ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第146話 見守る事の大事さ

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 それは営業が終わったあとのことだった。

 厨房には片付けの音だけが残っている。
 フードのファンが低く唸り昼間の熱をゆっくり吐き出していた。

 「……結さん」

 千夏の声はいつもより小さかった。

 「なに?」
 「少しだけ」
 「時間もらってもいいですか?」

 結は手を止め千夏を見た。

 「いいよ」

 千夏はまな板の前に立った。

 今日の仕込みの端材。
 余った野菜。
 家庭的で特別じゃない食材。

 けれど千夏の手は迷っていなかった。

 玉ねぎを薄く切る。
 火にかける。
 焦がさないようにじっくり。

 鍋から立ち上る匂いは派手ではない。
 でも、どこか懐かしい。

 「……」

 結は黙って見ていた。

 教えない。
 口を出さない。
 それが今日の立場だと分かっていた。

 千夏は小さな鍋にスープを注ぐ。

 コンソメではない。
 市販でもない。

 家で何度も味わった
 “理由のない安心感”を再現しようとしている味。

 盛り付けは簡単だった。

 白い器。
 余計な飾りはない。

 「……できました」

 千夏は皿を差し出す。

 少しだけ手が震えている。

 結はスプーンを取った。

 ひと口。

 ――派手じゃない。
 技術的にもまだまだ未熟だ。

 けれど。

 喉を通った瞬間、
 胸の奥がわずかに緩んだ。

 「……」

 結は何も言わずにもうひと口すくった。

 千夏は息を止めている。

 「……千夏ちゃん」

 結はようやく顔を上げた。

 「これ」
 「はい」

 「“何かを作りたい理由”がちゃんとあるね」

 千夏の目が潤んだ。

 そのとき。

 後ろで静かに椅子が引かれる音がした。

 奏だった。

 「……食べていいか」

 結は少し驚いたが頷いた。

 奏は無言でスプーンを取る。

 ひと口。

 そして目を伏せた。

 「……そうか」

 それだけだった。

 その瞬間。

 結の中で何かがつながった。

 ――ああ。
 ――奏さんははいつもこんな気持ちだったのか。

 不完全な皿を前に、
 それでも誰かの“今”が詰まっていると分かる感覚。

 評価じゃない。
 点数でもない。

 差し出された覚悟を受け取る側の重さ。

 結は静かに言った。

 「千夏ちゃん」
 「はい」
 「また、作って」
 「……はい!」

 その返事は少し泣き声だった。

 奏は立ち上がりながら言った。

 「料理はな」
 「上手くなるよりも」
 「誰かに届くことが大事なんだ」

 千夏は深く頷いた。

 厨房に静けさが戻る。

 けれどそこには、
 確かに一つの“始まり”があった。

 千夏は初めて
 料理を“出した人間”になった。

 結は初めて、
 見守る側の気持ちを知った。
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