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第1章 宿り木ホテルと季節の人々
第33話 外出と尾行とあんパンと牛乳と
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最初に異変に気づいたのは、三条京子だった。
「……あれ?」
ホテルのロビーで伝票整理をしていた彼女は、ガラス越しに外を見て、目を細めた。
「奏さん……?」
ホテルの正面玄関。
見慣れた長身の後ろ姿――神谷奏が、女性と並んで歩いている。
「え!!」
京子は思わず立ち上がった。
女性は二十代半ばほど。
黒髪をひとつに結び、シンプルなコート姿。
派手さはないが、落ち着いた雰囲気で、奏と自然に並んで歩いている。
(……誰?)
しかも。
「ちょっと待って、奏さん……私服じゃない?」
奏は、寝間着の2着しか無い黒いパーカーとジャージではなかった。
グレーのニットに、黒のコート。
普通の――“街に溶け込む男”の格好。
「……事件だわ」
京子は厨房に駆け込んだ。
「結ちゃん!!」
「なに京子さん、火事?」
「違う、もっと大事なやつ!」
「もっと大事!?」
京子は息を整え、低い声で言った。
「奏さんが……女性と出掛けた」
結の手が止まる。
「……はい?」
「しかも私服」
「……はい??」
「しかも自然に並んで歩いてた」
「……は?」
結の脳内で、いくつもの警報が鳴り始めた。
(女性)
(私服)
(自然に)
「誰ですか?」
「知らない」
「お客さん?」
「違うと思う」
「仕事?」
「違う匂いがする」
京子は真剣だった。
「これは……追うべき案件よ」
「追わないでください!!」
結は即座に否定した。
「……追わないでください」
だが、その声には微妙な揺れがあった。
五分後。
二人はホテルを出ていた。
「……なんで私もいるんですか……ね」
結がぼそっと言う。
「関係者だから」
「関係者!?」
「感情的当事者だからね」
「ええ!!!」
二人は距離を取りつつ、奏たちの後ろを歩く。
「尾行は、三十メートル」
「近いです!」
「離れすぎると見失うよ」
「探偵なの!?」
京子はサングラスをかけた。
「今日の私は“京子・ザ・シャドウ”よ」
「ださっ!!やめてください!」
前方では、奏と女性が商店街に入っていく。
「……あ」
結が小さく声を漏らした。
奏たちが立ち止まったのは、昔ながらのパン屋。
ガラスケースに並ぶ、あんパン、クリームパン、コロッケパン。
奏が指差す。
女性が笑う。
二人は店に入った。
「……あんパン」
結は無意識に呟いた。
「奏さん、あんパン好きなんだよね」
「知ってたの?」
「賄いのとき、たまに話題に出てた」
京子は腕を組んだ。
「……これはもう、デート確定ね」
「違います!」
「でも否定材料がないよ」
二人もパン屋に入る。
店を出た奏の手には、紙袋。
次に向かったのは、スーパー。
「……まさか」
結の予感は当たった。
奏は、牛乳を手に取った。
「……あんパンと牛乳」
結の胸が、きゅっとなる。
女性が何か言う。
奏が首を振る。
低脂肪ではなく、普通の牛乳を選ぶ。
(こだわりまで見せるんだ)
結は知らず、歩調を速めていた。
商店街を抜け、公園へ。
ベンチに座る二人。
紙袋からあんパンを出し、牛乳を開ける。
「……完全にデート……か」
京子が低く言った。
結は、何も言えなかった。
(なんで、こんな気持ちになるんだろう)
(私は、奏さんの何なんだろう)
奏は無表情であんパンを割り、女性に渡す。
女性は驚き、笑う。
(……優しい)
結の胸の奥が、ちくりと痛んだ。
女性が、奏に何かを渡した。
――小さな封筒。
「……」
京子が息を呑む。
「結ちゃん、これは」
「……見ないでください」
「最後まで見なきゃだめ」
奏は封筒を開き、中を見る。
そして――頭を下げた。
「……!!」
結の心臓が跳ねた。
(なに、あれ)
(お礼? 別れ?)
