ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第95話 初めての一皿

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 練習三日目の厨房は、朝から湯気が柔らかかった。

 結は鍋に海水を張り、温度計を差し込む。
 六十度。
 まだ火は入れない。

「相原さん、海老の下処理、昨日と同じでお願いします」

「了解。背ワタは残す?」

「はい。旨味出したいので」

 相原は短く頷き、無言で作業に入る。
 前回までと違うのは、返事が即座に返ってくることだった。

 篠原がタイマーを確認しながら言う。

「火入れは三段階でいく。
 最初は低温で次に表面だけ最後は休ませてゆっくりと火を入れていく」

「その間ソース詰めすぎないでください」

 結の言葉に黒崎が口角を上げる。

「分かってる。
 “主張しない”だろ」

 結は少しだけ笑った。

 前回までは全員が“自分の皿”を作っていた。
 今日は違う。

 海老は主役ではない。
 だが全体の軸になる存在だ。

 相原が下処理を終え海老をバットに並べる。

「香りを確認してちょうだい」

 結が顔を近づける。
 生臭さはなく甘い潮の香り。

「いいですね。
 塩は振らずこのままいきましょう!」

「了解!!」

 誰も異を唱えない。

 鍋に火が入る。
 相原が温度を見て結を見る。

「今だ」

「お願いします」

 海老が湯に沈む。
 色はまだ変わらない。

 篠原が声を出す。

「四十五秒」

 黒崎がソースを火から外す。

「味見、回すよ」

 鍋が四人の間を回る。

 結は一口含み考える。

「……あと一段酸味落としてほしいです」

「レモン皮?」

「少しだけではどうでしょうか?
 でも最後にサラッとが良いと思います」

 黒崎は黙って頷き、メモを取った。

(……書いてくれてる)

 結は内心少し驚く。

 盛り付けの時間。
 白い皿の中央に静かに構成が置かれていく。

 相原の海老は決して目立たない。
 だが、切ると中が瑞々しく香りが立つ。

 篠原の火入れはブレがない。
 温度も時間もすべてにブレがない。

 黒崎のソースは輪郭が柔らかい。
 前に出ないが後ろから支える味。

 最後に、結が皿全体を見る。

(…全てが…揃ってる)

 奇抜さはない。
 驚きもない。

 でも――

「……一回、食べましょう」

 四人が同時にフォークを取る。

 結は海老とソースと付け合わせを一緒に口に入れた。

 ――静かだった。

 強い味がない。
 誰かの主張が暴れない。

 その代わり流れがある。

 噛むごとに順番に味が立ち上がる。

 結は思わず息を吐いた。

「…美味しい…ちゃんと“みんなの一皿”です」

 篠原が小さく笑う。

「やっと料理になった」

 相原は、ゆっくり頷いた。

「前回までは部品だったからな」

 黒崎は皿を見つめたまま言う。

「……勝てるかは分からないけど」

 一拍置いて続ける。

「少なくともこの皿は恥ずかしくない」

 結の胸がじんわりと熱くなる。

(これだ)

 点数じゃない。
 勝敗でもない。

 誰かと作った実感。

 結は深く息を吸い三人を見る。

「……ありがとうございます」

「だがまだ早い」

 黒崎が言う。

「これは“最初の形”だ」

「はい」

 結は頷いた。

「でも、今日初めて――
 全員で料理を作れた気がします」

 誰も否定しなかった。

 厨房の時計が静かに進む。

 Bグループの皿はまだ未完成だ。

 だがこの日確かに――
 “料理が生まれた”瞬間があった。
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