちがアルフレッドと父を取り囲む。直後、地が鳴動し、硬い大理石の床にビキビキとひびが入った。
「ッ!こちらへ!脱出します!」
護衛隊長が鋭く叫ぶが…
「いやダメだ!逃げるなら上だ!!」
父が叫んで、アルフレッドの腕を掴んで走り出す。悲鳴が聞こえる。視界の端に見えたモノは…
「なんじゃあ?!ありゃあ?!」
皹が入った大理石の床が歪に盛り上がり、裂け目にはのこぎりのような鋭い歯がびっしりと並び、人々を噛み殺し、呑み込んでいる。

化け物だ!!

魔物のようだが、あんなデタラメな化け物、見たことがない。ひたひたと迫ってくる冷気が、まるで獲物を捕らえようとするかのように絡みついて来る。今はそんなことよりも逃げなければ………しかし、アルフレッドはこの気配に覚えがあった。

魔の森!!

ならばこの魔力は…

「サイラス!!」

アイツは舞台だ。見れば、真っ黒な魔力の発生源は、舞台袖の方。

まさか…

嫌な予感に突き動かされて、アルフレッドは階段を駆け上がる父と護衛に怒鳴った。
「離脱する!ディルクは俺につけ!舞台へ行くぞ!」
ピイッと指笛を吹けば、飛竜が窓を突き破って飛びこんでくる。
「舞台へ!」
階段の手摺てすりを飛び越えて飛竜に騎乗したアルフレッドは、まっすぐサイラスのいる舞台へと飛翔した。

◆◆◆

誰かがうるさく私の名前を呼んでいる。まだ眠っていたいのに。うるさいな。慣れ親しんだ冷気――湖の魔力の中で、私は重たい頭をもたげた。ほら、真っ黒で夜じゃないか。子供は寝る時間だ。再び目を閉じようとして、またうるさく呼ぶ声に薄目を開ける。
「サイラス!!」
掠れそうな大声には聞き覚えがある。
「?アル…なの?」
黒が薄くなり、もやの向こうにあの黒髪の少年の姿をはっきりととらえた。アルだ!けど…なんでこんなところに?
「離れてろ、鍵を壊す…!」
言うや、腰に下げた剣を振るい、アルは鳥籠の鍵を叩き切った。おおっ!少年、格好いいぞ。さすがファンタジー…
「ほら、出てこい」
差し出された手は温かく、私は初めて自分をとりまく冷気が異様なことに思い至った。うわ…冷凍庫の中みたいじゃん。そして、アルに手を引かれて舞台から大広間を見下ろし、その驚愕の光景にあんぐり口をあけた。
大理石の床はあちこちがひび割れ隆起して、見る影もない。テーブルや割れた皿やグラス、こぼれた食べ物、挙げ句ドレスの残骸や紳士の帽子などがあちこちに散乱している。そして、ギザギザした歯がびっしりと並んだ口が、あちらにも、こちらにも…
「なに…あれ」
私が呟いた刹那、すぐ足元の床がバリバリと裂けて、歯がびっしり並んだ奈落が私たちを呑み込もうと大きくその口を開けた。
「アルフレッド様!」
振り返ると、鎧を着た知らない大人が竜?に飛び乗るところだった。真下にはあの口の化け物。そして、その口の化け物の上にちょこんと座り、暗い目で鎧の大人とアルを睨むティナがいた。
「ティナ?!」
「こっちだ!呑み込まれるぞ!ディルク!!」
アルに強く腕を引かれて、すんでのところで凶悪なひと噛みを免れた。けれど、

オマエラ、ミンナ、シネ!!

幼い声はティナのものだ。そのまなじりは、幼気いたいけな子供が嘘のように吊り上がり、まるで…般若のよう――
一段と強い冷気がぶわりと広がった。耳障りな音と共に舞台の床全体が波のようにうねり、そこかしこにあの化け物が口を開けた。
「?!」
逃げ場を失ったアルが蹈鞴たたらを踏む。

サアラ…ソイツハテキダ…コロス…!

心に直接、暗い声が響いて来る。ティナ?!これ、やったのはティナなの?!

「ティナ!ダメだよ!やめて!」
化け物の中に佇む彼女に叫ぶが、声が聞こえないのかティナの状態は変わらない。冷え冷えとした冷気を纏わせ、光を失った水色がアルをまっすぐ睨む。

湖の昔話が脳裏を過ぎった。

辱めを受けるよりは死を、と女たちは祈りました。すると、突然石畳が割れて、奈落の底のような真っ暗な闇が口を開きました。おお、神は我らが願いを聞き届けて下さった…!歓喜した女たちは、次々に奈落に身を投げました。やがて、奈落はその口を広げ、悪事を働く敵兵ごと街を呑み込みました。

これが?まさか…?!

