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238.新婚旅行 六日目 一言
しおりを挟む「――タタララさん! 俺と結婚してください! 俺のためにウェディングドレスを着てください!」
と。
誰もいない草原で、フレートゲルトが大声でそんなことを言ってから、しばしの時が経った。
目的が違う。
わざわざウィークの街から出てここに来たのは、花を集めるためだ。
一緒にいる以上話くらいはするが、それ以上の何かを求められても困る。
「今そんなことを言われても」
タタララはそう返した。若干引きながら。
――それからフレートゲルトは目に見えて落ち込み、今に至る。
気持ちは嬉しいがそんなに急がれても困る、というのが率直なタタララの気持ちだった。
花を集めて麻袋に詰め、街の外に出て来たついでに久しぶりに森に入り、適当に木の実を探してみた。
森を歩くタタララの後を、フレートゲルトは荷物持ちとしてついていく。
ぽつぽつと言葉を交わすが、あまり血が通っている気がしないのは、気のせいではないだろう。
タタララが、普段よりも心の距離を取っているからだ。
フレートゲルトは焦って口走ってしまったことを後悔していた。
今日は少し仲良くなる――それくらいを目標にしていればよかったと後悔していた。
言うに事欠いて結婚を申し込んでしまった。
せめて結婚を前提に付き合ってくれ、とか、その辺に留めておくべきだった。いやそれでもやはり早かったかもしれない。
だが、焦るのも無理はない。
旅行の日程は順調に消化されていて、一緒にいられる時間はどんどん減っているのだ。
いや、違う。
あのリカリオ・ウィークの登場で、フレートゲルトは更に焦った上に追い詰められたのだ。
このままではあの男に取られるぞ、と。
ならば行動を起こすしかない、と。
――その結果が、この後悔である。
何度目か知れない溜息をひっそりとつく。
そんなフレートゲルトに、前を歩くタタララは背中を向けたまま言った。
「森はあまり変わらないが、こっちの集落は珍しい物が多いな。人も多くて。毎日が目まぐるしい」
「そうですね。ウィークの街は栄えているので……でも普通の街や村はもう少し落ち着いていますよ」
「そうか。あの街が特別な方になるのか」
「ええ。人口も多いですし、外国の人もよく出入りしていますし。いわゆる都会ってやつですね」
「都会か。……おまえとレインは小さい頃からの友達だと聞いているが、レインもおまえも都会で育ったのか?」
「そう、ですね。どちらかと言うとそうだと思います」
レインとフレートゲルトの出身は、王都である。
もっとレインは王族だし、フレートゲルトはその王族に付けられた護衛でもあった。
二人は国の中枢に近い場所で生まれ育った。
国王のお膝元が都会じゃないわけがない。
「――なあ、フレートゲルト」
タタララのその言葉の響きに、フレートゲルトは足を止めた。
さっきと同じだ。
だが、なんだろう。
強いて言えば、重さが違う――直感でそう思った。
「おまえは本当に捨てられるのか? 住んでみてわかったが、私たちの住む向こうとおまえの住むこっちはまるで違う。別世界のようにな」
「それは――」
すでに捨てたし、捨てられる。
職も辞したし、家も出た。
もうフレートゲルトには帰る場所もないし、今旅行に来ている彼女たちが帰れば居場所も失うことになる。
フレートゲルトは、向こうに行くと決めているから。
「私にはおまえがそこまで覚悟しているように見えないんだ」
だが、タタララの言葉は重かった。
反射的に反論する言葉が出せないほどに。
「……前例になるレインが本当に捨て身でやってきたから、どうしても比べてしまう。おまえには悪いがな。
別人なんだからあたりまえだと思うが――レインの時とおまえでは、なんだか覚悟の在り方が違う感じがするんだ。
今のおまえを連れて行っても、おまえはひどく後悔するだけで終わりそうな気がする」
だから。
タタララは振り返る。
