60 / 205
騎士学校編
59 ニミュエ公爵令嬢
しおりを挟む
炎を鎮火した後、私たちはあの大きなお屋敷の主によって保護された。気を失ったイケメンはいいとこの坊ちゃんだったのか、屋敷の人が丁寧な手つきで別室に連れて行った。私たちはというと…
「お肉!」
「白パンだ!」
「スープうめぇ!」
高級ホテルのディナーのような贅沢なご飯をご馳走になり、ふっかふかのベッドで昼寝をして、心も体もしっかり回復した。惜しむらくは、大浴場のようなお風呂に入れなかったこと。他のメンバーは入ったのだが、私はご一緒できないからね。お湯に浸した布で身体についた煤を落とすに留めた。欲を言えば、手作りボディーソープ(ティナ先生のアドバイスを元にウィリスの森の植物から作った百パー天然由来。お肌がすべすべになるよ)ですっきりしたかったけれど、一人だけ別にお風呂というのは大変贅沢なこと。うう~…ウィリスに帰りた~い!
そうこうしていると、私たちを屋敷の人が呼びに来た。
◆◆◆
同じ屋敷の別室で。寝台から半身を起こしたクィンシーは、ただの見舞い客のような態で微笑む少女と相対していた。陽光のような淡い金色の髪は、お茶会にでも出ていたのだろう、フォーマルすぎないハーフアップを華やかな七宝の髪飾りで留めていた。
「俺をどうする気だ?」
魔力も体力も既に回復してはいるものの、今更姿を誤魔化す必要もない。クィンシー――グワルフ国第三王子セヴラン・カプリース・グワルフは、見舞い客もといアナベル・フォン・ニミュエ公爵令嬢に問いかけた。
「もちろん、人質にいたしますわ」
敵国の王子の問いに、ブルーグレーの大きな瞳を細めてにっこりと笑い、えげつない答をくれるアナベル。とても健全な乙女とは言えないな、とセヴランは心中で盛大に顔を顰めた。
「俺を捕らえておけると…本当に思っているのか?」
表面上は穏やかな笑顔で余裕を見せ、注意深く彼女の顔を観察する。アナベルとは決して初対面ではないが、どうにも読み辛い女なのだ。『真実の耳』があるとはいえ、その能力は相手の言葉が嘘か否かを聞きわけるのみ。心の奥底に秘めた思いまでは暴いてくれない。
「ふふ…。ご安心なさって?この部屋では魔法は一切使えない上、ドアの前には昼夜を問わず屈強な兵を護衛に配しておりますの。安全でしょう?」
彼女の台詞に呼応して、物静かに控えていた侍女がカチャリと扉の外を示す――鎧を纏い、完全武装した兵が複数見えた。あからさまな脅しだ。
「ほお…至れり尽くせりというわけか」
互いにその目をにこやかな三日月にしながらも、紅とブルーグレーの間で見えない火花が散る。
「世間話ついでだ。人質の対価は?」
「さあ…何にしようかしら。ガウェイン岩塩坑…カラブリア銀山、それから…ああ、貴方の一族に御落胤でもあれば、それと交換でも悪くはないわ。もちろん、本物と確認した上で、ね?」
ガウェイン岩塩坑もカラブリア銀山も長年二国で争っている地だ。最後の御落胤というのは嫌味だろう。妾腹の馬の骨と由緒正しき正妃の息子たる自分と交換――第三王子の無能ぶりを国内外にこれ以上なく晒せる手段は他にない。実にいい性格をしている。
(…嘘は言っていない、か。)
さすが公爵令嬢。下手な嘘はつかず、真意を悟らせない話し方で翻弄する。
(『目』があれば、な)
無いものねだりをしても仕方がないとわかってはいるが。『真実の耳』と『真実の目』の両方を顕現させているセヴランの母――現グワルフ国王妃ならば、目の前にいる公爵令嬢の取り繕っていない素の表情も見透かせるだろうに…
「お疲れでしょう?どうぞごゆっくりお休みになって?」
嫌みったらしく唇の端をつり上げ、セヴランを一瞥したアナベルが、優雅な仕草で椅子から立ち上がった。手を差し伸べ損ねた従者が、慌てたように彼女の手を取る。
(…?)
