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昭和感漂うホテル(マリアサイド)

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***


 浴槽は、足を延ばして入れるほどの大きさで、ゆったりとした角度が付いている。そこでマリアは、達彦に後ろから抱えられ、その背中に彼の体温を感じていた。
 両手で抱き込まれ、首筋にかかる達彦の息を感じているだけで、体の中から熱いものが沸いてくる。一方で、顔が見えない分、不安も掻き立てられた。
 いま彼は、どんな顔をして湯に浸かっているのか。
 少なくとも、困った表情をしていなければいい。
 目の前に大きな鏡があったが、湯気で曇っていたし、そうでなかったとしても、湯船につかっているこの状態では天井しか映らない。
 彼の唇が首筋を這い、後ろから前に回された両手がその柔らかい感触を堪能するかのように、マリアの双丘を下から持ち上げるようにゆっくりと揉んでいる。
 その愛撫が、彼女の不安を揉み消してくれた。
 思いを寄せる男と、こんな場所で、こんな状況で――それだけで、マリアの胸の中に艶やかで淫靡な情欲が溢れてくる。
 背筋がピクリと反応し、「ん……」と小さな声が漏れたところで、達彦は首筋を舐め上げ、耳朶をその唇で食んだ。
 ぞくり、と何かがマリアの背筋を駆け上がる。
「――っ」
 思わず大きな声が漏れそうになって、マリアは息を止めた。
 彼女のその反応を確認してから、達彦は力を抜いてゆっくりとマリアの首筋に唇を落として、抱きしめなおす。
 そんなことを、もう何度も繰り返していた。
 だが、そのたびに、マリアの中の熱はリセットされることなく、上昇していく。それにつれて、もっとよく彼を感じようと、体の感度も上がっていった。
 肝心な部分はといえば、触れられているわけではないのに、粘度の高い液体を湛え彼を待っているだろう。
 尻に当たる硬く張り詰めたモノは、湯船に入る前から彼の準備がもう万端であることを告げていた。
 それなのに――
 思い切らない達彦に、痺れを切らす一方、心の片隅では、マリア自身もこの状況に戸惑ってはいた。
 この日、事務所を訪れるまではそんなこと、露ほども考えていなかったのに、ほんの数時間で、二人で風呂に浸かるまでになっている。
 そして、多分、この後、その先まで行くのだろう。

 初めての出会いから、十二年。その間に少しずつ積もってきた思いが、この数時間で、堰を切ったように溢れ出て、マリア自身でさえ、その勢いに戸惑っている。仕事上の関係にしか思っていなかったであろう達彦の戸惑いも分からないでもない。
 彼女だって、チャンスがあれば掴んだほうがいいといった美恵子の言葉に後押しされていなければ、こんなことにはなっていなかっただろうから。
 ただ。
 ここまできての達彦のこの煮え切らない態度を見ていると、そもそも、これは本当にチャンスだったのだろうかと疑問が湧いてきてもいた。
 口ではああ言っていたが、達彦が松ちぐさをどう思っているのか、本当は分からない――照れているだけで、その実、とても愛している可能性だってないわけではないし、松ちぐさではないにしても、他の女性を――
 だから、達彦の手がマリアの上を滑るように撫でるたびに、マリアの胸は、甘くて苦い痺れに襲われる。
 彼だっていい年齢だし、既婚者だ。そういうことがないほうが不自然なのも分かっている。
 けれど――
 ここまで、きてしまった以上、マリアは、これに賭けてみることにした。
 もし、賭けに負けたとしても、もともと失うものなど持っていない。
 余計な妄想を振りはらうかのようにギュッと目を瞑り、小さく息を吐くと、体の向きを替えて達彦の上に跨った。
 動揺を隠せない達彦の、そそり立つ雄をしっかりと固定する。
「おいっ……」
 マリアはその上に腰を落とし、彼が入ってくる間隔を全身で感じ取りながら、ゆっくりと一番奥までそれを押し込んだ。
 達彦の漏らす艶やかな吐息が、繋がっている部分を通してマリアをじわじわと痺れさせる。
 馴染ませるように腰を動かすと、それに合わせるかのように達彦が小さく呻いて、彼女のなかで硬さを増した。
 そのころには、状況を理解した達彦が、反撃とばかりに不敵な表情で乳房を持ち上げ、人差し指がその上の小さな突起を弾く。反射的に背筋が反って、自分の中にある達彦の形がはっきりとわかった。
 達彦と繋がっているという実感が胸の奥から込み上げてくる。
「んんっ――」
 けれど、それだけだ。
 達彦は、それ以上自分から動こうとはしなかった。まるで、先ほどのはサービスだったといわんばかりに。
 ここまで来て、逃げ腰の達彦に、マリアは心を固めた。