京子が震える声で言う。
「行くわよ」
「どこに!?」
「確認」
「確認!?」
二人が距離を詰めた瞬間。
奏が顔を上げた。
視線が、一直線にこちらを見る。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
「……尾行か」
奏の一言。
「ちがっ」
「……すみません!!!」
結は即座に頭を下げた。
女性が、くすっと笑った。
「……面白い職場ですね」
「申し訳ありません」
奏は淡々と謝る。
「で、この二人は?」
「……同僚」
「同僚?」
「監視役」
「違います!」
京子が胸を張る。
「保護者です」
「違います!」
女性は名刺を出した。
「出版社の者です」
「奏さんの、昔の知人で」
封筒の中身――料理本の企画書。
「あんパンと牛乳が好き、って話を思い出して」
「昔、よく一緒に食べてたんです」
結の胸が、すっと軽くなる。
(……仕事なかま??)
帰り道。
四人で歩く。
女性は先に帰っていった。
「……ごめんなさい」
結が言った。
「勝手に追いかけて」
「……別に問題ない」
奏はいつも通りだ。
「でも」
結は足を止めた。
「……ちょっと、嫉妬しました」
京子が「おっ」と声を出す。
奏は、少しだけ目を瞬かせた。
「……そうか」
「……はい」
沈黙。
「次は」
奏が言う。
「一緒に行くか」
結の顔が、一気に赤くなる。
「……あんパン?」
「牛乳も」
京子が叫んだ。
「はい優勝ーーー!!!」
奏は眉をひそめた。
「…あいかわらず…うるさい」
だが、その声は、どこか柔らかかった。
ホテルに戻ると、ぬくが駆け寄ってくる。
奏の紙袋の匂いを嗅ぎ、尻尾を振る。
「……半分な」
奏は、あんパンを割った。
結は、隣で牛乳を受け取る。
それは、
誰にも見せなかった、
奏の日常の一部だった。
第34話 「議員と堅物と毛沢東スパイス唐揚げと」につづく
「……あれ?」
ホテルのロビーで伝票整理をしていた彼女は、ガラス越しに外を見て、目を細めた。
「奏さん……?」
ホテルの正面玄関。
見慣れた長身の後ろ姿――神谷奏が、女性と並んで歩いている。
「え!!」
京子は思わず立ち上がった。
女性は二十代半ばほど。
黒髪をひとつに結び、シンプルなコート姿。
派手さはないが、落ち着いた雰囲気で、奏と自然に並んで歩いている。
(……誰?)
しかも。
「ちょっと待って、奏さん……私服じゃない?」
奏は、寝間着の2着しか無い黒いパーカーとジャージではなかった。
グレーのニットに、黒のコート。
普通の――“街に溶け込む男”の格好。
「……事件だわ」
京子は厨房に駆け込んだ。
「結ちゃん!!」
「なに京子さん、火事?」
「違う、もっと大事なやつ!」
「もっと大事!?」
京子は息を整え、低い声で言った。
「奏さんが……女性と出掛けた」
結の手が止まる。
「……はい?」
「しかも私服」
「……はい??」
「しかも自然に並んで歩いてた」
「……は?」
結の脳内で、いくつもの警報が鳴り始めた。
(女性)
(私服)
(自然に)
「誰ですか?」
「知らない」
「お客さん?」
「違うと思う」
「仕事?」
「違う匂いがする」
京子は真剣だった。
「これは……追うべき案件よ」
「追わないでください!!」
結は即座に否定した。
「……追わないでください」
だが、その声には微妙な揺れがあった。
五分後。
二人はホテルを出ていた。
「……なんで私もいるんですか……ね」
結がぼそっと言う。
「関係者だから」
「関係者!?」
「感情的当事者だからね」
「ええ!!!」
二人は距離を取りつつ、奏たちの後ろを歩く。
「尾行は、三十メートル」
「近いです!」
「離れすぎると見失うよ」
「探偵なの!?」