つと、らしくないと思った。セヴランの知る彼女は、例え二人きりで周りの目がなくても、あからさまに嫌味な――傍目に醜いと揶揄されるような顔はしない。相手を詰るときは、見とれるような笑顔を作る――それが、アナベル・フォン・ニミュエという女だ。
肝心な時ほど能力など当てにならないの。よくよく相手を『観察』なさい
いつか、母に言われた言葉だ。「ごきげんよう」と、カーテシーを取ろうとするアナベルの腕を咄嗟に掴んだ。
「ッ…何?腕が痛いわ」
冷たい眼差しが射るように自身を睨んでくるが、微かな動揺が見てとれた。セヴランは敢えてニヤリと笑って見せた。
「何を狼狽えている。俺が怖いか?」
アナベルに振り払われる前に寝台から素早く立ち上がると、華奢な腕を引いて己の腕に閉じこめた。所詮女だ。魔法以前に力では男の自分には敵わない。
「狼狽えている?囚われの貴方相手に?寝言は寝ておっしゃいな」
腕の中からセヴランの紅い瞳を見上げ、不敵に笑うアナベルだが…
「嘘だな」
その言葉を一刀両断にした、瞬間、
「お嬢様より手を放せ…!」
白刃が煌めき、一拍遅れて淡い色のカーペットに血が跳ねる。
「おやめ!アイナ!」
腕の中から身を躍らせ、アナベルが短刀を構える侍女の行く手を塞いだ。彼女の背中越しに見えた憎しみのこもった瞳に、セヴランは瞬時に悟った。
侍女は自国との戦で大切な者を亡くしたのだ、と。
恐らく、家族または恋人だろう。だから、彼女にとって自分は憎くて堪らぬ仇――
「ここが敵国であると、ご理解いただけたかしら?」
振り返ったアナベルと目が合う。その顔は、よく見ればずいぶん薄っぺらな嫌味を乗せていた。
◆◆◆
「さて、」
アナベルの去った客室で、セヴランは思案した。まずはここを脱出するのが先決だ。既に寝間着は脱ぎ捨て、ここへ来るときに着ていた騎士学校の制服に身を包んでいる。けれど…
(もう一度話がしたい)
まだ彼女の真意を探り出せたわけではない。人質にするといいながら、セヴランの私物を検めただけで、取り上げはしなかった。通信の魔道具を捨て置くなど、並の神経では考えられないことだ。と、いうことは…
グワルフに歩み寄る意思があるのかもしれない。
しかしそう断ずるには、情報が足りない。最低でも、保護した騎士学校の生徒をどう処理するかくらいは知りたい。甘い容に似あわぬ顰め面をしたセヴランは、微かな羽音に顔を上げた。
(アイツの使い魔か…)
使い魔は魔物だから、この部屋には入れないはずだ。だから…
「窓の外か」
律儀にも監視に来たのだろう。
(せっかく来てくれたんだから、利用するか)
軟禁部屋だからして、窓は内側からは開けることができない仕様で、且つ物理での脱出を阻むためにこの部屋は建物の三階にある。足場にできるようなバルコニーもない。
退避場所確認。
イメトレ完了。
覚悟……完了。
セヴランは軽く身体を解すと、すぅと息を吸い込んだ。
「お~い!サアラのおっぱい、揉んじゃうぞ☆」
ビー ちゅどーん!!
思惑通り、怒った使い魔のレーザービームが外から窓をぶち壊してくれた。物音に、部屋の外にいた見張りがなだれ込んでくる。彼らが部屋に一歩入る前に、セヴランは壊れた窓を蹴破り、外へと身を躍らせる。
「ギギギギギッ!」
ビービービー
「《転移》!」
詠唱と共にセヴランの身体が掻き消え、コンマ三秒遅れて
ちゅどどーん!! ばきゅーん!