「アルフレッド様!!」
グンと腕が引かれた。見上げれば、さっきの竜がすぐ頭上に来て、鎧の大人が竜から身を乗り出してアルを抱きかかえるように引っ張りあげ、アルは私の腕をしっかり掴んで踏ん張っている。
それは無理がある!
アルはまだ少年。それが自分と同じくらいの体重――しかもドレスの分重い私を片手で支えるなど。
「離せアル!私はたぶん大丈夫だから!」
あの口を操っているのはティナだ。なら、たぶん私は喰われない。狙われているのはアルだ。
「んなバカなことがあるか!おまえこそつかまれ!!」
体が半分浮いているにも関わらず、アルは私を引き揚げるのを諦めない。

カ・エ・セ!!

呪言のような声が響く。やっぱり私が原因だよっ!床に無数にあった口が寄せ集まり、大きな一つの奈落に姿を変える。それが竜ごと呑み込もうと大きく伸び上がる――
「やめろティナー!!!!」
あの子に手を出すのは嫌だ。でも…

ごめん!!

なぜか残り少ない魔力を必死で練って、雷撃をティナの足元に放つ。バチン!と光が弾けて――

!!

竜ごと呑み込もうと大きくなった化け物がピタリとその動きを止めた、その隙に竜は羽ばたき、高く舞い上がる。そして割れた窓から建物の外へ飛び出した。

◆◆◆

「おお、どうしたアル。その娘を嫁にするのか?」
三人もの人間が乗った竜を迎えたのは、そんな呑気そうな一声だった。
「父上!」
アルの声にハッとする。え?アルのお父さん?!
「なかなか勇敢だったな。無駄に。」
笑顔でグサリと言われ、アルがピクリと身じろぎしたのがわかった。
「その娘を返してこい。見ろ、」
「あ…」
建物の中だけじゃない。建物の周りの地面も、波のようにうねり、化け物がその口を開けている。ティナが…
「アル、大丈夫だから、降ろして。」
すごく頑張って私を助けてくれたアルには感謝してもしきれない。でも、私はあの子をひとりぼっちにはできないから。私はアルを安心させるようにニカッと笑った。
「行かなきゃ」
さっき止めるためとはいえ、攻撃したから。
「魔の森の児か…」
父親の言葉にアルが俯く。早く、と促されて竜がその高度を下げる。
「建物の外に、せめて安全な所に。」
低くアルが命じると、御意と鎧の大人――ディルクさんが手綱を操る。弧を描いて波打つ地面の真上に舞い降りた。降りようとしたところで、腕を摑まれた。
「万が一の時の、御守りだ」
つけていろ、と、アルが自分が耳につけていたイヤリングを外して、私の左耳につけた。
「でも、それじゃアルが…」
たぶん、本当に御守りだ。付けた途端、纏わり付いていた冷気が弱くなったから。
「俺はこんなモノなくても平気だ。持っていろ。」
フン、と鼻を鳴らすアル。ディルクさんが目顔で地面を示した。そうだ、ぐずぐずしてはいられない。
「ありがとう、アル、ディルクさん、」
ペコリと頭を下げて、私は躊躇うことなく飛びおりた。ティナの姿を探すと…いた。木の陰に気配がある。駆け寄って、うずくまる小さな身体を抱きしめた。
「ティナ…!」
見れば彼女の片足の靴が黒く煤けている。私の雷撃のせいだね。
「ごめんね…」
ティナをお姫様抱っこすると、私は今一度空を見上げた。もうアルもアルのお父さんもいなかった。

◆◆◆

あの化け物は、私がティナを回収した途端嘘のようにその姿を消した。後に残ったのは、掘り返され芝がズタズタになった地面と、散乱するゴミ。それらをまたいで、イライジャさんを探したところ、彼らは建物から少し離れた馬車の待機所に集まっていた。皆、そこに避難したらしい。私の姿をいの一番に見つけたロリエッタ侯爵が、
「マリーちゃん!!おおっ!無事かね!」
私を抱きしめて、頭をわしゃわしゃと撫で回した。これはあれだね、やらしい意味じゃなくて本当に心配していたみたい。
「私は大丈夫だよ。おじさんは大丈夫?怪我はありませんか?」
安心させるように笑顔で見上げると、ロリコンおじさまはよよと泣き崩れてしまわれた。
「マリーちゃんが喋ったぁ~」
幸せじゃあ~、とむせび泣く彼は、通常運転に戻ったらしい。背中をさわる手がいやらしいよっ!私はすぐに距離を取ってプイと横を向いた。ロリコンは元気だ。問題ナッシング!!
そんな空気の緩みかけたところに。
「ねえ?ちょっといいかしら?」
ふわりと爽やかで甘い香りが鼻をくすぐった。
「ねえ、素敵なお嬢様…私を雇ってくれないかしら?」
金髪碧眼の美女がにこやかな笑顔で私を見下ろしていた。
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