京子はサングラスをかけた。
「今日の私は“京子・ザ・シャドウ”よ」
「ださっ!!やめてください!」
前方では、奏と女性が商店街に入っていく。
「……あ」
結が小さく声を漏らした。
奏たちが立ち止まったのは、昔ながらのパン屋。
ガラスケースに並ぶ、あんパン、クリームパン、コロッケパン。
奏が指差す。
女性が笑う。
二人は店に入った。
「……あんパン」
結は無意識に呟いた。
「奏さん、あんパン好きなんだよね」
「知ってたの?」
「賄いのとき、たまに話題に出てた」
京子は腕を組んだ。
「……これはもう、デート確定ね」
「違います!」
「でも否定材料がないよ」
二人もパン屋に入る。
店を出た奏の手には、紙袋。
次に向かったのは、スーパー。
「……まさか」
結の予感は当たった。
奏は、牛乳を手に取った。
「……あんパンと牛乳」
結の胸が、きゅっとなる。
女性が何か言う。
奏が首を振る。
低脂肪ではなく、普通の牛乳を選ぶ。
(こだわりまで見せるんだ)
結は知らず、歩調を速めていた。
商店街を抜け、公園へ。
ベンチに座る二人。
紙袋からあんパンを出し、牛乳を開ける。
「……完全にデート……か」
京子が低く言った。
結は、何も言えなかった。
(なんで、こんな気持ちになるんだろう)
(私は、奏さんの何なんだろう)
奏は無表情であんパンを割り、女性に渡す。
女性は驚き、笑う。
(……優しい)
結の胸の奥が、ちくりと痛んだ。
女性が、奏に何かを渡した。
――小さな封筒。
「……」
京子が息を呑む。
「結ちゃん、これは」
「……見ないでください」
「最後まで見なきゃだめ」
奏は封筒を開き、中を見る。
そして――頭を下げた。
「……!!」
結の心臓が跳ねた。
(なに、あれ)
(お礼? 別れ?)
京子が震える声で言う。
「行くわよ」
「どこに!?」
「確認」
「確認!?」
二人が距離を詰めた瞬間。
奏が顔を上げた。
視線が、一直線にこちらを見る。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
「……尾行か」
奏の一言。
「ちがっ」
「……すみません!!!」
結は即座に頭を下げた。
女性が、くすっと笑った。
「……面白い職場ですね」
「申し訳ありません」
奏は淡々と謝る。
「で、この二人は?」
「……同僚」
「同僚?」
「監視役」
「違います!」
京子が胸を張る。
「保護者です」
「違います!」
女性は名刺を出した。
「出版社の者です」
「奏さんの、昔の知人で」
封筒の中身――料理本の企画書。
「あんパンと牛乳が好き、って話を思い出して」
「昔、よく一緒に食べてたんです」
結の胸が、すっと軽くなる。
(……仕事なかま??)
帰り道。
四人で歩く。
女性は先に帰っていった。
「……ごめんなさい」
結が言った。
「勝手に追いかけて」
「……別に問題ない」
奏はいつも通りだ。
「でも」
結は足を止めた。
「……ちょっと、嫉妬しました」
京子が「おっ」と声を出す。
奏は、少しだけ目を瞬かせた。
「……そうか」
「……はい」
沈黙。
「次は」
奏が言う。
「一緒に行くか」
結の顔が、一気に赤くなる。
「……あんパン?」
「牛乳も」
京子が叫んだ。
「はい優勝ーーー!!!」
奏は眉をひそめた。
「…あいかわらず…うるさい」
だが、その声は、どこか柔らかかった。
ホテルに戻ると、ぬくが駆け寄ってくる。
奏の紙袋の匂いを嗅ぎ、尻尾を振る。
「……半分な」
奏は、あんパンを割った。
結は、隣で牛乳を受け取る。
それは、
誰にも見せなかった、
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