その空間をレーザービームが貫き、火花を飛ばした。
◆◆◆
呼び出された部屋で、私たちはこの屋敷の執事さんと思しき男性から説明を受けていた。
この屋敷の主はニミュエ公爵であること。
私たちを解放する意思があること。故郷へ帰りたいなら、路銀を渡すこと…
そして…
「先ほどの爆発の顛末を、君たちの口からも聞いておきたい。まず、君たちをここへ連れてきた者の名は?」
私たちは顔を見合わせる。少年の一人がおずおずと手を挙げた。
「あの男の名前はわからないけど…たぶん貴族、だよな?」
「五十がらみのオッサンだった」
「小太りで顎髭濃かった」
「服についてた勲章がさ、」
手をうろうろさせる少年に、私はササッと手持ちの植物紙を渡す。執事さんからペンを受け取った少年は、サラサラと勲章の絵を書いた。
「こんなのだった」
絵を見た他の少年たちも肯く。
「ありがとうございます」
証拠にでもするのかその植物紙を手に取った執事さんは、一瞬目を見開き、すぐにそれを懐にしまった。
「君たちはやはり故郷へ帰りたいですか?」
改めて問われた。一も二もなく肯く少年もいれば、迷うような顔をする少年、はたまた頭を振る者まで、様々だ。
「私が消えれば、ロイ様も消えることになります。それだけは…」
「俺はここで解放してくれればそれでいいや。王都で商売したくて身代わりの話に乗ったからな」
「俺も。王都に知り合いがいる」
私が少年たちの最後にそう言い足した時。扉が開いて、淡い菫色のドレスを纏った一人の少女がしずしずと入ってきた。
おおっ…!
十数人ほどいた少年たちが息を呑むのが気配でわかる。それほどまでに、そのドレスの少女は美しかった。緩くウェーブのかかった金髪、白磁のような肌に大きなブルーグレーの瞳は明け方の空のような神秘的な色合い。愛らしいというより、美しいという言葉が似合う端整な顔立ち…。その少女は私たちを前にそれは美しいカーテシーを披露した。…谷間がけしからんと思ったのは内緒である。クィンシーが見たら喜びそうだね。…ん?そう言えばアイツ、どこ行った?
「初めまして。私はアナベル。アナベル・フォン・ニミュエと申します」
淡い微笑みを浮かべて名乗る少女を、少年たちは惚けたように見つめた。ああ、この人が私が手紙をやり取りしていた公爵令嬢様なのか。あ、なんかいい匂いする…。
「みなさまには感謝してもしきれません。あの爆発…あなた方が結界でこの屋敷ごと庇って下さらなければ、私も母もここにはいなかったでしょう。そして、雨で火災を消してくださった。この屋敷で働く者達を助けて下さり、心より感謝申し上げます」
そう言って再び綺麗なお辞儀をするアナベル様。少年たちの視線が、羨ましい谷間に釘付けになる。わぁ~、公爵令嬢様がこんな巨乳美女だったなんて…眼福。胸元編み上げドレスの破壊力、パネェ…
アナベル様曰く、当時屋敷の庭では公爵夫人主催のお茶会が開かれていたらしい。当然、身分の高い貴婦人方を招いて、である。そこに爆発が起こり、大火災が発生したのだと。
なんかきな臭いね。まるで狙ったみたいじゃん?
「あなた方を連れてきた者は、私たちを亡き者にしようとしたのでしょうね。あなた方を利用して」
悲しそうに目を細めるアナベル様。
「だからこそ、私は泣き寝入りなどしたくない。悪事を働いた輩を断罪し、あなた方のように民が貴族の身代わりになどならぬようにあの騎士学校の闇を暴きたい…!」
なるほど。騎士学校に徴兵されているのは、主に反王妃派――ニミュエ公爵派の貴族子息。騎士学校を糾弾して、あわよくば味方の貴族子息を解放しようと…そういう事かな?
