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昭和感漂うホテル2 (達彦サイド)
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下の部分は理性ではもう抑えきれなくなってきていた。そんな状態で、口にした自分の言葉に、達彦は自嘲する。
「これから先のなにかが、欲しいわけではないですから」
下半身だけではなく、心拍数がかなり上がっていることにも、多分彼女は気がついているだろう。
こんなところまで黙ってついて来るのだから、マリアにとってこれがただの遊びではないことは分かる。見た目は派手で誤解されがちだが、身持ちがそれほど柔らかくないというのも、仕事ぶりからよくわかっているつもりだ。
だが、考えてみれば、自分は四十三のくたびれた中年で、マリアは二十九歳の今一番勢いのある――しかも自分にとっては売り出し中の商品。
親父に知れたら何と言うだろう――と、こんなときなのに達彦は、今はもういない父親を思った。
仕事で迷ったときには必ず、一人でこの事務所を大きくしてきた敏腕の前所長の影が、達彦の手腕を試すように現れる。
彼なら、もう移籍してしまった松ちぐさをなど見限って、これを機に売れ始めたマリアを囲い込むことを勧めるだろう。だが、達彦には事務所のさらなる発展などという野望もないし、それに、マリアを始め、ほかのモデルたちを事務所の所有物のように扱うのは好まない。
あくまでも彼女たちのマネジメントが自分の仕事だとわきまえている。
のに――
「……本当に、いいのか?」
再度確認したのは、自分に自信がなかったからかもしれない。
あるいは、久しぶりのこんな状況に、恐れをなしているのか。
……どっちもだな、と達彦は心の中で自分を嘲った。
「ここまで、きているのに、どうしてそんなこと、聞くんですか?」
顔をあげ、上目で窺うマリアの瞳が不安の色を見せる。
確かにそうだ。この期に及んで、往生際が悪い。
「……俺の方が、信じられないから、かな。――こんなくたびれた男。……もしこれが枕営業だとしても、俺は君の仕事にはあまり役に立たないと思――」
その瞬間、さっきまでしっかりと抱きついていたマリアが離れ、水気を含んだ湿った音が浴室内に大きく反響した。
達彦は頬に痛みを感じ、一歩離れたマリアに目が釘付けになる。こんな状況であるのに、その美しさに、見惚れてしまった。
状況を思い出した彼女が恥ずかしそうに「見ないでくださいっ!」というので、達彦は素直に彼女に背を向ける。
「柏木さんは、そんな風に私を見てるんですね」
エコーがかかったその台詞がなんだか、ドラマのようだと達彦は思った。そうであるなら、この急展開でそろそろCMが入りそうだが――実際は、そうではなく、マリアはちゃんと達彦の後ろにいるし、張られた頬もまだ少し疼いている。
仕方なしに、達彦は背を向けたまま、口を開いた。
「そうじゃないと、おかしいだろ。……君は、名前の売れ始めたモデルで、俺は、肩書きさえ事務所長とはあるものの、その実、くたびれたおっさんだ。――正直、君が枕営業をするようなタイプだとは思っていないが、だが、そうでも思わないとこの状況を理解できないんだよ」
言い訳をする自分が何だか情けなかった。だが、彼女を誤解していると取られるのは本意ではない。だから、その部分だけは訂正しておきたかった。
「……悪かった」
背後でマリアが動く気配がして、あのすべやかな感触が再び――今度は背中に押し当てられた。
「柏木さんは――」
不意を突かれ、達彦の心臓が跳ねる。
高校生でもあるまいし――。背中にあたる柔らかく温かい乳房の感触に、こんな状況だというのに体が反応するのだから――、自分でも呆れた。
「――柏木さんは、くたびれてなんて、いません。……だから、そんな風に言わないでください」
「こんなところで社交辞令は必要ないだろ」
「そんなんじゃ――。柏木さんは、素敵です。……独身だったら、私、迷わずに告白してます」
一瞬、達彦はたじろいだ。
どこまで本気なのか分からない。
冗談ではないとしても、誰かの所有物が良く見える、ただそれだけのことではないだろうか。
「柏木さん……私――」
気がついていなかったといえば嘘になるが――だから、こうなることを恐れて、マリアの気持ちに気づかないように、そこから目を背けてきたのに。
少なくともその先を聞いてしまったら、達彦には逃れられる自信がなかった。そしてそれは、マリアの気持ちを縛ることにもなりはしないだろうか。
本当は、冷たくあしらってやるのが、彼女にとってのベストなのも、わかっている。が――
「それから先は、こんなところで言うもんじゃない。――ここぞという時のために、大事にとっておけ」
