ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第1章 宿り木ホテルと季節の人々

第29話 「静かさとボクサーとポポティー(南アフリカ風ミートローフ)」

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 その男がホテルリトルフォレストに現れたとき、
 最初に気づいたのは京子だった。

「……大きい」

 ロビーの入り口に立つ影は、明らかに天井に近い。
 肩幅が広く、首が太く、無駄な動きが一切ない。

「Good evening. I have a reservation.」

 低く、落ち着いた声。

「い、いらっしゃいませ!」

 京子は反射的に英語モードに切り替えた。

「Welcome to Hotel Little Forest.」

 隣で快が、男の姿勢と視線の運びを見て小さく息を吐く。

「……プロですね」

「え?」

「格闘技系。しかも“現役”とみた」

 男は予約名を告げた。
「タボ・ムコナ。
 南アフリカから来ました」

 支配人・木島五郎は、その名前を聞いて目を瞬かせる。

「……あれ?もしかして、世界ランク……」

 男――タボは、ほんの少しだけ口角を上げた。

「仕事は、静かにしたいです」

「も、もちろんです!」

 支配人は即答した。

(なんか分からないけど、これは“そっとしておく系”のお客さんだな)

 厨房では、結が奏に報告していた。
「南アフリカのプロボクサーだそうです」

「……そうか」
 奏は包丁を止めない。

「食事制限書いてあるのか?」

「分からないけど……
 “お任せ”って書いてあります」

 奏は、少し考えた。

「重すぎず、軽すぎず。
 体を作ってきた人間が、
 “懐かしくなる味”がいい」

 結は首をかしげた。

「……懐かしく?」

 奏は冷蔵庫を開け、ひき肉を取り出す。
「ボボティー、やる」

「えっ!?
 あの南アフリカの……?」

「知ってるのか」

「名前だけ!聞いたことあります!」

 奏は、スパイス棚からカレー粉を取った。

 その頃、千夏はロビーでぬくと一緒に床を拭いていた。
「ねえぬく、今日のお客さん、すごく大きいね」

 ぬくは「わふ」と短く鳴く。

「でも、怖くないよね。
 なんか……静かなお客さんだね」

 タボは、窓際でストレッチをしていた。
 動きは最小限なのに、筋肉の存在感だけがはっきりしている。

 ぬくが近づくと、タボは自然に手を止めた。

「……犬」

 ぬくは、じっと見上げる。

 タボはゆっくりしゃがみ、距離を詰めすぎない。

「強い目だな」

 ぬくは尻尾を一度だけ振った。

「……君も、仕事をしているのだな」

 千夏は思わず目を丸くした。

「わかるんですか?」

「分かる」

 タボは静かに答えた。

「“役割を持っている目”だ」

 千夏は、なんだか誇らしくなった。

 夕食の時間。

 テーブルに運ばれたボボティーは、
 表面に卵液を流して焼かれ、
 ほんのり黄金色に輝いていた。

「……これは?」

 タボが尋ねる。

「南アフリカの家庭料理です」

 結が説明する。

「ひき肉にスパイス、ドライフルーツ、
 卵で仕上げた……」

 タボは、少し驚いた顔をした。
「ボボティーか!?母が、よく作ってくれた」

 タボはナイフを入れる。

 一口。

 噛む。

 しばらく、黙る。

 結は、息を止めた。

「……甘い」

 タボが言った。

「でも、懐かしい味だ」

 奏は、厨房から一歩も動かなかった。

「試合前、
 厳しい食事制限のとき」

 タボは続ける。

「母は、量を減らしても味は減らさなかった」

 もう一口。

「これは……
 “戦う前の飯”だ」

 その言葉に、結は思わず胸が熱くなった。

 食後。

 タボはコーヒーを飲みながら、ぬくを足元に招いた。

「……日本は静かだ」

「そうですか?」

 京子が笑顔で返す。

「試合の前はこういう場所がいい」

 タボは、窓の外を見る。

「拳は静かじゃないと、振れない」

 支配人は、なんとなく分かった気がした。

(この人、闘うために“休んでる”んだ)

 翌朝。

 タボはチェックアウトの際、奏を呼び止めた。

「料理人」

「……なんだ」

「昨日の料理」

 タボは、短く頭を下げた。

「ありがとう」
 タボは、少しだけ笑った。

「次勝ったらまた来る」

 そう言って、去っていった。

 玄関が閉まったあと、千夏が言った。

「……なんか、すごい人でしたね」

「ええ」
 結は頷く。

 奏は、まな板を拭きながら呟いた。
「……強い奴ほど静かさを纏ってるからな」

 ぬくは、その場で伸びをした。

 ホテルリトルフォレストは、
 今日もまた、
 誰かの“戦う前の場所”であり続けていた。

第30話「謎の男と暗殺者のパスタと」につづく
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