「危険は承知です。公爵家として最大限、あなた方を支援しますわ。ですからどうか、あなた方に非道を働いた者の糾弾を、手伝って下さいませ!」
真摯な眼差しで庶民の少年たちを見渡し、アナベル様は深々と頭を下げた。
「御意思のままに」
即座にロイが請け合い、彼に続けて心動かされた少年たちが「俺も行きます!」と、熱に浮かされたような顔で前に出る。
「ここで行かなきゃ男が廃るぜ!」
「おう!」
もぉ~、男ってば巨乳美女に弱いんだから…
「待った!」
鼻息荒く考えなしなことを言う身代わり仲間を押しのけて、私はアナベル様の前に立った。
「確約して。糾弾が済んだら、必ず俺たちを救い出してくれ」
穏便にあそこから脱出できるとは思えない。簡単に脱出できるなら、この間みたいな反乱は起こらなかったろうし、身代わりを用立てる必要もない。つまり、脱出の際に騎士学校側と交戦する可能性が高い。しかも相手側には、キラーシルクワームでさえ簡単に斃す戦力がいる。命がかかっているんだ。
「確約してくれれば、俺たちは行くよ。せっかく女神様みたいな美女と会ったんだ。成功した暁には微笑んでもらいたい…だろ?」
悪戯っぽく後ろの仲間を振り返れば、「それもそうだな!」と奴らも思い直したらしい。いや~、巨乳美女は偉大だね。あ、ロイは憮然としている。……目がマジだわ、この子。
「確約……」
一方のアナベル様は少し思案している。やっぱり脱出の手だてまでは考えていなかったようだ。勘違いしちゃいけない。これは貴族同士の戦いであって、庶民が巻きこまれる謂われはないから。雰囲気に飲まれて安い提案に乗ってはいけないよ。
「脱出の手引きをしてくれて、脱出先で匿ってくれればいいぜ?なあ、みんな!」
「ク…?!」
いつの間に現れたのか、いけ好かない茶髪のひょろ男が私の肩に腕を回していた。
「レナード、無理があるぜ?生粋のお嬢様に脱走なんて指示できるわけねぇだろ~?汚れ仕事は、男の役目だ」
と、意味ありげに仲間たちを見遣るクィンシー。せっかくみんなの目を覚まさせてやったのに!
「おまえ…」
「怖い顔すんなって~」
ヘラヘラするクィンシーは、目を細めてアナベル様を見下ろした。
「頼みますよ?美しいお嬢様」
調子よくその白い手を掬い上げて、指先に口づけようとしたところで、部屋の扉が勢いよく開いた。
「その男から離れて下さい!お嬢様!!」
鋭い声をあげたのは、少し前にセヴランを斬りつけた侍女――アイナだった。
「お肉!」
「白パンだ!」
「スープうめぇ!」
高級ホテルのディナーのような贅沢なご飯をご馳走になり、ふっかふかのベッドで昼寝をして、心も体もしっかり回復した。惜しむらくは、大浴場のようなお風呂に入れなかったこと。他のメンバーは入ったのだが、私はご一緒できないからね。お湯に浸した布で身体についた煤を落とすに留めた。欲を言えば、手作りボディーソープ(ティナ先生のアドバイスを元にウィリスの森の植物から作った百パー天然由来。お肌がすべすべになるよ)ですっきりしたかったけれど、一人だけ別にお風呂というのは大変贅沢なこと。うう~…ウィリスに帰りた~い!
そうこうしていると、私たちを屋敷の人が呼びに来た。
◆◆◆
同じ屋敷の別室で。寝台から半身を起こしたクィンシーは、ただの見舞い客のような態で微笑む少女と相対していた。陽光のような淡い金色の髪は、お茶会にでも出ていたのだろう、フォーマルすぎないハーフアップを華やかな七宝の髪飾りで留めていた。
「俺をどうする気だ?」
魔力も体力も既に回復してはいるものの、今更姿を誤魔化す必要もない。クィンシー――グワルフ国第三王子セヴラン・カプリース・グワルフは、見舞い客もといアナベル・フォン・ニミュエ公爵令嬢に問いかけた。
「もちろん、人質にいたしますわ」
敵国の王子の問いに、ブルーグレーの大きな瞳を細めてにっこりと笑い、えげつない答をくれるアナベル。とても健全な乙女とは言えないな、とセヴランは心中で盛大に顔を顰めた。
「俺を捕らえておけると…本当に思っているのか?」
表面上は穏やかな笑顔で余裕を見せ、注意深く彼女の顔を観察する。アナベルとは決して初対面ではないが、どうにも読み辛い女なのだ。『真実の耳』があるとはいえ、その能力は相手の言葉が嘘か否かを聞きわけるのみ。心の奥底に秘めた思いまでは暴いてくれない。
「ふふ…。ご安心なさって?この部屋では魔法は一切使えない上、ドアの前には昼夜を問わず屈強な兵を護衛に配しておりますの。安全でしょう?」