強く拒否することができない自分が一番悪いと知りつつも、これが今の達彦に言える精一杯だった。
「ここぞ、という時?」
「勝算が見込めるときだ」
暗にその先がないことを匂わせたつもりだったが、マリアは達彦の気も知らずに「結構、ロマンチストなんですね」と笑う。
「気が小さいの間違いだろ。……現に、断りきれずにこんなところまで来てる」
半ば投げやりに放った台詞を、マリアはいたずらな表情で拾い上げた。
「怖気づいたのなら、帰りますか?」
言葉とは裏腹に、マリアの手が、充血し猛った達彦の股間に伸びる。
ひんやりした感触に、その部分が驚いたようにぴくりと反応した。
おそらく、彼女の指先もそれを感じ取っただろう。先程までは恐る恐るだったのに、今度はもっと大胆に竿に指を這わせてくる。
「――おいっ!?」
「でも、ここまできたら、帰しませんけどね」
「まだ、酔ってるのか?」
「お互い様でしょう?」
降り注ぐシャワーの中で、ゆっくりと、マリアの唇が達彦のそれに重なった。
言葉で偽らない分、体は素直だ。
すくなくとも自分は縛り付けられたな、と達彦は観念した。
しかし、だからといって、妻帯者である自分とマリアの間に明るい未来が拓けるはずもなく。
そっとマリアを引き剥がし、達彦は「確かに――」とこれ以上マリアを煽らないように静かに口を開いた。
だから、後はせめて、マリアが同じように縛られないように、と願うだけだ。
「怖気づている」
できれば、この優柔不断で情けない姿にマリアが気を変えてくれればと、思う。
今なら、まだ、後戻りは可能だ、とも。
「誘ったのは私ですから……柏木さんに迷惑をはかけません」
結局、達彦は強く跳ね除けることができなかった。
滑らかな肌、鼻から抜ける甘い声――それらが、達彦の本能を駆り立てる。
「そう……願いたいね」
マリアの勢いに押されて、達彦はため息とともに、抵抗する気持ちを宙に放った。
けれど、立場上彼女にはがっついているところを見せたくなくて、自戒をこめて――あるいは、最後の頼み――とばかりに、彼は浴槽を指す。
幸い、本能はまだ暴走するまでには至っていないし、これくらいのことで簡単に理性の制御を失うほど、達彦は若くはない。
「せっかくだし、体をあたためてから、ゆっくりヤろう?」
ここまで来てしまったからには、お互いに割りきっているからこそ――一度限りだからこそ、彼女がそれを望むなら、気持ちをこめて抱きたかった。
いや、それも、言い訳だな――
「これから先のなにかが、欲しいわけではないですから」
下半身だけではなく、心拍数がかなり上がっていることにも、多分彼女は気がついているだろう。
こんなところまで黙ってついて来るのだから、マリアにとってこれがただの遊びではないことは分かる。見た目は派手で誤解されがちだが、身持ちがそれほど柔らかくないというのも、仕事ぶりからよくわかっているつもりだ。
だが、考えてみれば、自分は四十三のくたびれた中年で、マリアは二十九歳の今一番勢いのある――しかも自分にとっては売り出し中の商品。
親父に知れたら何と言うだろう――と、こんなときなのに達彦は、今はもういない父親を思った。
仕事で迷ったときには必ず、一人でこの事務所を大きくしてきた敏腕の前所長の影が、達彦の手腕を試すように現れる。
彼なら、もう移籍してしまった松ちぐさをなど見限って、これを機に売れ始めたマリアを囲い込むことを勧めるだろう。だが、達彦には事務所のさらなる発展などという野望もないし、それに、マリアを始め、ほかのモデルたちを事務所の所有物のように扱うのは好まない。
あくまでも彼女たちのマネジメントが自分の仕事だとわきまえている。
のに――
「……本当に、いいのか?」
再度確認したのは、自分に自信がなかったからかもしれない。
あるいは、久しぶりのこんな状況に、恐れをなしているのか。
……どっちもだな、と達彦は心の中で自分を嘲った。
「ここまで、きているのに、どうしてそんなこと、聞くんですか?」
顔をあげ、上目で窺うマリアの瞳が不安の色を見せる。
確かにそうだ。この期に及んで、往生際が悪い。
「……俺の方が、信じられないから、かな。――こんなくたびれた男。……もしこれが枕営業だとしても、俺は君の仕事にはあまり役に立たないと思――」
その瞬間、さっきまでしっかりと抱きついていたマリアが離れ、水気を含んだ湿った音が浴室内に大きく反響した。
達彦は頬に痛みを感じ、一歩離れたマリアに目が釘付けになる。こんな状況であるのに、その美しさに、見惚れてしまった。
状況を思い出した彼女が恥ずかしそうに「見ないでくださいっ!」というので、達彦は素直に彼女に背を向ける。
「柏木さんは、そんな風に私を見てるんですね」