「――私が強引に迫ったってことになれば、柏木さんに罪はないですよね」
 そして、ゆっくりと腰を動かし始める。
 マリアの動きで波が生まれ、それがだんだんと大きくなって、浴槽を越えた。
 荒くなった二人の息遣いと、浴槽から規則的に零れる水の音、時折漏れる声が浴室内で反響し、聴覚を艶かしく刺激する。
 こんな風に、自分から挿れ、自分で腰を激しく振ったのは、初めてだった。
 達彦を窺う心と、彼の妻のことを考える頭と、快感を求める体が別々の生き物のようにマリアの中に存在し、何かの拍子にどれかが浮上する。
 下から突き上げられる規則的な運動が、胸の奥を擽り、撹拌し、脳を痺れさせて、それらの生き物を統合させてくれるはずだ。そして、胸の奥の疼きが最高潮に達すれば、それはゆっくりと上昇し、すべてを蕩けさせてくれるだろう。
 その瞬間を迎えるために、マリアは、夢中で快感のスイッチを探りながら腰を動かし続けた。

 後もう少し。
 胸の奥の疼きが、喉の下あたりまで競りあがってきている。
 息も、動きも、早くなる。
 達彦の、何かを堪えているかのような苦しげな表情が、色っぽい。
 早く。
 はやく、あの高みに――。あと、すこしで――
 荒く、短くなった息に、混じる声を抑えられなくなり、喘ぎとも、叫びととれる声が、エコーをかけて耳に戻ってくる。
 何かを我慢するように、達彦の眉間が、くっと寄せられた。
 マリアの四肢に力が入っていく。
 達彦の両手が、マリアの腰を掴んだ。
 え――?
 規則的に上下に動いていたマリアの腰が浮いた瞬間、達彦はそのままマリアの腰を持ち上げ、器用に彼女のなかから抜け出した。
「悪いが――」
 そして、マリアの腰を持ったまま、その下から立ち上がる。
 強引過ぎたか――マリアが後悔していると、彼は彼女を立たせ、体の向きを変えた。
 湯気で曇る大きな鏡の中の、水滴が伝い落ちた部分で、自分と目があった。その後ろに達彦がぼんやりと映っている。
「柏木さん……?」
 達彦は何も言わずに手のひらで鏡の湯気を拭い取り、マリアに浴槽のふちを掴ませて前かがみにさせた。
 くっきりとした自分たちの姿に、マリアの胸がとくんと大きく跳ねる。
「俺は、君一人に罪を被せてのうのうとしていられるほど、肝が太くないよ」
 言いながら、後ろから未だ勢いの衰えていない猛る棒でマリアを貫いた。
「あああっ」
 予期せぬ達彦の動きに、先ほどとは違うところにあたる先端が、欲情をさらに刺激する。
 胸の奥に収まりきれず、溢れた快感は、喉の上まで上がり、鼻の奥――頭の髄をジンジンと痺れさせていく。
「あ……んん――」
 達彦の動きに合わせて肌のぶつかる音が、浴室に艶かしく反響する。
 もう、声を抑えていることができなくなって――
 彼が自分の意思でマリアを抱いているという事実が、痺れを大きくし、さっきまで頭の中を占めていたつまらない考えを簡単に消し去っていく。
 目の前の鏡から目を離せない。
 マリアを征服する、達彦の顔から。

「そろそろ、限界――」
 そういって、達彦は、腰の速度を早め振幅を大きくした。
 腰を支える達彦の腕に、マリアはそっと手を添えた。
「お願い……です、その、まま……で、最後までして、下さい」
 達彦が動きを止める。
 その反応で、やはり、最後の瞬間に彼が外に射精そうとしていたのを、確信した。
「だが――」
「大丈夫、です。――最初で最後……だったら、生で、柏木さんを感じたい、から」
 マリアは、気持ちのままにそう言った。
 一度でいいから、彼のすべてを受け止めたい。
 正直なところ、安全とは断言はできなかった。
 十二年前にモデルとしてこの身を預け、文字通り幸運に導かれてここまでやって来られた――その幸運に、達彦の幸運にかけてみようと思った。
 自分でラッキーボーイと豪語するのだから、彼にとっていい方に転ぶに決まっている。
 マリアは下から突き上げてくる生の達彦を全身に感じながら、頭頂まで達した快感に意識を開け渡し、身を強ばらせて、達彦の精を受け入れた。



 それなのに――
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