彼女の台詞に呼応して、物静かに控えていた侍女がカチャリと扉の外を示す――鎧を纏い、完全武装した兵が複数見えた。あからさまな脅しだ。
「ほお…至れり尽くせりというわけか」
互いにその目をにこやかな三日月にしながらも、紅とブルーグレーの間で見えない火花が散る。
「世間話ついでだ。人質の対価は?」
「さあ…何にしようかしら。ガウェイン岩塩坑…カラブリア銀山、それから…ああ、貴方の一族に御落胤でもあれば、それと交換でも悪くはないわ。もちろん、本物と確認した上で、ね?」
ガウェイン岩塩坑もカラブリア銀山も長年二国で争っている地だ。最後の御落胤というのは嫌味だろう。妾腹の馬の骨と由緒正しき正妃の息子たる自分と交換――第三王子の無能ぶりを国内外にこれ以上なく晒せる手段は他にない。実にいい性格をしている。
(…嘘は言っていない、か。)
さすが公爵令嬢。下手な嘘はつかず、真意を悟らせない話し方で翻弄する。
(『目』があれば、な)
無いものねだりをしても仕方がないとわかってはいるが。『真実の耳』と『真実の目』の両方を顕現させているセヴランの母――現グワルフ国王妃ならば、目の前にいる公爵令嬢の取り繕っていない素の表情も見透かせるだろうに…
「お疲れでしょう?どうぞごゆっくりお休みになって?」
嫌みったらしく唇の端をつり上げ、セヴランを一瞥したアナベルが、優雅な仕草で椅子から立ち上がった。手を差し伸べ損ねた従者が、慌てたように彼女の手を取る。
(…?)
つと、らしくないと思った。セヴランの知る彼女は、例え二人きりで周りの目がなくても、あからさまに嫌味な――傍目に醜いと揶揄されるような顔はしない。相手を詰るときは、見とれるような笑顔を作る――それが、アナベル・フォン・ニミュエという女だ。
肝心な時ほど能力など当てにならないの。よくよく相手を『観察』なさい
いつか、母に言われた言葉だ。「ごきげんよう」と、カーテシーを取ろうとするアナベルの腕を咄嗟に掴んだ。
「ッ…何?腕が痛いわ」
冷たい眼差しが射るように自身を睨んでくるが、微かな動揺が見てとれた。セヴランは敢えてニヤリと笑って見せた。
「何を狼狽えている。俺が怖いか?」
アナベルに振り払われる前に寝台から素早く立ち上がると、華奢な腕を引いて己の腕に閉じこめた。所詮女だ。魔法以前に力では男の自分には敵わない。
「狼狽えている?囚われの貴方相手に?寝言は寝ておっしゃいな」
腕の中からセヴランの紅い瞳を見上げ、不敵に笑うアナベルだが…
「嘘だな」
その言葉を一刀両断にした、瞬間、
「お嬢様より手を放せ…!」
白刃が煌めき、一拍遅れて淡い色のカーペットに血が跳ねる。
「おやめ!アイナ!」
腕の中から身を躍らせ、アナベルが短刀を構える侍女の行く手を塞いだ。彼女の背中越しに見えた憎しみのこもった瞳に、セヴランは瞬時に悟った。
侍女は自国との戦で大切な者を亡くしたのだ、と。
恐らく、家族または恋人だろう。だから、彼女にとって自分は憎くて堪らぬ仇――
「ここが敵国であると、ご理解いただけたかしら?」
振り返ったアナベルと目が合う。その顔は、よく見ればずいぶん薄っぺらな嫌味を乗せていた。
◆◆◆
「さて、」
アナベルの去った客室で、セヴランは思案した。まずはここを脱出するのが先決だ。既に寝間着は脱ぎ捨て、ここへ来るときに着ていた騎士学校の制服に身を包んでいる。けれど…
(もう一度話がしたい)
まだ彼女の真意を探り出せたわけではない。人質にするといいながら、セヴランの私物を検めただけで、取り上げはしなかった。通信の魔道具を捨て置くなど、並の神経では考えられないことだ。と、いうことは…
グワルフに歩み寄る意思があるのかもしれない。
しかしそう断ずるには、情報が足りない。最低でも、保護した騎士学校の生徒をどう処理するかくらいは知りたい。甘い容に似あわぬ顰め面をしたセヴランは、微かな羽音に顔を上げた。
(アイツの使い魔か…)
使い魔は魔物だから、この部屋には入れないはずだ。だから…
「窓の外か」
律儀にも監視に来たのだろう。
(せっかく来てくれたんだから、利用するか)
軟禁部屋だからして、窓は内側からは開けることができない仕様で、且つ物理での脱出を阻むためにこの部屋は建物の三階にある。足場にできるようなバルコニーもない。
退避場所確認。
イメトレ完了。
覚悟……完了。
セヴランは軽く身体を解すと、すぅと息を吸い込んだ。
「お~い!サアラのおっぱい、揉んじゃうぞ☆」
ビー ちゅどーん!!