エコーがかかったその台詞がなんだか、ドラマのようだと達彦は思った。そうであるなら、この急展開でそろそろCMが入りそうだが――実際は、そうではなく、マリアはちゃんと達彦の後ろにいるし、張られた頬もまだ少し疼いている。
仕方なしに、達彦は背を向けたまま、口を開いた。
「そうじゃないと、おかしいだろ。……君は、名前の売れ始めたモデルで、俺は、肩書きさえ事務所長とはあるものの、その実、くたびれたおっさんだ。――正直、君が枕営業をするようなタイプだとは思っていないが、だが、そうでも思わないとこの状況を理解できないんだよ」
言い訳をする自分が何だか情けなかった。だが、彼女を誤解していると取られるのは本意ではない。だから、その部分だけは訂正しておきたかった。
「……悪かった」
背後でマリアが動く気配がして、あのすべやかな感触が再び――今度は背中に押し当てられた。
「柏木さんは――」
不意を突かれ、達彦の心臓が跳ねる。
高校生でもあるまいし――。背中にあたる柔らかく温かい乳房の感触に、こんな状況だというのに体が反応するのだから――、自分でも呆れた。
「――柏木さんは、くたびれてなんて、いません。……だから、そんな風に言わないでください」
「こんなところで社交辞令は必要ないだろ」
「そんなんじゃ――。柏木さんは、素敵です。……独身だったら、私、迷わずに告白してます」
一瞬、達彦はたじろいだ。
どこまで本気なのか分からない。
冗談ではないとしても、誰かの所有物が良く見える、ただそれだけのことではないだろうか。
「柏木さん……私――」
気がついていなかったといえば嘘になるが――だから、こうなることを恐れて、マリアの気持ちに気づかないように、そこから目を背けてきたのに。
少なくともその先を聞いてしまったら、達彦には逃れられる自信がなかった。そしてそれは、マリアの気持ちを縛ることにもなりはしないだろうか。
本当は、冷たくあしらってやるのが、彼女にとってのベストなのも、わかっている。が――
「それから先は、こんなところで言うもんじゃない。――ここぞという時のために、大事にとっておけ」
強く拒否することができない自分が一番悪いと知りつつも、これが今の達彦に言える精一杯だった。
「ここぞ、という時?」
「勝算が見込めるときだ」
暗にその先がないことを匂わせたつもりだったが、マリアは達彦の気も知らずに「結構、ロマンチストなんですね」と笑う。
「気が小さいの間違いだろ。……現に、断りきれずにこんなところまで来てる」
半ば投げやりに放った台詞を、マリアはいたずらな表情で拾い上げた。
「怖気づいたのなら、帰りますか?」
言葉とは裏腹に、マリアの手が、充血し猛った達彦の股間に伸びる。
ひんやりした感触に、その部分が驚いたようにぴくりと反応した。
おそらく、彼女の指先もそれを感じ取っただろう。先程までは恐る恐るだったのに、今度はもっと大胆に竿に指を這わせてくる。
「――おいっ!?」
「でも、ここまできたら、帰しませんけどね」
「まだ、酔ってるのか?」
「お互い様でしょう?」
降り注ぐシャワーの中で、ゆっくりと、マリアの唇が達彦のそれに重なった。
言葉で偽らない分、体は素直だ。
すくなくとも自分は縛り付けられたな、と達彦は観念した。
しかし、だからといって、妻帯者である自分とマリアの間に明るい未来が拓けるはずもなく。
そっとマリアを引き剥がし、達彦は「確かに――」とこれ以上マリアを煽らないように静かに口を開いた。
だから、後はせめて、マリアが同じように縛られないように、と願うだけだ。
「怖気づている」
できれば、この優柔不断で情けない姿にマリアが気を変えてくれればと、思う。
今なら、まだ、後戻りは可能だ、とも。
「誘ったのは私ですから……柏木さんに迷惑をはかけません」
結局、達彦は強く跳ね除けることができなかった。
滑らかな肌、鼻から抜ける甘い声――それらが、達彦の本能を駆り立てる。
「そう……願いたいね」
マリアの勢いに押されて、達彦はため息とともに、抵抗する気持ちを宙に放った。
けれど、立場上彼女にはがっついているところを見せたくなくて、自戒をこめて――あるいは、最後の頼み――とばかりに、彼は浴槽を指す。
幸い、本能はまだ暴走するまでには至っていないし、これくらいのことで簡単に理性の制御を失うほど、達彦は若くはない。
「せっかくだし、体をあたためてから、ゆっくりヤろう?」
ここまで来てしまったからには、お互いに割りきっているからこそ――一度限りだからこそ、彼女がそれを望むなら、気持ちをこめて抱きたかった。
いや、それも、言い訳だな――
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