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136.執念というか
しおりを挟む「――レイン様、その指はどうしたんですか?」
さすが元王城の使用人、気遣いのできる女性である。
台所に案内されて二人きりになった時に、ケイラはようやく私の指について触れた。
いらない注目を集めないように、という配慮からである。
「誰かが言うと思っていたんだが、誰も気づかなかったな……」
きっと白蛇族の誰かが指摘すると思えば、この時に至るまで誰も何も言わなかった。
別に隠しているつもりはなかったし、誰かに言われれば普通に答えるつもりだったのに。
しかし、触れたのはこの段に至ってのケイラだけである。
なんというか……私の指に気づかなかったんじゃなくて、指の色が違うくらい、こちらの人にはどうでもいいのかもしれない。
「事故で骨折してね。鉄蜘蛛族の糸を巻いて固定しているんだ」
「あ、糸の色なんですね」
よかった。用意していた言い訳が普通に通用した。
この調子でアーレにも通じてくれれば……いや、彼女に嘘は吐きたくないから、正直に話すかな。
ここから先は、料理の準備をしながら話すことにした。
台所は……物の配置が違うくらいで、基本は我が家と同じである。広さもあるし、これなら二人で作業しても大丈夫だろう。
朝早くに発った鉄蜘蛛族の集落から、昼過ぎには青猫族の集落に到着した。
来る時に預けておいた、馬とヤギの回収のため。それと、私たちが乗ってきた荷車を返すためである。
「何か礼をしないとな」と言えば、現地で再会した顔見知りの青猫族の青年から「だったらあの時の汁を作ってくれ」と請われ、台所を借りることになった。
まあ、前もって約束していたことなので、今更文句はないが。
ただ、族長と神の使いに挨拶してから……という要望は却下された。
曰く、「この時間はたぶん寝ているから」だそうだ。
青猫族は夜行性で、昼も活動できるが、夜の方が動きやすいそうだ。
この集落でも、最も強い戦士が族長となっているそうなので、狩りは夜行われて昼は基本寝ているそうだ。
現に今は、昼とは思えないくらい、彼らの集落は静かである。
行きに来た時は深夜で、にぎやかだった気がするが。
しかしまあ、会わせるつもりがないわけでもないし、今日は一泊する予定なので、後に回そうと思う。
というわけで、私は到着するなり青年の家の台所に連れ込まれた、というわけだ。
そしてケイラは自主的に手伝いに付いてきてくれたのである。
「それよりケイラも大変だっただろう。鉄蜘蛛族の集落では問題なかったか?」
何かあったら相談してくれ、とは言っておいたが、結局最後まで何か言いに来ることはなかった。
時々見かけたケイラは、一緒に来た白蛇族の女性やほかの部族の女性と、仲が良さそうに過ごしていた。
強いて声を掛けて邪魔したくないな、と思えるくらい、馴染んでいたと思う。
「はい。皆さんよくしてくださったので……レイン様と同じかもしれません」
「ん?」
「私も、こちらの生活の方が性に合っているかもしれません。もっと言うと王侯貴族の生活より、庶民の生活の方が合っていたのかも……」
……そうか。
「こちらに来たことに後悔がないなら、私から言うことはないよ。
ただ、まだこちらでの生活は始まったばかりだから、結論を急ぐ必要はない」
ちょっと大変かもしれないが、ケイラにはまだ背負うべき責任がないからな。
まだ、帰ろうと思えば向こうに帰れるはずだ。
家も国も頼れないが、不可能ではないはずだ。
私はもう嫁も子供もペットもいるし、可愛い畑もあるし、この責任からは離れられない。まあ離れる理由もその気もないが。
――あ、責任と言えばだ。
「カラカロとの仲は進展した?」
なんかケイラとカラカロがどこかに消えて、デートスポットみたいなところに行ったとか行かないとか、タタララが騒いでいたが。
実際あれからどうなったのか、聞いていない。
というか、そもそも本当にデートスポットに行ったのかどうかという問題もあるし。
「そう、ですね……お互い忙しかったので、あまり会っていませんよ。お祭りの日に二人で少し歩いたくらいしょうか――」
お、そうそう。その話だ。
「なんでも、珍しい赤い木があるとかで、誘われて見に行ったんですよ」
知っている。
その木の下で結婚の約束をしたら、幸せになれるとかなんとかいう伝承があるとかないとか。
カラカロめ。
ケイラに詳細を伏せてうまいこと連れ出したんだな。
「でも、向かう途中で、カラカロ様がタタララ様に見つかったと言い出して、すぐ集落に戻りました。タタララ様なんてどこにもいなかったんですが……」
…………
色恋沙汰の邪魔をした野暮を責めるより、タタララの執念に脱帽だと思うべきだろうか。
違う方向を教えられたはずのタタララなのに、いったい何がどうなってケイラとカラカロの追跡を成功させたのか。
興味は尽きないが、……まあ、タタララだしな。
彼女も戦士として優秀だから、それくらいはできるんだろう。
久しぶりに触れた牛肉を使い、彼が所望した牛すじシチューもどきを作る。
「あ、おいしい」
あく抜きにちょっと手間が掛かるので、家ではあまり作らない。味見したケイラも初めて食べる物である。
まあ、まだまだ煮込みの時間が足りないのだが。
完成は夕食時かな。
もっと煮込めば味が深くなって美味しくなるし、まだ牛すじも固いからな。
夕食時なら、きっと青猫族の族長と神の使いに挨拶もできるはずだ。
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