思惑通り、怒った使い魔のレーザービームが外から窓をぶち壊してくれた。物音に、部屋の外にいた見張りがなだれ込んでくる。彼らが部屋に一歩入る前に、セヴランは壊れた窓を蹴破り、外へと身を躍らせる。
「ギギギギギッ!」
ビービービー
「《転移》!」
詠唱と共にセヴランの身体が掻き消え、コンマ三秒遅れて
ちゅどどーん!! ばきゅーん!
その空間をレーザービームが貫き、火花を飛ばした。
◆◆◆
呼び出された部屋で、私たちはこの屋敷の執事さんと思しき男性から説明を受けていた。
この屋敷の主はニミュエ公爵であること。
私たちを解放する意思があること。故郷へ帰りたいなら、路銀を渡すこと…
そして…
「先ほどの爆発の顛末を、君たちの口からも聞いておきたい。まず、君たちをここへ連れてきた者の名は?」
私たちは顔を見合わせる。少年の一人がおずおずと手を挙げた。
「あの男の名前はわからないけど…たぶん貴族、だよな?」
「五十がらみのオッサンだった」
「小太りで顎髭濃かった」
「服についてた勲章がさ、」
手をうろうろさせる少年に、私はササッと手持ちの植物紙を渡す。執事さんからペンを受け取った少年は、サラサラと勲章の絵を書いた。
「こんなのだった」
絵を見た他の少年たちも肯く。
「ありがとうございます」
証拠にでもするのかその植物紙を手に取った執事さんは、一瞬目を見開き、すぐにそれを懐にしまった。
「君たちはやはり故郷へ帰りたいですか?」
改めて問われた。一も二もなく肯く少年もいれば、迷うような顔をする少年、はたまた頭を振る者まで、様々だ。
「私が消えれば、ロイ様も消えることになります。それだけは…」
「俺はここで解放してくれればそれでいいや。王都で商売したくて身代わりの話に乗ったからな」
「俺も。王都に知り合いがいる」
私が少年たちの最後にそう言い足した時。扉が開いて、淡い菫色のドレスを纏った一人の少女がしずしずと入ってきた。
おおっ…!
十数人ほどいた少年たちが息を呑むのが気配でわかる。それほどまでに、そのドレスの少女は美しかった。緩くウェーブのかかった金髪、白磁のような肌に大きなブルーグレーの瞳は明け方の空のような神秘的な色合い。愛らしいというより、美しいという言葉が似合う端整な顔立ち…。その少女は私たちを前にそれは美しいカーテシーを披露した。…谷間がけしからんと思ったのは内緒である。クィンシーが見たら喜びそうだね。…ん?そう言えばアイツ、どこ行った?