いつもの凛々しい面差しで、藍色の瞳がわずかなぶれもなくフレートゲルトを見据える。
「おまえの言葉を素直に受け入れられない。すまない」
それは、瀕死の獲物を楽にさせるような、とどめのような一言だった。
心を殺されたフレートゲルトと、あえて何も言わなかったタタララ。
彼らが街に戻ってきたのは、夕方くらいだった。
失恋したとて、移動は来た時と同じ馬に相乗り。
行く時はこれ以上ないほどうきうきしていたのに、帰路はまさに死に体だった。
タタララは走って別々に帰っても良かったが、それだけはたとえ死に体のフレートゲルトでもプライドが許さなかった。
どんなにつらかろうと、来た時と同じ相乗りで帰ることだけは譲れなかった。
行く時は宝物のように感じた好きな女性の熱が、死体となったフレートゲルトを火葬にしようとしているような気分になったが。
「大丈夫ですか? 顔色が……」
大柄で目立つフレートゲルトは門兵に憶えられているようで、街に入る時に心配されるほどだった。
「大丈夫」
全然大丈夫じゃない、と本人もわかっている。
本当なら今すぐ大声を上げてその辺を本能の赴くままごろごろ転がり回って記憶がなくなるまで酒を呑みたい。あともし過去に戻れるならついさっき「ウェディングドレスを着てください」などとほざいた身の程知らずの若造の首を絞めてやりたい。というか今すぐ己の首でもいい気分だ。
だが最後の最後の力を振り絞って、身分証を見せてウィークの街に入った。
発狂するのは、タタララを送って自室に戻ってからだ。
ポクポクと石畳を鳴らす馬の足は遅い。
大通りは人が多いので、あまり速度は出せない。
まるで馬まで言っているようだ。
もうタタララと馬に乗る機会などないから最後に噛み締めろ、と。
まったく泣けるほど優しい馬だ。
余計なお世話だが。
全部妄想だが、今のフレートゲルトは心が死んでいるので、色々と不安定だった。
「――あれ!? もしかして!」
そんな時だった。
今一番会いたくない男が、フレートゲルトの視界に入ってきたのは。
リカリオ・ウィークだ。
まさか三回目の遭遇があるとは思わなかった。
「――ダメだぞ」
死んだ心が蘇る。
怒りと殺意によって熱く燃えた心が、不死鳥のように蘇る。
だがそれと同時に、すぐ後ろのタタララに肩を掴まれた。
わかっている。
殺気走っているが、こいつのせいでタタララとの関係を焦ったばかりに色々と……八つ当たりなのはわかっているが、それでも、一線を超えることは許されない。
「え、あ、ちょっとちょっと! 待った! 止まって!」
そのまま馬を止めずにポクポク行こうとしたが、リカリオは止めてくる。
「止まれと言っているだろう!」
怒鳴ったのは、リカリオと一緒にいた男だ。フレートゲルトと同じくらい体格がいい。
「あ、すいません。気づかなかったもので」
このまま進めるとリカリオたちと接触してしまうし、何より馬が嫌がっているので渋々立ち止まる。
「嘘だろう。目が合っていたじゃないか」
うるさいバカ失せろ、と言い返してやりたかったが、ぐっとこらえる。――タタララが一緒にいなければ本当に言っていたと思うが。
「呼び止められる理由がありませんので。それとも俺たちは何か止められるようなことをしましたかね?」
「なんだその口の利き方は! 馬から下りろ!}
「やめろよ。彼の言う通りだ」
連れの大男は血気盛んだが、リカリオの方は理性的である。気に入らないことに。なんなら怒らせてくれればいいのに。怒りに任せていくらでも殴ってやるのに。
「――あの! 僕のこと憶えてるよね!?」
フレートゲルトを通り越してタタララに声を掛けるリカリオに、色々と不安定なフレートゲルトの怒りは頂点に達し――
「何をしている」
大きくはない。
だがどうしても無視できない威厳を感じる一言に、寸でのところで踏みとどまった。
フレートゲルトたちは愚か、リカリオたちも振り向く。
そこにはアーレとレインの姿があった。
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