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03.オートミール家と朝の光景

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 フレイオージュの朝は早い。

 朝の鍛錬にしっかり時間を使い、湯を浴び、そして一日が始まる。
 魔力が覚醒してから十年、体調を崩すことや他の用事がない限り、もはや日課となっている。

「……」

 ――寝相が悪いのかしら……――

 その姿は、まるで鍋から上げる時に一本だけ抵抗したパスタのようだ。

 なぜか瓶のふちに引っかかるようにして寝ている妖精のおっさんを起こさないように、静かに着替えて部屋を出た。




「おはよう。朝会うのは久しぶりだな」

 まだ空の暗い中、庭の稽古場には父がいた。

 元魔法騎士である父シックル・オートミール。

 生涯独身を貫き、一生を魔法騎士として過ごすことを決めていたそうだが。
 魔物退治の遠征に出た折に障害の残る深い怪我を負い、引退を決意する――と同時に、母と結婚したという。

 母の年齢も少し高い。
 かつてはエーテルグレッサ王国の医務局に勤めており、生涯を医療に捧げる気持ちだったそうだが……
 まあ、何かがあって、シックルと一緒になったようだ。

 母は三十近くで、父は四十を過ぎてからという双方婚期を逃してからの結婚だった。いわゆる晩婚というやつである。
 そのせいで、フレイオージュが十六歳である今現在、父はもうすぐ六十歳になろうという初老であった。

 ただ、身体の故障のせいで全盛期の力では戦えない身体ではあるが、引退してからも鍛錬は怠っていない。
 怪我のリハビリにもなっていたようで、今でもそこらの兵士や、下手な現役魔法騎士よりよっぽど強い。

 フレイオージュにとっては剣術の師でもある。
 今でも、魔法抜きの剣術のみに限れば、父に完勝できる確率は六割から七割ほどである。

「……? どうした?」

 いつになくじっくりと顔を見てくる娘に、父は首を傾げる。

 ――この父親、紛れもないおっさんである。

 年齢にしては若々しくあるが、年齢だけ見れば、もしかしたらおじいさんと言ってもいいかもしれない。
 髪もヒゲも白いものがいっぱい交じり、年月を重ねたしわの深い顔をしている。

 だが、妖精のおっさんとは違うタイプだ。

 なんというか、こっちはロマンスという言葉が似合いそうな、渋い顔のガッチガチの筋肉でムッキムキのおっさんである。

 対する妖精のおっさんの方は、こう、たるみきった…………まあ、違うタイプである。

「おじさん」でも「おじさま」でも「中年男性」でもなく、ぞんざいだが少しの親しみを込めて「おっさん」と呼びたいタイプのおっさんである。

「……」

 ――幸運だったと思えばいいのかしら……――

 さすがに父親に似ている妖精だったら、耐えきれなかったかもしれない。

 別に父が嫌いなわけではない。家族として好きだし尊敬もしている。自分の時間を大きく割いて、手塩にかけて自分を育ててくれたとも思っている。

 だが、さすがに、四六時中身内の顔だけ見ている、というのは、いささかきついものがある。

「まあいい。どれ、久しぶりに腕を見てやろう」

 ここ二週間ほど所用で家を空けていた父なので、一緒に訓練するのも久しぶりだった。

 ――途中で妹ルミナリもやってきて、オートミール家の三人は、朝から熱の入った熾烈な鍛錬をこなしたのだった。




「妖精か。……少々気が散るが、仕方あるまい」

 朝食のテーブルに、オートミール家の四人が集う。

 父シックル。
 母アヴィサラ。
 長女フレイオージュと、次女ルミナリ。

 そして今日から、シックルが仕方ないと諦めた理由である、テーブル付近を飛び回る妖精のおっさんの姿があった。

 ――フレイオージュ以外には、使用人も含めて、おっさんは美しい光源か、虹色の鱗粉を振りまく人型の光に見えているようだ。

 できることなら、フレイオージュもそういう方向・・・・・・の見た目で頼みたかったものである。

 今、自身の頭の上に小さな裸のおっさんが乗っていると思うと、それだけで朝から気分がどん底まで落ちてしまいそうだ。しかもきっと絶対真顔なのである。見たくもない。

「士官学校にいた頃、お父様も妖精と契約できたの?」

「いや、私は無理だった。まあそもそも私は一色で、おまえより魔法使いの才もないしな。最初からできないとわかっていた」

 フレイオージュの頭の上は飽きたのか、ルミナリの質問に答える厳格なシックルの目の前を、妖精が漂っている。真顔でフレイオージュの方を見ながら。こっち見るな。

「当時、同じ教室に十四名の士官候補がいたが、妖精護符で契約できた者は二人しかいなかった。それくらい契約できる者は少ないんだ。……それにしても――」

 厳格なシックルの表情が珍しくほころぶ。

「当時は己を鍛え上げることにしか興味がなかったが、こうして見ると妖精とは可愛いものだな」

「……」

 ――父は何を言っているのだろう。おっさんの毛根が乏しい後頭部を見ながら可愛いとは一体……――

 まあ、そう見えているのはフレイオージュだけだが。
 しかしそれにしたってなんだかひどい光景だ、とフレイオージュは思った。

 食卓の上に浮かぶ真顔のおっさんを微笑ましく見ている父、妹、そして母。使用人も。
 
 ――これから毎日こんなテーブルに着くことになるのかと思うと、フレイオージュは本当に、自分の気持ちの整理をどうつけていいのかわからなくなってきた。

 小さい妖精おっさん越しに見る大きい父親おっさんとはこれいかに。

「……」

 考えすぎたらダメになりそうな気がするので、もう考えないことにした。




「行きましょうか、お姉さま」

 今年から同じ士官学校に通うので、帰りこそバラバラだが、行きの馬車はルミナリと同乗である。

 からからとゆっくり馬車が走り出す。

「それにしても、妖精は可愛いですね。私も来年はきっと契約してみせます」

「……」

 今やその言葉に返すべき言葉を見いだせないので、フレイオージュは曖昧に頷くだけに留めた。

 あなたは妖精と契約できます。
 ただし妖精はおっさんに見えます。

 果たしてこの条件が先に提示されていたら、フレイオージュが妖精と契約していたかどうかは謎である。

「わあ、綺麗」

 妖精は、隣に座るルミナリの差し出す両手に乗り、虹色の魔粒子を振りまいている。

「……」

 ただし虹色は尻から出ている。

 肩幅ほど足を開き、両膝に両手を起いた前屈状態で。
 肩越しに振り返ってフレイオージュを真顔で見ながら。
 ルミナリに向けて虹色を噴出している。

 ――なぜそこから……――

 これ見よがしに尻から出ている。

 いくら綺麗で柔らかそうで幼児のような尻であろうとも、そこから出す必要はないだろう。というか羽から出せ。その虹色の四枚羽は飾りか。
 しかも真顔でフレイオージュを見ながら出すな。

「こっち見るな羽むしるぞ」と強く言ってやりたくなった込み上げる感情を、ぐっとこらえた。

 ――妖精と契約したフレイオージュの一年間は、まだ始まったばかりである。



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