「初めまして。私はアナベル。アナベル・フォン・ニミュエと申します」
淡い微笑みを浮かべて名乗る少女を、少年たちは惚けたように見つめた。ああ、この人が私が手紙をやり取りしていた公爵令嬢様なのか。あ、なんかいい匂いする…。
「みなさまには感謝してもしきれません。あの爆発…あなた方が結界でこの屋敷ごと庇って下さらなければ、私も母もここにはいなかったでしょう。そして、雨で火災を消してくださった。この屋敷で働く者達を助けて下さり、心より感謝申し上げます」
そう言って再び綺麗なお辞儀をするアナベル様。少年たちの視線が、羨ましい谷間に釘付けになる。わぁ~、公爵令嬢様がこんな巨乳美女だったなんて…眼福。胸元編み上げドレスの破壊力、パネェ…
アナベル様曰く、当時屋敷の庭では公爵夫人主催のお茶会が開かれていたらしい。当然、身分の高い貴婦人方を招いて、である。そこに爆発が起こり、大火災が発生したのだと。
なんかきな臭いね。まるで狙ったみたいじゃん?
「あなた方を連れてきた者は、私たちを亡き者にしようとしたのでしょうね。あなた方を利用して」
悲しそうに目を細めるアナベル様。
「だからこそ、私は泣き寝入りなどしたくない。悪事を働いた輩を断罪し、あなた方のように民が貴族の身代わりになどならぬようにあの騎士学校の闇を暴きたい…!」
なるほど。騎士学校に徴兵されているのは、主に反王妃派――ニミュエ公爵派の貴族子息。騎士学校を糾弾して、あわよくば味方の貴族子息を解放しようと…そういう事かな?
「危険は承知です。公爵家として最大限、あなた方を支援しますわ。ですからどうか、あなた方に非道を働いた者の糾弾を、手伝って下さいませ!」
真摯な眼差しで庶民の少年たちを見渡し、アナベル様は深々と頭を下げた。
「御意思のままに」
即座にロイが請け合い、彼に続けて心動かされた少年たちが「俺も行きます!」と、熱に浮かされたような顔で前に出る。
「ここで行かなきゃ男が廃るぜ!」
「おう!」
もぉ~、男ってば巨乳美女に弱いんだから…
「待った!」
鼻息荒く考えなしなことを言う身代わり仲間を押しのけて、私はアナベル様の前に立った。
「確約して。糾弾が済んだら、必ず俺たちを救い出してくれ」
穏便にあそこから脱出できるとは思えない。簡単に脱出できるなら、この間みたいな反乱は起こらなかったろうし、身代わりを用立てる必要もない。つまり、脱出の際に騎士学校側と交戦する可能性が高い。しかも相手側には、キラーシルクワームでさえ簡単に斃す戦力がいる。命がかかっているんだ。
「確約してくれれば、俺たちは行くよ。せっかく女神様みたいな美女と会ったんだ。成功した暁には微笑んでもらいたい…だろ?」
悪戯っぽく後ろの仲間を振り返れば、「それもそうだな!」と奴らも思い直したらしい。いや~、巨乳美女は偉大だね。あ、ロイは憮然としている。……目がマジだわ、この子。
「確約……」
一方のアナベル様は少し思案している。やっぱり脱出の手だてまでは考えていなかったようだ。勘違いしちゃいけない。これは貴族同士の戦いであって、庶民が巻きこまれる謂われはないから。雰囲気に飲まれて安い提案に乗ってはいけないよ。
「脱出の手引きをしてくれて、脱出先で匿ってくれればいいぜ?なあ、みんな!」
「ク…?!」
いつの間に現れたのか、いけ好かない茶髪のひょろ男が私の肩に腕を回していた。
「レナード、無理があるぜ?生粋のお嬢様に脱走なんて指示できるわけねぇだろ~?汚れ仕事は、男の役目だ」
と、意味ありげに仲間たちを見遣るクィンシー。せっかくみんなの目を覚まさせてやったのに!
「おまえ…」
「怖い顔すんなって~」
ヘラヘラするクィンシーは、目を細めてアナベル様を見下ろした。
「頼みますよ?美しいお嬢様」
調子よくその白い手を掬い上げて、指先に口づけようとしたところで、部屋の扉が勢いよく開いた。
「その男から離れて下さい!お嬢様!!」
鋭い声をあげたのは、少し前にセヴランを斬りつけた侍女――アイナだった。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
望んでいないのに転生してしまいました。
ナギサ コウガ
ファンタジー
長年病院に入院していた僕が気づいたら転生していました。
折角寝たきりから健康な体を貰ったんだから新しい人生を楽しみたい。
・・と、思っていたんだけど。
そう上手くはいかないもんだね。
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる